燐光群「ハシムラ東郷」

◎ここはどこ? あの人はだれ?
 都留由子

 さすがに現在ではどうかわからないが、ちょっと前なら、アメリカの子ども向けカトゥーンなどを見ていると、めがねをかけて、歯が出ていて背の低い、細い目がつり上がった男性が、着物とも何ともつかないものを着て、下駄を履いて登場することがあった。それはもちろん「日本人」で、妙な格好に加えて、刀やヌンチャクを振り回したり、空手や少林寺拳法の技を繰り出したりして、おいおい、なんだこれは? と思うことも多かった。

 アメリカ人にとっての、そういう「日本人」のイメージを最初に作ったのが、100年ほど前、アメリカで新聞や雑誌にコラムを書いていたハシムラ東郷という「日本人」だという。苗字をふたつ並べたような妙な名前から容易に推測されるように、彼は本当の日本人ではない。実在の人物でさえない。アメリカ人の作家ウォラス・アーウィンが作り出した架空の人物で、学費を稼ぐためにアメリカ人家庭に寄宿して下僕として働く日本人学僕という設定である。この架空の日本人ハシムラ東郷のコラムは人気を博し、掲載媒体を変えつつ、35年の長きにわたって続いた。

 そのハシムラ東郷の芝居を観た。燐光群によるその芝居のタイトルは、「ハシムラ東郷」である。

 100年前のアメリカでこんなに人気があったのに、今ではすっかり忘れられてしまった「ハシムラ東郷」を研究し、日本に紹介した宇沢美子という慶応大学の研究者が、お芝居の幕開けに登場する。狂言回しみたいな役割かと思って観ているとこの人物は、お芝居の内容にどんどんコミットしてきて、立派な登場人物であった。

 話は少々込み入っていて、いくつかの筋がからみあいつつ進行する。
 主な筋は四つある。まず、研究者宇沢美子が関わる筋。宇沢は「ハシムラ東郷」というコミュニティを立ち上げ、そこで、シャーロットというハンドルネームの女性と知り合う。この女性と宇沢を中心にした話。現代の日本でのことと思われる。
 次に、もちろん、ハシムラ東郷の活躍。架空の日本人ハシムラ東郷の書いたコラムの中のエピソードが舞台の上で再現される。つまり、100年前のコラムの中の話である。
 ハシムラ東郷のコラムを書いているアメリカ人作家、ウォラス・アーウィンの話。自身も日本人学僕のように苦学して作家になったアーウィンが「ハシムラ東郷」のコラムを書き始めたころから、第二次世界大戦のころまでが描かれる。100年前のアメリカでの話。 そして、宇沢が「ハシムラ東郷」を取り上げる前に研究していたアメリカのフェミニスト、シャーロット・ギルマンの筋。結婚生活を捨て、家を出てフェミニストとして活動するギルマンが描かれる。ギルマンとアーウィンは同時代に活動していて、ふたりが会ったという証拠はないらしいが、アーウィンの兄が、ギルマンのフェミニスト仲間と結婚したことから、ふたりはニューヨークで出会う。

 主な筋だけでも四つもある話が、特別な説明もなく、時間も空間も現実も虚構も飛び越えて進むのだ。観終わって頭を整理した今だから四つの筋があると思えるのだが、客席に座っているとき、どれがコラムの中の話で、どれが実在の人物の話か、どれが今の話で、どれが過去の話か、ちゃんと把握していた自信はない。
 しかも、舞台上に現れる役者たちはひとりで何役も兼ねていて、ある場面で出てきた役者が、次の場面では全く別の役で現れたりする。予備知識もなく観ているこちらとしては、え? これは誰? さっきの人とは違う人? え? え?の連続となる。少なくとも筆者は何度かわからなくなった。実際、最初から最後までひとつの役のみ、というのは、宇沢美子だけなのだ。その宇沢も、最後になって実は本人ではないと分かるのだが。
 その上、ウォラスとウィリー、ギルマンとギルモア、ハンドルネームのシャーロットと本物のシャーロットなど、頭が混乱するような名前のオンパレード。さらにご丁寧なことに、作品全体から見て名前が特に必要ではないような役もちゃんと名前で呼ばれるので(きっとチクリと風刺の効いた名前なのだろうが、それと認識する暇もなく話は進んでいってしまう)、カタカナの名前で頭が破裂しそうになる。

