◎ありえないほどの密度 舞踏家、舞踊家が全力投球
志賀信夫(舞踊評論家)
大野一雄は1906年(明治39年)生れの舞踏家。1960年代に土方巽とともに舞踏を創りあげ、1977年には『ラ・アルヘンチーナ頌』を契機に舞踏を世界に広めた。2000年に舞台で倒れてから次第に立てなくなったが、支えられ、床の上や車椅子で踊ってきた。昨年百歳を迎えて写真展や公演が行われ、本年1月末に国内外の著名な舞踏家、舞踊家が結集する公演が神奈川県立青少年センターで開かれた。こういう舞台は顔見世に終りがちだが、舞踏家、舞踊家の全力投球で密度の高い舞台となり、まさに「百花繚乱」だった。
一日目は、吉村流を支える踊り手、吉村ゆきぞのの日本舞踊で始る。地唄舞『鐘が岬』は、体一つで派手な衣装・装置もなく踊る。地唄舞や座敷舞は踊りそのものを見つめる点が舞踏と共通するところがある。土方の弟子和栗由紀夫は、細い光が雨のように降り注ぐ中を、ゆっくりと前に進み、歩みの静けさと確かさが極めて美しい。中央で細長い棒を扱い、澁澤龍彦の小説にちなむ『避雷針屋』が浮かび上がる。
上杉満代が、舞台の中央奥に貼りつき、まっすぐ向ってきたときには、思わず「おお」と声を出した。しっかりとした歩みで、空間を縦真二つに切った。そして黒いスーツの男装的姿が大野一雄を髣髴させながら、女性の柔らかな線と動きが上杉の世界を作り出す。上手と下手で静かに自在に踊る上杉はこの空間を圧倒した。『O氏へ』とは、上杉も出演した70年代の大野の映画『O氏』シリーズにちなみ、当時の大野への強い憧憬が込められている。大野の弟子、武内靖彦の『抜け殻』は濃い色のコートに白髪の混ざった髪と髭で静かに立つ。無駄な動きを廃した踊りから、最後にコートをめくって見せて終るところが鮮烈だ。
関西で劇団態変を主宰する金満里は、十年ほど前から大野一雄と共に舞台に立ち、教えを受けにきている。金はポリオで立てず歩けず両手も不自由だが、障害者自立運動を闘った後、障害者だけによる劇団を立ち上げた。その舞台は不自由な体と動きそのもので表現する。今回の『九寨溝の龍』はチェロをバックに腕と手の先、かろうじて動かせる部分を使ってのもの。横になってイモムシのように転がる姿には、動ける体も動けない体も表現できるという舞踏の思想が見えた。
麿赤児が大きく髪を立ててしずしずと上手から入ってくる。流れるのはジャニス・ジョップリンの『Summer time』。「ああ、やられた」。しかし麿はこの歌に負けない。縦横無尽に踊り回って、完全に踊りに入り込む。誰しも「あんな麿さんを見たのは初めて」と口にしたほど、心と力のこもった踊りが現出し、思わず涙した。三上賀代は土方の弟子。湘南でとりふね舞踏舎を主宰、地域のシニアたちを舞台に乗せる画期的な作品を作る。舞踏も知らない中高年女性が襤褸、白塗りで異形となって登場する姿はなかなかなもの。三上自身のソロはすばらしい。『雀の踊り』の腰を落とした姿勢からゆっくり進み踊る踊りには強い力が立ち表れる。
石井満隆は60年代から土方、大野とともに活動を始め、70年代から欧州で活動した伝説的な存在。『大野先生へのオマージュ』は、中央に大きい透けた布をかけ、男が上から吊した竹を打ち鳴らし、石井が縦横に踊る。落ちついた舞踏には狂気が感じられた。ピナ・バウシュはアヴィニヨン演劇際で大野と出会い、以来、来日公演のたびにダンサーを大野の稽古場に連れて稽古に参加させてきた。今回「大野一雄を通して、時代は全力で踊ることを選んだ」という一文とともに映像を贈ってきた。なかでもピナ自身のソロ『ダンソン』は素晴らしい。
田中泯は近年、再び全国各地の屋外で踊っている。今回の「独舞」は直角方向に歩く動きから始めて、舞台を反時計回りに円を描いてかなりの時間走ることに費やし、静かに動く。疲労するまで走ることで力が抜け、踊る自由を獲得した泯の背景に、広い野原が見えた。ルーシー・クレゴワールは大野のカナダ公演以来交流があり、昨年は大野慶人らとダンス白州で野外に立った。黒い男装は大野のイメージと重なるが、確かなテクニックと芯があり、『EYE』で見せる姿は力強くかつ美麗だった。
韓国舞踊の金梅子『サルプリ』。白いチョゴリでゆったりと踊る姿は優雅。伝統舞踊にモダンダンスの動きを入れ、それが新鮮だった時代がある。前衛も次第に鮮度を失い、それ自体が伝統となり継承を求めることは多い。舞踏も「型」「形」を伝えることで、本来追求する身体と踊りの前衛性を失ってはならない。出演者たちと車椅子の大野一雄、大野慶人、そして研究生たちが花を持ち乱舞するラストは、初日にふさわしいすがすがしさがあった。
