多田淳之介+フランケンズ「トランス」

◎隣り合っても断絶、の光景が切なく 何重にも読み替えられる戯曲
小畑明日香(慶応大学)

「トランス」公演チラシ単行本として上梓されたこの戯曲のまえがきによれば、鴻上尚史の書いたこの三人芝居「トランス」は、役者が三人いればどこででもできるという強みも手伝ってか、今まで1000回以上上演されてきたのだという。初演から今日までの約15年間で1000回。その1000回の中で、今回ほど、戯曲と真っ向から向き合った上演はなかったのではと思う。

戯曲の指定どおりに何もない舞台に、 パジャマの役者が一人ずつ登場する。しかしその登場人物は全員、アイマスクをつけていて、完全に視界はシャットアウトされている。更に、三人芝居の「トランス」だが、役者は四人いる。まさか実際にそんなことは無いけど役者が四人いる、ということすら舞台上の人達は気がつくことができないかもしれない。なぜなら全員、会話をするときの重要な要素であるアイコンタクトを使えない状態で動いてるし、さらに言うならみんなパジャマで、ひとつの空間の中にいる。私が見た横浜STスポットの舞台は三方、白い壁があるだけだった。素足に寝巻きの人間がいる、白い壁の部屋。そこは精神病棟の一室にも見えるんである。

「トランス」ははっきり言って変な話である。もともとは高校の同級生だった二男一女が数年ぶりに再会するが、最初は精神を病んでいたはずの男・立原雅人が、精神科医を営んでいる女・紅谷礼子に「患者はあなたで医者は僕だ」と言い始めたことから、三人それぞれが「あなたが今まで話してきたことはあなたの妄想です」と言い合い、最後には何が真実だかわからなくなる。おしまい。いや、上手いと思う。小説と違い人が台詞で状況を説明する「戯曲」の特質を上手に使っていると思う。しかしいかんせん初版が出た1994年と比べ、「精神を病んでいる状態」のことを私たちは詳しく知りすぎている。精神科医の礼子が、患者として来た雅人に対しておもいっきり同級生として接する冒頭のシーンは、今見るとあまりに不躾で感情移入しづらい。

しかし会話が最初から成立していない、として捉えることならできる。多田演出「トランス」冒頭、礼子は叫ぶ。近づいてくる雅人の気配を感じて、敵をこれ以上近づけたくないとでも言うように「同窓会のお知らせね!?」と叫ぶ。精神科医なのに患者を拒絶してるみたいだ、という戯曲上の違和感を示す、と同時に二人の患者が視界をふさがれたまま至近距離にいる、という光景も目の前に広がっている。戯曲のオチを見せないために冒頭では礼子はまじめな精神科医としてふるまう、というのが「トランス」の常識、でということになっていた、と思う。1000回も上演されてオチなんか見えてるでしょ、と思う以上にみんな考えてこなかったと思う。台詞が古い、会話がかみ合っているように感じられない、とこの戯曲に対して思った人はけっして少なくないだろう。が、それを面白く見せるのが演出家の仕事じゃなかんべや。

注意してほしい、たしかに役者が全員アイマスクしてるなんて前代未聞だし、三人芝居なのに四人も役者がいたら一人一役にならないが、多田演出はあくまで戯曲から読み取れる物語しか舞台に上げていない。冒頭のシーンもそうだ、言葉は改ざんされない。不自然な会話も、一人の人間が一人三役で会話しているとしたらどうだろう。以後、四人の役者は時折、ちょうど台本の台詞部分だけを延々と音読するようにしゃべり続ける。一人一役が解体されることで役者の役割も場に応じて交代する。

戯曲「トランス」の時代にそぐわない点は精神分析以外にもあって、それは性転換や同性愛者に対する知識である。実は「トランス」に登場するもう一人の男、後藤参三は性転換して「二丁目のオカマのしゅわ子」になっている。当然のように同性愛者としてもふるまう。やっぱさすがにベタすぎるだろ。生まれ持った性別と自分の認識している性別が一致しない人、を言い表すときも「トランス」という言葉を使うから戯曲の題名と引っ掛けたんだろうが、トランスセクシャルもトランスジェンダーもトランスベスタイトも全部別だと知った今、参三役をあてがわれた大柄な男優がスカート履いて登場するのを見ても、ぱっと見の絵ヅラ以上に伝わるメッセージはない。

多田演出「トランス」では参三の台詞を最初、小柄な女優が演じる。礼子と同じぐらいの背格好の女優、なので、戯曲内でお互いの身長を比べ「礼子あいかわらずちっちゃーい」「参三あいかわらずおっきーい」という台詞は成り立たない。代わりに、お互いの両腕をつかんでしゃべる二人の女優が、お互いを目では確認していないという事実が強調される。

精神科医の礼子の元で、ついに統合失調症を発症した雅人は、自分が天皇であると信じ込む。雅人の家に居座って介護を請け負っていた参三が、外出先から帰宅し、手さぐりで雅人のほうに手を伸ばすと、今まで舞台上に現れなかった四人目の役者がやはり手さぐりでその手を握る。以後は雅人を二人一役で演じるのか、と思うとさにあらず、以降も役者たちは三人の会話を一人だけで延々としゃべり、あたかも「会話に聞こえる独り言」を話しているように見える。

