張智盈(ジャン・ジヨン)
韓国と日本の関係を指してよく「近くて遠い国」と言う。地理的には一番近い両国だが、お互いの理解の幅があまり広くないからだ。もちろん日本の「韓流」と韓国の「日流」のおかげで最近、両国の壁はかなり低くなってきた。
しかし分野によっては相変らず両国の間の壁は高い。特に純粋芸術分野は他に比べて壁がやや高いようだ。例えば韓国でアメリカやヨーロッパの舞台芸術事情は倦まずたゆまず紹介されるが、日本の事情はあまり知られていない。日本でも同じように、韓国の舞台芸術事情はあまり知られていない。
しかし最近日本では、韓国に対する関心がかなり高くなってきたようだ(韓国も同じだ)。韓国の公演市場が最近飛躍的に大きくなっただけでなく、韓国政府が日本政府に比べて積極的に舞台芸術活動を支援しているからと思われる。
支援センターとは
日本の舞台芸術係関係者からよく尋ねられる質問の一つが、韓国芸術経営支援センター(Korea Arts Management Service)に関するものだ。‘芸術経営’という特定領域を支援する機関がどんな役目を果しているか知りたいというのだ。
芸術経営支援センターは2006年1月、韓国文化観光体育部(以下文化部。ほぼ日本の文部科学省に相当)の政策研究機関である韓国文化観光研究院傘下の専門芸術法人・団体評価センターと、2005年に第1回が開催されたソウル芸術見本市(Performing Arts Market in Seoul、PAMS) 事務局が統合されて発足した。そして同年 6月に全羅南道光州に建設中のアジアアートフレックス(現在アジア芸術劇場) 準備のための研究チームが増設され、2007年2月に経営企画チームが作られて今の芸術経営支援センターが本格的に出帆した。
芸術経営支援センターの機能は大きく二つで分けることができる。一番目はソウル芸術見本市(PAMS)など韓国舞台芸術の国際交流または海外進出と係わる事業で、韓国と世界を連結する手助けになることだ。二番目は芸術経営に係わるコンサルティング、教育、ネットワーキングなど国内芸術団体または機関の競争力を強化させるための事業だ。
一番目の機能は、芸術経営支援センターが登場する前は韓国文化芸術委員会(Korea Arts Council)と韓国国際交流財団(Korea Foundation)の国際交流領域が担当してきた。しかしこれら二つの機関の国際交流は全体業務の中で極めてマイナーな部分しか占めていなかった。外国との相互交流次元で韓国の伝統芸術を海外に単発的に紹介するのが大部分だった。
情報の共有と公開
こんな状況に変化をもたらしたのが、1999年のエジンバラ・フリンジ・フェスティバル(Edinburgh Fringe Festival)に参加して大評判となった <ナンタ>(Nanta)公演だった。
<ナンタ> は結婚披露宴の料理を作るキッチンが舞台。そこで起こる出来事をコミカルにドラマ化し、料理人たちが韓国の伝統的なサムルノリのリズムに乗って繰り広げるノンバーバル・パフォーマンス(会話のない劇)だ。
この作品は、俳優出身の製作者ソン・スンファンが 1997年に作った。若い時代ニューヨークに留学した彼は、ブロードウェーのミュージカルのように <ナンタ> を一つの商品として売りたがった。しかし韓国公演市場は小さすぎるため、彼は海外に目を向けた。まず一種の舞台芸術見本市であるエジンバラ・フリンジ・フェスティバルで <ナンタ> をお披露目した。そこでの好評を土台にして、世界各国で巡回公演をするようになった。特に2004年、アジア舞台芸術では初めてニューヨーク・オフブロードウェーに進出して1年6カ月間の長期公演を成功させた。
<ナンタ>は 2001年から国内に専用劇場を用意するやいなや、たちまちソウルの観光名所になって、外国観光客たちに歓迎された。特に日本観光客の多くがみることで有名だ。旅行社は先を争って観光プログラムに <ナンタ> を組み込み、主催団体は安定した収入を得ることができるようになった。現在は <ナンタ>専用劇場がソウルに 3ヵ所、済州島に 1ヵ所あり、1日に 2-3回ずつ公演している。
<ナンタ> の成功が起爆剤になって、韓国公演界は海外進出を夢見るようになった。そして2005年エジンバラ・フリンジ・フェスティバルに参加した<ジャンプ> (Jump)も好評で各国公演バイヤーたちに売れ、 2007年ニューヨーク・オフブロードウェーに進出して1年間の長期公演を成功させた。<ジャンプ>は現在 <ナンタ> のように、専用劇場がソウルに2ヵ所、 釜山に 1ヵ所ある。また同年エジンバラ・フリンジ・フェスティバルを通じて劇団旅行者の <真夏の夜の夢> 公演がロンドンバービカンセンター(Barbican Center)に招請されるなど国内作品の海外進出が急増するようになった。
ところがこれらの団体は、海外フェスティバルやアートマーケット(舞台芸術見本市)に初めて参加したとき、情報やネットワークがなかったため幾多の試行錯誤を経験しなければならなかった。これによって 韓国公演界で海外フェスティバルとアートマーケットに対する情報やノーハウの提供を願う声が大きくなった。さらに舞台芸術見本市を韓国でも開催しようという主張が強くなり、2005年10月文化部と韓国公演マネジメント協会主導で第1回 PAMS(ソウル芸術見本市)が開かれた。PAMSは以後毎年10月初めに、ソウル国際公演芸術祭(Seoul Performing Arts Festival、SPAF) が開かれる間一緒に開催されている。
