ワンダーランドの「初日レビュー2010」第1回をお届けします。
公演初日の舞台を見てレビューを掲載するのは、ワンダーランド創設以来の懸案でした。万端の準備が整ったわけではありませんが、評者の方々の協力を得てとりあえず年内は続けたいと思います。
第1回は、松井周主宰のサンプル公演「自慢の息子」です。岸田國士戯曲賞にノミネートされ、戯曲が海外でも翻訳される期待の劇作家、演出家の手による公演は、新しい演劇の可能性を探り、多様な試みを取り上げてきたワンダーランドの「初日レビュー」企画にふさわしい門出だと思います。 レビューは、★印の5段階評価+400字。到着順に掲載します。(編集部)
片山幹生(早稲田大学非常勤講師)
★★★★
荒廃した精神状況のすぐれた心象風景となっている舞台美術が素晴らしい。舞台はとある中年独身男性の居住アパートである。このアパートの一室が国家として日本から独立するという設定は秀逸だ。この個人国家がきわめて内向的・自閉的な変態ユートピアとなるところがいかにも松井周らしい。この国家を舞台に歪んだ欲望の寓意のような鬱屈した人物たちの妄想が交錯することで、新たな混沌と退廃が生まれる。倒錯的性愛のグロテスクを洗練された表現によって黒い笑いとして提示する松井周のセンスは超一流だ。変態についてのステレオタイプをうまく利用した細かいギャグの切れ味は鋭い。また悪意ある笑いを通して現代社会の病理が巧みに風刺されている。しかしそのやり方はどこか遊戯的で、ガラス越しの安全な位置から異常を面白がっているような趣がある。危ない世界を描きながら決してその渦中には入り込まないような狡猾さを私は感じる。
小澤英実(東京学芸大専任講師、アメリカ文化研究)
★★★★
劇場まで体を運び窮屈な空間で身を縮める私たちが連れ去られるのはどこでもないどこでもある場所。そこで繰り広げられるのは、これぞ2010年東京版『エンジェルス・イン・アメリカ』と言いたくなるような国家的ファンタジアと密室的エロトマニアの融合である。なんといっても、「ここにしかなくどこにでもある」とか「自分の妄想でありかつ同時に他者の妄想である」といった矛盾した状況を超あやういバランスで成り立たせてしまっている力がすごい。互いが互いの妄想に含まれあいながらも個としての輪郭をきっぱりと保つ役者同士の距離や、妄想の助走と暴走の緩急具合といった、それを成立させるための緻密な設計は今作でもっとも洗練されていたように思う。ラストは新しいアングラのかたち(現行のネオアングラではなく)を見せられたような衝撃を覚えた。
サンプルにおける最大の楽しみのひとつである巧みな空間構成は今回も健在だが、舞台と客席の位置関係のせいか、舞台上の妄想が観客を侵食し、やがて互いが含まれあう感覚よりも、妄想が一点に収束していくような濃密な求心性が息苦しく、途中しんどくもあった。
大泉尚子(ワンダーランド)
★★★★
クレーム電話のこちらと向こう側で、感情のささくれ立ちがスパーク、出奔した兄妹は、皮膚から1ミリメートルのところで触れることのない抱擁を交わして「瓶詰めの地獄」さながらその国に漂着し、するするするっと薄物を纏い薔薇色の帽子を被った母は、アルヘンチーナのごとく白塗りの皺深く屹立する。ぶっきらぼうな暴力性とあからさまな悪意はなりをひそめ、尻尾をつかまれることなく浮遊する寓意の群。空気に粒のように混ざり込んで、より分けることのできないクスクス笑い。豆腐の中に潜んでいた蝉(!?)は、「羊たちの沈黙」で、殺された女の喉に押し込まれた蛹以上に、その違和感を拭い去ることはできないが、意味を追いかけようとして、舞台上にピンと張られたロープに足払いを喰わされるのも、いっそ小気味いい。過剰な意匠をほどこされた幾多の物語の姿は、レースの海に泡と消えても、さざめいていた気配だけがチェシャ猫のように漂っていた。この洗練といいたくなるほどの均整のとれ方が、吉と出るか凶と転ぶか、今後の舞台が待たれる。
都留由子(ワンダーランド)
★★★☆(3.5)
初めてのサンプル。通路まで満員。息子が作った国に、息子の母親と日常を捨てた兄妹が、ワイルドなガイドに案内されてやってくる。その国の「お隣」にはもう一組の母と息子がいる。
舞台いっぱいに大きな布を何枚も使った舞台装置が面白い。引っ張ったり、巻きつけたり、くるまったりするが、きっと位置取りなどが毎日違っていて役者は大変だろう。
何だかわけが分からないのに、強力な引力で舞台から全く目が離せず、1時間30分以上の上演があっという間だった。登場人物それぞれが背後に大きな物語を背負っているらしいが、芝居はどこにも深入りしない。事件と呼んでもいいようなことも起きるのに、それはそれで淡々と、と言いたい進行である。
役者や装置・照明・演出などを含めて、清潔で詩的な、白いレースのような印象。ただ、呑み込む母親・逃げ出す息子、というイメージは、なーんだ、結局そこに持って行っちゃうの? と思われて、その分☆半分減らしました。
プルサーマル・フジコ(編集者、雑文家)
★★★★★
手応えのない感触は最初だけ。途中からめっちゃ惹き込まれて観て笑って感動した。肯定(○)も否定(×)も内も外もなく、国境線も隣家との境界もシームレスで曖昧模糊とした輪郭のない世界。そもそも地面が流動的なアレだし、奇妙な音とか散乱したゴミとか変態プレイの数々が生まれては崩されていくばかり、な、の、に、謎めいた感情のウェイブにしばしばざぶーんと心をさらわれる。6年前の『通過』の初演で見せつけられた、あの強烈な閉塞感(失語症)はついに底が抜けたと思った。この愛嬌に満ちたネオ松井変態ワールドには、オトナになる過程で押し殺してきた微妙な感情や、夜ごと見棄ててきた夢の残滓や、見なかったことにしてきた淫靡な体験がくすぶっている。この言うなれば物語の「マントル」の発見が、今後の物語芸術をどう転がしていくのかも楽しみ。初日ならではの硬さも感じられたものの、グルーヴ感でさらに飛んでいけば金字塔的作品になるかも?
