八幡東区役所×のこされ劇場≡「鐵いろの狂詩曲(ラプソディ)」

◎八幡の街と人を寿ぐ
  廣澤梓

「鐵いろの狂詩曲」公演チラシ
「鐵いろの狂詩曲」公演チラシ

 隙あらば、何かやってやろうと機会を伺って、無邪気に企み顔の俳優たち。平均年齢は70歳を超える。

 よく晴れた空の下、会場である八幡市民会館前の駐車場で、車の誘導をしていた人も、それくらいの年齢だった。どちらにおいでですか、と声をかけられ、劇を見にこちらへ、と市民会館を指差すと、男性はすこし意外に思ったようだった。会場の大ホールに行くには階段を上る必要があった。古い施設のため、エレベーターはない。開演前には手すりにつかまり、スタッフに支えられながら一歩一歩歩みを進めるお年寄りの姿を目にした。そして、大ホールに入るとそこに集う人々のほとんども高齢者なのであった。

 後方の扉から場内に入ると、手前には落ち着いた赤い布張りの、備え付けの客席が整然と並ぶ。そしてすぐに、額縁舞台の様子に目を奪われた。舞台上にはパイプ椅子がこちらを向いてひな壇状に並べられ、即席の観客席が設置されていた。舞台の高い位置に掲げられた「川柳表彰式×演劇『鐵いろの狂詩曲』」の白い看板とともに、並んだパイプ椅子は照明を当てられてまぶしく光を放っていた。

 大ホールに入ってすぐのところで、スタッフの人たちが、今日は舞台上にも客席があって、あちらに座った方が劇がよく見えるからいいですよ、とやってきた人皆に声をかけていた。

 今までに見たことのない市民会館の姿に、入り口付近でまず驚きの声が上がる。スタッフの説明を受けて、何人かで連れ合ってやってきた人たちのほとんどは、その場で相談を始める。すぐに合意して嬉々として舞台に上がっていく人、渋る連れ合いに「せっかくやけえ」と説得をする人、なかなか決まらずしばらく立ち往生する人。あるいは話し合いの末いつもの席に座る人。どこに座るかを決めるだけでも、にぎやかだ。

 会場内のあちこちで顔見知りを見つけ、声をかけ合う姿が見られた。舞台上の客席と備え付けの客席は向かい合って設置されており、お互いに知る顔を見つけて大きく手を振る人たちもいた。

 八幡市民会館は、福岡県北九州市八幡東区にある。政令指定都市の中で最も高齢化率の高い北九州市。市の7つの行政区のうち、更に最も高齢化が進むのが八幡東区だと言う。

 そんな八幡東区による「上手な高齢社会の過ごし方のヒントを考え、高齢社会を明るく、元気に過ごしていけるまちづくりを進めるために取り組んできた『明“老”快活人生推進事業』」。その一環として、地域を拠点に活動してきた劇団のこされ劇場≡が依頼を受け、演劇ワークショップを始めたのが2012年3月のこと。ワークショップは区内にある祝町、枝光北、枝光南の3つの地域の市民センターで行われた。『鐵いろの狂詩曲』はその参加者21名によるたった1度きりの合同発表公演であった。

 区長による挨拶ののち、区内で募った高齢者の生活や介護にまつわる川柳「明“老”快活人生川柳」の優秀作品の表彰式が終わり、のこされ劇場≡主宰でこの作品の演出を手がけた市原幹也が舞台に上がった。2つの方向にある客席に向かって、せわしなく体の向きを変えながら、簡単に作品について説明を始める。

 この作品に台本はない。一文字も台詞を書いていない。というのは、俳優たちが「覚えられん」と言うから。演出家として行ったことは、こういうシチュエーションのときに、何を言うのかと俳優たちに問いかけること。すると、俳優たち自身の豊富過ぎる人生経験から言葉が出てくるので、それをそのまま台詞にしているという。だから「作・地域のみなさん」なのだ、と。

 八幡のみなさん、と呼びかけられ入場してきた俳優たちは、舞台上をぐるぐると周りながら、双方の客席に手を振る。舞台上にいる見知った顔に歓喜して、大きく手を振り返す観客も多く見られた。

 物語は演劇作業室紅生姜の山口恭子が語り部となり、彼女が演じる八幡に暮らす中原ゆりという女性が、2013年の3月現在から自分の家族の出来事を思い出しているとの設定で進行する。

