ジェニー・シーレイ演出「R&J」(ロミオとジュリエット)

◎“平等に、不平等”という希望
 安達真実

「R&J」公演チラシ
「R&J」公演チラシ

 舞台は、現代のとあるコミュニティーカレッジの一教室に始まる。「シェイクスピアを学ぼう」というテーマの講座が開講され、その初回には、多様な受講生達が集う。そこで、数年前まで女優をしていたという茜先生(金崎敬江)の「実際に演じてみるのが一番」との提案のもと、教材として『ロミオとジュリエット』が選ばれ、劇中劇として展開してゆく。

 多様な受講生達、と言ったが、まず姿形からして様々である。いわゆる障害者も含まれている。ろう者や、左手首から先の欠損者、身長110㎝の小人症の者、日本人もいれば、イギリス人もいる。多様なのは外見のみならず、ひきこもり気味で、親に申し込まれてしぶしぶ出てきた青年もいれば、逆にやや躁病的にアッパーなテンションの者もいる。役と同時に実際がそうである者と、単に役としてのみそうである者とが混在している。

 とにかくそのように、よんどころない状況なので、キャスト同士のコミュニケーションには口話の他に、手話、読唇、文字情報、外国語通訳などが必要であり、それは観客にとっても同じである。舞台上では常に、口話と手話が同時多発的に展開しており、ホリゾントには、講座のテキストとして『ロミオとジュリエット』の台本の文字情報が流されてもいる。それをバックにキャスト達が演じる様は、まるで人形劇か、飛び出す絵本のようにもみえる。が、決してそのように単純なものではない。

 それにしても、なにかがわからない、特に、誰かの心情がわからないという事態は、個人レベルにおいてなかなか重大な事件であり、大きな動揺を与えるものだ。

「R&J」公演の舞台写真1
「R&J」公演の舞台写真2
【写真はともに「R&J」公演から。撮影=金子由郎 提供=第11回 全国障害者芸術・文化祭 埼玉大会実行委員会
 禁無断転載】

 例えばこの作品には、筆者のように手話に慣れない者にとっては、その点で一時、意味が追いにくくなってしまう瞬間が差し挟まれている。手話の意味が、口話でも文字でもフォローされないシーンがある。すると途端に、蚊帳の外に置かれたように不安になって、懸命に意味を追い求め、追い付こうと足掻くのが人間の性だが、ふっとまた、作品世界に入っていく糸口をいつの間にか見つけている。この“わからない”のは“自分だけ”であるかのような一瞬の不安感・孤独感と、そしてそこからまた作品世界へとアクセスしていく糸口が、この作品においては、皆に“平等に”与えられていることに気づく。

 正確には、“平等に、不平等”だ。

 客席とフラットな舞台面に乗っているのは、シンプルで微妙に形の異なる多数の椅子と机のみ。キャスト自らがブルー暗転の中でセットしていく、そのパズルのような配置転換だけで、時空を飄々と行き来する空間構成。そして、キャストの役割が自在に入れ替わったり、かと思えば、同じ役が何組にも増幅しているといった演出も巧みに作用して、私たちは、“心許なさ”という壁の間を何度も行きつ戻りつしながら、不思議な魔法にかけられてゆくこととなる。

 まず、劇中劇が始まる前に、茜先生から受講生たちに配役が発表される。このときには原則一人一役が与えられ、中には複数かけ持つ者もいるが、出番の重複はない。しかし、実際に『ロミオとジュリエット』を演じ始めてみると、様々な不都合が生じる。普段から口話が達者で、手話はほとんど使わないと豪語していた乳母(大橋ひろえ)の発音が聞き取りづらい、だの、手話しか使わないジュリエット(中村ひとみ)とは掛け合いがしにくい、だの。受講生が各々の立場で、実に率直な文句や意見を言いだしては、劇中劇は中断する。その度に、例えばティボルト(高橋佑輔)が、先生に言われ嫌々ながら乳母の「声」を兼務することになったり、また、劇中劇では当初役を持たない先生が、「じゃあ私が」と、自らジュリエットの「声」をやりはじめたりする。そうして場当たり的に解決策を見出していく演出の中で、必然的に複雑な体制が組み上げられていく。