田中綾乃(演劇評論家)
★★★☆(3.5)
前日、さいたまゴールド・シアターの『聖地』を観た私は、正直、松井周がこのように救済的な“大きな物語”を描けるのかと驚いた。そして、『自慢の息子』を観た本日、いつもの松井作品のように、“ミニマムな”世界が描かれていて、少しほっとした。
劇中、息子・正がぬいぐるみ(人形)遊びに興じるが、松井のこの作品は、まさに松井の人形遊びそのものである。人形遊びの舞台は、“Kingdom of Tadashi”と名づけられた場所で、この場所がハワイになったり、希望の丘になったり、実は壁の薄いアパートだったり…と布を使って自在に変化する。この遊戯性が、いかにも「演劇的」で、くだらなくて面白い。そして、この国に登場する人物は、近しい人に依存しなければ生きていけない母と息子や兄と妹。外側の「現実」を受け入れられない人たちが、居場所を求めて浮遊し、逃避行するような物語。その意味では、『聖地』と根底でしっかり繋がっている。ぜひ『聖地』と一緒に観てほしい作品である。
北嶋孝(ワンダーランド)
★★★★
じつは前日の9月14日、こちらも初日の松井周作、蜷川幸雄演出の「聖地」(9月14日-26日)をさいたま芸術劇場で見た。山腹の老人施設を舞台にした3時間半近い大作だが、登場人物の行動には露わな理由があり、背景がきちんと書き込まれているまっとうな物語だった。
しかしほぼ同じ時期に書かれたこちらの作品は、登場人物に確たる根拠がなく、居場所も言うことも浮遊している。生理的欲望と妄想が間欠的に吹き出す断片的なシーンが多く、それらをつなぐ太い線は浮かんでこない。性的逸脱を含む固着した対人関係に囚われて舞台は飛び散ったまま。終幕直前まで★印は見えず、疑問符が頭の中を駆けめぐっていた。しかし最後に、オセロの一発逆転のような仕掛けが施されている。なるほど。物語好きには最後まで辛抱を要求し、物語嫌いにはラストで毒気を抜く。こういうギミックへの嗜好が公演の評価を極端に分けるのではないか。誰にでも勧められる舞台でないことは今回も同じだが、物語への希求が最後になって結晶化し、すべてを神話・伝説の世界に回収する手腕をみて、松井は同時代の変態的=典型的な人物・心性の造形能力よりも、新しい物語の作り手としてもっと評価されていい才能の持ち主ではないかと感じた。
【上演記録】
サンプル 07公演『自慢の息子』
東京公演 アトリエヘリコプター(2010年9月15日-21日)
大阪公演 精華小劇場(精華演劇祭2010特別企画、2010年9月25日-26日)
作・演出:松井周
出演:古舘寛治(サンプル・青年団)、古屋隆太(サンプル・青年団)、兵藤公美(青年団)、奥田洋平(青年団)、野津あおい、羽場睦子
スタッフ :
舞台美術/杉山 至+鴉屋
照明/木藤歩
音響/中村嘉宏
衣装/小松陽佳留(une chrysantheme)
舞台監督/熊谷祐子
演出助手/郷 淳子
演出助手・WEB/牧内 彰
ドラマターグ/野村政之
英語字幕/小畑克典
フライヤーデザイン/京(kyo.designworks)
宣伝写真/momoko japan
制作/三好佐智子、坂田厚子、坂本もも
チケット料金 前売り3,000円 当日3,300円
企画・製作/サンプル、(有)quinada(キナダ)
共催/精華小劇場演劇祭実行委員会・大阪市助成/財団法人セゾン文化財団、平成22年度文化庁芸術文化振興基金、財団法人アサヒビール芸術文化財団
協力/青年団、(有)レトル、にしすがも創造舎、シバイエンジン
ポストパフォーマンストーク:
9月15日:戌井昭人(鉄割アルバトロスケット)
9月16日:野村政之
9月20日:松井周のみのトークです
9月21日:岩井秀人(ハイバイ)
* 次回の初日レビュー2010は、鳥公園第4回公演「乳水」(9月23日-26日、日暮里 d-倉庫)を取り上げます。掲載は9月24日の予定です。
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