青年団若手自主企画vol.36「御前会議」

青年団若手自主企画vol.36 現代口語ミュージカル「御前会議」 @アトリエ春風舎 4月7日~14日 作・平田オリザ 潤色/演出・柴幸男 平田オリザの戯曲をラップで読んでみた、というこまばアゴラ劇場の会員向けフリーペーパ … “青年団若手自主企画vol.36「御前会議」” の続きを読む

青年団若手自主企画vol.36
現代口語ミュージカル「御前会議」
@アトリエ春風舎 4月7日~14日
作・平田オリザ 潤色/演出・柴幸男

平田オリザの戯曲をラップで読んでみた、というこまばアゴラ劇場の会員向けフリーペーパーに惹かれて行ってみた、が、若干の不安もあった。
リズム感がないのには自信がある。
歌い上げないで、台詞と歌を乖離させないで作るというミュージカルを、どこまで感じ取れるかを危惧していた。
「目を閉じればミュージカル 耳を閉じれば口語演劇」(当日パンフより)
もし耳が、閉じっぱなしだったらどうしよう。


危惧から救ってくれたのが会議冒頭の台詞だった。
楕円形の白い、会議用の机と、オフィス用の椅子が置かれた会議室に三々五々人が集まってくる所から「御前会議」は始まる。皆別個の用事を持っているらしく集まりは悪いし、客席側の向かい合う位置に座っている中島と由希子が、今現在別居中の夫婦、であることも会議前の会話から分かる。どうやら由希子が出ていったのらしい。会議の参加者も中島夫妻の事情を知っている。

置いていった荷物はどうするのか、と話す夫妻の会話に、小さなうなりのような音が混じる。水滴の音を妙に大きく感じる。いつ歌になるのかと耳をそばだてていると夫婦間にある緊張感もいい具合に誇張されて見えてきた。
会議前のこのシーンは映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の、工場でのダンスシーンを思い出す。工場で動く機械の一つ一つが音楽を作るように、台詞と効果音が融合しようとしている。なかなか音楽が始まらなくてじりじりする。舞台上ではなかなか会議が始まらない。私服の、それもジャージやTシャツの役者たちはお茶菓子など準備しつつ、それでもやがて席に着く。ビートが少しずつ大きく
なる。

「いいですか? 」ワン、ツー、「はーい」と全員ユニゾン入って
「♪それでは・会議を・はじめさせてぇいただきたいとっ思います!えっとまず議題ですがっ、簡単なところから駐輪場の件ですねそれから、賞味期限の問題、あとYAMA・TAI・KOKU!この三つは!今日のうちに決めたいと思います!」ワン、ツー、「はーい。」

出だしのビートは多分♪=120、だと思うけどそれに乗せて木下役の山本裕子さんが歌い出しを正確に決めてくれるので、耳の鈍感な観客ではあったが本格的に口語ミュージカルに入り込める。
同時に会議中のことばの非日常性がわかる。
木下の喋りはビートがあるから「そして邪馬台国!」が「YAMA・TAI・KOKU!」と聞こえる。でなければ、耳を閉じたなら、「そして駐輪場、これらの問題について考えていきたいと思います」と続く会議の一コマでしかない。

そしてもう一つ演出の効果について触れなくてはならない。音楽に乗せることで、台詞の中にある単語は知覚しにくくなる。

原作そのままに上演したとしても会議始めの木下の台詞にはインパクトがあるのだ。蛍光オレンジのパーカーを着た木下が切り出す議題は駐輪場・邪馬台国・結婚披露宴の席順・市町村合併。国のことと私的なことが、これからどこまでも並列に議論されるんである。

「御前会議」が明治から終戦までの間、天皇の出席のもと主要閣僚や軍部首脳が集って開いた合同会議のことだ、と劇評を書くにあたって初めて知った。
劇の冒頭から中心の椅子に座らされ、しばしば発言を求められたり参加者に気遣われたりする「佐藤さん」が本当に意味するものを、劇中私は知らずにいたことになる。佐藤さんは役者ではなく人形で、布の中に紙を詰めて作った体に服を着ている。会議中、自分の都合が悪くなった人が「ねぇ佐藤さん」と同意を求める。全員が佐藤さんを見る、と同時にビートが止まって音楽はやむ。会議も中断する。