二日目は初日と同じく日本舞踊で始まる。藤間多紅『平成萬歳』はオリジナル。しっとりとした女性性が立つ、祝いのための踊り。創作ダンスひまわり会は群馬の山口直永が主宰するシニア女性たちの会。山口は初期大野の弟子、前橋女子高で長年教鞭をとった。指導法は自由な表現を生徒たちに求めさせるユニークなもので、Abe M’ARIAなどのダンサーを生んでいる。初めて見たときは、シュミーズ姿で溢れる女性に圧倒された。今回の『茜いろに燃える炎、変幻』でも「普通の体が踊る力」を感じた。
遠藤公義はドイツで活動する舞踏家。海外の舞踏家は日本性を強調しエキゾチズムに訴える場合があるが、遠藤は『家路』でシンプルに踊り抜き、懐かしさのある風景が舞台に表れた。日本でもっと踊ってほしい。ケイ・タケイは米国で一世を風靡し、現在日本で活動するモダンダンサー。野生児のように跳ね回る姿は森の魔女のよう。今回の『米を洗う女』は、小さい椅子の上に腰かけそこだけで踊る。上から指す光、椅子の上だけで両手と上半身を中心に踊る姿に感嘆、圧倒された。
下手から小さい白塗りの存在が徐々に前に進んでくる。小さい動きながら異様な存在感をあたりにまき散らす。高井富子は土方、大野に学び、加藤郁乎の句集による『形而情学』シリーズを60年代から踊り続ける。『大野一雄に捧ぐ』、小さく痙攣する所作、横たわる姿、一つ一つが大ホールに広がる。小さな七十を過ぎた女性の姿が目に焼きつく。『ラ・アルヘンチーナ頌』がそうだった。大舞台で人々の目の奥に入り込む力こそ大野から受け継いだものではないか。
ブラジル生まれのイズマエル・イヴォは、舞踏グループ、タマンドゥに参加した後、米国、欧州、ドイツに渡り、ヴェネツィアビエンナーレでダンス部門のキュレーターを務めた。また1989年に来日してスパイラルで公演し、大野一雄と交流している。今回の『As Galignas』(雌鶏)は仮面をつけて異形のフォルムを作り、そこからゆっくりと動く。見事なのだが、手馴れた踊りという印象もあった。プログラムに「クスノ・タカオ、フェリシア小川の作品」とあるが、舞踏を始めたタマンドゥは、楠野隆夫が率いたグループ。ブラジルでは楠野三兄弟が有名で、兄友繁は美術家、次兄裕司は日本では初期天井桟敷の写真家、ブラジルでも美術家、プロデューサーとして活躍している。隆夫は日本でダンスの美術・演出を行い、ブラジル、南米に舞踏を根づかせた。大野一雄の1986年の南米公演では、隆夫と妻フェリシア、楠野兄弟が尽力したが、フェリシアは97年の大野の南米公演時に逝去、隆夫も2001年に亡くなり、サンパウロの追悼フェスティバルでは大野慶人、和栗由紀夫らが踊った。裕司と妻の秋葉なつみは、2008年移民百年祭の日本ブラジル芸術祭を企画しているが、この公演時に秋葉なつみ逝去の報を受けた。ご冥福を祈ります。
天児牛大は山海塾を主宰して舞台に立つ。1978年大駱駝艦から独立して行ったソロ『金柑少年』は傑作だった。今回は山海塾の『HIBIKI』からとして、白塗りせずにスラックスとトックリセーターでシンプルに踊り、エッセンスを垣間見せた。笠井叡は弦楽四重奏とともにシューベルトの『死と乙女』。まさに「舞う」にふさわしい動きは、それぞれが魅力的かつ自在で、笠井舞踊を堪能させ、師事した大野へ捧げる想いがひしひしと伝わってきた。
能の観世栄夫は1998年に渋谷シアターコクーンの『無』で大野一雄と共演した。そのときは能の空間に異物として入る大野が魅力的だったが、今回は大野の世界に観世が登場。『卒都婆小町』を舞った。動きそのものに時間をかけて培ってきた力がみなぎり、それが見事に発露した。
カルラ・フラッチはスカラ座プリマで、「イタリアの至宝」といわれた。赤いスカーフのような布をまとい、少ない動きでシンプルに踊る。『イサドラ・ダンカンの思いでの中で』は、ダンカンダンスをイメージしたもの。さらにロシア革命歌『インターナショナル』で踊るのには驚いた。自由を求めて米国から欧州に渡り踊ったイサドラに踊る自由を重ねたのか。『運命のダンス、3つの小品ソロ』など、いずれも静かな踊りだったが、時折見せる回転などにプリマの匂いが花を添えた。そしてカルラ・フラッチと大野慶人が一緒に踊り、さらに車椅子の大野一雄、他の出演者たちもカーテンコール。さらに黒い衣装で揃った研究生たちが、花を持って大野の回りを舞い、この豪華なプログラムは終りを告げた。
