想田和弘監督「演劇1」「演劇2」

◎平田オリザの孤独と冒険
  水牛健太郎

映画「演劇1」「演劇2」のチラシ
映画「演劇1」「演劇2」のチラシ

 「演劇1」が始まって間もなく、平田オリザがホワイトボードに「イメージの共有」という言葉を書く場面があるのだが、私の記憶が確かなら、「メ」の字を書くときに平田はいきなり短い棒から書いて、私を驚かせた。続いて「共」では、上の横棒を書いてから縦棒を二本書くのが正しい書き順だが、平田は縦二本を先に書いたのだったか、横二本を続けて書いたのだったか。「有」の字は一番上の横棒を最初に書いて、本来最初に書くはずのはらいを次に書いた。

 私自身はほとんどの字で正しい書き順が身についているが(だから平田の書き順が間違っていることに気づいたが)、考えてみれば書き順というのは妙なもので、どうしてその通り書かなくてはいけないのか、理由が分からない。一般に「その通り書くと綺麗に書ける」とされているのだが、よく考えてみれば、それには何の根拠もないことに気が付く。もしそれが本当なら、書かれた字から、どんな書き順で書かれたか分からないとおかしいのだが、それは(画と画との間の筆運びが紙やボードの上に残っていない限り)絶対にできないはずだ。要するに、書き順というのは、何らかの歴史的な理由によって決まったのであり、今となっては守る理由のない精神論みたいなものである。

 一方、ここでの平田の書き順を考えてみると、正しいとされる書き順よりも速く書けることが分かる。平田オリザは、漢字を覚えた幼少期から、根拠のないものを本能的に嫌って、合理的に考え、行動してきた人なのだということを、この書き順は表している、と言ったら大げさだろうか。

 「演劇1」は平田オリザの活動を、青年団での稽古と公演に焦点を絞って描き出している。私にとって最も興味深かったのは、集団としての青年団のあり方だった。非常に風通しのいい、平熱の集団である。作品作りにおいても、それを支える経営・実務面においても、平田が中心にいて、それ以外の団員はフラットである。余計な力みや歪みがないため、演劇の上演という目的に向けて、機能的に動くことができるのである。

映画「演劇2」から
【写真は、映画「演劇2」から。© 2012 Laboratory X, Inc. 禁無断転載】

 これは簡単なようでなかなかできないことだ。大半の日本の劇団、に限らず民間企業やら教育や行政の現場は、わけの分からないことがたくさんあって、無駄に気を遣い、みんな疲れてぐったりしていることが多い。私に言わせれば、バブル崩壊後の日本の停滞の最大の理由は、日本の社会と組織の非合理性、もっとはっきり言えば成員の自由と自発性を奪う、秘められた暴力性である。

 だいたい部外者のカメラを何か月も受け入れることができるというだけで、青年団は、日本の組織としては例外的な強靭さを備えていると言ってよい。日本の多くの組織においては、体罰やいじめ、セクハラ・パワハラさえも決して一部の例外ではないし、それほどではなくても、内部では横行しているが外には知られたくない奇習めいたことがいくつもあって、到底あんな長期の綿密な取材には耐えられない。

「演劇1」の最後で、所属俳優の志賀廣太郎が60歳の誕生日を迎える。青年団の人たちは彼を「火宅か修羅か」の稽古の名目で呼び出して、サプライズの誕生パーティーを計画する。平田が段取りを指示し、志賀が到着するまでの間、団員たちは稽古からパーティーへとなだれ込む手順を確認したり、こっそり料理を準備したりと大忙しなのだが、この時、台所で若手団員の一人が、「志賀」と呼び捨てにする声が入っている。

 志賀は青年団の初期からの団員で、平田よりも十歳以上年上であり、俳優としての実績も申し分ない。団員の敬愛を集めていることも、このサプライズパーティの場面全体が表していると言ってよい。それでいて志賀は、旅公演では工具を持ってセットの建て込みにも参加するし、本人がいないところでは、撮影カメラがあってさえ、若手団員が気楽に呼び捨てにできる雰囲気がある。「志賀さんと呼べ」などという人はいないのである。青年団がどれほどフラットで風通しのいい集団なのか、あれほどよく表現している場面はない。