結論は最終的に佐藤さんに委ねられ、何もしない「佐藤さん」に、その時々で皆が「うなずかれた」「佐藤さんも反対してる」など勝手に意志を付け加えていく。

御前会議の本当の意味を知らない私は「佐藤さん」を見て、流し雛みたいだな、と思っていた。

会議に途中参加してきて場を引っ掻き回す、松岡という人物がいる。彼女の発言が始まるとやはり音楽は止まり、一つの音楽を成していた会議は滞るのだが、休憩中にも空気を読まない松岡に苛立った一人が「佐藤さん」を使って松岡に制裁を加えるシーンがある。「佐藤さん」を担ぎ上げて松岡の後ろに近づき、「佐藤さん」の紙の腕でべちっと松岡を殴り、言う。

「佐藤さんがおむずがりです」

自分の腕の代わりに「佐藤さん」の腕を使った場面が、流し雛に自分の厄を落とさせるように見えた。「佐藤さん」を使うことで怒りは笑いになり、衝突も起こらない。「佐藤さん」に意見を求めると音楽は止まり、発言を通して作られた空気もそこで断ち切られる。感情の起伏が軽くなり無化される効果は、歌のような台詞とも共通する。歌うことで問題は軽くなる。もとい、軽く見える。たとえそれが軍事問題であっても。

「御前会議」後半の一番のハイライトは陸軍侵略問題のシーンだと思う。
それまで今ひとつ会議の流れに乗り切れないでいる田中がこのシーンの中心で、前半での田中の台詞はどこかだらだらとしてリズムを刻まない上に「邪馬台国はどこか」の議論では「義経が卑弥呼になった」と素っ頓狂な発言をしたりしている。その田中が全員の議論をねじ伏せて自論を押し通し、略奪を繰り返す陸軍侵略を肯定させる。

肯定させるにあたって田中は何も理論的な説明はしない。ただ彼は突然腹から大声を出して周囲を威嚇し黙らせる。ついで銃を取り出し一人に向ける。最後に宇多田ヒカルの「TRAVELLING」にのせてマイクで、欧州視察のときに見たハリネズミの死骸の話を歌う。丸まったハリネズミは車に轢かれて死ぬ、日本も専守防衛だけではだめだ、と比喩を駆使して議論を封じる一コマである。

田中の暴力性は宇多田ヒカルで彩られてパフォーマンスになる。かつ、松岡の中島に対する私怨や「ハリネズミとハリモグラってちがうの?」という発言によって状況の本質は徹底的に無視される。メロディラインのないビートに乗った発言は、止まらない。開きっぱなしの耳は実感を聞き逃してしまう。

「御前会議」は何ひとつ決められない会議、の話でもある。「わからない」という結論を出せただけで大喜びする、人数の揃わない会議は、現実に宇宙人が襲来して奴隷か皆殺しかを迫っている、という現状に接しても何もできない。結論を出す代わりに「佐藤さん」が死んで話は終わる。

台詞があまりにも軽快なので要所要所で笑いが押さえられない、にも関わらずあまりにも薄っぺらに演出された会議の模様を笑うたび、砂を吸い込んだような気分になる。

演出法よりも個人的には「御前会議」を脚本に選んだことを特に評価したい。アフタートークによると「一人あたりの台詞が長い」脚本だというのが決定打だったらしいけど、「佐藤さん」の薄っぺらさと歌のような会議風景の符合はすごい。すごい偶然に支えられてるのが傑作、なんじゃないだろうか。

(劇中の台詞は原作台本を基に、筆者のリズム感で書き下しました。雨の中事務
所から台本を探し出し頒布してくださった青年団の皆様に御礼申し上げます。)

<上演記録>

CAST 工藤倫子/河村竜也/宇田川千珠子/山本裕子/山田(五反田団)/
桜町元/木引優子/畑中友仁

STAFF 照明/西本彩 音響/星野大輔 作曲/山根美和子 美術アドバイ
ザー/濱崎賢二
      宣伝美術/セキコウ 写真/青木司 映像/小口宏 当日運営/木
元太郎・西山葉子
      制作・プロデュース/宮永琢生 総合プロデューサー/平田オリザ
<協力> 五反田団 六尺堂 杉山至 山内健司 山村崇子 兵藤公美 能島瑞穂
 福士史麻 石橋亜希子 大竹直 荻野友里 後藤麻美 佐山和泉 立蔵葉子 
長野海 村田牧子 森内美由紀 鄭亜美 小畑克典 太田裕子 渡井りえ 野村
政之 珍竹 佐々木章子 北見ユリ 半田恭子 飯田紘子 横山真弓 野澤爽子
 toi
<企画制作>青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
<主催>(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
平成20年度文化庁芸術拠点形成事業

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