ククルカン「グリニッジ」

 PCが壊れてショックでしたが、予備機がやっと動き始め、なんとか活動再開できそうです。たまったレビューをこれから追々掲載します。  まず10月末に開かれたククルカン「グリニッジ」公演をお届けします。よく練られ、行き届いた … “ククルカン「グリニッジ」” の続きを読む

 PCが壊れてショックでしたが、予備機がやっと動き始め、なんとか活動再開できそうです。たまったレビューをこれから追々掲載します。
 まず10月末に開かれたククルカン「グリニッジ」公演をお届けします。よく練られ、行き届いた舞台という印象でした。この演劇ユニットの舞台体験は初めてなので、どこまで理解できているか怪しいのですが、ともかくまとめてみました。
 ところで「ククルカン」ってマヤ神話の至高神にちなんでいるのでしょうか。それとも高田慎一郎の漫画からとったのでしょうか。


◎記号世界の愛と死 円環構造をスタイリッシュに
-ククルカン「グリニッジ」公演

 不思議な芝居を見ました。始まりが終わりで、終わりが始まりという円環構造。5組のカップルのもつれを、1組のカップルの時系列に織り込んでいく時間構成。5つのエリアに5組を割り付け、さらに別の1組を動かして結びつけていく配置感覚。異なる時間と場所を次第に招き寄せるプロットはアイデアにあふれています。実現しそうもないアイデアを、作劇の力でねじ伏せてしまうような舞台だったのではないでしょうか。初めてのククルカン体験でしたが、「グリニッジ」公演でユニットの才能と力量を存分に感じることができました。(10月19日-24日、大塚・萬スタジオ)

 まず、女性たちが登場して男のうわさや品定め、好みの恋愛などについて語り合います。そこに男たちが現れ、それぞれカップルになって姿を消します。その組み方やそぶりが、芝居全体の前奏曲だったのだと、終演後に気が付く仕掛けです。やがてフロアに配置されたそれぞれのエリアの上で、それぞれの男女の、恋と愛の断片が進行します。

 その1。マンション前で、落下した男の死体を挟んで言葉を交わす若い男女。
 その2。ラブラブで、いつでも手をつないだり抱き合ったりしている2人。
 その3。女が男を縛り、浮気をしているのではないかと責めるカップル。
 その4。浮気がばれそうになって、男の前で精神錯乱を装う女。
 その5。女の気持ちがほころんで、男の愛情を受け止められない行き止まりの関係。

 そのほか番外のカップルが1組。マンション管理人として各部屋に入り込み、恋や浮気をそそのかす役回りです。道化、内面の語り手、さらにカップルをときに批評する作者のそぶりを見せるなど、役柄をカメレオンのように変えていきます。

 時間が経つにつれ、ほぼ同時進行しているカップルの関係が、時系列の轍に収めることができるのだと気が付いてきます。自分たちの「webサイトで今回の公演を「終わりなきエッシャーの絵画のようなストーリー」と述べていましたが、男女のもつれた関係を「だまし絵」のように見せようとするねらいは明確でした。

 ストーリー性のあるドラマに仕上がっていますから、それぞれのエピソードにもリアルな気配を求めようとするのは自然な流れです。

 「個々のエピソードとしては、ちょっと消化不良な感じがして、物足りないのだ。あまりにドラマとして、ありきたいなものばかりだったりする」(踊る芝居好きのダメ人間日記 )という指摘はまだいいほうで、「えんげきのぺーじ」(一行レビュー)で「良くできた芝居なのだが…。(中略)恋愛の極限定された若い頃の青い側面だけをとらえれていて(中略)作者の『恋愛ってこんなもんだろ?』っていう恋愛全般への普遍的な意見を発表しているようで…恥ずかしくて見ていられない」(泥レース) 「恋愛についてのシニカルな視点と言っても中学生レベル」(南波)いう指摘もありました。それなりに理解できる見方かもしれません。

 しかしだまし絵ですから、思い付いたアイデアをしゃにむに、これまでの演劇的蓄積を総動員して作り上げたのが今回の舞台だったような気がします。繰り広げるエピソードが極度に生々しくてはまずいのです。リアルから適度に距離を取り、むしろ記号的に処理されるのがだまし絵の望ましい性質でしょう。
 だから正反対に、5通りの愛の形が身につまされると感激されても、同じように困惑するしかないでしょう。リアルかどうかという視点より、記号化の度合いや手法に視線を振り向けた方がよさそうです。

 舞台装置もきわめて簡素です。5つのエリアを高さ1メートルほどの多角形ステージに仕立て、モノクロに近い色彩にしたのもリアルの抑制に通じています。そのエリアが家庭という島世界を形作るのですが、生活の臭いを発散する小道具はほとんど見あたりません。スタイリッシュという言葉がネット上でみられたのも、こういう演出が生み出した印象だったのではないでしょうか。舞台は抽象度を一段高めた世界として設定された記号的世界というのが、ぼくの見立てです。

 物語の起点であり終点でもある場所に置かれているのが、マンションから墜落した男の死体でした。このシーンをみて、とっさに思い出したのが、今年2月下北沢駅前劇場でみたヨーロッパ企画の「「平凡なウェーイ」公演でした。その舞台の発端は、落下して道ばたで串刺しになった死体でした。登場人物が辻で出会い、男の死体が金属製の棒に突き刺さっている傍らで、通りかかりの人たちを巻き込んで展開するコメディータッチのストーリーです。

 ともに発端で「死」を絡めますが、「平凡なウェーイ」で死体は、はちゃめちゃな群衆劇として進行する物語のほんのきっかけにすぎません。言及されても、ほとんど意味を失ったモノ扱い、無視される存在だったことが強く印象に残っています。

 「グリニッジ」公演は「愛」との関連で、「死」を重要なモチーフとして強く意識しています。あるエリアでは、男の不実を疑う女が、赤い服に繰り返しはさみを入れるシーンがありました。文字通り、愛と死を赤い布に見立て、ズタズタに切り裂くのです。シャキッというはさみの音がするたびに、血の痛みが伝わる場面でした。

 最後に近く、それぞれのエリアに赤い衣服が無造作に置かれる場面が出てきます。裁ち切られたはずの衣服もありましたが、無傷で赤色が目に鮮やかなものも見受けました。墜落死に付きもののどろりとした血だまりも、滲み出す体液の強烈な臭いも出現しません。抑制が行き届き、記号化された世界にふさわしい扱でしたが、かえって男の「死」が臭ってくる象徴的なシーンでした。

 そう考えていくと、公演のタイトル「グリニッジ」も一貫した抽象化線上にあることが理解できます。経度の基準となるその地点も、いわば地球の表面を分割する論理的起点であり終点にすぎないからです。

 手元に台本がないので正確なせりふを再現できませんが、冒頭と最後の場面で、死体を挟んで男女がお互いを見合いながら、次のようなやりとりをしていたように記憶します。

「死んでるんですかね」
「そうらしいですね」
「これ、私たちがなんとかしなきゃどうにもならないんですよね」

 ネットを動き回っていたら、この個所に関連して次のような指摘にぶつかりました。

一回目はただ「これ」をなんとかするって意味で疑問は感じないけど、
終盤の二回目で同じ台詞を聞いた時は、それだけじゃなくて
「これから始まる救いのない恋愛」をなんとかしなきゃいけない
みたいな意味も含んでるように感じました。(「カトレアのため息宝石箱」 )

 ここまで読み込んでもらえたら、その舞台にとって当たりであればなおさら、例えそこまで思っていなかったとしても、うれしい限りの読解ではないでしょうか。

 最後に付け加えるとしたら、やはり「死」の鮮やかな切り取りに比べて、いかにも類型的な「愛」の諸相を指摘せざるを得ません。それにしても、類型開示がテレビ的と揶揄される隙をもちながらも、女たちが輪になってズンズンと足で床を打ち付けるシーンは、愛のモチーフが最も切実な響きを帯びた瞬間でした。

 古代インドでは、いのちの円環的繰り返しの観念が世の中を覆っていたと言われます。抜けられない悪循環の世界です。仏教で言う解脱は、この六道輪廻のくびきを脱する至福の道標でした。女たちの足打ちがもっと激しく地響きにまで高まったら、何かの底が抜け、円環が破れるのではないかと錯覚できたかもしれません。
(北嶋孝@ノースアイランド舎, 11.10一部修正)

[上演記録]
◎ククルカン「グリニッジ」
 大塚・萬スタジオ(10月19日-24日)

CAST
三瓶大介
橋本恵一郎
吉田久代
白川直子
石黒圭一郎(劇団コーヒー牛乳)
市村美恵(水性音楽)
金崎敬江(bird’s-eye view)
菊池美里(トリコ劇場)
齋藤了介(AchiTION!)
野田絵理香
松本大卒(チャリT企画)
三宅法仁(inner child)

STAFF
作×演出:加東航
舞台監督:西廣奏
照明:伊藤孝(A^RT CORE design)
音響:齋藤貴博(STAGE OFFICE)
衣装:伊藤梨絵(コブラ会)
演出補佐:平野明徳(NO RABEL!)
イラスト:choco
宣伝美術:Fairy Drive
グッズ:松下由紀(シスターユニフォーム)
WEB制作&管理:田川ユウスケ
メイク補佐:福田泉
制作:制作集団Quarter Note
白川直子×茂木尚美×杉山葉×鵜殿有正
企画製作:ククルカン


投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「ククルカン「グリニッジ」」への4件のフィードバック

  1. TBありがとうございます。
    というか、おれの記事の引用があってなおうれしいです。
    なんか誉められてる気もするし。

    たしかに話そのものよりも、
    記号的・象徴的な手法や、
    時間軸を前後する構成が面白いんだと思います。
    引用されたぼくの解釈は、
    身も蓋もない、どーしようもない話を
    何か意味のある話にしたくて浮かんできた考えかもしれないですね。

  2. カトレアさん、コメントありがとうございます。
    ネットでいくつもグリニッジ公演の評を読みましたが、カトレアさんの指摘に一瞬ドキッとしました。
    こういう見方に出会えると、もしや愛と死の円環を破るきっかけになるかもしれないと、目が覚める思いでした。
    おもしろいステージに出会ったら教えてください。

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