五反田団「すてるたび」

◎「父」を殺して「大人」になる 「挫折」を乗り越える自己セラピー
水牛健太郎(評論家)

5月9日にアトリエヘリコプターで五反田団の「すてるたび」を見た。昨年11月に初演された作品だが、ベルギーのフェスティバルに持っていくということで、その準備の一環として、1日だけ東京でプレ公演をするということだった。昨年見たときもいい作品だと思ったが、決して見やすい作品ではなかったから、1回見ただけでは消化できなかったところもたくさんあった。再び見ることによって、過去と現在、夢と現実が境もなく入り混じるその作品世界をよく味わうことができた。1時間余りの上演時間中、ずっと心地よく集中して楽しんで見られた。

登場人物は4人。主人公(黒田大輔)とその妻(木引優子)、主人公の姉(後藤飛鳥)と兄(前田司郎)。セットは椅子が4つのみ。話は過去と現在が交錯する。過去の話は、三人のきょうだいが「太郎」を拾ってきて、父親に隠れて飼おうとしている。太郎は犬、らしい。でも、役者の仕草だけで表現される太郎が何なのかは、本当はよく分かい。父親は物凄く怖く、特に主人公は父親を恐れている。太郎が見つかったら「殺される」と彼は言う。「殺される」というのはもちろん比喩だけど、まんざら比喩でもないような怯えが声に混じっている。兄が裏切って父親に言ってしまったらしい。兄弟は太郎を姉の口の中でこっそり飼うことにする。

そこから現在時点の話になる。病院で父親が死んで、主人公は悲しくて顔面が崩壊している。妻に「しっかりしなさい」と叱られる。葬式が始まり、姉と兄が来ると、死んだのは父ではなくて太郎のようだ。4人は電車で太郎を葬るための旅に出る。凍らせた太郎の死体は溶けて網棚から液体がこぼれてくる。窓から巨大な観音像が見える。主人公がそれ(兄役の前田がポーズを取っている)を見ていると、観音が怒りの形相に変わり、主人公は怯えて「ごめんなさい」と叫ぶ。4人は鍾乳洞の「産道くぐり」の名所に行く。主人公だけくぐらされる(産道は椅子を並べた下の部分)。どれだけくぐっても終わらない(前田らが椅子をどんどん前に持ってきてしまうから)し、引き返すこともできない。そうしているうちに主人公は温泉に出て、お湯には兄が既につかっている。女湯もあって、妻と姉がいる。兄が妻をのぞこうとして、主人公はそれを防ごうと必死になる。どうやら兄と妻は以前姦通したことがあって、その後父の死まで兄弟は音信不通になっていたらしい。このシーンに前後して、主人公は胎内で太郎に出会って連れて帰ろうとする。ここでは太郎とは主人公夫婦の間の生まれるべき子どもを指している。薄暗い中で出会う太郎(この場面では、誰かが黒い袋をかぶって演じている)はとても恐ろしくて、主人公は連れて帰ることができない。

夜、4人は旅館の一室に雑魚寝する。主人公は電気を消すのを嫌がる。両親の幽霊がやってくる。主人公は、母の幽霊は怖くないが、父の幽霊はすごく怖いらしい。父の幽霊との戦い。
そのシーンに前後して、主人公は水の中で、死にそうになる。積み重ねられた椅子の下で、主人公は動くことができない。椅子の上に妻がいて、溺れる主人公を冷たく見下ろしている。かと思うと主人公の首をつかんで、引き上げてくれた。妻は海女であるらしい。主人公は魚になって復活し、泳ぎだす。

最後は葬送シーンだ。タオルを3枚重ねたもの。それは太郎であり、父でもあるらしい。海に流そうとするが、なかなか流れてくれない。それでも主人公はそれを送りだそうとする。

記憶に頼っているので間違いもあるだろうし、前後関係も相当怪しいが、だいたいのところは押さえているはずだ。さてこれで明らかなのは、このプロットがフロイトのエディプスコンプレックスの定式をかなりしっかりと踏まえているということだ。これも大雑把な話になるけれど、子どもは(特に男の子は)愛する母を巡って父と葛藤する。同時に父と同一化したい欲求を持つ。この父の権威が内面化したものが、自我を超えた道徳・倫理を司る超自我である。そして子は思春期において、権威を持つ父親を象徴的に殺すことによって、父を心理的に乗り越え、成熟し、大人になるのだということだ。

演劇作品として父親の死を表現することが「象徴的な父親殺し」の典型的といっていいような形であることは確かだ。この作品には父親は直接には登場しない。せいぜいタオル3枚だ。だけど実は、ちゃんと登場しているのだ。兄が父の代理である。妻を巡る兄との確執は、母を巡る父との確執の繰り返しである。兄が最初のシーンで主人公を裏切って父と通じたと非難されているのも、父と兄の密接な関係を表しているし、兄が観音のポーズを取り、やがて怒りの形相になって主人公を罰するのも、彼が父の権威を代理していることを表現している。主人公はヘタレであり、これらの父=兄の攻撃にほとんど負けそうだ。だけど最後には妻の力を借りて生き返る(妻=海女のシーン)。兄とかつて関係を持った妻とのエロスの絆を結びなおし、父を葬送して大人として成熟していく。

