笠原玲子さん(ポケットスクエア支配人)
◎「貸小屋」のプライドとやりがい
||| 劇場を作るのは20年来の夢
-ポケットスクエア(ザ・ポケット、劇場MOMO、テアトルBONBON、劇場HOPE)は、民間で4劇場という、かなりまとまった規模でやられているところが大きな特色だと思うんですが、ウェブサイトに掲載されている笠原支配人へのインタビュー(「ポケットスクエアの想い」)を見ますと、もともとはビル管理会社で、ご主人ともに非常に演劇がお好きということで、こちらの劇場をはじめたそうですね。もともとはどのような舞台をご覧になっていたんですか。
笠原 若いころ見ていたのは、まず歌舞伎座ですね。母が歌舞伎座が好きだということで、私も観に行きだしたのが最初かなあ。そのころは今の松本幸四郎さんが高校生ぐらいで、歌舞伎座だけじゃなくって日生劇場に出たりとか、ミュージカルやったりしていて、週刊誌とかで若いスターとして結構取り扱われていて。その幸四郎さんが先日ご夫妻でポケットにお見えいただいたの。うれしかったわ。
うちの社長、主人の場合は、祖父母が文化人で、お芝居、歌舞伎だとか、バレエやオペラを見るし、たしなみとしていろいろなことをやってた人たちでした。そういう祖父母や、母親の影響で、社長は文化的なものにとても興味があります。演劇だけじゃなくて、油絵で日展に入選を続けているくらいで、絵画もとても好きで、国分寺の方のビルの地下では画廊もやっています。
今劇場は、不動産管理会社の一事業としてやっているんですけど、この不動産管理会社も、元々は明治時代に生糸を作ることから始まった母体となる会社の一部なんですよ。代々継いだ事業の中から不動産管理の部門を主人が親から受け継いだんですが、それまでは、母体となる会社が東京などに土地を持っていて、その土地を貸してたんだけれど、主人の代になって、マンションを建てたり、ビルを建てたりしていたの。でも、ただビルを建てているだけじゃ面白くないのよね。そのなかで、好きな芝居をする場所があったらどんなにいいだろう、大好きだった演劇をどうしてもやってみたいということで、劇場につながっていったんですよ。
でもそう簡単にはいかなくて、どうしたらいいかわからなくて、それこそ20年間いろいろな劇場を見て歩いていたっていうのが現実でした。だから清水建設にお願いして、ここにポケットができてパーティーをやったときの、20年来の夢がかなったっていう喜びは、ほんとうにすごかったんですよ。でも劇場の運営については全然わからなくて始めて、皆さんに教えていただいて、やっとここまできたっていう感じです。でもちゃんと助けてくださる方がいて、音響さんや照明さんを紹介していただいたりと、常に助けていただきながら、あまり苦労もなく順調にきました。
||| 劇場運営の秘訣は?
-普通の不動産と比べた場合に、劇場というのは、やはりリスクが高そうな感じがするんですが…。
笠原 高い。社長の母方の、他の事業をやっている親戚とかは「よく始めたわね」って。やっぱりそこは思い切りというか、事業家の決断力って言うのかしらね。事業やっている人は、いくのかそれともやめるのかっていう決断力がないと事業自体も成り行かないのよ。だけどこれは劇場で儲けようっていうのではなかったのね。やっぱり小さい劇場というのは、みんなが育っていく所じゃないかしら。役者さんたちにとってここは通過点で、ここで全てじゃないってことは、劇場をやる前からなんとなく分かっていたから、彼らの通過点になれればいい、若い人たちが育っていく場所であればいいっていう、何か貢献したいって気持ちが強かったのね。
だけど、赤字になってはやっていけないから、じゃあ赤字にならないためにはどうしたらいいかということを考えたのね。笠原工業という母体の会社は生糸から始まって、それから転換して今はプラスチック製品などを作っている、製造業なんです。それで、いいものを安く作ればものは売れる。ものを売るためには、ものがよくないといけない。いいものを作って、それで人より安く売れば絶対に商売になるという信念が、これまで事業をやってきた社長にはあるもんだから、それと同じことで劇場も始めました。小さいからこの程度でいいだろうではなくて、いいものを作って、それから他の劇場を調べて、だいたい使用料がこれくらいだということが、ある程度レベルが分かったら、それよりも安くすれば使ってくださるだろうと。社長が自ら、いろいろ計算して使用料は決めたの。人件費も考えて、まあとんとんでやれればいいんだけれど、赤字になったら他の事業に影響しちゃうからやめなきゃいけない。だからやめないでいい最低のレベルでやっていくにはどうしたらいいかということと、やっぱり小さいながらも一人前の劇場を作っていいものを提供すれば皆さん喜んでくださるということで、劇場をどう運営するかということにはまるで素人なんだけれど、他の事業をやるのと同じ考えをもとに始めた。そうしたら本当にポケットはよそより安かったんですよね。皆さん使ってくださる。これで13年目に入るんだけれど、スケジュールが空いて困ったことは、ありがたいことにただの一度もないの。
