ワンダーランドでは4月17日からこまばアゴラ劇場のご協力を得て「劇評を書くセミナー」を開講いたします。平田オリザさんが劇場、劇団と劇評の関係について語る講演、劇評を巡る批評家(佐々木敦さん、武藤大祐さん)と作り手(松井周さん、多田淳之介さん、岩井秀人さん)の双方による連続シンポジウム、さらにアゴラ劇場で同期間内に上演される3作品を題材として、参加者が劇評を書き、その合評会が開かれます。実に盛りだくさんの刺激的な内容です。この間、こまばアゴラ劇場とワンダーランドから、セミナーの狙いと趣旨について寄せられた一文がそれぞれマガジン・ワンダーランドに掲載されました。以下、webサイトに再掲します。詳細と申込みは次のセミナーページをご覧ください。(編集部)
(1) 野村政之(こまばアゴラ劇場 制作)
(2)北嶋孝(ワンダーランド代表)
(3)水牛健太郎(ワンダーランド編集長)
昨夏、こまばアゴラ劇場で「ワンダーランド劇評セミナー」を開催することが決まり、それから数か月をかけて、ワンダーランドの方々とプログラムを練ってきました。
「アゴラ劇場だからこそのプログラム」を念頭に、当初より僕が意識してきたのは、「劇評を書いたことがある人にとっても、書いたことがない人にとっても“劇評を書くってどういうことなんだろう?”という問いに触れられる会にする」ということです。
劇評…舞台作品を観て、それを言葉にしてとらえること、において、たとえば「客観的・分析的に作品を観て」、「理論的・抽象的な言葉で書かなければならない」というような法はありません。そういう、何かの形・文脈に合わせて書き揃えたものよりは、作品に触れて、観客自身がなにかを発見し、それに迫らんとして書き伝えるもののほうが、批評表現になっているような気が、僕は最近、しています。
面白かった作品はもちろん、「つまらない」「ピンとこない」と思えた作品でもそれは同じで、逆にピンとこなかった作品ほど、ちょっと思い返してみると、自分が良いと思っているもの、駄目だと思っているものについての「気づき」を与えてくれる。そして、いざそれに気づいてみると、自分の基準のほうが更新されたりすることもある。言い換えれば、作品と自分の反応・出逢い・発見の記録が、劇評なんじゃないかとか。
このセミナーは、研究者の集まりのようなものではありません。是非、様々な方にご参加いただき、それぞれのバックグラウンドを生かした劇評を試みて頂きたい。それを互いに鑑賞しあいながら、劇評というものを、身近にし、強くし、アップデートするような、刺激ある会になれば、成功です。
今回は幸いにも、外部からのパネラーとして、劇評において「なにを書くか」「いかに書くか」だけでなく、「なぜ書くか」というところから立ち上げていらっしゃると感じる方をお呼びすることができました。武藤大祐さんは、鑑賞・体験したご自身の感覚・感触に言葉をみつけて記述することを大事にされている方、小澤英実さんは若手作家の作品の中から演劇界内外を越境する現在性を探そうとされている方、佐々木敦さんは、表現としてジャンルにとらわれず掴み、言葉にされている方です。
また、「作品を観て、劇評を書く」書き手、「作品を創り、劇評を読む」創り手の、それぞれの対話も組み込んで、企画側として、満足のいくプログラムを組むことができたと思います。
みなさまのご参加を、心よりお待ちしております。
(初出:マガジン・ワンダーランド第183号、2010年3月24日発行)
劇評を書くセミナーを始めて3年になります。新しい書き手に出会いたいと思ってスタートしたのですが、期待以上の手応えがありました。隠れた書き手はぼくの予想を超えて現れ、いまワンダーランドで書き継いでいる方々の中にはセミナーで一緒に語り合った人たちが少なくありません。
セミナーを開催して得たのはそれだけではありません。続けていくうちに演劇の核となる要素をあらためて考えさせられました。
ぼくたちが劇評やレビューを書くとき、もっぱら戯曲や演出、俳優の動きなどを対象にします。舞台に現れた言葉と身体、響きと動き、時代と精神などの交錯を捉えようと努めます。しかしその切り口も色合いも、根拠も展開も多種多様なのです。書き手が違えば別の文章ができあがることは容易に想像ができますし、マガジンの編集・発行を続けていたら、そういうことは日常茶飯の出来事だと思っていました。しかし、同じ舞台をみた十数人の原稿を何度も何回も読むにつけ、客席の側でも多種多様なドラマが起きているのだと、つくづく実感しました。関心と集中力の注がれる言葉が違い、記憶される場面や耳に残る音楽の振幅は広く、感じ方考え方はそれこそ年齢性別も含めて個別性を刻印されて浮かび上がってくるのです。もちろん書き方や展開の仕方などに巧拙はあり、他者を説得する仕上がりかどうかに出来不出来はみられます。しかしそのデコボコに表される客席の側のありようから目をそらせなくなりました。
演劇の基本的要素としてよく、「俳優」と「観客」の存在が挙げられます。両者がそろって初めて「演劇」が作動するというわけです。しかしこれまでは舞台上の出来事だけがほぼすべてで、観客は動員やサービスの対象にされるケースが多かったような気がします。時には「観客参加」などと言って「いじられる」ときもあれば一方的に「攪乱」「挑発」される側でもありました。