 この作品の情報量は半端ではない。シャーロット・ギルマンの人生も、小説「イエロー・ウォールペーパー」も、彼女が夢見た女性ばかりの国ハーランドも描かれる。フェミニストのギルマンが、性差別には敏感だが人種差別には鈍感で、自分の小説が黄禍論的に読まれ得ることを全く予想もしていなかったという場面はとても印象的だ。主な筋以外にも、アメリカで日本人学僕として過ごしたのち(たぶん故郷に錦を飾って)帰国し、今では引退した日本人学僕「グランパ」の家庭が登場し、大逆事件で死刑になった幸徳秋水を探す日本人も現れる。ギルマンとアーウィンが出会う場面には、なぜか現代人のシャーロットがいて、ギルマンとも友人になる。そして、死の床に就くギルマンを東郷が看取る。東郷のコラムは大人気で、早川雪舟主演で映画も作られたそうだが、その映画の内容も再現される。ハシムラ東郷のサイトに集う人たちも描かれる。

 溢れるほどの情報を与えつつ、それを観客がちゃんと消化しているかどうかにはあまり関心がないかのようにどんどん進んでいく舞台に、なんでこんなに分からないんだろう、このままで最後までたどり着けるんだろうかと心細く舞台を眺めていたことを、筆者は潔く告白しよう。しかし、心許ない気持ちでいたのは、舞台上の役者たちも同じだったかもしれない。口跡もよく動きもきっぱりしていて舞台俳優として一流だと思われる役者たちが、口ごもったり、言い間違えたりする場面が何箇所かあった。言いやすい台詞ではなかったのだろう。でも、それとは矛盾するようであるが、同時に、どんな台詞でも持っていらっしゃい、ちゃんと舞台に乗せてやろうじゃないの、とでも言うような、幕が開いてしまえば誰の助けも得られない、舞台に立つ者のプライド、みたいな感触もあって、筆者にはその感触は悪くないと思えた。

 それにしても、圧倒的な情報量にもかかわらず、一向にわかった気にならないお芝居って、どういうことなんだろう?わかりやすいお芝居を目指したのに失敗してしまったのだとは思えない。作・演出の坂手洋二は「わかりやすいお芝居」は作りたくないと思った、または、「わかりやすいお芝居」でなくてもいいと思ったのだろう。

 舞台の上で起きることには、普通は、ちゃんと納得のいく説明があり、あとになって「ああ、さっきの台詞はここで意味をもつわけね」と思う伏線があり、お客は「こういう話だった」と思って劇場を出る。一方、現実の世界では、出来事は説明抜きで起きる。それが架空の話ではなく真実なのかどうか、どういう背景があるのか、誰にとって利益になり、誰にとって損になるのか。当事者以外にはわからないことが多い。にもかかわらず、わたしたちがそれを「わかった」と思うのは、誰かが説明してくれて、誰かが解説してくれて、誰かが教えてくれて、誰かが情報を取捨選択してくれるからだろう。

 とすると、もちろん「ハシムラ東郷」は意図的に作られたお芝居ではあるが、情報だけを浴びせるように並べ、そこに十分な「てにをは」や意味や説明をつけないというのは、そういう親切だらけの現状や、そういう親切に慣れ切っているわたしたちを撃つものだったのだろうか。世の中って、もっと意味不明で、わかんないことがそのまま並んでるもんじゃないの、なんでそれを分かったと思ってるのと言っているのだろうか。

 いちばん初めに新聞紙上に登場したとき、ハシムラ東郷は、サンフランシスコで日本人排斥運動に巻き込まれ、レンガでなぐられて負傷、入院中であった。彼はいつもすぐに解雇されて、常時失業中の身の上である。