演劇作品で、作者の自我はふつう、主人公に仮託されている。この作品で主人公が対決し、乗り越えていこうとするのは、父であり、その父を代理している兄である。ところがその兄を演じているのは作・演出の前田司郎本人なのである。このような形で前田自身が、この作品を通じ、父との同一化と乗り越えを象徴的に果たしている。

小説であれ演劇であれ、心理学や精神分析で読み解いたりするのは、やられがちなことだけど、あまりよくないことだと思う。しかし、この作品ほどもろにフロイト主義的だと、このような分析をしないのもかえって不自然になる。それにしても一体どこまで意識的なのだろうか。昨年見たときは、たまたま偶然にこんな作品を作ってしまったのかとも思ったが、wonderlandサイトのインタビューを読むと、前田本人が精神分析に興味を持って色々本を読んだと言っている(編注)。それならば、この作品は意識的なものなのだ。多分一種の自己セラピーだ。要するに、前田はこの作品を作り上げ、発表することにより、自分を成熟へと導き、大人になることにしたのである。

身も蓋もないことを言えば、前田という人は、もともと、かなりしっかりした大人なんじゃないかと思う。だいたい劇団名が五反田団なのだから、彼はいわば「団長」なのである。子どもにはちょっと背負えないマッチョな肩書だ(面白いことに、彼の師匠である平田オリザも青年団の「団長」である)。

前田は布団の上でごろごろしているような芝居ばかり作っていたが、そのためセットや衣装代は低予算で済み、赤字を出さず、公演を成功させ、劇団の名前を大きくすることで、劇団員、スタッフや劇場関係者まで、周囲の人に対する責任を果たし続けてきた。ニートやロストジェネレーションの代表のように思われるけど、本人はそんなことは言ったことはないし、実際ニートでもなければ何を失ったわけでもない。したたかで現実的で能力があって、何をやっても成功するような有能な青年。それが前田司郎なのである。

そんな前田は「ぐだぐだ」の表現によって、観客に、また世間に、成熟を拒否する姿を見せつけてきた。「ぐだぐだ」を芝居にして見せる時点でそれは、子どものような天然自然の「ぐだぐだ」ではあり得ない。前田の(おそらくは個人史に根を持ち、時代の精神をも捉えた)表現であると同時に、一つのポーズであり、作戦だった。布団だけのセットに手書きの当日パンフ、ゴミのようなチケット。成熟を拒否するポーズにより、芝居のコストは下がり、そのポーズが一種のブランドになって人気は定着し、公演の採算は取れ、自分や関係者の生活も成り立つ。セットやパンフに金をかけて生活できないでいる「大人の」演劇関係者に比べ、どっちが本当の大人なのだろうか。前田が言わんとしていたのはおそらくそういうことだ。要するに彼は成熟を拒否することにより成熟するという逆説を弄んできた。童顔のようだが、よく見ると不敵な面構え。私の周囲には五反田団を毛嫌いする人が多いが、「前田のどこがダメなのか」と聞いても誰一人まともに答えられない。彼らが嫌っていたのはおそらく、前田のふてぶてしさだっただろう。

その前田が自己セラピーで大人になることにした。なぜだろう。おそらくは伝え聞くところの昨年の「挫折」によるところが大きいだろう。昨年9月から10月にかけて、前田は新国立劇場で三島由紀夫の近代能楽集「綾の鼓」を演出した。前田にとって、権威があるとされる場所で、キャリアのある海千山千の役者たちと仕事をするのは初めての経験だった。この公演は私も見に行ったが、どこが前田演出なのか分からず、ちっとも面白くなかった。

上演までには相当なことがあったような話も聞く。何があったにせよ、思い通りの仕事ができなかったことは確かだ。前田自身公演の出来には満足しておらず、気苦労があったことを匂わせる文章を昨年の「すてるたび」のパンフに書いた。演劇は、多くの人と関わりあう中での表現活動だ。だから、本当にやりたいことをやるためには、ときには権威も必要になる。大人であるように見えなければならない。本当につまらないことだが、岸田戯曲賞でも足りなかったりする。

だから前田は大人になることにした。事実、わずかながらやり方が変わってきている兆候もある。パンフが手書きでなくなったり、チケットがちょっとだけ立派になったり。照れもあるし、やっぱりくだらないと思いもするだろう。多分これからも一進一退だろうが、だんだん作品の内容も変わってくるだろう。
今後の五反田団に注目したい。
(初出:マガジン・ワンダーランド第141号、2009年5月27日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。そのほか村上龍主宰の「ジャパン・メール・メディア(JMM)」などで経済評論も手がけている。http://ryumurakami.jmm.co.jp/
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
五反田団「 すてるたび」【1日だけの限定発表会】
作・演出 前田司郎
アトリエ・ヘリコプター(2009年5月9日)
15:30開演(雑音あり)800円、19:30開演(通常)1000円
出演
木引優子(青年団)
黒田大輔(THESHAMPOOHAT)
後藤飛鳥(五反田団)
前田司郎(五反田団)

クンステンフェスティバルデザール09(ベルギー)
日程■ 2009年5月14日-20日(全6ステージ)
場所■  Kaaitheater studio(ブリュッセル)
出演■ 黒田大輔(The Shampoo Hat)木引優子(青年団)後藤飛鳥(五反田団)前田司郎(五反田団)


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