しかしセミナーで書かれた幾編もの原稿の束を読み続けていると、客席から立ち上がるさまざまなドラマの集積もまた演劇を構成する一方の要素なのだと確かな手応えを感じます。
涙や拍手で舞台を後押しするのも演劇参加の伝統的方法でしょう。終演後のアンケートに感想を書いたり、自分のブログにコメントをつづることだってOKです。それに加えて、舞台と格闘して原稿に仕上げるとともに、同じ舞台をさまざまな形で言葉にとどめた他の人びとの原稿を併せて読み、その多様なあり方にふれつつともに語るとき、客席側のダイナミズムを実感できるような気がします。舞台は観客によって耕され変形され、豊かにもなり時には無視され削られもします。その集積が「演劇」を構成するのではないでしょうか。
考えてみれば当たり前のことかもしれません。最近やっと、この当たり前が身に沁みてきました。
このセミナーではできればみなさんに書き手となって登場してほしいのですが、劇評・レビューの多種多様、多重多層のありように触れていただくだけでも、セミナー主催の狙いは半ば達成されたと言えるかもしれません。
多くの観客のみなさんとこのセミナーで出会い、舞台を語りたいと思います。みなさんの参加を心から待っています。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第184号、2010年3月31日発行)
今回、ワンダーランドがこまばアゴラ劇場の協力でセミナーを開くことになりました。ワンダーランドのセミナーは3年続いており、ある時期からは私も参加していますが、シンポジウムのパネラーや劇評の講師としての参加は今回が初めてです。とても緊張しています。まして場所がアゴラ劇場とあって、何やら怪しい胸騒ぎに襲われているところです。
私が劇評を書き始めたのは2007年で、比較的最近なのですが、その短期間にも、アゴラ劇場は着実にその存在感を大きくしてきました。2007年ごろはまだ、数ある有力劇場の一つという見方も辛うじてできたかもしれないのですが、今はもはや、アゴラ劇場が小劇場の世界の押しも押されもせぬ中心地であることを否定する人はいないでしょう。有力な若手劇作家・演出家の多くが、アゴラ劇場支配人で青年団主宰の平田オリザ氏の影響を受け、その方法論を出発点の一つとし、また青年団の演出部に所属し、アゴラ劇場を活躍の場とした経験を持っています。岩井秀人さん、松井周さん、前田司郎さん、多田淳之介さん、柴幸男さんなどまさに綺羅星のごとく。さらに平田氏は民主党政権発足とともに内閣官房参与という公職に就き、日本の芸術文化行政のキーマンの一人となりました。以前から自身の著書で明らかにしてきた、公的な存在としての劇場の在り方を実現することができるか、大きな注目を集めています。
こうした現在のアゴラ劇場に複雑な視線を向けている演劇関係者は少なくありません。私のこれまでの経験から言っても、平田オリザ氏を中心とするアゴラ劇場ほど、やっかみの対象になっている劇場はありません。アゴラ劇場の支援会員でありながら、「アゴラ劇場は日本の演劇をつまらなくした」と断言する人もいます(実はそういう人は少なくありません)。その場の顔ぶれによってはそれが主流の意見となって、ひとしきりアゴラへの悪口合戦が続きます。
ただそのいずれも、酒場の愚痴以上のものに発展することはありません。例えば、平田オリザ氏がその場にいれば、誰もあえて批判を口にしようとはしないのではないのでしょうか。何かが力を持っているというのはそういうことです。反発はちゃんとした理屈の姿を取りにくいし、したがって表面化することもないのです。そうなるだけの裏付けもあります。演劇の在り方や公との関係について、平田オリザ氏ほど突き詰めて考えてきた演劇人はいない。だからこその現状なのです。
正直なところ、私もアゴラ劇場には複雑な感情を持っています。「アゴラが日本の演劇をつまらなくしたんだ」という意見に同調したい気分になることもあります(あくまで「気分」ですが)。自分がアゴラで何かしゃべらなくてはいけない立場に立たされると知り、緊張しているのはそのせいです。困ったことに、私は頭の回転が遅く、口もうまく回りません。だから実際は沈黙の場面が長く続くことになりはしないかと恐れています。言いたいことにうまく言葉を見つけることができないのではないかと。自分はアゴラ劇場という場で何か意味のあることが言えるだろうか、そもそも言うことに意味があるのだろうか。苦しい自問が続きそうな予感がします。結局は不見識な私がアゴラ劇場の雰囲気に飲まれ、啓蒙されていく予定調和をお見せすることになってしまうかもしれません。そんな無様なことになってしまうのではないかと恐れています。
何だかお誘いの言葉には全然なっておらず、心苦しいのですが、ぜひセミナーにご参加いただけると幸いです。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第185号、2010年4月7日発行)