#1 岡田利規(チェルフィッチュ)

STスポット、ダンス、身体性

柳澤 横浜の演劇シーンが育てたチェルフィッチュという面があり、横浜STスポットという小劇場との関わりが深いと思います。特にそこで上演されたコンテンポラリーダンスの公演に刺激を受けたと聞いています。いまのスタイルを練り上げていくうえで、どんな影響があったのでしょうか。

岡田 間違いなくダンスから影響を受けました。STスポットとの関わりは、1999 年にスパーキング(演劇フェスティバル)がまだ公募制のショーケース形式だったころに応募して出場したのが始まりです。「二人の兵士とタチマチネギ」という作品でした。このときスタッフの方に気に入ってもらった、当時、裏方で働いていたのが山田うんさん(注10) だったりするんですけどね。

柳澤 アーチストが劇場の技術スタッフなどで働くのはとてもいいシステムではないでしょうか。そのなかで学ぶことは多いと思います。作り手として、劇場がどういう仕掛けで回っていくかを体験できる。

岡田 STスポットに関わるようになって、ダンスをそこそこみるようになり、最初はなにもかにもおもしろかった。でもぼくはダンスできない、悔しいなあと思っていた。山田うんさんがいて、手塚夏子さん(注11) がいて、というシチュエーションの中で目をかけてもらったことは、いまのスタイルになる上で絶対に無縁ではない。いまのスタイルの根幹ができてくる上で、手塚さんとの出会いは本当に重要でした。

柳澤 手塚さんの「私的解剖実験シリーズ」(注11) は、身体の微細な動きを立ち上げていきますよね。動きの源泉を型にはめないで、いかに見つけていくかというように。

岡田 当時の手塚さんとぼくの問題意識は完全に一致していたと思う。それは結局、動くとき、それはなぜ動くのか、ということなんですけどね(笑い)。それで 2002年4月に彼女と合同公演(注 12) もしたりしました。

柳澤 その合同公演をみたのが、私とチェルフィッチュとの最初の出会いだった。すばらしい公演でしたね。

岡田 手塚さんのパフォーマンスをみに来たダンス関係者が、前座でやってたぼくらのことにも引っかかって、それでチェルフィッチュ公演をみに来てくれるようになったんですよね。演劇の評論家や関係者の方々がみにくるのは、それからだいぶたってからでしたけど。

柳澤 有意義なトンネルというか回り道とでもいうんでしょうか。

岡田 そうですね、演劇批評って、どれだけ身体性に言及したところでやられているんでしょうね。身体性を強く意識しているものだからと言って、それについて言及するのをダンスの批評だけに任せちゃうのって、ちょっと怠慢じゃないかなあとか、思うことありますけど。

柳澤 身体表現というか、身体の動きにすごく鋭敏になった場所がSTスポットだった。

岡田 それは間違いないですね。

柳澤 2004 年度に続いて、2005 年度もSTスポットの契約アーチストですね。自分が受け取った恩恵を、STスポットや横浜の演劇シーンに還元することを考えていらっしゃいますか。

岡田 それは考えていきたい。どういう形になるか分かりませんが。特に岸田賞を受賞して、割と意識するようになりましたね。

柳澤 平田さんが「東京ノート」で岸田賞を受賞したときと、岡田さんのいまと、なんとなく状況がタイミングとして重なるような気がします。 平田オリザさんは自分の演劇を形にしていくために青年団という劇団が必要で、40人規模の劇団員を維持しなければならない、それを基準にしてアゴラ劇場の経営や地方巡業などがプログラムに組まれていった、と著書の中で言ってましたが、ここで決定的に違うのは、チェルフィッチュが岡田さんひとりのユニットだということではないでしょうか。20世紀も終わって以降、緩やかなネットワークの中で独りで旗を立て、少人数小規模で実験を重ねていくことの方が有効な時代になったのではないか。陣地戦ではなく、遊撃戦のほうが有効な時代だったと言えるように思います。

話す身体と聞く身体

柳澤 さて、『現代詩手帖』(2005年 3月号)に岡田さんが文章(注 13) を寄せていて、そこでは言葉を発することと身体の動きという論点で書かれています。身体というと、「ポスト*労苦の終わり」で2人の役者がイスをたたんで床に倒す行為を繰り返しますが、これは言葉から生まれる動きではないですよね。この種類の動きはどういう仕方で生み出されているのでしょうか。

岡田 特筆するような方法じゃないですよ。話しているときの身体の動きについては結構考えてるつもりだけど、イスを倒す動きとかは全然そのレベルまでいってない。

柳澤 「イスを蹴って」「倒して」と指示する感じですか。

岡田 まあ稽古のとき「どうして人はテレビ見続けてると姿勢を変えるのか」みたいな話とかはしたんですけどね。でもあの動きみたいに、言葉から生まれるというわけでない動きについては全然まだ考えとかアイデアが足りないですよ。これからは話をしているときの身体だけでなくて、それを聞いているときの身体のこととかも考えていきたいとは思います。でも聞く人って、話す人に比べてそんなに動かないじゃないですか。

柳澤 聞く人はどちらかというと受動的ですね。

岡田 だから聞くときの身体について考えを押し進めても、身体についてなにかドラスティックな結実がみられるとかいうことにはならない気がしてるんですけどね。

柳澤 話す身体が聞く身体によって動かされるという領域は、これまでは遠ざけてきたのでしょうか。

岡田 いえ、多少はやってましたよ。聞いている人が、話している人の話を、その話のどの時点で理解するのか、どの時点で自分のいいたいことが生成されるのか、みたいなことは一応考えてたから。言いたいことって相手がしゃべり終わった時点で生成されるわけでは決してないし、でも生成されたからってそれをすぐしゃべり出すわけじゃなくて、相手がしゃべっている間はとりあえず黙って聞いているのが、まあ普通でしょう。だから、言いたいことはあるけど相手が言ってること聞きながら言う機会を待ってるという状態にある身体はどんな具合なのかとか、いろいろ考えてるんですけど、派手な成果はまだ出せていないし、まあ、出ないだろうなと思います。

柳澤 まだ手を付けかねる状態でしょうか。

岡田 そもそも、別にダンスにも見えるような派手なことにならなくたって、いいんですけどね、話を聞いているという演技上の時間の流れを埋めるために、さっき言ったようなこと考えるのはまあ有効なわけですから。とは言っても、僕としては身体性が目に見えるところまでやってしまいたいという欲求はどうしてもあるんですけど。 >>


(注 10) 山田うん:舞踊・振付家。1996年、横浜STスポットにて振付家デビュー。以来数年間にわたりSTスポット「ダンスシリーズ企画室」スタッフとして企画、運営に携わる。2002年ダンスカンパニー 設立。
(注 11) 手塚夏子:ダンサー・パフォーマー。自分自身を内省、対象化する作品に特長があり、2001年1月、STスポットラボ20 で「私的解剖実験」上演。02年7月トヨタコレオグラフィーアワードに「私的解剖実験-2」で本選出場。同年のアサヒアートフェスティバルに出演。ほかに03年11月STスポット提携企画で黒沢美香と共演。03年12月「私的解剖実験-4」初演。 04年7月「出産衝動」「私的解剖実験-4(振付バージョン)」など。
木村覚「解剖のダンス-手塚夏子の作品世界」、武藤大祐「手塚夏子『私的解剖実験2』」、柳澤望「手塚夏子妊娠記念公演」 など参照。
(注 12) チェルフィッチュ 公演「マンション」(2004年4月、手塚夏子との合同公演「第1回私的解剖実験ダブルス」にて発表:渋谷ギャラリー ル・デコ)
(注 13) 岡田利規 「Language tte virus, makes you dance.」 (『現代詩手帖』, 2005年3月号 )