-逆にそれくらいじゃないとなかなか黒字にはならないんでしょうか。
笠原 回らないと、やっぱり大変なのよ。運営するのにお金がかかる。皆さんが来て使ってくれるけど、うちの劇場スケジュールを受け付けることから始まって、みなさんが来て出ていくまでに、使い方を説明したり、対応するうちの社員も必要なわけね。それでやっぱり人件費。
-スタッフは何人いらっしゃるんですか。
笠原 今、私を含めて9人です。2人はアルバイトで、夜とバラシのときだけ来る人も加えてなんですけれど。劇場の上の2階と3階はマンションになっているので、スタッフはそこの管理人も兼ねています。雇っているからには最低でも彼らの生活が成り立たなきゃいけないので、やっぱり大変ですね。
運営のためには人件費の他に、電気代、水道代、あと本当にメンテナンス代がかかるんですよ。照明の電球一つ、八千いくらってするわけ。何時間で必ず切れるわけ。つけたり消したりしているから、やっぱり切れるでしょ。よく噂で、あそこの劇場に行くとどういう照明の灯体があるけど壊れてて使えないんだよって話を聞くと、そういう噂ってすぐ広がるの。それは一番怖いから、私は、うちに劇団さんが来たら、まず全部、何でも全て完璧に使える状態になっているということを売りにしているの。でも相手は機械だから、急遽おかしくなることがあって、いつ壊れるかわからないの。メンテナンスにすごくお金をかけています。だから運営するのは結構大変。
-最近、特に都内では、新しい劇場ができたって話を毎年いくつか聞きますが、そうすると一種の競争といいますか、全体の相場としては、多少小屋代は下がっているのかなって印象があるんですけれど、どうでしょうか。
笠原 わかりませんね。うちは安いのよね、新しくできる所は高いのよ。その通り聞いていると高いと思うんだけど、やっぱり使った方に聞くとその値段通りではなくて、劇団によってどういうお付き合いをしているかで、だいぶ安くしてもらったり、プロデュース公演みたいな形にして、ある程度負けてもらったりということがあるらしい。私は、どの劇団に安くしてあげるとか、どの劇団と仲良くするっていうのをしたくない質で、私にしてみれば誰もがかわいい大事なお客様だから、全部一律。こっちの人に安くしてあげて、こっちの人に安くしないとはしたくないので、全員に同じっていう形をとっているの。そのかわり、もうそれ以上は無理というところまで安く設定しているんです。
-できて間もないある劇場も、最近かなりディスカウントしているとか聞きます。
笠原 結局そうしないと使ってくれないから、そうなっていっちゃうのね。それは分からないわけではない。だから最初いくらで設定するかということなのよね。よそは、内情は安く貸していたりもするから、比較はできないけれど、表面的な金額で見るとうちは安くなっていると思います。それに設備面を加えたらもっと安いと思うわ。
それでうちを使うんだけど、人気が出て、よその劇場がもっと安くしてくれるということだと、よそへいってしまうの。次はどうぞってひっぱっていくところもあるの。うちの方が安いですよって。でもそこは続かないのね。ちゃんと戻ってきてくれるから、うちはうちのスタンスでずっとやり続ければ、大丈夫かなあって思っています。心配はしていない。確かに新しいのができると次はみんなそっちに行かれるのね。でもまた後、次はうちに来てくださるから、うれしいなと。
-こちらのウェブサイトにも、特別な営業活動みたいなことはなさっていないと書いてあったんですが。
笠原 してないの。1998年にここを始めたんで、建て始めた97年の夏にダイレクトメールを一斉に送った。それから今度BONBONとHOPEが新しくできたときに、この12年間で知り合いになれたお仲間と、まだおいでいただいてないけれど、一般的に知られている劇団さんに、今回新しい劇場がオープンしましたとダイレクトメール送った。それだけ。よろしくお願いしますってそれを送って、内覧会をしますのでお越し下さいと言ったら、随分多くの方が見にきてくださった。だから、営業という意味でお金を使っているのはそれだけで、あとはほとんど広告も出していないし、お金も体も使っていない。私はそこに立っているだけで、みんなが来てくれると、ただおしゃべりしている。事務所に寄ってお茶飲んでいってねっていう、そういうことが営業的な活動にはつながっているかもしれないけれども、それは楽しいおしゃべりのひとときなの。営業努力とも思っていない。それ以外のことはしていない。おいでくださった方を順番にお受けしているという。
-でもそれでスケジュールがいっぱいになって回っていて、しかも価格も一律で、余計な交渉なんかもする必要がないっていうと、一番合理的でもありますよね。