 東郷がすぐに解雇されてしまうのは、アメリカの文化や習慣に無知で、よかれと思ってする行動がとんちんかんだからである。彼の珍妙な言い回しとともに、コラムを読んだアメリカ人は大笑いしたに違いない。しかし、笑いは笑った者に返ってくる。清潔を至上とする女主人にハエを取るよう命じられた東郷は、そのために何枚も皿を割り、夜中にたった一匹のハエを追いかけて家中を叩き起こす。東郷は滑稽である。それを命じた女主人もまた滑稽である。客席のわたしたちはその両方を笑う。そして、女主人の向こうには、除菌除菌と大騒ぎする現代のわたしたちがいて、さらに、そこにつけこんで除菌グッズ大繁盛の今が見えてくる。笑いは笑った者に返ってくる。

 100年前に日本からアメリカへ渡るくらいだから、日本人学僕は日本でもそれなりの教育を受け、向学心に燃え、野心を持っていたのだろう。しかし、きちんとした英語がしゃべれず文化や慣習に無知であるために、専門的な仕事ではなく誰でもできる家内労働に就き、日本にいれば馬鹿にしていた、主婦の指図に従う下僕として毎日を送った。観ているわたしたちは、それを笑い、あるいは不当と思うかもしれない。しかし今、日本にいる外国人にも、もしかしたら日本人学僕と同じような人たちがたくさんいるかもしれないことにハッとする。笑いは笑った者に返ってくる。

 そう、部分を取れば、面白かったのだ。それなのに、全体としてのこのちんぷんかんぷんさは何なのだろう。坂手洋二は、何か、これまでとは違うことがしたかったのだろう。そのことはわかる。でも、何をしたかったんだろう? わかりやすさを求めるわたしたち、本当はわかってもいないのに解説を聞いてわかった気になるわたしたちを批評しているのだろうか?

 たしかに、わからなくても面白い作品はある。でも、せっかくハシムラ東郷やシャーロット・ギルマンといった面白い素材を持ち出したのだから、もっと面白くても、全然差し支えなかったのになあ。よくわからなかったけど、何だか面白かったよ、と言いたかったなあ。

 黄禍論にも負けず活躍していた東郷だが、第二次世界大戦突入後は、アンクルアドルフ(もちろんアドルフ・ヒットラーのことだ)の遣う傀儡人形マック東郷となるかと思うと、リクルートされて中国大陸に行き、戦場での悲惨な状況に亡命してアメリカに逃げ帰る。彼は、ひっそり暮らすことだけを求めるが、仕事もなく、親切にしてくれる人は東郷に悪事を持ちかけ、東郷には穏やかな日は訪れない。マック東郷も、中国大陸での東郷も、亡命してアメリカへ戻った東郷も、グロテスクでみじめで、かつて日本人排斥運動の中で、負傷しながらもおかしな言葉遣いで元気にやっていたあの東郷とは別人のようだ。
 悪戦苦闘した末にがっくりする東郷の姿は、今回の客席の筆者の姿だった。
(劇評を書くセミナー2009「座・高円寺」コース作品から)
(初出:マガジン・ワンダーランド第174号、2010年1月20日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 都留由子(つる・ゆうこ)
 大阪生まれ。大阪大学卒。4歳の頃の宝塚歌劇を皮切りにお芝居に親しむ。出産後、なかなか観に行けなくなり、子どもを口実に子ども向けの舞台作品を観て欲求不満を解消、今日に至る。お芝居を観る視点を獲得したくて劇評セミナーに参加。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuru-yuko/

【上演記録】
燐光群「ハシムラ東郷」(日本劇作家協会プログラム)
座・高円寺1(2009年11月16日-30日)

作・演出:坂手洋二
美術:島次郎
照明:竹林功
音響:島猛
衣裳:宮本宣子
舞台監督:森下紀彦

出演:田岡美也子 平栗あつみ 植野葉子 中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋 樋尾麻衣子 杉山英之 安仁屋美峰 伊勢谷能宣 いずかしゆうすけ 西川大輔 武山尚史 鈴木陽介 矢部久美子 渡辺文香 横山展子 根兵さやか 橋本浩明

☆ポストトーク
24日(火):宇沢美子(慶応義塾大学文学部教授)
25日(水):斎藤憐(座・高円寺館長)

一般3,600円 ペア6,600円(※劇団予約・燐光群オンラインチケットのみ扱い)大学・専門学校生 3,000円 高校生以下 2,000円


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