elePHANTMoon「ブロークン・セッション」

◎絶望の中の爽快感
 宮本起代子

「ブロークン・セッション」公演チラシどこかの家のダイニングキッチンで、男女が向き合って他愛もない会話をしている。男性はタクシー運転手で(酒巻誉洋)、女性はこの家の主婦らしい(真下かおる)。奥の部屋から微かに呻き声が聞こえ、やがてビニール袋をからだにかぶり、手にもビニールのグローブをした女性(松葉祥子)が現れる。ひと仕事終えた印象だ。ビニール袋もグローブも何かで汚れており、それを慣れた手つきで脱がして受け取る主婦。そのあとから夫らしき男性(永山智啓)が出てきて、「殴るいくら、蹴るいくら、あと剃刀の損傷とタバコの火傷」と会計のようなことを始め、女性は合計金額を支払い、夫はそれをいったん状差しの封筒にしまったあとで、またその金を女性に返す。 その行為が何なのか、奥の部屋には誰がいて何が行われているのかが少しずつ明らかにされていく。いや、もしかしたら自分はもっと早くにわかっていたのかもしれないのだが、考えついたことがあまりに病的で暴力的なために、薄々気づく一方で「まさかそんなことが」と否定しながら舞台に前のめりになっていた。

奥の部屋には夫の弟が監禁されている。弟には殺人の過去があり、殺された子どもの親たちから暴行されることによって、金銭面の損害賠償と精神的な報復を受けているというのだ。しかもそこには同じ方法で罪を償ったという男性とその妻(小林タクシー,山口オン)が介入しており、賠償と贖罪を果たすためのビジネスとして成立しているらしい。

凶悪犯罪によって大切な家族を殺された人が、「犯人を同じ目に合わせてやりたい」と怒り悲しむ。しかし犯罪には法律があり、裁判があり、直接に報復は行われない。それをまったく非合法的にやってしまっているのが今夜の舞台だったのである。ちょっとやそっとでは思いつかない設定だ。見るからに奇妙な人物は登場せず、他愛のない会話を挟みつつ、一見普通にふるまっている人々が抱えているマグマのような悪意が露呈していく様相が慎重に描かれる。いくら加害者を殴ろうと死んだ息子は生き返らないとわかっていても、無抵抗な加害者の姿に死んだ息子がだぶり、「あいつを殴っているときはケンタに会える」という母親の絶望的な悲しみはその夫(本井博之)にも救えず、賠償と贖罪目的のこのビジネスが、被害者と加害者両方をますます苦しめ、真の和解や救済から遠ざけていることがわかる。

この異常な状況を受け入れている、あるいは受け入れざるを得ないところまで追いつめられている人々のところに、二つの異物が引き寄せられてくる。一家の妹(菊池佳南)が自主映画を撮っている彼氏(カトウシンスケ)を連れてきて、「ドキュメンタリーを撮らせてあげたい」と言いだすのである。当然兄は怒るが、彼氏とその後輩であるカメラマン(江ばら大介)は、なぜか兄を納得させてしまい、カメラを回す。

次は凶悪事件を犯したらしい女子高生(ハマカワフミエ/国道五十八号戦線)とその母親(菊地奈緒)が見学にくる。同じ方法で娘に賠償と贖罪をさせるためである。

娘に対して限界に達した母親は藁をもすがる思い、一方娘は表情は暗いものの、なかなか可愛い女子高生だ。しかし「この子が何を考えているのかわからない」という母の嘆きが誇張でないことは終盤に明かされる。苦しみに耐えられなくなったタクシー運転手が凶行に走り、その後始末のために女子高生の号令のもと、人々はタクシー運転手の死体を切り刻む。案じて戻ってきた母親もおそらく、この家を訪れる人は次々と口封じのために、いやそれだけでなく殺す行為そのものに取り憑かれ、殺人と死体を解体する作業を次々にカメラで撮影するという常軌を逸したおぞましい地獄に陥っていく。はじめはこのビジネスに正常に反応し、恐れおののいていたもの同士が結びつき、さらに恐ろしい状況へと変容させてしまうのである。