笠原 それが、やっていて一番楽。あの人には、この間はこう言ったけど、今度はどうするって、そんな面倒くさいことはないんだもの。何回も使っているうちに、みんなも分かってきて、値引き交渉とかはないの。最後の端数がでたら、その端数をおまけするくらい。本当に明朗会計だし、だから自分のところだけがお友達みたいなのはないの。私は全員と気持ちよくお付き合いさせていただいているの。でもすごくいい感じに上手く皆さんとお付き合いできているので、これは間違ってないかもしれない。
||| 劇場増設の経緯 多くの要望に応えて
-それで今度新しくBONBONとHOPEを建てたのは、やはりポケットとMOMOが上手くいっていたので、更に拡大ということなんでしょうか。劇場の規模でバラエティをつけるとか、何か狙いというのは、あったんでしょうか。
笠原 一番はなにしろポケットとMOMOを運営していて、しょっちゅう劇場を使いたいってお問い合わせをいただくんだけど、お貸しできるのは50週しかないのに、多くの方がお電話くださるわけ。使いたい方がいっぱいいらっしゃる。それからポケットができたときに、ポケットじゃ使い切れないって声があったのね。もっと安くなりませんかって確かに最初は言われた。でも今の段階でここをこれ以上安くすることはできないけれども、もうちょっとお金をかけないでやりたい人がいるんだったら、隣が空いてたんで、次の年にもうすぐにMOMOを作ろうってことになったの。そのころから、社長にはどうせやるんなら、まとめていくつかやりたいって思いはあったのね。それに規模も違う大きさのがいくつかあれば多分採算は合うだろうし、小さいものでも3つ、4つ集まれば、もしかしたら日本一の劇場街になれるかもしれないっていう社長の夢があったの。やっぱり事業をするにはインパクトっていうか、いかにアピールするかっていうことが大事だということと、ここを使いたいっていう要望があまりにも多いので、どうしたらここがもっと使いやすくなるかを考えると、もういくつかここに劇場があった方がいいということで、ポケットとMOMOをやり始めたのとほぼ同時に、もういくつか作りたいと思ってたんです。それから10年かかりましたけど。
-確かに4つあるとインパクトはありますよね。
笠原 ありますよね。だからやっぱりうちの社長は劇場ということだけではなくて事業をするのにあたっては、その基本的な考えは、今までやってきた自分の事業の中の考えがきちんと生きていれば、それが劇場であっても同じように成り立つという考えだったの。
-それはビル管理といいますか、不動産管理のご経験ということでしょうか。
笠原 不動産管理もあるし、不動産管理だけじゃなくて、もともとの製造業にも通じるものがあるんだと思うのね。
||| 近隣への配慮
-ご近所との関係はどうですか。やはり劇場によってはご近所の方にうるさいと思われたり、いろんなことがあると思うんですけど。ここも商店街であり、また住宅もあったりして、かなり気を使われるんじゃないかと思うんですけれども。
笠原 そりゃあもう、気を使ってやっていますよ。私は劇団さんに気持ちよく使っていただくということが第一だけれども、次はご近所と上手くやっていくということが大事なことなので。一番気を付けていることは、お芝居が終わった後、お客様とのご歓談は館内でお願いしますってことを皆さんにお願いしています。芝居が終わると必ず舞台の上から役者さんが言ったり、制作さんが後ろから声をかけたりして「近隣が住宅街でご迷惑になりますので、お客様とのご歓談は館内にさせていただいております。役者は着替えたらすぐ出てきますので、お待ちください」って言ってくださってるの。そこでしばしおしゃべりしていただいて、お帰りくださいっていうやり方で、やらせていただいている。そういう歓談はほんとに10分か15分なんだけれど、年間なにしろ休みがないわけ。月火は仕込みだからないにしろ、水木金土日と。たとえ15分でもやっぱり近隣は外のすぐそこで騒がれると嫌だと思うのね。
あとはものを買ってくれる、差し入れを買ってくれる。商店の方々は人通りが激しくなって良くなったって言ってくださいます。うちは年末年始だけ休みなんだけど、ご近所のコンビニからは仕入れに影響するから何日から休みか言ってくださいって。うち、稽古場が二つあるんですよね。MOMOの上と地下に。そうすると6団体で、1つのグループ最低20人じゃきかないのね。彼らがどこかに食べにいくなんてことは、まずないの。まず近所のコンビニで買ってるんで、かなり貢献はしているの。あと劇場に来るお客さんを相手にする飲み屋さんとか、花屋さんとか、そういう人たちには喜ばれてるの。だからおおむね、みんな喜んでくれているんだけれども。でも多いときは500人からの人が来て帰るでしょ。2時とか7時に一斉にとなるとご近所への影響はゼロというわけにはいかないんですよ。
-ご商売なのか、一般の住民の方なのかで、かなり印象が違うってことですね。
