国分寺大人倶楽部「ホテルロンドン」

◎退廃と欺瞞のむこうがわにある風景
 片山幹生(早稲田大学非常勤講師)

「ホテルロンドン」公演チラシ 劇場に入った瞬間から不穏な雰囲気に胸が騒いだ。ちらしの文字が読めないほど暗く照明が落とされた場内ではブランキー・ジェット・シティの音楽が大音量で流れている。舞台は対面式ではなく、三台のダブルベッドが劇場空間の三方の離れた場所に置かれていた。これが演技が行われる舞台となる。ベッドを中心にラブホテル内の三室が暗い会場内でぼんやりと照らし出されている。客席はこの三つの舞台の合間に設置されている。見上げるとミラーボールが光り、天井一面には女性の服や下着などが無秩序にぶら下がっている。BGMの音量がさらに上がり、ほとんど耳をつんざくような大音響になると暗転。芝居が始まる。

 客入れ時の演出で既に魅了され、施された仕掛けに反応して動悸がした。そして続く本編も客入れ時に高まったこの期待を裏切らない刺激的な舞台だった。重量のあるハンマーでがつんと後頭部を殴られたかのような衝撃を味わうことのできた舞台だった。

 場末にある古ぼけたラブホテルが舞台となっている。ホテル内の三室の様子がおおむね時系列に展開するが、各室で展開するエピソードに三室同時に展開する場面が時折挿入されている。三つの場での物語がその独立性を保ちつつ、巧みな連係によって互いに有機的に結び付き、現代の殺伐とした愛の風景が精緻なリアリズムによって立体的に描き出されていた。性の生態をリアルに生々しく描く手法や作品の持つ雰囲気はポツドールを強く想起させる。しかしポツドールにはない国分寺大人倶楽部独自の見せ方へのこだわりがある。そして劇団ホームページにある「愛 青春 死」という大仰で時代錯誤なテーマは、かなり倒錯的で屈折した表現を通してではあるが、今回の作品でもしっかりと表明されていた。

 三室のうち一室はダブルベッドは置かれているもののホテルの従業員の待機部屋になっている。ここでは派手で下品な住み込みの女性従業員とここ数年海外にいたという彼女の恋人の恋愛のエピソードが展開する。第二の部屋には高校教師とその元教え子のカップルが宿泊している。第三の部屋に泊まっている男は二十代前半の美大生、恋人の女性は男よりかなり年上である。

 台詞の作りの巧さと演出の繊細さが卓越している。男女間の愛のやりとりが内包する白々しい空気をこれほどまでにリアルに表現できるセンスは特筆に値する。客席は三つの舞台の合間に設置されているため、座る位置によって見え方はかなり異なったものになる。場合によってはベッド上で交わされている言葉のやりとりがよく聞こえなかったりもする。照明は三つの舞台の上でついたり消えたりしている。照明があたっていないときも各舞台上では同時に時間が進行している。時間はほぼ時系列で進行しているが、暗転のあいだにどれくらいの時間が経過したのかは明示されない。登場人物や状況に関わる情報は会話のやりとりから徐々に提供され、それが優れた効果を生み出していた。観客が舞台上の出来事の全体像を把握できないような障害が敢えて設けられている。あたかもすき間ごしに覗き込むかのように、観客には断片しか見えないし、断片しか知ることができない。こうした見えない部分の作り方が巧妙なのだ。トリッキーな構成の妙が作品を支配する不気味さとの相乗効果で奥行きのあるミステリー小説の趣を作り出していた。

 もっともこの見えない部分の処理は微妙なさじ加減が必要とされるところでもある。三つの部屋の登場人物と関わる黒幕的人物については個人的にはもう少し情報が欲しかったように思った。その存在が会話から示唆されるのだが、舞台上では演じられないこの黒幕をめぐるエピソードが私にはわかりにくかった。また台詞のリアリティや人物の感情の動きの表現の繊細さ、エピソードの見せ方の工夫は極めてよくできているのだが、展開に変化を与えるドラマの作り方にはぎごちない作為を感じる部分があった。リアリズム描写だけでは物語を動かすことは難しいのだが、この作品では非日常的事件の導入が唐突で、ハイパーリアリズムによる表現にうまくなじんでいないように感じられた。もっと日常的な現象に潜むグロテスクな闇を掘り起こすことでドラマを作っていくことも可能ではないだろうか。こうした不満点はいくつかあったものの、作品全体の面白さを考慮するといずれも取るに足らない瑕疵に過ぎない。