にわかに猟奇的な方向に怒涛のごとくなだれ込んでいく結末に、自分は少し腑に落ちない印象を持った。
監禁されている弟は何歳のとき、具体的にどんな罪を犯したのか。
その事件からどれくらいの時間が経過しているのか。被害者の親たちの年恰好からして、殺されたのは成人に達していない子どもであることはわかる。兄夫婦も見た目そのままであれば三十代前半か。「おれの場合、あいつに娘を殺されちゃってるから」というタクシー運転手の台詞があり、とするといじめを苦にした自殺ではなく、より直接的な殺人らしきことを匂わせる。彼が大人なら刑務に服すだろうし、少年犯罪であっても、然るべき施設で更生ののち、社会復帰のために様々なサポートがあって、舞台のように監禁されて恒常的に暴行を受けており、それを外部にほとんど知られないことを可能にしている状況というものがどれほど現実味のあることなのかという疑問がわくのである。

所属の俳優はもちろん客演陣も適材適所で申し分なく、日常と異常が同居し、それらのバランスが崩壊していくさまを一気にみせる。眠気や疲れ、よそごとを考える隙を与えず、客席を引き込む手腕に圧倒されるばかりだ。

本谷有希子の『遭難、』は、よくよく考えると現実味の薄い設定であるにも関わらず、主人公の異常さをあますところなく演じた松永玲子の熱演によって客席を(よくない表現だが)丸めこんでしまった印象がある。しかしマキタカズオミは俳優の個性や、それまでの作品で既に了解されているキャラクターに頼ることなく、さりげなく慎重に話を進めていく点が恐ろしい。

だからこそ、前述のように設定のもう少し細かい状況がクリアされていれば、と惜しく思う。さらに話をとんでもない方向に決定づけてしまう女子高生の存在に敢えて疑問を呈したい。演じたハマカワフミエは舞台ぜんたいを飲み込んでしまうほどの静かな暴力性をもち、人々を正常から異常のラインへ引きずり込む役柄としてぞくぞくするほど魅力的である。それだけに話を猟奇的に終わらせてしまうのが残念に思えるのだ。加害者と被害者がいて、決して生き返らない家族がいる。生き返らせることができない者が罪を償えるのか、家族を再び得ることができない者が、相手を心から赦せるのか。この答の出ない問いをもっとぎりぎりまで追いつめ、追い込む舞台がみたいのである。話を異常な方向に走らせることで、却って凡庸な際物に収まってほしくない。

本作の被害者たちは気も狂わんばかりに憎み続け、加害者はなかば自暴自棄になって、この無茶なシステムに身を投じている。贖罪、救済、受容などという概念は虚しく吹き飛ばされてしまう。「人間はここまで憎めるのだ」という姿に慄然としながら、自分は虚しさや絶望を越えて、むしろ爽快な印象を持ち、ぞくぞくと不思議な力が湧いてくるのである。

憎しみがどんなものなのか、それによって人間の心は、互いの関係はどこまで歪み、壊れていくのかを、マキタカズオミの作品を通して逃げずに見つめよう。そこから子ども同士のいじめ、さまざまな犯罪、果ては戦争責任をめぐる国家レベルの謝罪まで、どうすれば人は互いに赦しあい、理解しあえるかを考える糸口がみえそうな予感がするのである。
(初出:マガジン・ワンダーランド第175号、2010年1月27日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【著者略歴】
宮本起代子(みやもと・きよこ)
1964年山口県生まれ 明治大学文学部演劇学専攻卒 1998年晩秋、劇評かわら版「因幡屋通信」を創刊、2005年初夏、「因幡屋ぶろぐ」を開設。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/miyamoto-kiyoko/

【上演記録】
elePHANTMoon#8『ブロークン・セッション
脚本・演出 マキタカズオミ

出演
針谷・・・・・・永山智啓
冴子・・・・・・真下かおる(くねくねし)
ゆかり・・・・・菊池佳南
永戸・・・・・・カトウシンスケ(、、ぼっち)
三嶋・・・・・・江ばら大介
北田・・・・・・酒巻誉洋
島尾・・・・・・松葉祥子
島尾道彦・・本井博之(コマツ企画)
内海学・・・・小林タクシー(ZOKKY)
内海望美・・山口オン
優子・・・・・・ハマカワフミエ(国道五十八号戦線)
美枝子・・・・菊地奈緒

スタッフ
舞台美術・・・福田暢秀(F.A.T STUDIO)
照明・・・・・・・若林恒美
音響・・・・・・・星野大輔 角田理枝
舞台監督・・・本郷剛史 小野哲史
舞台写真・・・石澤知絵子
舞台撮影・・・頃安祐良
演出助手・・・成澤優子
制作・・・・・・・会沢ナオト(劇団競泳水着)
2009年11月18日(水)~23日(月・祝)
サンモールスタジオ
全席自由 前売2500円 当日2800円

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