笠原 だからご近所とうまくやっていくことには、細心の注意を払っています。お客様がいらっしゃるときも、お帰りになるときも、私たちスタッフが必ず1人、4つの劇場で公演がある時は2人立っていて、ちょっと人がわーっと広がるようでしたら、「こちらの方に寄ってください」とか、「ちょっとトーン落としてください」ってことは、お願いしています。それはご理解いただかないとなかなか難しい。
お芝居見た後って、いいの見るとちょっとハイテンションになるのね。だか
ら普通でもちょっと声が大きくなりやすいんですよ。それは確かなのね。だか
らそれは中で思いっきりしゃべってねってお願いしています。
-こちらはいわゆる小劇場以外にも、アイドル系のイベントみたいなのも、やられていたりするみたいですよね。
笠原 たまに芸能事務所が借りてくださって、若いアイドルの子が出ているけど、そういうときは追っかけの子もいるのよ。そういうときは結構大変だわね。でもね、追っかけの子はわきまえているから大丈夫なの。いくら待っていても何していても、絶対騒いだりはしないで、ちゃんとわきまえてる。
||| どんな劇団もまずは受け入れる
-先ほど、どの劇団とも同じようにお付き合いをされているってことでしたが、ここの劇場を使いたいという希望がたくさんある中で、どのようにしてどこの劇団にお貸しするのかを決めてらっしゃるんですか。
笠原 ほぼ順番。早い者勝ち。電話で予約を受けて、実際にその劇団が使うと決めたら一週間以内に契約に来ていただいて、申込書を書いて判を押して、申込金を払っていただいて、それで正式決定。そこまでやらないとやはり駄目なのよ。一年くらいはそこまでやらないで電話だけで受けていたら、バッティングしたりして間違いがあったので、次の年くらいからは必ず書面でやっています。ましてや申し込んだけどやめたって人が出てきたので、申し訳ないけどじゃあ10万円は申込金払ってくださいって。そうやってきちんとするようにしました。
1月の第2週の仕込みが終わった水曜日の午後1時からっていうのを毎年決めていて、1月の13、14、15日ぐらいから、次の年の1年分をお受けしていますね。
-メールではなく、電話で?
笠原 電話で。電話ってねえ、この子たちがしっかりしていて大丈夫そうかなっていうのが、とってもわかるの。メールではわからないのよ。で危ないと、「大丈夫?」ってことから始まって、気にしながら見ています。最初は申込金が払えないって言われると、申込金は分割でもいいわって言っていたんだけど、親切が徒になるってことを学んで。申込金が払えないところはね、結局最後も払えなくてうまくいかないの。本当にお芝居をやろうと思ったら、一年先のお芝居のためはこれだけお金が要るから、どういうふうにお金を作って、どういうふうにやろうっていうのをちゃんと計画を立てて、最初からお金が100万かかるか200万かかるか分からないけれども、でも全部用意できないとしても、まあ申込金と準備金とお客様のチケット代とでちゃんと計算が立てられる劇団じゃないと、無理なの。やっぱりうちを使うとなると、ある程度のまとまったお金がいるのでね。最初親切にしたことが、かえって彼らも払えなくて、後から1年も2年もかかって分割で払ってもらったってこともあるので、うちもあんまりそういうの抱えちゃうと成り行かないので、安全策をとって、電話で話をしたときにきちんと話ができるか、きちんと申込金が払えるかということを見させていただいて、危ないと注意しているわけ。「きちんとやってね、そうじゃないと無理よ」って。まあ親みたいな年でしょ。自分の子どもよりも若い子を相手にしているので、そういうことをきちんと言うと、「はい、わかりました」って、一生懸命やるようになるのよ。どうでもいいみたいにほっとくと、結構ルーズな面もある。芸術的なことに長けていても、なかにはそういうことに駄目な子もいるんですよ。でもお仕事として劇場を借りてやるんだったら、それはきちんとやらなきゃいけないのよってことを言って、そういうことでなんとかうまくいくようにしているんですよ。
-1月に電話を受けられて、そこの時点でいきなり全部スケジュールは埋まるんですか。
笠原 そんなことはないの。年間50週あるとしたら1月の時点で20か30くらいのもの。5月か6月くらいまでの間に1年分が埋まっていくっていう。それはポケットね。BONBONもだいたいそれに追従しているんだけど、MOMOの場合は小さいもんだから、半年先でも準備ができるんですよ。だからMOMOの方が出足は遅いですね。その年の4月、5月くらいになって12月分が埋まるぐらい。やっぱりポケット、BONBONあたりは、やるとなると一年くらいは準備が必要だってことで、大きさによって多少出足は違います。
-電話で予約を受け付けたときに、相手のことを見るということですが、それとは別に、このレベルでは劇場を使ってもらっては困るとか、こういう内容のものをうちで上演されては困るとか、そういうケースはないんですか。
