マームとジプシー「コドモもももも、森んなか」

■マームとジプシーのこれから

 課題もいくつか残った。今回は役者がエモーショナルに昂ぶっていくシーンが多かったけどもやや感傷的すぎるきらいもあった。もう少し我慢して感情を宙吊りにしていけば、物語の動き方も、風通しの良さもまたひと味変わるような気はしたし、観客により静かな揺さぶりをかけていくことで、その感情や記憶の断片をより深い部分から引き出すこともできたのではないか。

 それとあえて言うなら、の話だけども、タイトルにもある「森んなか」に果たしてどこまで踏み入ることができたのか? 町のランドスケープは確かに見えたけど、コドモを畏怖させるような、死や、神隠しの気配を感じさせる「森んなか」の奥深くには、まだまだ到達できていないようにも思える。これはしかし大江健三郎の一連の「森」をめぐる小説とかそういったレベルの話になるので、いつかまたこの「森」には再チャレンジしてほしい。(*12)

 最後に蛇足として、わたしが今回印象に残ったシーンを3つほど。ひとつは三姉妹の家で、イカの人形をめぐって高速リフレイン(スクラッチ)がかけられるシーン。みずうみ(荻原綾)は、ももに遊園地のお土産をあげようとして「いらん」と拒絶される。この時のもも(召田実子)の表情は、虚心なようでいて、何かを強く訴えているようでもあり、はっきりと「顔」をもって存在していた。(*13)

「コドモもももも、森んなか」公演から
【写真は「コドモもももも、森んなか」公演から 撮影=飯田浩一 提供=マームとジプシー
禁無断転載】

 つづいて第二部のラスト。さえが東京に旅立つ。ひそかに想いを寄せているが見送りにいけないかける(波佐谷聡)を見て、少し怪しいコドモだっただいすけ(大島怜也)も、鼻クソキャラにされて絶交していたりょうた(大石将弘)も、彼に(斜め45度くらいから)熱いエールを送る。さらに「うちのにいちゃんマジで最強だかんな!」が口癖だった弟のなつお(尾野島慎太朗)は、かけると取っ組み合いのバトルになってついに兄を倒してしまうのだった。「行けよ! もうオレのほうが強えんだからなっ!!!」そうやって背中を押されながらやっと追いついたさえに対して、かけるは「東京にはナイフ持ってるやつがいっぱいいるからさ、マジ気をつけろよ」としか言えない。再演にあたって男の子たちの世界が膨らんだことで、このセリフの厚みも初演より増したように思うけども、それはともかく波佐谷聡はこの一年で何かになってきた気がする。たぶん気のせいではないだろう。

 そしていちばん好きだったシーンは中学生になった次女ゆきが、手袋をはめて深夜のたぶんシャッターの閉まっている、おそらくは北国の商店街をひとりで歩いている。いつまでも帰ってこないお母さんに会いに、スナック(?)の前まで行くと、店内からうっすらと子供の頃から繰り返し聴かされてきたキャロル・キングの「つづれおり(Tapestry)」が流れてきた。ああ、お母さんがここにいるんだ、なぁー、と感じてゆきはそのまま帰ってしまう。場末感の漂う商店街の寒々しい風景そして、届かない母への伝えられない気持ちといったものがどこか遠くの見知らぬ誰かの、その存在や、ぽっかりした気持ちにまで通じていくような気がした。家に取り残されているコドモたちから、取り残してしまう「不在の母」のほうへとひゅっと視点が裏返りそうな気配がこのシーンにはあったのだ。

 マームとジプシーの次回作『あ、ストレンジャー』は、カミュの『異邦人』を原案に書き下ろされる新作だが(*14)、「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、わたしにはわからない」からはじまるあの小説は、まさに《不在》の母をモチーフにしている、と同時に、この書き出しにも表れているように《時間》に対するある特殊な感覚を持った小説でもあるように思える。奇しくも劇団名に「母」と「流浪の民」の名を冠したマームとジプシー/藤田貴大が、『異邦人』刊行からおよそ70年後の現在に描写・再生(represent)するのは、きっと埋めることのできない《不在》を抱えた主人公ムルソーの、それでも生きた《時間》のことだろう。

*1 当時、家族を描いていてしかもリフレインが特徴的なせいか、劇団ハイバイの傑作『て』と比較する意見をちらほら耳にした。わたし自身も一瞬それを想起したけども、やはり両者の性質はまったく別のものであると今は思う。またもしこれが現在であれば、何代かにわたる家族の時間軸の操作とゆう点で、芥川賞を受賞したばかりの朝吹真理子『きことわ』と比較する人も現れたかもしれない。

*2 マームとジプシー『しゃぼんのころ』劇評 徳永京子「震えと揺れが引き起こす、舞台上の遠景。
ワンダーランド200号記念鼎談「2010年、超新星は小劇場を更新するか?