 こうした集団を作り、維持している平田オリザは、今さら言うまでもないが、大変有能な人物である。作品作りと実務の両面において、パフォーマンスのレベルが高いのは言うまでもないが、この映画を見ると、平田は極めて精神的に安定していて、一瞬の閃光を放つのではなく、長年に渡ってハードに働き続け、パフォーマンスのレベルを維持していることが分かる。それが平田を1990年代以降の演劇界における中心人物としている。

 平田の演劇界への影響は、作品によるものと人材の育成の二つの経路がある。劇作家・演出家、俳優、制作などの人材の育成は、システムとして青年団に組み込まれている。高いパフォーマンスを続ける平田と共に働き、作品の作り方、組織の回し方などを実地に学ぶことが、何よりの教育になることは想像に難くない。様々な場面が示すように、平田自身、教育者としての資質を持った人物なので、なおさらだろう。

 作品の影響としては、一般に「静かな演劇」と言われる方法論に従って作られる作品群が、90年代以降の日本の小劇場演劇にとってスタンダードとして機能していることが大きいと思われる。平田理論は、我々の日常生活における言動のリアリティを舞台上にどう再現するかという問題にかかわっている。それぞれの時代にそれぞれのスタンダードがあったに違いないが、平田理論は日本が高度成長をなし終え、社会的にも安定して、自分たちの生活を一定の満足をもって見直し始めた時代に対応して現れたものだと思う。

 ただ、その理論の説得力は日本国内にとどまるものではない。「演劇1」だったか「2」だったか忘れたが、ベルギーの演劇人たちが青年団と共同で「森の奥」を上演するために日本を訪れ、上演後にアゴラ劇場で打ち上げをする場面で、ベルギーの俳優の一人は、「ヨーロッパでは舞台上の会話に沈黙が挟まれることはない」と言いつつも、「沈黙が挟まれることに、不思議としっくりする感じがある」(大意)と話している。「静かな演劇」の様式で作られる会話は、ヨーロッパの演劇人にとっても、一層のリアリティを舞台にもたらすものとして理解されている。

 高い論理性と海外でも通用する普遍性。スタンダードとして申し分ない強度を備えながら、平田が作るような「静かな演劇」の様式をそのまま採用して作品作りをする若手演劇人はほぼ皆無であり、平田が育てた数多い後進の劇作家・演出家は平田理論を咀嚼しながらも、一人ひとり独自の様式を打ち出していく。

 それはなぜなのか。「演劇1」の稽古の場面は、その理由の一端を明かしているように思われる。「演劇1」に登場する稽古の大半はセリフの言い方に関するものであり、指示は「○○と××の間を切って」「△△という言葉をもっとゆっくり」等々、極めて具体的である。動きに関する稽古の場面はなかったが、俳優たちは、出入りのタイミングなどを秒単位で指示されていると語る。

 そして、その精緻さのレベルは、やはり平田の異能ぶりを表すものである。俳優たちは、秒単位の平田の指示に、自分で数を数えて対応しようとするが、長さにぶれがあると平田に指摘され、時計の秒針に頼るようになる。一方、平田自身の感覚にはほとんどぶれは見られないという。「何か独自の感覚があるのだろう」(大意)とある俳優は語る。

 時間の長さの感覚にしろ、セリフの言い方に対する感覚にしろ、誰にでも多かれ少なかれ備わっているものではある。しかし、平田ほど精緻に、かつ揺るぎなく、その感覚を備えているものはいない。その意味で、平田の演劇の様式の実現は、平田の異能ぶりに決定的に依存しているのである。