笠原 それはありません。うちの劇場を使っていただいて帰った後、次の劇団が入ってきたときに困らないように、きちんと戻して帰っていただくということが基本なので、一応スタッフさんはプロの方をつけてくださいというのが最低条件なのね。舞台監督、照明さん、音響さんは。でもMOMOとかHOPEにはそれがちょっとハードルが高いってことで、じゃあ何をもってプロと言いますかって聞かれるんだけど、一応どんな劇団に対しても、劇団の仕事を安い高いは別として、お金をいただいて引き受けていればいいということと、あと舞台監督さんはうちに入ったときには、全部通しで裏についていられる人というのを条件にしているのね。それは、打ち合わせに来て、さあふたを開けてみたら舞台監督がいなかったり、出演する役者と兼業していたことが今までにあって、本番中に誰かがけがしたりトラブルがあったときに、舞台監督がいなくて、すぐ対応できなかったことがあったのね。やっぱり決まりは全て失敗から生まれているんだけど、そういう非常時にすぐに対応ができるために、舞台監督さんには全公演に裏でついててもらってくださいというのを、最低のお願いにしている。だからその分、スタッフ代とか、ちょっとお金がかかるのでかわいそうなんだけど。だけどそれが払える劇団が、ある程度のレベルになっている。でもそのレベルは千差万別、十人十色、百人百様、全部違うんだけど。
でもまずは受けるんですよ。使っていただく。企画書を出していただいて、舞台監督は誰々っていうと、だいたい知っている人なんだけど、知らない場合がある。それで役者さんと兼業はだめ。その人が役者として出ているときに、やっぱり怪我した人がいてうまく対応できなかったってことがあったので。でも以前、企画書に書いてある舞台監督が知らない方だったから、「この方はどなたですか?」って聞いたら、書面上では役者と舞台監督の名前を別にしていても実際は同じ人ってこともあったので、企画書の段階から、こちらの側でも気をつけてチェックしたりはしています。
トラブルが起きて、最後まできちんとできなくて、段取りも悪くてバラシ時に9時半にはトラックが出るっていうのができなかったら、次の時に、あの舞台監督さんじゃ力がないから、もう少しどうにかしてもらえないかしらというようなお願いをすることはあります。
-その場合、もうここは使えませんと劇団自体をお断りするのではなく、舞台監督を替えてもらえば、またここでやってもらうことはできると。
笠原 もちろん。でもそういうケースはそんなにいくつもあるわけじゃない。本当に困ったときに、今まで一人二人はあったっていう、そんなしょっちゅうあることではないです。基本的には皆さんちゃんとしてくださっているから、そんなに問題はないんだけど。だけどいつも、うちの側で気を付けていることは確か。で、あなたたちがちゃんとやってくれないと、次の人が困るからと。すべてそうなのね、次の人が困らないようにということなのね。
-お時間があるときは、こちらでやっている公演をご覧になることもあるんですか。
笠原 やっている公演は全部見ています。さすがに4つになったらやっぱり大変。でもそれは嫌にならないの。それは楽しいの、みんながやってくれているのを見ているのがね。よその劇場でやるので、たまには見に来てって言われることもあるんだけれど、外のまで見にいくのもなかなか大変。
||| 公的援助との狭間で
-今、劇場法などのいろいろな動きがあると思うんですけれど、それについては何かお感じになっていることはありますか。
笠原 民間のこういう小規模な劇場っていうのが、何の援助もいただけないっていうのは、やっぱり大変なのね。吉祥寺シアターや座・高円寺にしても、ああいう公共の劇場がやれば、税金とかそういうものが、まずだいたい違うでしょ。うちはここに劇場があること自体で固定資産税でしょ。事業をすると事業のための税金を払わないといけないわけで、収入があったらあったで、税金でかなり大変なわけよ。でも公共劇場はそういうところは全然関係ないでしょ。だから太刀打ちできないわね。
それで例えば劇団の公演に対しては援助があるわけね。劇場にも援助はあるけれども、それは(平田)オリザさんたちもやっているけれども、芸術監督を置いて、そこで何かプロデュース公演をすれば、それに対しては援助がもらえる。だけど私たちこれだけの小さな規模のところでは、芸術監督なんて雇うお金がないわけよね。そんなお金で何人も人が雇えるわけだから、それは不可能。それで芸術監督っていうものを置いて、何かプロデュース公演をすれば、それに対しては何か援助をいただけるっていうけれど、うちがプロデュース公演をやってもし失敗したら、次が成り行かなくなってしまうんですよ。よくみんな「プロデュース公演やらないの?」って、「劇場でプロデュース公演やらないなんてただの貸し小屋じゃないか」という方がいる。オリザさんは(自主事業をしない劇場は)不動産業だって言っているけど、確かに不動産業に違いはないの、ただ場所を貸しているだけだから。だけど、ここで例えば300万、500万かかるプロデュース公演をやって、それがこけたらもうとんでもなく収入がなくなっちゃって、次の公演が続かないの。
