◎歴史や伝統見る目も
西村博子
久しぶりに“演戯”を堪能した。狭く、今にもずり落ちてしまいそうに床も壁も傾いた屋根裏部屋(美術李潤澤)。そこに働くことを拒んで住んでいる、ボス格の男1(金哲永)と、折あらば取って代わろうとする男2(洪旻秀)、強い方にゴマをすり少しでも得しようとする男3(趙承熙)、何かというと殴られいじめられる男4(金鎬尹)。それに、近所のバーの女で、のち床下の木の根から出現してくる、この家を代々護ってきたオモニのような女神(金志炫)に、ジャンジャン麺の出前(千石琦)。一人ひとりが見ていてほんと楽しく、ゲネと二日目と三日目、3回見ても見飽きなかった。リアルを基調とした男4人の真剣な、だからこそ笑えてしまう演技に対して、麺を配達してきた出前・千石琦の、次第に大きくなっていく身振りは、何と言ったらいいだろう、歌舞伎の荒事みたいに様式化されていて、岡持ちにふんぞり返って大仰に読み上げる注文メモなど、まるで、家取り壊しの強制執行言い渡しだった。
芝居は大きく、前半の男たちの主導権争い──わずかな食べ物の取り合い。ボスのズボンを取るかどうかや、誰が3年前に洗ったパンツより2年半前に洗ったパンツを穿くかの争い。あるいは頭の中身でなく寸法でボスを決めようとしたり、女に好意持たれようと小競り合いしたり……と、後半の、ドンドンという家を叩き壊すような大きな音と共に現れた出前持ちが、払う金がないと知るやジャンジャン麺をぶっかけ窓や壁を突き破っての大暴れ。そこへ現れた女神も、もうこの家は護れないから立ち退くようにと言い渡し、大きな扇子をぱらりと開いて打ち壊しの音に合わせて舞い廻り、ついに家がペシャンコになるまで、から成っていた。
社会に背を向け反抗しているかに見えて、実際は社会の縮小再生産。社会的地位や肩書きで人を測ったり、利益を争ったり、弱い者いじめする男たちへの、作者(金志勲)の目は笑いを含んで厳しかったが、それだけでなく、ここには大きく、韓国の歴史や伝統を見つめる目もあった。
それは例えば、ごく最初。男1と男2が足で砂を、続いて足指を飢えた男4の口に突っ込んで見ている私たちがウエッとなったとき、夢うつつのその男4がアメリカ、チョコレートと寝言を言って、すぐに知れた。それに続く男1、2、3による男4への殴る、蹴るの暴行も、突如背後の映像、権力による民衆への弾圧と重ねられていた。強制執行官を髣髴とさせる出前が大暴れしている最中に忽然と現れる女神も、見ると、伐採された木の切り株に居て、その根っこは家の下ににょきにょきと伸びていたのだった。長い長いあいだ、どっしりと根を張ったオモニに守護されてきたこの家が、韓国が、アメリカによる統治とそれに続く軍政の歴史を経て高度な資本主義社会に成長し、日本と同じように引きこもりも増えて来たと聞くが、実はその現代も金と権力の自由競争。おそらく旧い家が壊されたあとには根っこのない“近代”的なビルが建つのだろうという芝居だった。
ただ一つ惜しかったのは、幕開き早々。ソウルではノートか本か?を手に持った質素な女性(のちバーの女と女神を演じる金志炫)が、誰も居ないがらんとしたこの家の前にゆっくり現れ、立ち止まり、横切っていったのだが、それがタイニイアリスでは上手に2度、そっと出ただけで席によってはよく見えなかったこと。むろん見たって観客に、それが“家の記憶”だとは、演出に代わってゲネを指揮していた李潤澤さんに聞くまで私にも分かったわけではないが、あれ?何だろの好奇心と共に、その後しばらく続く男たちのリアルな──そして、聞いても聞いていなくてもさして関わりのない日常の膨大な──台詞やりとりが、単なるリアリズムではなさそうだという感覚的な伏線にはなったに違いない。緩急ある音楽(金荷英)とともに、日常からMetaphysicsが透かし見える、見事な演出だった(李允珠)だけに、心残りだった。
狭い見聞に過ぎないが、私の知る韓国の劇は、かつての「新劇」のように一家族や一つの歴史を意味を伝える台詞でリアルに描くものが少なくない。日本の引きこもりやホームレスを描く多くの劇も、同じく狭い見聞に過ぎないが、ただその内面や状態に目を注ぎ、それを大きな歴史や伝統との関係で眺めようとしたものは無かったように思われる。この「Floor in Attic」の方法が、日韓のこれからの創造競争の、ひとつの良い里程標になれば、と願ってやまない。
終幕。女神が貯めて残して置いてくれた紙幣は旧くてもう使えない。けれども4人の男はそれを胸に抱いて旅立っていく──どこへ?
この「Floor in Attic」は三部作。このあと、社会に出た男たちが罪を犯し、刑務所に入るという続きがあると、ラクの日に演出の李允珠さんは客席に話した。仄聞によると彼女は癌に冒されそれが転移、毎日抗癌剤を飲んでいるとか。過密スケジュールの中を飛んで来て元気に話し、指示を出す彼女を見ていると、そんなこと、まるで信じられない。続きを持ってのまたの来日を、鶴首して待っています。(2010.10.3&4所見)
(初出:マガジン・ワンダーランド第211号、2010年10月20日発行。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
西村博子(にしむら・ひろこ)
NPO ARC(同時代演劇の研究と創造を結ぶアクティビティ)理事長。小劇場タイニイアリス代表取締役兼アリスフェスティバル・プロデューサー。日本近代演劇史研究会(日本演劇学会分科)代表。早稲田大学文学博士。著書は『実存への旅立ち-三好十郎のドラマトゥルギー』、『蚕娘の繊絲-日本近代劇のドラマトゥルギー』I, II など-とは、実は世を忍ぶ仮の姿。その実体は自称「美少年探検隊長」。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/na/nishimura-hiroko/
【上演記録】
演戯団コリペ「 Floor in Attic 屋根裏の床を掻き毟る男たち」Alice Festival 2011参加作品
新宿・タイニイアリス(2010年10月2日-4日)
☆アートディレクター:李潤澤
☆作:Kim Ji-hoon
☆演出:Lee Yoon-joo
☆出演:Lee Seung-heon、Hong Min-soo、Kim Chul-young、Cho Seung-hi、Kim Ho-yoon、Lee Jung-wok、Kim Jih-yun
料金 前売3000円 当日3500円 学生2500円