柿喰う客「傷は浅いぞ」

◎巧みにして知的、速射砲的台詞の愉楽
谷賢一(劇団DULL-COLORED POP 主宰)

「傷は浅いぞ」公演チラシとにかく勢いのある、勢いのある劇団である。今年の夏はモリエール、年末はお台場、正月にはトラムと、とんとん拍子ですごろくを進めている若手劇団、「柿喰う客」。主宰はまだ確か二十三歳、劇団員の平均年齢も恐らく二十代前半だろう。

旗上げ以来、三十名近い出演者数でガリガリと劇場空間を制圧する、数の暴力とでも形容したくなるような作風で破竹の快進撃を続けて来た「柿」が、四人芝居を打つというので、へぇこれは珍奇なことだね、と思い、劇場へと足を運んだが、ここですかさず前言撤回。もはや数の暴力ではない。力技のパロディ能力と、観客の想像力を全力でくすぐる言葉の「連ね」。「柿」は、現代口語演劇全盛の若手小劇場界において、明らかに異才を放ちながら、単なる異端に終わらない確固たる演劇力を示している。

あらすじは割とどうでもいい気がするのでいい加減に書くが、大体以下の通りである。アイドルとしての華々しいデビューのチャンスを生放送中の鼻血というみっともないアクシデントで失った矢衾愛弓(やぶすま・あゆみ)は、マネージャーである一本槍官兵衛(いっぽんやり・かんべえ)の制止を振り切り、アイドル潰しで有名な番組「電ガル」への出演を決意する。「電ガル」プロデューサーの太刀花鞘花(たちばな・さやか)は、かつて肉親が起こした不祥事のスキャンダルによってアイドルの道を閉ざされて以来性格が捻じ曲がり、アイドル潰しに余念がない。愛弓に対しても、ゴキブリ入りモナカや中空四メートルからの落下、果ては刃物や画鋲の仕込まれた障害物走など鬼畜的な罠を仕掛けるが、愛弓は全てをガッツだけでクリアしていく。愛弓は、かつて強姦された上にナイフで腹を裂かれて殺されかけた過去があり、この程度の罠など何ともないのだ!

と、筋書きだけ書けばはっきりとB級なのだが、これが面白いから不思議である。普通なら通らない現実感のゲの字もないプロットを、持ち前の筋肉質なパロディ・センスでごりごりと押し進め、リアリティとかどうでもいいよときっちり線を引いてくれるから、強引なプロットはアラというよりむしろウリ。『タッチ』でやったら一気に冷めるような酷い展開も、『逆境ナイン』や『地獄甲子園』で見れば何一つ気にならないのと同じで、「柿」の作品は、真実らしさとか妥当性とかいう鬱陶しい要件を、見事にページの余白の更に外に追いやってしまう。

今、あえて漫画的なアレゴリーを多く使ったが、「柿」は大体において漫画的な飛躍とか戯画化が目立つ芝居作りを続けている。作・演出の中屋敷法仁自ら「妄想エンターテイメント」と呼び、「人間を一つも描いてない」と豪語するほど割り切った、カリカチュアと言うより悪ふざけに近いほどのパロディ。しかしそんな漫画的な描写の最中に、ふと目が覚めるようなリアルな人物をアップに映した映画的なカットが割り込んで来るのがたまらない。

今回の劇中でも数度、はっと夢から覚めるような冷たくグロテスクな人間像がクローズアップされる瞬間が来る。この対比が見事だ。もちろん、そういった生々しいクローズアップの瞬間よりも、この冷たいリアリティへの伏線として散りばめられた軽薄過ぎる馬鹿馬鹿しさの奔流こそ「柿」のお家芸と言えるのだが、作家の視点は夢からもう覚めている。漫画的な現代において、もうすでに夢から覚めている中屋敷が、あえて漫画を使うから、「柿」はいいと思える。漫画的なものをただ舞台に持ち込んできゃあきゃあとはしゃいでいるような頭の溶けた愚人どもとは、明らかに違うレベルで物を書いているのだ。「柿」ではこの夏、ゴーゴリの『検察官』を上演したが、そこでも今述べた軽薄さと冷徹さの対比が見られた。この作風が維持・発展されていくことを期待する。

もう一つ指摘しておきたいのが、「柿」が武器として駆使する、散文的ながらも強引な吸引力のある説明台詞のことである。今回の作中では、回想シーンや「電ガル」収録現場での出来事を描写するために用いていた。殺人現場だとか高さ四メートルのセットだとか、舞台上に持ち込むことが不可能な状況を描写するために、見立てを使うとか明かりで描くとかややこしいことは抜きにして、ひたすら台詞で状況を説明する、ということをしてしまう。