だからもう私は貸し小屋で結構、貸し小屋に徹しているんですね。それでも、それがなかったらみんながやる場所がないわけ。みんなにやる場所を提供できるっていう、幸せを感じていれば、やりがいはあるんですよ。
芝居をやらない人が劇場をやっていても、芝居のことがわからないと何が必要かわからないって言うけれども、まあそうは言っても10年もやっていればね。劇団さんが、ちょっとこういうものがあったらいいのに、ああいうものがあったらいいのにって、みんなそういうの書いていってくれるのを全部私は見て、買えるものは買い、どんな小さいものでも直せるものは直していくわけ。
すべてにお金がかかるから失敗は許されないわけね。だから芸術監督を置いてそういうことをやることができないとなると、プライベートカンパニーは何も援助がいただけなくて、細々とやっているしかない。だけど、私たちは何も構ってもらえない中で、細々と必死に自分たちの立場を考えてやっていかなきゃいけないっていう大変さはあるけれども、大変故にやりがいはある。その中でも負けないでやるためには、気をつけなきゃいけないことは本当にいっぱいある。ただの貸し小屋じゃないかと言われながらも、4つもあれば、うちがあることで喜んで使ってくださる方が劇団の数としてはこれだけいるんですよ。だけど、まあこういう小さい劇場にまで何か援助してくだされば、私はもっと劇場費を安くして、劇団が楽に使えるようにしてあげたいと思うけど、何を基準に援助をするのかと考えたら、逆に援助のしようもないんだわね。それも難しいことも分かるけど、そんなにお金を使わないでも、何か援助ができる方法が生まれてくれば、うれしいなあとすごく思う。
劇場法も、せっかくある劇場を有効に使うためのものだと思うのね。あっても機能していない公共施設や劇場はいくらでもあるわけじゃない?そういうところに平田さんは、劇団の主宰者みたいな力のある人を芸術監督として置いて、そこでプロデュースしていけば、活気がつくんじゃないかってことをおっしゃって、それは確かだと思うんだけど。やっぱりプライベートカンパニーはプライベートに地道にやっていくしかないかなって。
まだ詳しいことは私も分からないんだけれど、法って言うからには何かこうしちゃいけませんよっていうことができてくるのかなってことを思ったり、戦々恐々としている部分もあるんだけど。何かまた規制されちゃうとまた悲しいなあと思うけれども、もうちょっといいこともあったらいいなって思っています。
||| 実情にそぐわない法律も
笠原 あとは、劇場を作るにあたって消防法とかの法律が余りにも厳しいのね。本当にくだらないことだけどね、劇場には小さなところでも、「危険物持込禁止」って大きな赤い看板つけなきゃいけないのね。こんな狭いロビーにどうして国際フォーラムとかにあるのと同じくらいの大きさのをつけなきゃいけないの?小さいのじゃいけないの?っていうんだけど、法律だからって「危険物持込禁止」、「禁煙」、「火気厳禁」、その3つを貼ってなきゃいけないの。大きさだけでも小劇場用ってのを作ってもらいたいってぐらい。でも小劇場って少ないから声を上げていう人がいないわけよ。大きい劇場と同じことやらなきゃいけないのは、本当に理不尽なのよね。でも法律だ法律だっていうでしょ。ほんと見てもらえば分かるけど、もうこんな大きいのなのよ。でもBONBONの場合は外の壁に付けてあるけれども、中に貼れって言われたら、小さいロビーにね、もうかわいそうでしょ、みんなだってポスターとかいろいろ飾りたいのに。それから今じゃ劇場の調整室には燃えるものなんて何もないのに、防火のために客席スペースとはガラス窓で隔てられていないといけないとかって、消防点検が入ったり。
だからね、そういう決まりに対しては、言いたいこと山ほどあるんだけど、相手が法律でしょ。もう不必要なものもいっぱいあるんだけど、やっぱり劇場って数は少なくて、誰も何も言わないから、何も改善されない法律も山ほどある。そういう中でやってますよね。今度運営にあたっての法律もできるみたいだから、それがどうなるのかなって。
-それがもう少し合理的なことになるといいですね。
笠原 だからその劇場法も、運営にあたってだけじゃなくて、そういう劇場を作ることに関してまで、全部ひっくるめて、こういうふうにしましょうってやってくれると、すごく良くなると思うわね。
||| 4つの劇場名は社長の思いから
-4つの劇場のそれぞれの名前はどのように付けられたんですか。
笠原 ほんとバラバラなんだけど、これ全部社長が付けているんです。社長はロマンチストで、ポケットは「ポケットの中には夢がある」ってことから始まって、他もそういう感覚なのよ。MOMOは、うちの子どもが通っていた小学校の教科書にもあったミヒャエル・エンデの「モモ」から取ったの。その中で時間泥棒の話が出てきて、時間に追われるこの忙しい日常生活から時間を取り戻して人間らしいゆとりを得ようという主旨なので、社長が「ちょうどいい、取り戻した時間で、お芝居を楽しんでいただこうよ」と言うんでMOMOと決まったわけ。
