万博設計「鮟鱇婦人」

◎落語と劇と一人の女優
 小泉うめ

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「鮟鱇婦人」公演チラシ

 「一世一代」というような言葉はいささか古めかしいが、今時この言葉を使うとしたら、このような時なのだと思う。万博設計「鮟鱇婦人」、それは女優・千田訓子の一世一代の一人芝居だった。観た者の心に刻まれて、これから長く語り続けられていくであろう。

 舞台装置は和室の一室を想わせるシンプルなもので、そこにセミの鳴く声が聞こえてきて真夏の様相を醸し出していた。風鈴がぶら下っているが開演時には風はないので音はしていない。照明は裸電球が一つだけ、寂しげに灯っていた。

 この劇は落語「死神」をモチーフにしており、冒頭そのクライマックスが立ち姿で演じられる。
 死神に案内されて一人の男が入ってくると、舞台は薄暗い洞窟になる。そこで男が見たものは、辺り一面に幾千本も蝋燭が灯っている光景だった。蝋燭の一本一本は、世の中の人間達の寿命そのものなのだと死神が説明する。
 生まれたての若い命の蝋燭は、長くて明るく灯っている。しかし、この男の蝋燭はと言うと、すっかり短くグネグネになって、今にも消えそうに青白い炎を上げていた。
 大劇場の商業作品ならば、それを豪華なセットで組むようなこともイメージできるが、
本作では語りのみで見事にそれを表現して、観客を落語「死神」の世界へ誘い込んだ。

 洞窟に連れてこられた男は、くしゃみをしてしまい周辺の蝋燭をまとめて消してしまう。それで、その一帯の人間達は死んでしまったということを死神から教えられる。現実社会でも時々感じることであるが、人間の生死はその人の善悪に関係なくやってくる。
 死神も人の生き死には、この程度のことで決まっているのだと男に語る。

 男には運や才能はなかったが、特に悪いことをしてきたわけでもない。「まだ生きたい」「死にたくない」と願い、生きながらえる方法を教えて欲しいと死神に頼む。死神が言うには、短くなった自分の蝋燭に、別の長い蝋燭を継ぎ足すことができれば、その寿命を再び伸ばすことが出来るのだと言う。
 それを試みてはみるが、蝋燭の炎は今にも消えそうで、それが自分の命であると分かっていると手が震えてなかなか上手く継ぎ足すことができない。

 死神が「消えるよ、消える。あぁ、消える。」と男を脅かしながら、おもしろおかしく命の終わりを見守るところでサゲとなる。そうして、あっさりと終る人生の儚さと、生きることへの切実さが伝わってくる。

 この劇の主人公「鮟鱇婦人」こと西由宇子は、父親を捨てて逃げた母親に連れられて育った。しかし、その母親も今は病に臥してしまっている。由宇子には家族を幸せにできなかった後悔があり、母を笑わせたいと願っていたが、そんな飛び抜けた才能があるわけでもない。
 ある時、出入りしていた寄席の落語家が演じる、この「死神」に魅了され、弟子入りを決心する。母を笑わせることができなくても、せめて人を笑わせられるようになりたい、「笑い死にの神」になりたいと願いながら、その一心で「死神」の稽古に励むことになる。

 この公演のフライヤーに寄せたメッセージで、名古屋の劇団オレンヂスタの作・演出のニノキノコスターが、「日本三大消えて欲しい同年代作演出家」として「柴幸男・中屋敷法仁・橋本匡」の名前を上げていた。
 互いに競い合い、認め合っている仲だからこそ言える冗談であると思うが、その才能に対して生じる羨望や嫉妬は、満更冗談だけで済まされるものでもないであろう。芸の道に生きる者たちの覚悟がフライヤーにも見てとれた。

