猥雑な『天保十二年のシェイクスピア』

舞台の途中で拍手が起こり、休憩前にも拍手があって、と観客席が沸(わ)いた『天保十二年のシェイクスピア』。文字通り、シェイクスピアの作品を江戸期のバクチ打ちの日常に移し換え、ことば遊びも巧妙に盛り込んだ井上ひさしの妙味と、 … “猥雑な『天保十二年のシェイクスピア』” の続きを読む

舞台の途中で拍手が起こり、休憩前にも拍手があって、と観客席が沸(わ)いた『天保十二年のシェイクスピア』。文字通り、シェイクスピアの作品を江戸期のバクチ打ちの日常に移し換え、ことば遊びも巧妙に盛り込んだ井上ひさしの妙味と、華美な演出から一転して今回は猥雑(わいざつ)さを前面に打ち出した蜷川の手腕が、エンターテイメント性の高い喜劇を生んだ。もしもシェイクスピアがいなかったら、で始まる歌を聴きながら、『ロミオとジュリエット』で商業演劇に転身することになった蜷川は、もし歌詞通りだったら今ごろどうなっていただろうか、という想像も働いて、奇縁を不思議がり、偶然の「産物」を享受した。

視覚に訴えるような美を表出させる蜷川幸雄の演出が、『天保十二年のシェイクスピア』では卑(いや)しく、猥(みだ)らに変わった。シェイクスピアの37作品を、江戸期の侠客(きょうきゃく)講談に編み込んだ井上ひさしの原作は、上流階級の世界を社会秩序の外にいる無法者の日常に、絶妙に融合させた。対極であり、意外な組み合わせが舞台のエンターテイメント性を高める効果をもたらした。戯曲には一切手を加えないことで有名な蜷川は、ト書きまでも忠実に表現してみせた。

開演前の舞台ではグローブ座を想わせる美術があり、王侯貴族風の男女が現れては消える。「開幕」が近づくにつれて、静寂さが劇場内に浸透していく。しばらくすると、大音量の音楽が鳴り響き、観客席の方向から土埃で汚れた裸の男たちがなだれ込んで来て、一斉に「グローブ座」を壊し始める。蜷川得意の「開幕3分間」は、シェイクスピアの世界から博打打ちの日常への変換だった。

 「壊れたグローブ座」を背景に、江戸の情緒を感じさせる舞台セットが下手から運び込まれる。場面転換があるたびに、この動作がくり返された。

物語の口火を切ったのは「リア王」だった。3人の娘に王の財産を分け与える導入は、家同士が争う「ロミオとジュリエット」へと発展していく。井上の戯曲は無理にシェイクスピアの作品を溶かし込んだとは、まったく想像させることはなかった。

様相は、醜い身なりをした〝佐渡の三世次(みよじ)〟が登場してから一変する。三世次がひと通り、自らの身の上を語った後、女郎を強引に「抱く」。歌と同時進行しながら、三世次を演じる唐沢寿明が肌を露わにした巨漢な女性(中島陽子)の乳房を揉みしだく。観客席のほうを向きながらの演技で、巨大な乳房が唐沢の両手で上下に動かされる様子がはっきりわかる。ここから猥褻の度合は一層濃厚になっていく。

蜷川は英国のような「論理的な裏付けのある演劇」に一時期、傾倒していたが、今年から「自分の立脚点であるアジア的猥雑(わいざつ)さをもっと出したい」と、年初のインタビューで応えていた。今年演出した5作品の中で、『天保十二年……』が如実にそのことばを体現することになる。

この戯曲はもともと趣向に富んでおり、蜷川の演出による趣向と相まって、場面の面白味が増す。「ハムレット」の場面では、一昨年、シアターコクーンで上演されたキャストの再現ともなり、蜷川の采配が窺える。ハムレット王(西岡徳馬)の亡霊の出現を彷彿(ほうふつ)させる場面でその采配は良い意味で裏切られ、本来なら復讐を告げる重々しい雰囲気にもかかわらず、〝ボケ〟役の設定に西岡が見事に応えて、笑いを誘った。西岡のボケは、この後でも決まって、意外な一面を印象付けた。

女郎が客引きをする場面では「新・近松心中物語」、文楽の技法を応用した場面では「ペリクリーズ」と、過去の演出を懐かしませる場面も表出。今年7月に蜷川は歌舞伎を演出したが、場面転換の合図には柝(き)を多用し、早替りも披露した。戯曲と演出の趣向が重なって、相乗効果が生まれ、場を大いに盛り上げた。

主役級の俳優たち、特に猥雑さと縁遠い唐沢や藤原竜也、夏木マリは板に付いた演技で真価を発揮し、2役を美事に演じた毬谷友子は錚々(そうそう)たる顔ぶれの中でも、情感がこもった演技によって、その存在を際立たせていた。

シェイクスピアでありながらシェイクスピアでない『天保十二年のシェイクスピア』。それは二体の彫像によって常に意識させられた。2階の高さぐらいに設置された像は、舞台セットの真上に来るように仕組まれていて、開幕から終幕までセットが出入りしても観客席から観られる形で鎮座(ちんざ)していた。博打打ちの日常が舞台で現前しても、シェイクスピアの世界が混入するように演出されていた。

終幕は集大成だった。もしもシェイクスピアがいなかったら、で始まる歌が、舞台でくり広げられた数々の出来事に有り難みを付け加える格好となった。

(敬称略) 【観劇日:10日、座席:H列12番】

山関英人 記者)

【注】 「宮殿」は「グローブ座」という指摘がありましたので、改めました。(9月15日)

《公演情報》

◇『天保十二年のシェイクスピア
 ・作:井上ひさし/演出:蜷川幸雄
 ・シアターコクーン(東京・渋谷)
 ・上演時間:約4時間(途中に休憩20分)
 ・公演期間:2005年9月9日-10月22日

「猥雑な『天保十二年のシェイクスピア』」への5件のフィードバック

  1. 「天保12年のシェイクスピア」の劇評

    この芝居を観た人達の感想をアレコレ
    読んだが、いまひとつピンとこない。
    多分、ネタバレを恐れての表現が
    とても曖昧にしているのかも。
    だから、観た人達の感想が殆ど
    同じ表現、、、…

  2. 山関英人さま
    コメント有難うございました。
    観劇前にその芝居の評を読んでおくことは、素人であれ
    玄人のものであれ、とても楽しいものです。
    けれど今回の芝居にかんしては、独創的な感想を見つけることが難しかった、です。

  3. 「独創的な感想……」
    今回に限らず、実現するかどうかわからない、遠大な課題です。

    コメント、ありがとうございました。

  4. 天保十二年のシェイクスピア

    天保十二年のシェイクスピアについて、
    「具体的にどんななの?」
    …という個人的なご連絡をたくさん頂いたのですが。

    なんと言ってよいのやら。と思っていたところ、
    私的にコレ!と思うレビューをみつけたので
    お知らせします。
    ※コチラをごらんください。

  5. 蜷川幸雄「オレステス」を見たつもりになって。

    蜷川幸雄さんの「オレステス」
    ひっじょーーに見たかったのですが、
    ついこの間、もうすでにチケット発売してた事を知りました、、

    10月公演、だったら
    そろそろかなあ、ぐらいに思ってたので、
    5月発売に…

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