また、この地域は江戸時代から桃がいっぱいあって、桃園町と言っていた。桃園通りは今もあるのよ。
それで今度また新しく2つ劇場を作ったんだけど、そのときはいい案があったら出せ出せってうちのスタッフにさんざん言ったんだけど、なかなかアイデアが出なかった。社長はもう20年前からずうっと名前を考えているわけ。名前の本とか、本読んでても、テレビ見ていても、「あっ、あの名前いいな」って、新しく建てることが具体的になる前から、常に名前のことがもう頭にあるわけ。でもさんざん悩んだの。社長が一番に思ったのは、ボンボン入れ。そのボンボンを入れる入れ物をボンボニエールって言うの。小さなボンボンを入れる入れ物だから、これからの人たちを入れるボンボニエールって思ったんだけど、ボンボニエールじゃいかにも覚えにくいので、結局それで中味のボンボンになったの。小さいキャンディーだけど、個性のある美味しいものがいっぱいつまっていますよということで、BONBONにしたの。
それであと地下の劇場はどうしようかとなったけど、そこは一番小さい劇場だから、そこから役者さんたちが大きくなっていってもらいたいって、すごい単純にHOPEにしたんです。
なんか脈絡がないようだけど、社長の中で何かは全てつながっているの。それは何かのお話しだったり、社長の思いだったりと。
||| キャパ250の劇場は競争相手じゃない
-劇場の運営に関しては支配人が全てされているんですか。
笠原 私が全部やっています。経理もここだけで全部出すんだけど、司株式会社は劇場だけじゃなくて、国分寺にバレエのスタジオを4つも持っていたり、美術家のためのアトリエビルを建てたり、画廊をやっていたり、文化事業に力を入れているの。そういうのを全てやっている神田の本社が、トータルな運営をやっているの。だからここを運営するってことに関して、現場の声として何がやりたいかを考えて決定するのは、私が責任を持ってやっていますが、すべて社長とか本社の部長に相談しながらやっている。頼れる本社がついていてくれるから、大きな経理のことまでは考えずに、ここの劇場のことだけを考えていればいいので、やりやすいといえば、やりやすいです。私もここをやるまでは主婦だったのね。だからやっぱりそういう本社の後ろ盾がないとできなかった。
-ここに関してはここだけで黒字になって、今のところ回っているんですね。
笠原 まあ何とか黒字になっているの。
-さらに拡大するなんてこともあるんですか。それともとりあえずこれで完成形ということでしょうか。
笠原 今のところここの場所では、これで完成と思っています。一時期、社長が高円寺でもやりたいって言うんで、高円寺のビルを買っちゃったんですよ。そこでやろうと言い始めたんですよ。だけど、そのすぐ一本先に明石スタジオがあるの。もしうちがそこでやったら向こうも嫌だろうから、それに北口に座・高円寺が開くから、私は高円寺でやる気はないって言ったの。それで、そこは上はマンションにして地下はライブハウスにしたんですよ。KOENJI HIGHというとても立派なものなの。だから今のところ、劇場としては完結状態ですね。なんかもう一個くらいはって社長は言うんだけど、もうやめてくださいって(笑)。
やっぱりねえ、ここにあるからできるんですよ。離れると駄目なのね。ここにあるから目も行き届くし、8人、9人で管理できるけど、もうひとつ違う所にできたら、またそこに4人、5人要るんですよ。そうすると採算が合わないの。劇場2つやってたって6、7人要るわけ。4つをまとめてできるから人件費がちょっと節約できる。夜スタンバイするのでも1つの劇場に2人は最低いなきゃいけない。でも4つになったからって、8人いなくてもできるわけね。3人か4人いれば大丈夫ってこともあるから、だいぶ人件費が違いますね。事業的にはまとめてやるのが一番やりやすい。それに大きいのは無理なの。小さいものだから成り立つの。
-大きいとまた性格が変わってきて、何かさらに必要な大きな投資があったりとかですか。
笠原 それもそうだし、これ以上大きい劇場を使える劇団は数が少ないんです。そうするともうどうしたって運営は難しいわけ。だから座・高円寺や吉祥寺シアターができるとき、私はすごい競争相手ができて大変かなって最初思ったんだけど、250席でも競争相手じゃないの。250人埋められる劇団さんはうんと減るのね。だからうちはこれ以上大きい劇場を作る気はない。もうちょっと大きいの作ってくださいっていう人がいるけど、年間10公演ぐらいしか入らないところは成り行かないんですよ。だからちょうどいいサイズなの。
-劇場を建てるまで、いろいろな劇場をあちこち見て回っていたということですが、その中で劇場の大きさについても出したというわけではないんですか。