 「鮟鱇婦人」を作・演出した橋本匡は、2005年から2012年に渡り「尼崎ロマンポルノ」という劇団に所属して、その作・演出を担当していた。2012年にはそれを解体し、新たに立ち上げたのが、この「万博設計」である。旗揚げ公演として、「爆弾と海」と「見参!リバーサイド犬」の2作品同時上演を行い、台本の公演前公開なども試みながら新たなチャレンジを模索している。

 橋本の戯曲は、いきなり観客を突拍子もない世界に連れて行き、現実・非現実の世界を往来させて、やがて現在私たちの目の前にある情景へと繋げていく。それによって社会と個々の人間が抱える問題を浮き彫りにして見せる。柴や中屋敷と比較すると、お洒落感は薄いしカッコ良くもない(あくまでも作品の話だ)。大阪という地域的な要素がそれを助長していることも否めないが、その世界はもっと泥臭く生々しく、そこから滲み出て来るものには「人間性」というより「人間味」という言葉が良く似合う。言葉選びも残酷なまでに鋭敏かつ辛辣で、耳から入っては聞いた者の心の中に容赦なく入り込んで、えぐり取っていくような力を持っている。

 落語の「死神」は、ヨーロッパの死神説話を三遊亭圓朝が日本風に翻案して作ったとされている。元となった作品はグリム童話の「死神の名付け親」やイタリアの歌劇「クリスピーノと死神」などとも考えられており、古典落語の名品でありながら、どこか新しさや西洋的な雰囲気も感じる不思議な印象のある話である。
 橋本は、これを劇中劇のように劇中落語の形で、10人の登場人物からなる一人芝居に仕上げた。

 演じた千田訓子は5歳でバレエを始め、中学校で演劇部に入り、日本ミュージカル研究会やピッコロ演劇学校を経て、「立身出世劇場」、「リリパットアーミー㈼」といった劇団で活躍してきた。関西演劇界の叩き上げ的存在の一人である。2012年からは劇団を離れ個人での役者活動を始めており、「万博設計」旗揚げ公演にも出演している。「何か面白いことやって見せて」と言えば、いくらでも引き出しは持っている女優である。

 だがこの落語の醍醐味は、ただ面白いことをやり続けるのではなく、抑えて抑えて話を進めて行き、最後にニヤリと笑わせる。それは「死神」と「鮟鱇婦人」に一貫している種類の「笑い」であるが、とても渋みのある「笑い」で、演じる方にしてみれば極めて難しい仕事であろう。
 六代目三遊亭圓生も「死神」という演目について、「題名からして陰気で、あまり深刻にやると陰気になり過ぎる。前半で死神に会って医者になり裕福になっていくあたりは、特にとぼけて陽気に話す。けれどもサゲのところは、凄みがなければいけない。」と語っている。

 「最初は17歳の何もできない処女だった」という台詞で由宇子は紹介される。これは千田が最初に所属した劇団「立身出世劇場」で出演した初出演作品で、「処女やからこの役はできへん」と言われた逸話の引用らしい。
 ホントかウソか、それで千田は女癖の悪い男のところに「抱いて下さい」と言いに行ったという。だが、その男が意外と良い男で、「自分を大事にしなさい」と言われて帰されたらしい。

 聞くところによると今回の稽古の間も、千田は「劇が上手くなりたい、劇が上手くなりたい」と稽古場の床を、駄々をこねる子どものようにゴロゴロと転がり回ってもがいていたという。もちろんそれはすべての役者の欲望であるとは思うが、既に中堅からベテランと呼ばれる域に入って、いまだに人目も気にせずゼロベースで稽古に取り組む姿勢があるのだろう。
 千田は自分のやっていることを「演劇」とか「芝居」とは言わない。周りの演劇人はそれを聞いて「子どもか?!」と笑っているが、彼女にとってそれは演劇部や演劇学校で始めたことと何も変わらず、今も「劇」なのであろう。もっと楽に生きる方法はたくさんあると思うが、この女優は完全に「劇」に憑りつかれているようだ。
 千田にとっての「劇」と、由宇子にとっての「落語」が、物語を通して少しずつ重なっていき、千田と由宇子が一つになっていった。

 由宇子は弟子入りしたものの、一向に落語は上手くならない。ただ時間だけが過ぎて行き、やがてはその若さも衰え始める。
 そんな時、若さを保つためには鮟鱇鍋が良いという話を聞き、由宇子は後輩に鮟鱇鍋を作らせ、毎日ひたすらそれを食べ続けるようになり、鮟鱇婦人と噂されるようになる。
 由宇子からも語られたが、鮟鱇という魚は「七つ道具」と言って、骨以外は捨てるところがなく、すべての部位が食べられる。「死神」を話すのにも、「鮟鱇婦人」を演じるのにも、同様に無駄がなくバランスの取れた芸が要求されることの暗示にも見えた。

 ここでの演技は、正座して落語の所作を取り入れている。小道具を使わずに見立ての演技だけで、それをフゥフゥ言いながら口をいっぱいにして貪りつき、およそ女性の食事とは思えぬ姿で骨をせせる。まるで関取が「食べることも稽古」と言いながら、食事をするかのような光景だった。ただ「落語が上手くなりたい」、そのために「若さを保ちたい」という一心で鮟鱇鍋に喰らいつく姿を見せる。

【写真は「鮟鱇婦人」公演から。撮影: 橋本匡 提供:万博設計 禁無断転載】

 劇場は通路も埋まるほどの満席で、熱気にむせ返っていた。重ねの着物姿で演じている千田からは汗が滴り落ち、大きな動作ではそれが照明の光を浴びながら飛び散る。その様は鬼気迫るものがあり、客席も前のめりになって、もはやその一挙手一投足に目が離せなくなくなっていた。舞台と客席の境界線で、音を立てて電流が走るような状態が上演を通して続いた。

 由宇子の「死神」はネタとして少しずつ固まってくるものの、なかなかそれを極めることはできない。苦労を続ける由宇子を見かねた公演先の由宇子贔屓の社長は、別のネタを演じることも進めるが、由宇子は「死神」以外できないし、「死神」以外やりたくないとそれを断る。
 病気の母が、自分の演じる「死神」を見たいと待っている。自分の話す「死神」を聞かせたい。由宇子の動機づけはそれを拠り所にしており、だから別の演目では意味がないと狂気じみた拘りで「死神」を稽古する。

 劇の後半で、落語「死神」に出てくる男と「鮟鱇婦人」由宇子の人生も重なり始める。
 そもそもこの男は、ろくに稼ぎも無く女房には愛想を尽かされ、もう死のうと思っているところだった。そこに死神が現れて、「お前に死神の姿が見えるようになる呪いをかけてやる。もし、死神が病人の枕元に座っていたらそいつは寿命が尽きかけているので助からない。反対に足元に座っていたら助かるから、呪文を唱えて追い払え」と言って消えた。

 男はその方法を使って医者として有名になる。ある時、大店のご隠居の治療を頼まれて行ってみると、困ったことに死神は枕元にいる。金に目がくらんだ男は死神が居眠りしている間に布団を半回転させ、死神が足元に来たところで呪文を唱えてたたき出した。
 そして、大金を受け取り大喜びで家路を急ぐ途中、男は死神に捕まり蝋燭が揺らめく洞窟へと連れて行かれたのだった。

 裸電球に照らされているだけの舞台上が、映像作品の技術効果のように次第に歪んで見えてくるような感覚に陥る。風鈴が鳴り響き、セミが鳴き狂う。このような演出が橋本の真骨頂であり、千田は身を呈してそれに応えていた。由宇子の命の蝋燭がグネグネになって消えてしまいそうになるのが目に浮かぶような光景だった。
 「一生をかけたものが、つらつらと流れていく。」「名前を覚えてもらうのは、あんなに時間がかかったのに、忘れられるのは簡単。」と芸の道の厳しさを語る言葉が胸に突き刺さる。
 それでもその道を進んでいく、演じることに憑りつかれた人間のどうしようもなさは、痛々しく気の毒でもあり、同時に輝いて羨ましくもある。「自分が笑いたい」「いっぱいいっぱいになりたい」という台詞が、稽古場を転がりまわっていたという千田の姿を想像させ、同じ人間に見えた。少なくとも、間違いなく同じ種類の人間である。

 「こう考えたら良い。蝉の地上での時間よりも長い時間を貰った。」と、由宇子は気持ちを切り替える。蝉は何年も土の中で過ごし、ほんの一週間ほど成虫として地上に出て短い夏を過ごして死んでいく。修業時代の厳しさと、脚光を浴びることのできる時間の儚さはそれに似ている。
 物語の最初に鳴いていたミンミンゼミの声が、エンディングではツクツクボウシの声に変わる。一人の女が芸にかけた生涯が、セミの成虫の短い夏のように、あっという間に終って行った。

 これまで千田は一人芝居を絶対にしたくないと思っていたらしい。そもそも演じたいと思ってもなかなか機会を与えられるものではないし、機会を与えられたからと言って簡単に演じられるものでもない。
 しかし、万博設計の前作「見参! リバーサイド犬」で、彼女は役者人生の中でも稀な長台詞を語りあげていた。その時の克服感と達成感が背中を押したのかもしれない。「今しか出来ないかもしれない」そして「今なら出来るかもしれない」そう思って、この劇に挑戦したのではないだろうか。

 これまでにも優れた一人芝居はたくさん観てきたが、一人の役者の劇に対する姿勢とそれにかけてきた生き様をこれほどまでにストレートに感じ取れるものは観たことがない。客席には役者の姿も多かったが、この演技には多大なる刺激を受けたことだろうと思う。
 できることならば、もう一度観たい劇であるし、また多くの人に紹介したい劇であった。しかしそれは、たったの3回の公演で終了した。これだけの内容があれば、これをもって日本中を巡演すれば、それだけで一生の飯のタネにもなるのではないかとも思う。
 だが最初から橋本と千田は「再演無し」の条件で本作に取り組んでおり、諸々の状況を鑑みると千田がこれを再演することは二度とないであろう。劇の観客は、しばしばその作品の証人でもあると感じるが、この作品については特にそれを強く思っている。

 証人の数は少ないが、観た者は興奮して口を揃えるかのように「凄いものを観た」と言いながら劇場を出て行った。観劇を続けている人々の中で、「あの時のあれを見ているの? 羨ましい!」という会話を聞く機会はしばしばあるが、この劇もその観客たちによってこれから何かにつけて引き合いに出されては語り継がれるだろう。
 観劇してから4か月以上が経った年の暮れではあるが、やっと私も冷静に振り返れるようになれたというのが正直なところであり、それと同時にこれだけの記憶が残っていることもその証拠となるだろう。そのことを「どうしても書いておきたい」と思い記録させて頂いた。
(2013年8月11日14:00の回観劇)

【筆者略歴】
小泉うめ(こいずみ・うめ)
 和歌山県出身。兵庫県在住。会社員。観劇人。全国を転々と旅する人生の傍ら、ジャンルや規模の大小にとらわれず舞台芸術に触れ続けている。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/koizumi-ume/

【上演記録】
万博設計「千田訓子一世一代一人芝居『鮟鱇婦人』」
ウイングフィールド(2013年8月10日-11日)

作・演出:橋本匡

出演:千田訓子

美術:サカイヒロト(WI’RE)
照明:加藤直子(DASH COMPANY)
音響:近松祐貴(オリジナルテンポ)
小道具:伊藤由樹(工房黒猫ハグルマ)
舞台監督:田米克弘
宣伝美術:名原佑果
宣伝美術撮影:降矢菜採
制作:今野恵子
制作協力:出之口愛実
企画協力:松尾晃典

料金
一般 前売り・当日2,200円
学生 前売り・当日1,500円
ペア割 2名以上で予約の場合、1名あたり2,000円に割引


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