 平田理論は極めて見晴らしのいい、理解しやすい、また普遍性の高い理論である。こうした理論の存在は、若手の演劇人たちに広い展望を与える。その一方で、その実践において平田よりも精緻な感覚は誰も持ち合わせないため、平田以上の成果を挙げる可能性は閉ざされている。その事実は、若手演劇人を突き離し、独り立ちと独自性の追求を促すのである。この両者(広い展望と独り立ちの促し)が相まって、多くの若手演劇人を育てる効果を発揮するのではないか。

 平田は多くの劇作家・演出家を育てながらも、究極においては孤独な存在たらざるを得ない。おそらくそれは、劇団の運営においても同じことではないかと思われる。平田以外はみな同格というフラットな組織は、無類の風通しのよさと機能性を発揮するが、裏返して言えば、青年団には後継者たりうる「幹部」は(少なくとも今のところ)存在しないということでもある。もし平田が引退した後に「青年団」という組織が継続したとしても、それが平田の青年団と全く違う組織になることは避けられない。常に多くの人に囲まれ、物事の中心にいながらも、いや、むしろそれゆえに、徹底して孤独な存在。「演劇1」を見て、そんな平田オリザの像が強く印象付けられた。

映画「演劇2」から
【写真は、稽古場で眠る平田オリザ-映画「演劇2」から。© 2012 Laboratory X, Inc. 禁無断転載】

 「演劇2」は平田と青年団の政治とのかかわり、地方演劇祭(鳥取の「鳥の演劇祭」)への参加、海外(主にフランス)での活動ぶり、さらにロボット演劇への取り組みなどを描いている。一言で言えば、アゴラ劇場を飛び出した平田の冒険を描いていると言ってもよい。

 平田と民主党のかかわりは、劇場法の成立という大きな成果はあったものの、平田が参与として仕えた鳩山由紀夫という人の言動の不可解さもあって、ぱっとしない印象を残す結果になってしまった。「演劇2」の冒頭に置かれた民主党の若手政治家たちの「ヤルタ会談」の鑑賞会とその後の懇親会も、どうしてもそうした印象から自由に見ることができない。民主党の若手議員たち(テレビなどで有名な人が多い)はみな、見事なまでに爽やかであり、背が高いイケメンであり、平田や青年団の団員との受け答えもそつがないが、その引っ掛かりのなさがかえって、不吉なまでに上滑りな印象を与える。

 それと対照的なのが、「鳥の演劇祭」で平田が対峙する鳥取市長である。常に笑顔のペルソナで、わかってるんだかわかってないんだがわからない受け答えをする市長には、さすがの平田も翻弄され気味だ。しかし、冒険旅行に怪物との対決が付き物であるように、地方に飛び出せば、ああした政治家たちとの交渉は避けることができない。個人的には「演劇2」の中で、この鳥取市長と平田の会話が一番面白かった。地方の入り組んだ利害に鍛えられ、他人といかに「対話」せずに「会話」するかという意味で極めて熟達した政治家と、「対話」の必要性を唱える日本屈指の合理精神の持ち主との会話である。面白くないはずがない。

 青年団のフランスでの公演は観客の支持を得、大きな成果を挙げるが、ここでは俳優のギャラを巡り、すっきりしない交渉に巻き込まれる。パイオニアであるがゆえの苦労は、どこに行っても平田に付きまとう。

 「演劇2」は平田の冒険を通して、日本の社会と文化の可能性についてそっと探りを入れている。実のところ、日本の社会はかなりひどい所に追い込まれていると、私は思っている。

 ただ、そんな中でも平田は挑戦を止めないだろう。私はこれまでの演劇評論を通じて、常に平田を高く評価してきたなどとは到底言えない。平田と青年団のファンだとも全く言えない。しかし、平田の冒険に勇気づけられている。その恩恵を何らかの形で被っている。「演劇2」の最後に平田が眠り込んだ時、それは確かに、戦士のひと時の休息であるように、私の目にも映ったのである。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2011年4月より京都在住。元演劇ユニットG.com文芸部員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ma/mizuushi-kentaro/

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