普通忌み嫌われる説明台詞や回想シーンだが、これがこちらの想像力をびりびりと刺激してきて実に愉快。非常にグロテスクな状況や事件を、凄まじい早口で、だがしかし淡々と説明していく様は、何か寒々しく荒涼たる現実を、センチメンタルな没入抜きでバンと目の前に突き出されている感じがして、聞いていて実に愉快な寒気が走る。以前確か永井愛が、説明台詞は嫌われる傾向にあるが何故か、突き詰めれば舞台上での台詞はすべて説明台詞である、いかにそれを演劇的に面白く伝えられるかが作家の腕だ、というようなことを述べていたように記憶しているが、「柿」の速射砲的説明台詞は、間だの感傷だの小手先のギミックだのという夾雑物がない分、こちらが素直に想像することが出来て、小気味のいい不気味さを味わうことができるのだ。

歌舞伎の世界では「一声、二顔、三姿」 と言い、英語ではシェイクスピアの活躍した十六世紀の古来から「hear the play」という言い方がある。ネットでちらりと検索したところでは、中国の京劇では芝居を観ることを「聴戯」、すなわち「芝居を聴く」と言うそうである。照明がなく、スペクタキュラーな道具もなかった昔には、芝居の本懐は台詞が持つエネルギーにあった。「柿」のぶっきらぼうで荒々しい長台詞を歌舞伎の連ねに例えたら大向こうから野次られるかもしれないが、現代口語演劇全盛のこのご時世に、台詞の愉楽というものを味わわせてくれた点でも今回の「柿」は愉快であった。

ある劇作家がこんな言葉を残している。「『観る』だけでもなく、『聴く』だけでもなく、強て言葉を弄すれば『眼で聴き、耳で観る』といふやうな一種の境地にわれわれを惹入れるのが演劇本来の『美』であります。」この『傷は浅いぞ』におけるもっともグロテスクなイメージを、自分は目ではなく耳で観た。言葉の魔力の勝ちである。ところで今、かぎかっこ付きで引用した一説は、一見ひどく散文的な芝居を残したと思われ勝ちな岸田國士の言葉である。彼は、舞台で語られる言葉の日常と隔絶したる点をきっちり理解し、それを表現しようと努めていた。台詞の力、演劇的表現力を侮ってはならない。もう一度、芝居がポエトリーを取り戻すことがあってもいいはずだ。

以上。「柿」の作品は、非常に浅薄に見えるが、実に巧みにして知的だ。きっと賢い顔を人前に晒すのが座組一同好きではないだろうが、勢いだけのやんちゃ者に思われがちな「柿喰う客」は、もしかしたら舞台裏では凄まじく冷徹に、自分達の演劇と、自分達を取り巻く浅薄に浮かれ騒いだ文化状況を達観しているのではないか。そういう勘繰りさえさせる好演であった。次に期待。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第70号、2007年11月28日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
谷賢一(たに・けんいち)
1982年生まれ。明治大学演劇学専攻および英国・University of Kentにて演劇
学を学ぶ。劇団DULL-COLORED POP、柏市民劇場CoTiK、個人ブログPLAYNOTE主宰。

【上演記録】
柿喰う客第11回公演 『傷は浅いぞ』
王子小劇場(2007年11月14日-26日)
作・演出:中屋敷法仁

キャスト:
七味まゆ味
コロ
玉置玲央
深谷由梨香

スタッフ
舞台監督:本郷剛史
舞台監督助手:佐野 功
舞台美術:世多九三
音響: 上野 雅(SoundCube)
照明:富山貴之
演出補佐:高木エルム
衣装・小道具: 半澤敦史
映像:高橋希望
宣伝美術:山下浩介
制作:田中沙織

<フライヤー写真>
撮影: 渡辺佳代
メイク・ヘアメイク: 成田真奈美(opera

「柿喰う客「傷は浅いぞ」」への5件のフィードバック

  1. 柿喰う客『真説・多い日も安心』

    ※文中、柿喰う客『真説・多い日も安心』のネタバレを含みます。 東京の20代で大きな注目を集めている、柿喰う客『真説・多い日も安心』を吉祥寺シアターで観ました(8/23ソワレ)。今回が第14回公演で、私は初見になります。…

  2. ピンバック: ぐり
  3. ピンバック: みさを
  4. ピンバック: 通りすがりのsk

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