笠原 新宿よりちょっと離れているけど、中野だったらなんとか、成り行くだろうっていう見通しだけでした。ここにはアパートがあったんだけど、ここの上をマンションにしても、最低でもここに小さい小劇場はできるだろうってことで設計の先生に計算してもらったと。客席数を177席にしました。下北沢の駅前劇場とか他の劇場も150や200だから、ちょうどいいだろうと。
||| よりトータルな創造環境を目指して
-こちらの劇場には稽古場が2つあって、それから亀戸にもあるとのことですが、稽古場はどういう経緯で作られたんでしょうか。また現状ではどのように利用されていますか。
笠原 ポケットを建てるときは、上をマンションにしたけれど、MOMOの側の建物は、上と下に稽古場を作って、それだけにしようということになったの。社長の考えとしてはポケットを使う人が地下の稽古場を使って、MOMOを使う人が4階の稽古場を使ってくれれば、便利じゃないかということで。でも実際最初は、ここの稽古場を使ってからMOMOやポケットに劇場入りする劇団は、なかなかなかったの。例えば紀伊国屋ホールとか、どこか大きなところでやろうとする人が結構使っていたのね。だけど4階は1日が6300円で結構安いのね。4階は、ポケット使う人でもMOMOを使う人でも、安さにほだされて、どこか区の施設を借りても2千円ぐらいかかるけど、ここなら荷物も置いたままでずっといられるからと使ってくださってるし、最近は、稽古場から劇場にすぐに移れた方がいいってことが分かってきて、ここで公演する劇団がどこか別の場所で稽古していても、最後はここに道具持ち込んで仕込んで1週間稽古してから、劇場入りするケースがとっても増えてきた。やっと社長の意図にあった使い方をしてくださるようになったの。
そうなると稽古場が2ヶ所じゃどうしても足りないのよ。そうしたら亀戸にうちの会社が管理しているマンションがあるんだけど、そこの3階の一室が、一時期ちょっと景気が悪くなったときにテナントが空いちゃったのよね。そのとき私がちょっと稽古場に確保させてくれと本社にお願いして。離れているから管理しにくいし、亀戸駅からもちょっと距離があるんだけどね。あっちはまた長く使ってくれる人が多くて需要があるの。ここの中野の大きい方の稽古場は地下で暗いんだけど、そこの稽古場は明るいんですって。ここの地下とほぼ同じ大きさなんだけど、地下にこもっちゃうよりも、明るいところで稽古してた方が気分がいいらしいんですね。それであっちは電気代込みで10500円なんだけど、その大きさにしては結構安くて、それなりに人気があるの。1ヶ月使ってくれたら2割引にしますよって言ったら、本当に1ヶ月使う人が増えたの。だから亀戸の方の稽古場は長く貸すことが多いんですよ。
-長期でそうやって借りられるとなると、舞台セットの立て込みとかもできるんですか。
笠原 叩きはできないけれども、立て込みはしてもいいですよってことになっている。あと社長は、叩きのできる場所を探しているんだけど、東京では土地が高いから大変でなかなか見つからないの。いろいろ考えてはいるんですが、(創造環境については)まだすべてできているわけではなくて、社長もやりたいことはいっぱいあるみたい。
建物建てるのに何億も借りているから、儲けはあっても微々たるもの。その額に比べたら何も返せてない状況なんだけど、本社がついているから回っているっていう感じでやっているのでね、まあ(運が)ついていると言えば、ついている。それでなんとかやっていけているという感じです。
大変ですよ。さらに二つ建てるときも、ここがどれくらい上手く回っているかってちゃんと銀行の人が聞きにくるの。うちの本社の他の仕事のこともあって、他のビルのことは信用あるけれども、じゃあ劇場はどれくらい大丈夫なのかって、お金借りるんだってちゃんと返せるかということを、銀行の人が調べにきました。そんなでやっているので、余っているお金でやってるわけではなくて、やっぱり社長の思いでやっているっていう感じですよね。何年経ったら返せるんでしょうって感じで。赤字ではないけれども、それで返せていけるお金が充分入ってくるわけでもない。だからまあ他のビルもあるので全体で回っているんだと思うんですけど(笑)。なんとかやってますんで今後ともなにかとよろしくお願いします。
(聞き手=水牛健太郎、宮武葉子、米山淳一)
(初出:マガジン・ワンダーランド第206号、2010年9月8日発行。購読は登録ページから)
【略歴】
笠原玲子(かさはら・れいこ)
成蹊大学政治経済学部卒業。東京銀行入社、半年後結婚のため退社。主婦暦20数年の後、1998年「ザ・ポケット」オープンに際し、支配人を引き受け演劇の世界に飛び込む。2000年に「劇場MOMO]をオープン。2009年10月には 「テアトルBONBON」「劇場HOPE」をオープン。 すっかり演劇に浸かり、より良い場所を提供すべく日々努力中。
・ポケットスクエア(ザ・ポケット、劇場MOMO、テアトルBONBON、劇場HOPE)のwebサイト:http://www.pocketsquare.jp/index.php