会話のように聞こえる独り言、というのは、戯曲内に登場する言葉である。本当の友達などいないのがあたりまえだと思っていた高校時代の雅人・礼子・参三が、当たりさわりなく日々を過ごすためにやっていたのが「会話に聞こえる独り言」をひたすら繰り返すこと、で、それが高校の屋上でぐうぜん三人出会った日に変わった、あのとき見つけた本当の友達に必要とされるだけで今も自分は幸せだ、たとえその友達が精神を病んでてもね、と三人ともが最後に宣言する、のが戯曲「トランス」の物語である。この三人の状態は精神分析学では「共依存」と呼ばれる、精神疾患の一種である。端的に言えば「他人から必要とされないと生きていけない」「他人の面倒を見ることで他人を支配したい」という強迫観念に憑かれた状態である。自己犠牲してまで献身的に尽くすのは愛じゃないんだぜ、ということは今ではかなり多くの人が理解している。嘘、知ってるが理解してはいない。なぜなら共依存が一般的に広まってからも「トランス」は上演され続けたからだ。あるいは「コーガミは古いよね」と笑われてきたからだ。精神疾患を美しいもののように見せる戯曲のラストシーンに、はっきりとNO を叩きつけることは今までしてこなかった。誰が。まず私が。

多田演出の「トランス」は、親友を見つけたはずの雅人も礼子も参三も、「会話に聞こえる独り言」を言い続ける。親友三人の会話を全部一人で言う、それは自分の発言に自分で答えつづける、ということであり、「トランス」のキャラクター三人が、引いては雅人も礼子も参三も本当は実在しない、誰かの妄想である可能性すら暗示する。そもそもこの話は最初に登場する礼子が、「わたしたちが最初に出会った時の話から始めたいと思います」と語る場面から始まっている。たぶん書いた鴻上尚史も忘れてただろう伏線である。

四人の役者は最後に座り込んでラストシーンを演じる。雅人が礼子の主治医である、というのは雅人の妄想で本当は礼子が主治医である、というのはどっちも妄想で参三が雅人と礼子の主治医として二人を観察している、と何段もの物語が「いえ、それはあなたの妄想です」という台詞をきっかけに切り替わりつづける場面だが、四人は四人とも座り込んでいるので、動かないので、もう相手を手さぐりで確認することもしないので、「いえ、それはあなたの妄想です」という台詞が、最後には全員の唱和になってくり返される。背景には「瞳を閉じて」「春よ」など、要所要所で爆音で流れていた、いわゆる感動系の名曲が、いちどきに、不協和音を奏でている。

異常な精神状態を象徴する演出としてはかなりベタだと思うが、その狂的な場面がたまらなく悲しく映る。自分を医者の立場に据えて近しい人を介護しようとすることも、そんな関係を書いた戯曲に無批判なままでいることも、愛じゃねえよ、おまえら断絶してんじゃんよ、とこの上演の結末は言っていた。爆音の中で照明が通常の明かりに戻り、四人の役者はいよいよ閉じ込められた患者になる。ぞっとする人もいただろうと思うが私は切なくて泣いた。最後の最後に役者は一人ずつアイマスクを取るし、お互いの顔を見合う中で幕が落ちるのだが、そんなとってつけた結末じゃ救われねえよ、えーん。隣り合っているのに断絶している人達の光景はさみしい。

これだけ書いたのにまだ取りこぼしてるシーンがあるなあ。雅人と参三が、両腕つるし上げられて下腹あたりを痛めつけられる場面をそれぞれマイムで演じたり(両方とも性別が男性だから去勢されるって意味かなあ)、「礼子! 僕は医者だ! 」と言った雅人がコンビニの袋から駄菓子を取り出して食べたり(空疎な食事の風景は多田演出の作品によく出てくる)、多田淳之介はテキストを余すところなく掘り返す。この台本を何回読み返したか聞けばよかった。いや、でも同じ回数読み返したって見つけられなかっただろう。

この解釈で上演された「トランス」に救いがあるとすればそれは役者がアイマスクをはずすラストシーンなんかじゃなく、「戯曲は何重にでも読み替えられる」という可能性そのものだろう。あ。そっか。まず私からアイマスクを外さなきゃなんないですね。
(横浜・STスポットで2008年11月9日観劇)
(初出:マガジン・ワンダーランド第118号、2008年12月17日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
小畑明日香(おばた・あすか)
慶應義塾大学文学部3年。中学時代からの脚本執筆や役者経験を経て現在に至る。「中学校創作脚本集2」(晩成書房)「中学校のクラス劇」(青雲書房)などに脚本収録。2007年10月Uフィールド+テアトルフォンテ『孤独な老婦人に気をつけて-砂漠・愛・国境-』(マテイ・ヴィスニユック作)などに出演も。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/takagi-noboru/

【上演記録】
多田淳之介+フランケンズ「トランス」
★江古田公演(ストアハウス、2008年11月5日-6日)
★横浜公演(STスポット、2008年11月7日-9日)

作:鴻上尚史
演出:多田淳之介(東京デスロック)
出演:フランケンズ(村上聡一、福田毅、野島真理、石橋志保)


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