これによって韓国公演団体が海外進出を希望する場合、以前に比べて準備がずっと容易になった。作品の性格によってどんなフェスティバルに参加すればよいか芸術経営支援センターに問い合わせることができるし、どんな準備をすればよいかも分かるから試行錯誤を減らすことができる。また PAMSを運営する芸術経営支援センターは毎年作品を公募してジャンル別に良い作品を選んだ後、PAMSはもちろん PAMSとネットワークを結んだ海外フェスティバルやアートマーケットなどに送る。
団体の強化、育成も
一方芸術経営支援センターの前身の一つだった団体評価センターは国庫の支援・助成をもらう団体や法人、フェスティバルなどに対して、助成金が正しく使われたかどうかを評価する機関だったが、これらの評価に先立って団体や機関の競争力を強化することが重要な課題として浮上してきた。
実は韓国の芸術団体や機関は、創作活動に集中するという口実で、財政が不透明で体系的ではないものが少なくなかった。しかし団体の長期的な成長のためにはその規模と関係なく、年間予算の編成と会計を透明にすることが必要になった。
また效果的な広報とマーケティングなどに対する需要も大きくなった。これによって芸術経営支援センターの二番目の機能、すなわち芸術団体・機関の財政と会計、広報などに対するコンサルティング、企画経営専門人材教育が重視されるようになった。
出発当初から文化部が主導した芸術経営支援センターは民法上財団法人の形態を取っているが、すべての予算を文化部で受けるなど事実上文化部の補助機関だ。今は消えたが、芸術経営支援センター創始期に何らの関係ないアジアアートフレックスチームが作られたことは、芸術経営支援センターが文化部の必要によって生じたということを証明する。
アジアアートフレックスは、アジア文化中心都市光州造成事業の一環で作られる多目的複合公演場だ。この事業は国家均衡発展と文化による未来型都市モデル創造を目標にして、2002年ノ・ムヒョン大統領が選挙公約で主唱し、2004年から特別法による国策事業として推進されている。政治的な意図で出発したこの事業は、相変わらず‘熱いじゃがいも’(Hot potatoe)のように誰も手を出さない難しい状況になっていて、これ以上の詳しい説明は略する。
とにかくこの事業の中のアジアアートフレックスは、西洋と区別されるアジア舞台芸術様式を土台に新しい舞台芸術を開発して、アジア舞台芸術の流通拠点を作ることを目標にしている。このためにアジア各国の公演芸術に関する情報収集と研究の必要性が指摘され、芸術経営支援センターがその役目を一部担当するようになった。初めは国際交流チームで担当したが、今はアジア文化中心都市光州造成事業側にすべて移管した。
ところが、芸術経営支援センターはその間、事業によって文化部から予算を受けてきたから組職形態がちょっと不安定だった。それで去年特別法による特別法人への転換を試みたがよくできなかった。それにもかかわらず、2006年のスタート当時、芸術経営支援センターの事業は2個であったが、現在は18個に増え、予算も5倍以上増加したことが知られている。しかし具体的な金額は、公開されていない。政府の一般的な傘下機関のように独立された予算を持っているのではなく、文化部から事業別予算を受けるから芸術経営支援センターが明らかにしない限り具体的な数値はわからない。
今後の課題と評価
現在 芸術経営支援センターは34人の職員と300人余りの専門家プール(pool)を土台に、毎年20余個の講座を実施して50余種の資料集を発刊している。この資料集の一部は芸術経営支援センターホームページ(http://www.gokams.or.kr)を通じてダウンロードすることができる。また同センターはウェブジン 「weekly@芸術経営」を発刊し、2009年12月現在 1万名余が購読している。そして芸術経営支援センターの代表はソウル・フリンジフェスティバル芸術監督出身のイ・ギュソックのあと、去年から日刊紙舞台芸術専門記者出身のバック・ヨンゼが引き受けている。
一言で表現すると、芸術経営支援センターは韓国公演芸術の競争力を育てるための知識倉庫と言える。すなわち当事者だけ分かっていた情報を集めてすべての人々が見られるように、情報を共有、公開したことに意味があると思う。
今年1月、創立 4周年を迎えた芸術経営支援センターに対して 韓国公演界の評価は概して好意的だ。特に芸術経営と係わるコンサルティング、教育、ネットワーキングなどの分野は最近国内文化芸術関連政策の変化とかみ合ってとても役に立っている。
しかしソウル芸術見本市(PAMS)への評価はちょっと違っている。韓国で開く PAMSは、使っている予算に比べてあまり效果が上がっていないというのだ。また芸術経営支援センターがいくつかの作品を海外フェスティバルや芸術見本市に進出させる方式に対しても不満があるようだ。特に <ナンタ> と <ジャンプ> のように商業的な利益を願う団体の場合には、芸術経営支援センターの情報があまりにも非商業的芸術にかたよっていると思っているようだ。しかし芸術経営支援センターは設立してまだ 4年しかならない機関だから、正確な評価はもうちょっと時間が経った後しなければならないと思う。
(初出:マガジン・ワンダーランド第182号、2010年3月17日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)
【筆者紹介】
張智盈(ジャン・ジヨン)
韓国ソウル大学考古美術史学科と同大学院(美術史専攻)卒。成均館大学大学院公演芸術協同過程博士課程修了。1997年国民日報に入社。社会部を経て文化部で舞台芸術と文化政策を担当。2009年9月から1年間、韓国記者協会の支援で東京大学大学院文化資源学科で研修中。
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