 しかし、中盤以降はそういった“断り”もほぼないまま、体制の複雑化は自然発生的に進み始める。“心もとなさ”という壁にびくつきながらも、この樹海のような作品世界に迷い込んだ私たちにとって、キャストの多様な姿形(異形)は、まるで辺りを照らす行燈だ。身長110センチのベンヴォーリオ(野澤健)は、親友ロミオ(身長差的にいうとロミオの脚)とふざけ、じゃれあう小動物のような無邪気さから一変。机の上に立ってその脚まで隠れる丈の長いガウンを羽織ると、たちまち威圧的で横暴なキャピュレットとなり、娘ジュリエットの行く手を阻み、暴言を吐く。また、キャピュレット夫人(山野茉璃乃)が、夫の背後から甘く絡みつける腕、手首から先を欠損したその左腕は、次の場に移ると、ロレンス神父の深い意志をもつ手として、激しく机を叩き、そして、ロミオとジュリエットが懸ける彼方未来を指し示す。

 そうして作品が進行していくにつれ、終盤にはもう、あの “心もとなさ”という壁は、すっかり溶解してしまったかのように、気にならなくなっているのだった。全篇通して手話のみを用い、音声としての言葉は一切発さないジュリエットの息づかいや、その手と手が激しくぶつかりあって立てる音の持つ、強固な表現力。跳ねるように活きのいい関西弁で若者たちの猥談を盛り上げていたマキューシオ(奥本真司)が、次第にロミオ(若菜大輔)の痛ましいほど一途な熱情に憑依されたかのように、実在から溶け出し、最後には静寂でたおやかな手話のみの感情表現そのものに昇華されてゆく大いなる変容。そういったすべてを、戸惑いも焦りもなく、各々の感じ方で自然に受け容れている自分自身の変化、何よりそれにこそ観客は驚かされるのだ。

 テキストを演じきると、ロミオとジュリエットは目を覚ます。舞台は、始まりの教室である。そこで幕が下りた時、客席には鼻をすすり上げる音と、目元を拭う姿があふれていた。…今体験したことは、一体何だったのか?

 万人に、一様に“わかる”ことなどないのだという、当たり前の切なさ。それでも、今、確かに“それ”を共有できたと、根拠なく感じられる刹那の歓び。人が、生まれ持ったというより、概して自らつくり上げたり、過剰に意識することによって肥大化させている“障害”が生む、不安と孤独。それらを見つめ直す試みと、痛み。そして、そのすべてを残らず抱えたままであっても、他者とつながろうとする、つながることができると信じる強い願い。“障害”とは、特定の誰かが持つものではなく、“わたし”と“あなた”との間に、人と人との間に横たわるものであることを、能書きではなく、生々しい体感として私たちは突きつけられるのだ。

「R&J」公演の舞台写真1
「R&J」公演の舞台写真2
【写真はともに「R&J」公演から。撮影=金子由郎 提供=第11回 全国障害者芸術・文化祭 埼玉大会実行委員会
禁無断転載】

 シェイクスピア悲劇の中でも、登場人物自身の性格というより、偶然や周囲の状況といった外的要因が、両者や周囲を悲劇的結末へと導いていく『ロミオとジュリエット』。それを軸に置くことにより、この作品は、社会的テーマ(時事的テーマとも言える)を絶妙な力加減で問いかけることに成功したといえるだろう。『ロミオとジュリエット』に特徴的な、過剰なまでの冗談や暴言、猥談的やりとりもまた、いわゆる“障害者”・“社会的弱者”の周囲につきまといがちな、“不謹慎”や“タブー”の概念を、軽々と転換させた。舞台芸術を通じてこそ、人間を、社会を問うことができることをも示す。そんな、まるで奇跡のような舞台だった。

 それらすべてが、ジェニー・シーレイ(Jenny Sealey)の純粋で美しい目論みである。いわゆる“障害”を補助する方法を、手段ではなく作品の要素として昇華する演出手腕は、類稀なものであり、そして彼女のもとでこそ見事に見出され、放たれたキャスト達の輝きに、筆者は目を見張った。嫉妬さえ覚えるほどであった。

 ジェニーは自身もろう者であり、身体障害のあるプロの俳優やスタッフによるイギリスの劇団、グレイアイ・シアター・カンパニー(GRAEae Theatre Company)の芸術監督を務める。創設者のネイビル・シャパンとリチャード・トムリンソンが、1972年に障害をもつ俳優とともに創った作品をコベントリーのカレッジで上演し、その活動を発展させ、1980年には正式にイギリスでも初の身体障害のあるプロの俳優、演出家による劇団として活動を開始した。1997年、芸術監督に、それ以前にも8年間劇団の中心的な女優として活躍していたジェニーが就任してからは、手話や音声解説を、作品を理解するための補助的要素としてではなく、作品の中の不可欠な要素、つまり、演出効果や芸術表現の手段として作品の中に融合させた手法を取り入れ、追求してきた。2009年MBE大英帝国勲章(第5位)授賞。2012年のロンドン・オリンピック・パラリンピック大会関連文化プログラム『Unlimited』のアーティスティックアドバイザー、パラリンピックのオープニングセレモニーの共同アーティスティックディレクターを務める。

 本作の上演に当たって筆者は、ジェニーの創作過程に興味をもち、2007年『血の婚礼』に続き企画製作を担った、NPO法人 エイブル・アート・ジャパンの厚意により、稽古場に足を運ぶ機会に恵まれた。稽古始め(初顔合わせ)は、本番の4週間前だった。ジェニーは本作のオーディション(応募総数332名)において、合格者全員を一目見た瞬間に「腹で決めた」と語っていたが、蓋を開けてみれば、相当にコミュニケーションに難儀するメンバーでもあったはずである。実際、ろう者であるジェニーの口話をイギリス手話と英語に、さらにそれを日本手話と日本語に通訳する必要があり、彼女の意図と思いを明確に汲み伝えることのできるスタッフ陣なくしては成立し得ない現場である。キャストからジェニーへの方向でのコミュニケーションも、またテクニカルスタッフとのやりとりも然りである。時間もかかる。

「R&J」公演の稽古風景1
「R&J」公演の稽古風景2
【写真は、「R&J」公演の稽古風景。いずれも 左から2人目が演出のジェニー・シーレイさん。
撮影・提供=安達真実 禁無断転載】

 しかし印象的だったのは、稽古場でのジェニーが終始明るく、包み込むようにひとりひとりを見つめる姿だった。例え、焦燥感や不穏な空気が流れても、「大丈夫、落ち着いて」「あなたが思うように、自由にやってみて」が口癖だった。そして、言葉よりもっと多くの、ハグをする。無論、本番は待ってはくれないのだから、ケアの精神だけでは作品は成り立たない。彼女が、ひとりひとりとこんなにも真摯に向き合いながら、同時に常に俯瞰で作品構成を捉え、さらに様々な角度からの“まなざし”を想定し、アクセスできる仕組みを緻密に考え続けられることに、筆者は舌を巻いた。このジェニーの驚くべき才能と、そして、作品と関わる全ての人への愛が舞台上で結実した瞬間に、筆者にはやはり、平たい表現に聞こえても仕方がない、“奇跡”という以外の言葉を見つけられないのである。

 稽古場からの帰り道にも、本番の帰り道にも、筆者の頭に浮かんで離れない1冊の絵本がある。シェル・シルヴァスタイン著『ぼくを探しに(原題:The Missing Peace)』である。丸い“ぼく”は、自分の欠けた部分を埋め合わせる、ぴったりの“かけら”を探して旅をする。“かけら”を見つけられれば、もっと上手く転がれるようになる、と考える。しかし、見つけたと思ったら、小さすぎたり、大きすぎたり。そしてついに、ぴったりの“かけら”と出逢う。だが結局“ぼく”は、自らの意思で、それに別れを告げ、欠けたままの“ぼく”で転がり続ける。

「いつまでも自分のMissing Peaceを追いつづける、というより何かが『ない』という概念をもちつづけることが生きることのすべてであるような人間は芸術家であったり駄目な人間であったりして、とにかく特殊な人間に限られる。」と、この絵本のあとがきにはある。大意に異論はない筆者だが、今ここに、一言添えてみたい。

「彼らが、ひとりで十分に魅力的だとは思っていない。ただ、この人とこの人が出会ったなら、組み合わさったなら、必ず素晴らしい“何か”が生まれると確信していた。」という、ジェニーの言葉を。

“平等に、不平等”であることの体感。それは、私たちの今を照らす、一筋の希望なのかもしれない。

【著者略歴】
 安達真実(あだち・まみ)
 福岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科 人文学専攻舞踊・表現行動学コース 博士前期(修士)課程修了。舞踊学会会員。 2004年『「脱ぐ」身体表現の位相―ストリップにおける踊り子の表現意識を巡って―』で新風舎出版賞ノンフィクション部門奨励賞受賞。アダチマミとして2000年よりソロ活動を始め、2005年に立ち上げた「アダチマミ×無所属ペルリ」で振付・演出・構成を手がける。2005年『トランポリンの上で殴り合い』で【ダンスがみたい!7 新人シリーズ3】批評家賞を受賞。ほかに『まな板の泳ぎ方』『大衆セルフ』などの作品がある。>> [アダチマミ×無所属ペルリ]
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/a/adachi-mami/

【上演記録】
ジェニー・シーレイ演出『R&J』(ロミオとジュリエット)-第11回 全国障害者芸術・文化祭 埼玉大会 演劇公演
彩の国さいたま芸術劇場小ホール(2011年10月9日‐10日)

演出:ジェニー・シーレイ
原作:ウィリアム・シェイクスピア『ロミオとジュリエット』
翻訳:松岡和子
出演:若菜大輔,中村ひとみ(大阪ろう者劇団鳳凰),大橋ひろえ(サイン アート プロジェクト アジアン),山野茉璃乃,野澤健(bug-depayse),奥本真司,高橋佑輔(立花演劇研究所),金崎敬江(miel),ジェ二・ドレイパー

舞台美術:杉山至+鴉屋
照明:岩品武顕(公益財団法人 埼玉県芸術文化振興財団)
音響:山海隆弘,金子伸也(以上、公益財団法人 埼玉県芸術文化振興財団)
衣装:川口知美(COSTUME80+)
縫製アシスタント:千葉朋栄
舞台監督:平井徹(公益財団法人 埼玉県芸術文化振興財団)
演出助手:倉品淳子(山の手事情社)
フライヤーデザイン:京(kyo.designworks)
コーディネーター:吉野さつき
稽古通訳:山田規古
日本手話コーディネーター:米内山陽子(トリコ劇場)
イギリス手話通訳:ジェ二・ドレイパー
制作助手:今井由希,宮本晶子
照明操作:阿部清二,斉藤温子,望月将樹,黒谷由香(以上、PAC)
音響操作:竹内和也,藤木理成(以上、PAC)
舞台部:森亨,野村久美子(以上、PAC)、宮武俊雄,村松徹(以上、フルスケール)
協力:株式会社 パシフィックアートセンター(PAC),有限会社 フルスケール
記録写真:金子由郎
記録映像:本間無量,岡本彰生
会場スタッフ:赤根舞,安達真実,小池美里,佐々木和恵,佐々木優佳,田中真実
アクセスデスク模型作成:佐々木和恵

主催:厚生労働省,埼玉県,さいたま市
共催:公益財団法人 埼玉県芸術文化振興財団
企画製作:NPO法人 エイブル・アート・ジャパン
運営:第11回 全国障害者芸術・文化祭埼玉大会実行委員会


「ジェニー・シーレイ演出「R&J」(ロミオとジュリエット)」への9件のフィードバック

  1. ピンバック: 川口知美(COSTUME80+)
  2. ピンバック: 無所属ペルリ
  3. 題材(『ロミオとジュリエット』)にしても舞台設定(教室)にしても、日常的に私たちがよく知っているものを扱いながら、読後に残るこの斬新さは何だろう?

    人という存在でとらえたとき、物事の表面的なものが取り払われてゆく。誰もが抱える不安、悩み、苦悩があらわになる・・・
    そこにあたたかいまなざしが向けられている批評だ。
    冷たいでもない、甘やかすでもない。適度な距離感を持って、
    しかし日々感じる確かな実感に基づいて”人”という存在が誠実に正確に描写されている。

    驚かそうとか不意をつこうとか、そういったしたたかさがない。
    こういう丁寧な道案内役(=批評)は素人には有難い。

  4. ピンバック: 川口知美(COSTUME80+)
  5. ピンバック: Asako HIROKAWA
  6. ピンバック: 中村ひとみ

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