 八幡東区の鉄工所で生まれ育った娘・とも子が上京し妊娠。子どもの父親である武蔵と家業を継ぐために八幡に戻ってくる。最初のうちは地域の人たちに反発される2人であったが、子どもの誕生も手伝って、徐々に地域コミュニティに受け入れられていく様子を描く。この夫婦をのこされ劇場≡の飯野智子と渡辺六三志が演じる。

 彼らを取り巻く地域の人々として、ワークショップ参加者の21名は登場する。市民センターごとに参加者たちは劇団を立ち上げており、3つのシーンをそれぞれに担当する。

 最初に、メンバーが女性だけの祝町「わいわい祝町」は、突然倒れたとも子の父の火葬場の待合室のシーンを担当した。集まった親族や鉄工所の従業員らはとも子が部屋を出て行った途端、「お茶が出とらんことぐらい分かるやろ」「気がきかん子やねー」と一斉に陰口を叩く。このやりとりに客席全体がどよめいた。身に覚えがあるのだろう、女性の反応が顕著だった。先に説明のあった、俳優自身によって生みだされた台詞がいきいきと表れていたシーンである。

 その他にも、とも子の妊娠のエピソードについて、やはり客席の女性の共感度は高かった。後にある、とも子が産気づくというシーンでは、その姿を見てはっとし、客席で互いに顔を見合わせて笑顔を浮かべる「お母さん」たちがいた。

 二つ目のシーンは枝光北「枝北一座」による。亡くなったとも子の父が務めていた、地域の環境美化委員に立候補するべく、夫婦で向かった自治会議。東京からアイドルを呼べば盛り上がっていいのではないかという、地域の祭りにとっておよそお門違いな提案をする武蔵であったが、その熱意を買われ、以来街の自治に関わるようになる。このシーンについては、後でもう少し詳しく言及したい。

 最後のパート、枝光南「劇団丼珍勘」はとも子の病院に駆けつけた武蔵と看護師、そして安産を祈願するべくあの世からやってきたとも子の父、祖母、曾祖母が登場する待合室でのやりとり。「新人」看護師としてミニスカートのナース服で歌い踊ったり、死に装束を身に着けての登場など、俳優たちが高齢者であることを生かしたネタのオンパレードとも言えるシーンだった。俳優本人と最もかけ離れた役を演じている人が多かったこのシーンで、俳優らが特にエネルギッシュに見えたのが印象的だった。

 2番目の枝北一座のシーンについてであるが、会議で発言する人たちの節回しが板についている、と思ったら、後から聞いたところによると、実は実際に地域において何らかの役職を持つメンバーが参加しているシーンなのだという。(そして、3つのシーンにはそれぞれの地域の市民センター長が参加していたらしい。)しかも、劇ではその役職を入れ替えるということが行われていたそうだ。

 実際に街でそのような職務を任される人物が、舞台上で会議をしている。普段の街での働きぶりを見知っている地域の人々にとっては、どんなに面白かったことだろうか。ちょうど私が観劇していた席の周辺には枝光北の人たちが集まっていたようで、やはりこのシーンで、その一帯が一番の盛り上がりを見せていた。

 私が東京周辺で観客として目にする演劇は、多くの場合、その俳優がいつもは何をやっているのかを知らない。でも、舞台で演じらているのはあくまで役であり、役者本人ではないことは分かっているから、その下に個人としての身体があることは了解できる。

 だが、この作品の場合、枝光北の俳優の普段の姿を、枝光北に住む観客は知っている。ここで役者個人と演じている役の間に、もうひとつのレイヤーがあることに気付く。それは地域において知られている人物像、つまり地域で担っている役割だ。

 観客が目の前の人間について何者であるかを知っているということだけであれば、学校の体育館で家の人たちを招いて行われる、子どもたちの演劇であっても同じことかもしれない。しかし、ここでの知っているということは、個人的なレベルではなく、その地域に住む人々によって共有されているということである。それは、地域で暮らすということを通して、可能になるものだ。

 同じように、俳優たち自身が地域において担っている役割は、地域で暮らすことによって獲得されたものである。とも子の父が務めていた環境美化委員は、地域においてある役職を経験しなければなれない職務であるそうだが(それゆえに武蔵の立候補は、嘲笑される)、彼の地域での働きがその役割を任されることを可能にしたのだった。

 枝北一座の俳優を知っている観客席の人々は、彼らと俳優の双方が枝光北で生活をしてきたということによって、俳優に現れている3つのレイヤーとその関係を味わうことができる。この作品はそういった共有する間柄でのみ成立する、地域の人々による、地域の人々のための演劇だ。

「鐵いろの狂詩曲」から
「鐵いろの狂詩曲」から2
【写真は、いずれも「鐵いろの狂詩曲」公演から。提供=のこされ劇場≡ 禁無断転載】

 それぞれの劇団によるシーンの後、ラストは3劇団共同で作り上げる。舞台上方に下りてきたスクリーンに八幡市歌の歌詞が投射され、音楽が場内に流れる。現在八幡市は存在しない。旧八幡市が合併によって北九州市になったのは、50年も前のことだ。そしてこの場所は「八幡市民会館」である。

 「♪八幡 八幡 われらの八幡市」俳優たちが歌いだすと、観客席からも自然と歌声が上がる。おそらく50年前までは、ことあるごとに歌われてきた歌である。そして50年間このように公の場では歌われることのなかった歌であろう。でも、体に染み付き、口をついて出てくる歌である。

 こうして旧市歌が歌われることで、50年間という時間が舞台上に、ホール全体に現れる。そこにいる人たちの多くは、実際に50年間を生き、その時間を体感している。それまでのシーンにおいて、3つの地域それぞれのコミュニティの中で共有されてきたものは、こうして旧八幡市のフレームで接続される。私のように八幡市歌を歌えない一部の者を除いて、いよいよ「観客」はいなくなった。

 その後、俳優たちは地域の歴史的な出来事を時系列順に次々に述べてゆく。例えば「1901年、官営八幡製鉄所開業」など。その間八幡で撮影された、当時の写真が次々にスクリーンに投射される。

「1958年、八幡市民会館完成」におおっと声があがる。地域に住む人にとって、ここもことあるごとに集ってきた場所なのだろう。開演前に見られた、手すりにつかまって階段をゆっくりと上るお年寄りの姿には、こうして昔からここを歩んできたという、親密さがあったように思えた。

 市民会館は旧八幡市の市政40周年を記念して建てられた、地域にゆかりのある建築家・村野藤吾による歴史的建造物である。また劇の会場である大ホールの他に、工芸・染色教室や美術展示室なども備えた複合文化施設である。地域の人々にとって市民会館は、常に身近にそこにあり、一緒にときを過ごしてきた。俳優によって紹介され、観客の声によって承認されたとき、この演劇の登場人物として「八幡市民会館」は現れてくる。

 やがて、その地域の年表の中に、次のような声が混ざってくるようになる。「19XX年、(俳優の名前)誕生」。地域の歴史の中に位置づけられた、俳優たち自身による誕生の宣言に、客席からは自然と拍手があがった。それは彼らがそこに立っていること、八幡の街で生きてきたことを寿ぐ拍手のように響いた。

【筆者略歴】
廣澤梓(ひろさわ・あずさ)
 1985年生まれ。山口県下関市出身、神奈川県横浜市在住。上演芸術に興味を持ち始めた大学在学中より一貫して観客に興味がある。2008年より百貨店勤務。2010年秋より「イチゲキ」を始める。2012年秋には「Blog Camp in F/T」に参加。2013年1月よりワンダーランド編集部に参加。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/hirosawa-azusa/

【上演記録】
八幡東区役所×のこされ劇場≡「鐵いろの狂詩曲(ラプソディ)」
八幡市民会館大ホール(2013年3月16日)
料金:無料

作:地域の皆さん
構成・演出:市原幹也

枝光南市民センター  劇団丼珍勘 (宮崎ハルカ、福本鈴子、武藤文子、荒木武、中西初美、片岡美千代)
枝光北市民センター  枝北一座(田中一昌、板山幸枝、近藤伸久、豊福和男、荒木恭子、鬼塚信子、山田鎮生、玉井晴子、中村玲子)
祝町市民センター わいわい祝町 (星隈康子、湊 庸子、藤田郁代、村岡町子、松田京子、末増順子)
飯野智子、渡辺六三志(以上のこされ劇場≡)、山口恭子(演劇作業室 紅生姜)

主催:八幡東区役所
共催:のこされ劇場≡

スタッフ/音響:大谷正幸(有限会社九州音響システム)
照明:岩田守((有)サム)
舞台監督:森田正憲((株)エフジーエス)
演出部:沖田都、塩津順子
制作/鄭慶一、山田夏帆


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください