カムヰヤッセン「バックギャモン・プレイヤード」

◎身の回りの「世界」
 水牛健太郎

「バックギャモン・プレイヤード」公演チラシ
公演チラシ

 「村」を舞台にした芝居には二種類ある。リアルな劇と寓話劇だ。
 とまあ大上段に構えたが、それだけ「村」というのは寓話劇の舞台になりやすい。人が少なく、それぞれの人が都会よりも明確な役割を持って生活している。それに、村の生活のことは、演劇の公演が行われる都会では、はっきり言って誰もよく知らない。突っ込んでいけば色々ディープな現実がありそうだが、それも含めて多少ファンタジーを乗っけても許されるのでは。

 そんなわけで「パックギャモン・プレイヤード」の本編が始まる前から、パステルカラーの服の「大工さん」や「パン屋さん」や「花火職人」が日本人らしい名前を呼びあいつつ、舞台を行き交い始めたのを見て、「寓話劇来たぞ」という感じであった。

 この村は、ただ一人のけ者になっている娼婦らしき女性を除いてみんな仲良く楽しく暮らしている平和な村らしい。しかし若き村長さん兼教師は村をもっと豊かにしようと思い、隣村の村長の助言で、「物知り」を名乗るコンサルタントを入れる。

 この見るからに怪しげなコンサルタントが、いかにもの助言を行う。大体は製品を規格化、画一化して生産量を増やしましょうといった類の、さすがにいまどきどうかと思うような助言なのだが、村の人は素直なので受け入れて、案の定失敗する。村一番のインテリのプライドがある医者(でも免許はないらしい)は、村の事業資金をまとめて融資する金貸しのようなことをはじめ、村人から金をとりたてる悪徳資本家みたいになる。

 村の空気がおかしくなってきたころ、職人肌の花火職人(まずい表現ですみません)がしつこいコンサルタントにキレて、花火に火を点け、村は焼け跡と化してしまう。頼りの隣村は助けてくれず、居丈高な隣村の女村長は、村人が移民してくるなら労働者として使ってやってもいい、みたいなことを言う。村人たちは決定的に決裂し、村はばらばらになる。最後に、次の世代らしき人たちがまっ白い衣装で元の村に戻ってきて、みんなで土地を耕し始める。再生への希望がうたわれる。

 記憶に頼っているので、細部に誤りがあるかもしれないが、大筋は押さえていると思う。寓意てんこもりで、実にメッセージ性にあふれたお芝居だった。「市場経済・大量生産は不幸のもと」というのが一番わかりやすいメッセージ。村を襲う災厄は、天災と人災の違いこそあれ、東日本大震災を連想させるし、居丈高な隣村は明らかにアメリカのことだろう。隣村がコンサルタントを派遣してくるくだりは、「アメリカ主導のグローバル資本主義」を寓意しているのだと思われる。また、この村では大事なことは風見鶏をルーレットみたいに回転させて決めることになっていて、和を尊ぶあまり誰も責任を取らず運任せみたいなことになっている日本の現状を揶揄しているのだろう。

 しかしどうなんだろう。見ているうちに私はだんだん居心地が悪くなってきた。衣装や小道具、大道具が気になりだした。たとえばパステルカラーを主体にした衣装。ジーンズだったり、ファストファッションだったり。俳優持ち込みのものもありそうだし、公演のために切ったり縫ったりして作ったものもあるようだ。

 しかし大もとをたどれば、どれもこれも、中国かバングラデッシュあたりの繊維工場に行きつく。大きな機械が糸を紡ぎ、布を織りあげる。体育館のようなだだっぴろい空間で、髪の毛が落ちないように白い布をかぶった若い女性たちが一斉にミシンに向かう。タタタッ、タタッとリズミカルな音が響いてる。時計の針は十一時を回り、みんなお腹がすきだしてる。お昼時は彼女たちにとって、いちばん楽しみな時間だ。今日のお弁当はなんだろうか。食堂で、みんなで大皿を囲んでおしゃべりするのかも。

 あるいは大道具。このお芝居には大きな板がたくさん使われている。おそらくホームセンターでもとめたものだ。日本で売られる木材は、アメリカ、カナダかマレーシア、インドネシアといった国の広大な森林からチェンソーで切り出される。太い腕の男たちがクレーンを操作し、トラックへと積み込む。それから製材工場で板になって巨大な貨物船に積まれて横浜や神戸に運ばれてくる。そして規格品としてホームセンターに並ぶ。

 グローバル資本主義っていうのはつまり、こういうことだ。舞台衣装、大道具、何から何まで、世界のどこかで大量生産された規格品だということ。そこに、世界中のたくさんの人々の手がかかわってるってこと。

 そして、それらの支えなくしては、この公演は成立しなかったってこと。もしあれだけの大道具を国産の木材でまかなったら、大変な金額になる。百万円は軽く超える。いま国産材は、お金持ちが贅をこらした日本家屋を作る時ぐらいしか使われない。私たち一般人が生活の中で接するのは、みんな輸入材だ。

 「アメリカ人のコンサルタントが大量生産を迫る」といったグローバル資本主義像は分かりやすく、批判の対象にしやすい。それ自体は別に嘘ではなく、そうした面は実際にある、と思う。でも、私たちの生活の本質には迫っていない。まあお題目のようなものだ。だからそれをストレートに演劇化すると、大量生産品なくして成立しない舞台で、何のアイロニーも感じずに大量生産の害を訴えるようなとんちんかんなことになる。酔っ払いが自分のことを棚に上げて酒の害を説くようなもので、何の説得力もない。

 大量生産は私たちから人間らしさを奪っている――なるほどそうかもしれない。きっとそうなんだろう。ただ問題は、大量生産は今ではもう私たちの生活の基本条件になってしまってるってことだ。周りを見回してほしい。生鮮食料品をほとんど唯一の例外として、ほとんどすべてが大量生産の規格品であることに気づくはずだ(そうじゃない人はかなりのお金持ちである)。私たちは大量生産に首までつかって、依存しまくって生きている。そのことを棚に上げて、ただどこかで習ったお題目通りに「大量生産反対」を叫んだって、どこにも行けない。

 私はいちゃもんを付けているのだろうか? 演劇人に、高度すぎる経済の知識を要求してる? 全然そうは思わない。本当によくできたお芝居は、ちゃんと社会や経済の現実を映し出していることを知っているからだ。シェイクスピアの「ベニスの商人」を題材に論文を書いた社会学者や経済学者は無数にいる。岸田國士の芝居は戦前の市民社会を知るヒントであふれている。そう、優れた劇作家はむしろ、学者にものを教える立場なのだ。
 もちろん、シェイクスピアや岸田が経済や社会の専門家だったわけではない。ただ、並外れた観察者だったに過ぎない。観察というのは、たとえば、自分たちの身の周りにあるほとんどのモノが、大量生産品であることに気づくことを含む。難しいことじゃない。周囲を見回しさえすれば、誰でも気づく。目の前にある製品が大量生産品かどうかを知るのに、経済の知識なんて必要ない。

 観察は、演劇だけでなく、あらゆる創作の基本になると同時に、あらゆる学問の基礎にあるものだ。優れた創作が、さまざまな学問の専門家にインスピレーションを与えるのはそれが一つの理由だ。だが、人から教わったお題目を唱えているうちは、到底その域に達することはできないだろう。世界情勢を語るのもいいが、まず周囲を見回してみては。世界なんて実はそこにあるものだ。

【著者略歴】
 水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2011年4月より京都在住。元演劇ユニットG.com文芸部員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
カムヰヤッセン 第7回公演「バックギャモン・プレイヤード
〔東京公演〕吉祥寺シアター(2012年2月9日-13日)
〔京都公演〕京都芸術センター西館1F フリースペース( 2012年2月24日-26日)

脚本・演出 北川大輔
[出演]
甘粕阿紗子
小島明之
北川大輔
安藤理樹(PLAT-formance)
伊比井香織
今城文恵(浮世企画)
大西智子(あなざーわーくす)
岡山誠(ブルドッキングヘッドロック)
尾倉ケント(アイサツ)
小玉久仁子(ホチキス)
齋藤陽介
辻貴大
西岡未央(悪い芝居)
埜本幸良(範宙遊泳)
森田祐吏(北京蝶々)
山脇唯(ヨーロッパ企画)

[スタッフ]
脚本・演出:北川大輔
舞台監督:杣谷昌洋
舞台監督補:川崎裕太(Theatre MERCURY)
舞台美術:大泉七奈子
照明:吉村愛子(Fantasista?ish.)
音響:笠木健司(クロムモリブデン)
音楽:吉田能(PLAT-formance)
宣伝美術(デザイン):釣巻敏康(釣巻デザイン室)
宣伝美術(アートワーク):平山正太郎
プリンティング ディレクション:青山功(リトルウイング)
スチール:原絵里子
衣装:飯田裕幸
映像:新谷純(クロムモリブデン)
演出助手:裕本恭(東京ペンギン)大原渉平(劇団しようよ)菊地一輝
制作[東京]塩田友克
制作[京都]有田小乃美(悪い芝居)
プロデューサー:工藤喬才
提携[東京]公益財団法人 武蔵野文化事業団
共催[京都]京都芸術センター
主催・企画・製作:カムヰヤッセン

[チケット]
前売 一般 3000円 学生 2500円
当日 一般 3300円 学生 2800円
早割 一般 2700円 学生 2200円

「カムヰヤッセン「バックギャモン・プレイヤード」」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 微妙

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