*3 あくまで氷山の一角にすぎないが、例えばマームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』初日レビューを参照。

*4 坂あがりスカラシップ2010特別対談『ここだけのはなし ~柴幸男×藤田貴大の場合

*5 藤田は当日パンフでこの再演について「リユース(reuse)」ではなく「リサイクル(recycle)」であると書いている。そのほか反復に関しても「リピート(repeat)」ではなく「リフレイン(refrain)」と呼び分け、観客の中で起こるイメージの再構築を「リフォーム(reform)」ではなく「リゼネレーション(regeneration)」と表現するなど、独特の使い分けをしている。

*6 稽古場では「スクラッチ」と呼ばれていたらしい。DJがキュキュキュッと盤を手で小刻みに回すアレである。今作では、三姉妹の部屋での、イカの人形をめぐってのゆきとみずうみとももの3人のシーンで用いられた。3人が短いスパンで小刻みにアングルを変えていく。

*7 かけるの先輩がいなくなり、代わりに2人の同級生の友人が登場することで、初演に比べると男の子の世界を描く比重が増えている。また初演では序盤からすでに中学時代まで描かれ、ちづみがキャプテンを務めるバレーボール部にゆきやうんちちゃんが入団して架空のバレーボールをするシーンがあるが、これは『ハロースクール、バイバイ』の原型そのものであるため今回の再演では削除された。その他設定上の細かい変更点は多々ある。

*8 この点はしかしチェルフィッチュの『わたしたちは無傷な別人であるのか?』における「みずきちゃん」のシーンが3人の即興によって演じられたり、あるいは最新作『ゾウガメのソニックライフ』のように、役人物と俳優とが1対1になってないことが多々あるので、もっと丁寧に見ていく必要はある。ところでチェルフィッチュの岡田利規は『無傷』をつくった頃、「演劇は誰に向けて上演されているのだろうか?」と問い、「神様」に向けられている可能性についてたびたび言及していたし、また飴屋法水はこの舞台に「幽霊」がいるとも表現していた(『エクス・ポ テン/イチ』での岡田×福永信の対談や、『新潮』2011年1月号の岡田×飴屋の往復書簡などを参照のこと)。観客や俳優ではないこうした存在に/が語りかけることはマームの『コドモ』における《祈り》にも近い行為かもしれない。さらに岡田利規はその小説や戯曲のタイトルに「わたしたち」といった複数形をしのばせるなど、この問題に対して独自に取り組んでいるのは明らかである。したがってあくまでここでわたしがチェルフィッチュについて言及しているのは、あくまでも俳優が舞台に立つにあたっての強度が自律してあるかどうかである、と断っておきたい。

*9 こうした問題系はしかし、マームとチェルフィッチュのあいだにだけ横たわるわけではもちろんない。例えば岡崎藝術座の神里雄大は、これまで『リズム三兄弟』『ヘアカットさん』『古いクーラー』などの諸作品において、俳優に圧倒的な強度を持って発話させる圧力を大きな武器にしていたが、最新作『街などない』ではむしろガールズ・トークと醒めたメタ視点とを効果的に用いて、会話のグルーヴ感を体現する新境地を見せている。

*10 こうして音への異様な関心を示しているはずの藤田が、既成楽曲を衒いなく使用することに対して不思議がる人もいる。これについては柴幸男との先の対談で語られているのでそちらを参照されたい。

*11 ノイズの多さは、バナナ学園純情乙女組や、ロロ、といった他の若いカンパニーにも特徴的に見られる点である。ただ彼らがどちらかとゆうと作為的に舞台上にノイズをバラ撒くのに比べると、マームのノイズ感はもう少し自然発生的に導入されているようにも思える。

*12 『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)とゆう書評エッセイ本の中で、「秘密基地」をテーマに選書した藤田は大江健三郎の『取り替え子』をセレクトしている。森んなかの秘密基地を描くこの『コドモ』において、藤田の頭の中に大江の存在がまったくよぎらなかったなんてことはないだろう。

*13 エマニュエル・レヴィナスの「顔」の概念が一瞬頭をよぎった。それは死にゆくものだが、同時に強くそこに存在しているものでもあった。

*14 『あ、ストレンジャー』は4月初旬、清澄白河のアートスペースSNACにて。

(観劇:2011年2月1日、6日マチネ、7日ソワレ)
(初出:マガジン・ワンダーランド第229号、2011年2月23日発行。無料購読は登録ページから)

【著者略歴】
 プルサーマル・フジコ
 雑文家。編集者・藤原ちからの執筆活動時の異名。主に劇評を書き、稀にZINEやミニコミにエッセイや小説を書く。雑誌「エクス・ポ」、『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)などに寄稿・編集。雑誌「エレキング」復刊創刊号では演劇コーナーを担当。個人ブログ「プルサーマル・フジコの革命テント」。

【上演記録】
マームとジプシーコドモもももも、森んなか
横浜・STスポット(2011年2月1日-7日)

[出演者]
青柳いづみ 伊野香織 荻原綾 北川裕子 斎藤章子 高山玲子 とみやまあゆみ 召田実子 吉田聡子 大石将弘(ままごと) 大島怜也(PLUSTIC PLASTICS) 尾野島慎太朗 波佐谷聡

[スタッフ]
作・演出 藤田貴大
舞台監督 森山香緒梨/加藤唯
照明 吉成陽子
照明オペ 明石伶子
音響 角田里枝
宣伝美術 本橋若子
制作 林 香菜
共催 坂あがりスカラシップ(急な坂スタジオ・のげシャーレ・STスポット)
料金:予約2,000円 当日2,200円

主催:マームとジプシー
共催:坂あがりスカラシップ(急な坂スタジオ・のげシャーレ・STスポット)
協力:コツブ桃山城 NINGENDAYO. フォセット・コンシェルジュ PLUSTIC PLASTICS ままごと


「マームとジプシー「コドモもももも、森んなか」」への5件のフィードバック

  1. ピンバック: OKAT
  2. ピンバック: 横山 真
  3. ピンバック: Kazuaki Takamura

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください