ドイツ・タンツプラットフォーム2012

◎身体言語の可能性を追求
  岩城京子

ドイツ・タンツプラットフォーム2012
タンツプラットフォーム2012

 旧東ドイツの工業都市ドレスデンの中心地から二両編成の路面電車で北に7キロほど。丘上の温泉宿にでも向かうように山を登り、森をくぐり、果たして大丈夫だろうか、と自分の方向感覚にやや不安がよぎりはじめたころ、ようやく本年のドイツ・タンツプラットフォームの開催本部「ヘレラウ欧州芸術センター・ドレスデン」が建つヘレラウという町に到着する。ちなみにこの町は、かのル・コルビュジェが「ドイツ随一の芸術家により作られた素晴らしき町」と称賛したドイツ史上初の田園都市。巨匠建築家がそう言うのなら、確かに、まあ美しいのかもしれないが、こちらとしてはあまりそんなありがたみはなく、ただなにもないけど緑だけはふんだんにある呑気で小さな町にやってきたなと遠足気分である。そんな小粒な町にて、2月23日から26日にかけて、ドイツダンスの最先端を紹介するイベントは開催された。

 なぜこんな片田舎で、欧州中のダンス専門家が集結するプラットフォームが開催されるのか-。もっともな疑問だが、じつはこのヘレラウはただの田舎町ではなく、欧州舞踊史と非常に縁深い場所として知られているのだ。というのもヘレラウ欧州芸術センター・ドレスデンは、旧フェストシュピルハウス・ヘレラウとして親しまれ、約一世紀前の1911年に、日本でもユーリトミクス理論で知られる音楽教育家エミール・ジャック・ダルクローズが「School of Music and Rhythm」の拠点として利用していたことで有名なのだ。

ヘレラウ欧州芸術センター・ドレスデン
【写真は、ヘレラウ欧州芸術センター・ドレスデン 撮影=© Stephan Floss 禁無断転載】

 そんなダルクローズの聖地も、第一次大戦前までの短い命であり、第二次大戦中はナチスに占拠され(確かに、いかにもナチスが好みそうな左右対称な建物)、後にはソ連軍に利用され、2006年に改装されるまではほぼ半世紀ほど劇場として機能していなかった。生産性を重視する産業革命に反旗を翻し、奇抜な服装を控えアルコールも控え睡眠中は鼻から呼吸し口はしっかり閉めるべし、といった健康コードまで制定し「精神と芸術における人間的リズム」を取り戻すことを目的としてヘレラウという田園都市が設計されたことを考えると、殺人さえも効率重視の無機質な営為としたナチスの手に建物が渡ったことは皮肉としかいいようがない。いずれにせよ、かつてのダンスの殿堂をきちんと復活させようじゃないか、という声が最近になり有志からあがり、今回のタンツプラットフォームのようなアップ・トゥ・デートなイベントの開催劇場としてようやく利用されるようになってきたわけだ。

 このタンツプラットフォームは隔年ごとにドイツの異なる都市で開催される定期企画であり、そのとき旬のドイツダンスを欧州圏の舞踊専門家に共有の知的財産として紹介することを第一義的な目的としている。なんでも今年はその目的をかなり広く実現するため、ダンス組織の国際的ディレクター80人が会期中にドレスデンにごっそり招かれたそうで、この欧州崩壊危機の不況下においても保たれるドイツの屈強な文化経済力を感じざるをえない。なお言うまでもなく「プラットフォーム」=知の基盤提供、を目的化する当企画ではフェスティバルやビエンナーレのような特定の統一テーマは設けられていない。演目には、その年のプラットフォームの審査員であるダンス専門家たちが「いい」と太鼓判を押したものが単純に選ばれることになる。また当企画の共同オーガナイザーとして名を連ねる劇場が、のちのち猛プッシュすることで、プラットフォームへの追加参加が認められるケースもある。

 今年のプラットフォームでは、4日間にわたり、前述のヘレラウのほか、ドレスデン国立歌劇場、ドレスデン市立劇場、アン・デア・ローゲ、アウラ、の5会場で14演目が上演された。参加アーティストは、サシャ・ヴァルツ、ヘレナ・ヴァルトマン、クリストフ・ヴィンクラー、アントニア・ベアーといったドイツ人振付家たちや、ドレスデンにて長年活躍した経歴のあるメグ・スチュアート、現在はヘレラウのレジデンス・アーティストであるウィリアム・フォーサイスなどの外国人振付家たち。本稿では筆者が観劇した、クリトス・ヴィンクラー、マルー・エアランドゥ、アントニア・ベアー、ヘレナ・ヴァルドマン、サシャ・ヴァルツといった振付家たちの演目について紹介したい。

 まず初日にはドレスデン市立劇場に向かい、98年よりベルリンを拠点に活躍する振付家クリストフ・ヴィンクラーによる「Baader(バーダー)」を観た。これが身体表現として、非常に強度のある作品でおもしろかった。

「バーダー」公演から
【写真は、クリストフ・ヴィンクラー「バーダー」公演から。撮影=© Heiko Marquardt 禁無断転載】

 近年のドイツ・コンテンポラリーダンスではまずコンセプトが立案され、議論が敷衍され、その後、身体表現に適応される、といった順序で創作される。個人的にはそう見てきただけに、身体表現そのものをまっこうから取り上げたウィンクラーの創作方法に珍しく興味をそそられた。

 題名からもわかるとおり本作では、旧西ドイツの地下組織テロリストでありドイツ赤軍の創始者であるアンドレアス・バーダーの「悪」の要素を抽出し、その悪を別世代の別個人が「身体化」することで、どのように体現され得るかを追究している。舞台に登場するのは、おそらくまだ20代前半の若者で、美しい身体の持ち主である豪州人ダンサー、マーティン・ハンセン。彼が無音のなかひとり立ち、鞭打たれたときにみられる痙攣のように、ある種、舞踏的であり、ある種、ポッピング的であり、ある種、マーシャルアーツ的でもある動きを執拗にリピートしていく。そのムーヴメントは何回何十回と繰り返され、ハッハッという呼気が荒くなるうちに、彼の秩序的身体のなかで制御不能なエネルギーが増幅されてゆき、つまりは身体内でうごめく「悪のエネルギー」の波動が次第に大きくなっていくのがわかる。そのエネルギーはまるで、内側から美しいハンセンの身体を浸食していくようである。ただしその「悪」の表現が、情動一辺倒の汗臭い作品で終わらないのが、ドイツ・コンテンポラリーダンスの「ドイツらしさ」たるゆえん。中盤からハンセンは、テロリストを茶化すようなサングラスとかつらをつけピストルを構えるポーズをし、シミュラークルに溺れて本物感がどこにもないぺらぺらのタランティーノ映画のような、表層的なフェイク感をあえてムーヴメントから表出させていく。「バーン、バーン」と彼は発話し、まるで映画俳優のものまねをする子供のように鉄砲を撃つ動きを繰り返す。「悪」という概念も現代の若者の身体に宿ると「ヒップな商品」になってしまうのかもしれない -という感覚を覚えて60分の作品を見終えた。

 同日夜には、ピナ・バウシュ&ヴッパダール舞踊団の創立メンバーのひとりである、マルー・エロドゥによる「Irgendwo(英訳:Somewhere))をヘレラウ欧州芸術センター・ドレスデンにて観劇した。長い髪の女性たちが、前屈みになった男たちのでこぼこした背中を歩き渡り、腰に手をまわした男女が袖から登場し「喜」の感情だけを身にまとい舞台上を風のように走り抜ける。つまりはピナ直系のムーヴメントを、ヒップホップの動きを基礎動作にとり入れた若手ダンサーたちの肉体を使って復活させようという試みらしいが、これがあまり成功していない。振付家の悲しみ・老い・苦しみといった感情的脆弱さが、瑞々しく快活な若者たちの肉体にそぐわないことは一目瞭然。借りものの肉体に別の魂を無理矢理はめこんだ感が拭えず、ヒップホッパーたちも妙にポエティックな演劇性を求められ、やや困惑しているように見受けられた。

「Irgendwo」公演
【写真は、マルー・エアランドゥ「Irgendwo」公演から。撮影=© DianaKünster 禁無断転載】

 二日目はまず、アントニア・ベアー振付構成の新作「For Faces」をアウラにて。個人的には、これが会期中いちばんの当たり作であった。会場は、80人も座れば満員になってしまうパイプ椅子の即席円形劇場。客席は2列の輪となり、その中央でやはり円形になって座る4人の演者を眺めることになる。冒頭、長い完全暗転ののち、じんわり光が室内に滲みはじめると、観客の眼前には、目を伏せ、手を膝に、黒服で身を固めて座る2つの顔(背中あわせに小さな円を作って演者たちは座っているため、向こう側の2人の顔はこちらから見えない)が浮かびあがってくる。その顔はかなり厚手にドーランを塗られていることもあり蝋人形のように人工的である。そして明転後もやはり、観客は長い沈黙に晒されることになる。微動だにしない目をつぶった生者の顔を(死人の顔は別)こんなに長時間眺めるのは初めてだ。果たして彼らは生きているのか。そんな考えが脳裡をよぎったころ、彼らはゆっくりと目を開く。そして今度は、目を開いたまま動かない。

「For Faces」公演から
【写真は、アントニア・ベアー「For Faces」公演から。撮影=© Anja Weber 禁無断転載】

 目を開いたまま動かないとはいえ、ここで演者たちは、人としての生理的な現象として「まばたき」という動作をせざるを得ない状況に追い込まれる。そして十数秒に一回、さもそれさえも振り付けされたかのように、半振付的、半生理的に、「まばたき」を行っていく。観客はこのまばたきこそが、ベアーが「マイクロ・コレオグラフィー」と呼ぶ一連の振付動作の一つであることを認識する。そしてその構築されたムーヴメントを見逃すまいと目を見開き必死に演者を凝視する。だがその「見逃すまい」という意識の浮上により、自分たちもまた、まばたきをしなければならない生き物だ、という当然の事実を突きつけられることになる。まばたきをしているあいだ、人間の脳は一時休止しているため人にはまばたきの記憶がないと言われるが、この作品の最初の10分に限っては、観客はまばたきひとつひとつを自覚的に記憶させられることになる。そして、その行為により生じる身体的負荷にグッタリ疲れを感じていく。

 じつはドレスデンに到着する前日、広報担当者のメールにより本作の上演劇場の急な変更が告げられていた。前々日までの予定では、ドレスデン市立劇場のクライネス・ハウス(小劇場)での上演が決まっていたのだが、直前になりベアーが別会場を用意してほしいと申し出たのだという。だが実際に公演にのぞみ、ベアーの直前の采配が圧倒的に正しいことがよくわかった。舞台との距離が何倍も離れ、舞台と正面から向き合う形で客席が作られている従来の劇場構造では、本作の演出効果の多くが失われてしまうからだ。

 まず前者の、舞台からの距離に関して述べるなら、ベアーはおそらく本作で、動作学研究者のレイ・バードウィステルが「アイコンタクトが有用な距離」として定義する1.2メートルから3.6メートルの「ソーシャル・ディスタンス」を意図的に保っている。これ以上離れてしまうと「パブリック・ディスタンス」と呼ばれる、双方向の会話ではなく一方通行の発話となる、講演や講義の距離になってしまう。まちがいなくそのような遠距離では、まばたき一つの振付が有効に作用することはできない。さらにいえばパフォーマンス終盤には、演者たちがあらゆる顔筋を強烈に歪め、いわゆる「にらめっこ」的な、変な顔を形成してみせるのだが、そのとき、観客は突発的に内部から生じる笑いをどうにもこらえることができない。同じ生物の変形顔を見たときに生じるセレブラル(頭脳的)というよりヴィセラル(本能的)な破顔現象。これも客席距離が何メートルも離れていては、無理とは言わないが、同様の効用を発揮するのはかなり難しいだろう。

 さらに後者の、客の舞台に対する正面性というファクターに関して語るなら、ベアーの意図する「観客の身体性への負荷」が従来の劇場形態では半減されてしまう。もちろんプロセニアム型の劇場でも、まばたきひとつの音が聞こえてきそうな「沈黙の負荷」はそれなりに保たれるだろう。しかしこの強制された沈黙から生じるもう一つの負荷、すなわち、円形劇場の中央で演者がまばたきの振付を見せている際に、こちらが咳をしたり、足を組み替えたり、鼻の頭を掻いたりするわけにはいかない、という観客サイドへの「不動性の負荷」は(従来型の劇場では)保たれない。実際、本公演に赤いタイツを履き最前列で臨んでいた筆者は、観劇後、円形劇場の向こう側に座っていた観客に「あなたさっきの公演で私の目のまえに座っていたわよね。足を組み替えるたびに目がいったわ」と話しかけられ、「しまったもっと喪服的な色合いの服装を選ぶべきだった」と申し訳ない気持ちになった。と同時に、いやいやベアーの仕組んだ演出意図を相手に自覚化させたのだから良かったに違いないと考えたりもした。

 さて、ずいぶんベアー論が長引いてしまったので、その後観たヘレナ・ヴァルドマンとサシャ・ヴァルツについては寸評にとどめておきたい。

 まずヴァルドマンの「Revolver Besorgen」。90年代にハイナー・ミュラーらに師事し「演劇表現、舞踊表現がどう社会参画できるか」という議題をつねに考え続けてきたヴァルドマンはいまどうやら「老い」の問題に興味の矛先が向いているらしい。90年にローザンヌ国際舞踊コンクールのファイナリストに残り、のちにベルリン国立バレエ団のソリストとして活躍したバレエダンサー、ブリット・ロドムンドが舞台上にひとり立ち、ぼけて記憶もあやふやな老人の感覚を体現していく。とはいえ、別に舞台上で彼女はよぼよぼ歩いたりあやふやにしゃべったり、つまりは認知症の「ものまね」のようなことを行うことはない。あえてヴァルドマンは発話と身体を別要素として切り離し、何十年と連れ添った妻の記憶さえなくしてしまった夫のモノローグを背景音に、記憶がなくなってもなぜか白鳥の湖の『黒鳥のバリエーション』をオートマティックに繰り返してしまうバレエダンサーの身体をのせる。その踊りは「美しくみせよう」という認識から完全に切り離されたバレエであり、つまりはバレエの審美的尺度にのらないバレエ・バリエーションであり、なにかバレエではない別の表現として純化された美しさを感じた。とはいえ私は「認知症で記憶をなくすことは、人として純化されていくことであり、希望でもある」というヴァルドマンの仮説には、最後まで懐疑的なまま終わった。どんなに苦しく哀しく忘れたい記憶であっても、それらは自分が人生を必死に生きてきた証である。私は記憶の喪失を、希望だとは考えられない。

「Métamorphoses」公演から
【写真は、サシャ・ワルツ「Métamorphoses」公演から。撮影=© Sebastian Bolesch 禁無断転載】

 サシャ・ヴァルツの「Métamorphoses」は、2010年にベルリンのNeues Museum(New Museum)が竣工された際に、その新スペースとの「対話」のなかで創作された振付作品である。つまりは振付そのものを見せるというよりも、既存のダンス空間を、そこにある肉体によってどう変形させられるか、という劇場形態学的な実験がメインコンセプトに据えられている作品であり、ダンサー、演奏者、観客、の緊張関係がいろいろと試されていくことになる。例えば、開演前に場内に入るとバイオリン奏者たちがすでに、ハンガリーの現代音楽作曲家リゲティの曲を弾いている。観客は彼/彼女たちの演奏を邪魔しないようにそろそろと着席せねばならない。あるいは指揮者が客席3列目あたりに立ち、ステージ上で演奏する奏者たちを司り、ダンサーたちが踊りながら客席から登場したりする。やりたいことは分かる。だが劇場形態学的な実験を見せることを主目的とする作品を、その特定の場所から切り離して見せている時点で、作品の力量の半分が削がれている。身体表現そのものに目新しさはなく、2時間の上演時間のどこかで客の1/4が途中退席した。

 個人的にはコンテンポラリー・ダンスとは、第一に、身体言語の新たな可能性を追求すべきものだと考えている。だが、もちろんその他にもいろいろな試みがあって構わないし、ダンス界が視野狭窄に陥らないためにも、あってしかるべきだと思う。今回のタンツプラットフォームはそうした意味で、ダンス表現へのアプローチ手段として、政治、現象学、社会学、認知心理学、劇場形態学などを用いる可能性を示唆してくれ、知的にとてもエキサイティングであった。現在のドイツ・コンテンポラリーダンスの多彩さを思い知らされる数日間であった。

【筆者略歴】
 岩城京子(いわき・きょうこ)
 アートジャーナリスト。77年、東京都生まれ。86年から91年までニューヨーク在住。99年慶応義塾大学環境情報学部(SFC)卒業。在学中より舞台コラムを書きはじめ、現在はパフォーミング・アーツを専門にしたジャーナリストとして活動。世界14カ国で取材を行う。2010年、神奈川芸術劇場クリエイティブ・パートナー就任。2011年9月よりロンドン大学ゴールドスミスカレッジ修士課程演劇学科在籍。現在、東京とロンドンを拠点に和英両文で執筆活動。著書は、和英バイリンガル書籍「東京演劇現在形 – 八人の新進作家たちとの対話」(2011年)。

【上演記録】
DIE TANZPLATTFORM DEUTSCHLAND 2012(GERMAN DANCE PLATFORM 2012)(February 23 to 26 in Dresden)
>> プログラム

HOST: HELLERAU – European Center for the Arts Dresden
CO-HOSTS: euro-scene Leipzig / Hebbel am Ufer Berlin / JOINT ADVENTURES München /  Kampnagel Hamburg / Künstlerhaus Mousonturm Frankfurt a. M. / Tafelhalle im KunstKulturQuartier Nürnberg / tanzhaus nrw Düsseldorf / TANZtheater INTERNATIONAL Hannover / TanzWerkstatt Berlin / Theaterhaus Stuttgart

「ドイツ・タンツプラットフォーム2012」への11件のフィードバック

  1. ピンバック: 薙野信喜
  2. ピンバック: Kyoko Iwaki 岩城京子
  3. ピンバック: 高野しのぶ
  4. ピンバック: Maisel's Weisse
  5. ピンバック: 栄子
  6. ピンバック: w_kunihiro
  7. ピンバック: 門 行人
  8. ピンバック: 徳久ウィリアム
  9. ピンバック: 高山リサ

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