この二日間の舞台では、ざまざまな舞踊家が個性的で魅力的な踊りを踊ることで、舞踏健在を証し立て、舞踏の本来持つ身体力とパワーが立ちあがり、舞踏フェスティバルの様相を呈した。舞踏は前衛であるがゆえにセクト性を露呈することもあったが、それはトップの君臨ゆえではなく、周囲が奉ることによる場合も多い。その派閥色も薄れたいまこそ、舞踏フェスティバルが定期的に開催される契機かもしれない。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第30号、2007年2月21日発行。購読は登録ページから。写真はいずれも筆者提供)
【筆者紹介】
志賀信夫(しが・のぶお)
1955年12月東京都杉並区生まれ。中央大学文学部卒、埼玉大学大学院修士課程修了。フランス文学、舞踊・芸術批評。舞踊批評家協会世話人、舞踊学会員。
2007年批評誌『Corpus』(コルプス)創刊。『Bacchus』『TH叢書』『DanceCAFE』『Cut In』『フランス語で広がる世界』『講談社類語大辞典』などに執筆。メールマガジン「Maldoror」発行人。
【公演記録】
大野一雄 百歳の年 ガラ公演「百花繚乱」
-百歳の大野一雄に捧げるオマージュ-
神奈川県立青少年センター(2007年1月27日-28日)
【出演】
1月27日 (土)
麿 赤兒 Akaji Maro
金梅子 Kim Maeja
田中泯 Min Tanaka
上杉満代 Mitsuyo Uesugi
吉村ゆきぞの Yukizono Yoshimura
武内靖彦 Yasuhiko Takeuchi
金満里 Kim Manri
三上賀代 Kayo Mikami
石井満隆 Mitsutaka Ishii 他
ピナ・バウシュ(映像参加)
1月28日 (日)
藤間多紅
遠藤公義
カルラ・フラッチ Carla Fracci
イズマエル・イヴォー Ismael Ivo
観世榮夫 Hideo Kanze
高井富子 Tomiko Takai
天児牛大 Ushio Amagatsu
笠井叡 Akira Kasai
ケイタケイ Kei Takei
創作ダンスひまわり会 Himawari Dance Group 他
【総合演出】大野慶人
【スタッフ】
舞台監督:寅川英司
照明:溝端俊夫 佐野一敏
音響:落合敏行
動画記録:たきしまひろよし
制作:有限会社かんた
制作統括:神奈川県県民部文化課
料金:一般 前売り/3,000円 当日/3,500円(全席指定)
学生 前売り/2,500円 当日/3,000円(全席指定)
主催:神奈川県、アーツ・フュージョン開催実行委員会〔(財)神奈川芸術文化財団、(財)横浜市芸術文化振興財団、神奈川新聞社、tvk、FMヨコハマ〕、大野一雄舞踏研究所、(財)自治総合センター
共催:神奈川県立青少年センター
協賛:コカ・コーラ セントラル ジャパン株式会社 株式会社資生堂
協力:BankART1929 Liaison International Butoh (LIB)
後援:横浜日仏学院 イタリア文化会館
【関連情報】
・100-year-old Butoh dancer fetes the art of darkness
By Sophie Hardach, Reuter(abc NEWS ENTERTAINMENT)
・城戸朱里のブログ(詩人)
「百花繚乱 百歳の大野一雄に捧げるオマージュ」(2007年01月30日付)
http://kidoshuri.seesaa.net/article/32394124.html
「百花繚乱」、その2日目(2007年01月31日付)
http://kidoshuri.seesaa.net/article/32478022.html
・大野一雄生誕100年記念出版
細江英公人間写真集 舞踏家・大野一雄『胡蝶の夢』(B4版上製函ケース入り)定価3780円(税込み)青幻舎刊。
・大野一雄関連資料(書籍,DVDほか amazon.co.jp)
・「Corpus(コルプス)身体表現批評」創刊号特集=大野一雄 http://d.hatena.ne.jp/CORPUS/