 作品には愛に対する作者の独特の虚無主義が漂っている。優れた演劇的創意と精密なハイパーリアリズムによって、ラブホテル独特のよどみと湿り気のある空気が再現され、男女の愛にある欺瞞と陳腐さが冷徹に明らかにされる。そこで描き出されるのは隠喩でも象徴でもないむき出しの愛の姿そのものだ。打算、嘘、虚栄心、むき出しの欲望、こうした愛についてのネガティブな側面がシニカルなユーモアとともに描かれていた。

 既に何度も性行為を重ねた男女がラブホテルで確認できる愛がどんなものであるかは明らかだ。そこにあるのは「愛」ということばを使うことがためらわれるほど生々しい欲望の惰性的なやりとりとなるだろう。この作品では場末のラブホテルは男女間の愛が本質的に内包する欺瞞を暴き出す無慈悲な仕掛けとなっている。作品は愛にまつわる偽善を毒づき、甘い感傷をせせら笑うような挑発的な諧謔に満ちている。しかし作品が描き出すリアルですさんだ情景のむこうがわに透けて見えるのは、「愛とは何か?」という素朴で、思いのほか真摯な問いかけだ。

 この作品では男も女も嘘をつく。男のつく嘘はおおむね卑劣でエゴイスティックな嘘だ。女は男の嘘に気づきつつも、それに気づかぬふりをして愛を演じ続ける。甘美な嘘に酔ったまま、刹那の夢を求め続ける。その健気さは痛切である。愛とは陳腐で白々しい猿芝居だと作者は毒づいているようにも思えるが、しかしこの欺瞞と陳腐さを乗り越えたところにこそ、本当の愛はあるのではないかと作者は問いかけているかのようでもある。

 愛を真っ直ぐに語ることはとても気恥ずかしいことだ。人を愛するとき、われわれは己のもっとも恥ずかしい姿を、制御不能となる己の心身を無様に晒してしまう。こんなもの、しらふで語ることができるものではない。『ホテルロンドン』では、リアルで露悪的な表現の錯綜の上に愛に対する幻滅が表明されるが、作者は現実の無残さをシニカルにただ嘲笑しているだけではない。この作品で用いられている演劇的な仕掛けの数々は、愛を巡る男女の「お芝居」の白々しさのなかで、使用済みのコンドームと脱ぎ捨てられた下着の殺伐とした風景のなかでこそ見いだすことのできる愛のリアリティへと収斂していくのだ。愛に対する嘲笑の裏側にある心理の機微を見落としてはならない。作者は愛を巡る表現のひねくれた格闘の果てに希望を見せている。愛について語るのは生易しいものではないのだ。

 本編上演後に『クルム伊達直人』という十分ほどの長さのおまけ作品が上演された。プログラムの注意書きにある通り「本編の余韻を著しく損なう恐れ」のある作品ではあったが、あのくだらなさの徹底ぶりは実に愉快だった。女優が意味もなくTシャツをまくり上げておっぱいのあたりをぽりぽりかく動作を繰り返すという馬鹿馬鹿しいサービスがとりわけ私は気に入った。本編であまりにも根源的で素朴な問題に真面目に応えてしまったという照れくささがあのおまけ演劇を生んだように私には思えた。
(初出:マガジン・ワンダーランド第231号、2011年3月9日発行。無料購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 片山幹生(かたやま・みきお)
 1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学ほかで非常勤講師。専門はフランス文学で、研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。ブログ「楽観的に絶望する」で演劇・映画等のレビューを公開している。

【上演記録】
国分寺大人倶楽部 『ホテルロンドン』
王子小劇場(2月23日-27日)

■出演 後藤剛範、加藤岳士(ジャズ)、えみりーゆうな(世田谷シルク)、信國輝彦、東谷英人、清水久美子、ハマカワフミエ、佐賀モトキ、浜崎仁史、大竹沙江子

■スタッフ
脚本・演出/河西祐介
舞台監督:伊藤智史
照明:保坂真矢(Fantasista?ish)
照明操作:松本有加
音響:田中亮大
舞台美術・宣伝美術:井上紗彩(国分寺大人倶楽部)
専務:梶野晴香(国分寺大人倶楽部)
演出助手:正岡美麻(劇団凸凹)
制作:会沢ナオト(劇団競泳水着)
協力:エー・ライツ、ジャズ、世田谷シルク、フォセット・コンシェルジェ、ひとつだプロダクションamo

料金:
【前売】2800円 【当日】3000円【中高生】20円(枚数限定、前売のみ、要学生証)
※日時指定・全席自由席

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