連載「もう一度見たい舞台」第1回
遊園地再生事業団「ヒネミ」

 小説、美術、映画、音楽など他の芸術ジャンルと比べたとき、舞台作品は後に残らないのが特徴と言える。他ジャンルが時を超えた形で鑑賞され、またその傾向が一層強まっているのに対し、舞台は非常に不完全な形でしか記録を残すことができない。かつて無数の公演が行われてきたが、DVD等で残っているものはほんの一部であり、また映像が残っていたとしてもそれは実際の公演とは全くの別物である。ワンダーランドも劇評を通じて貴重なアーカイブとしての役割を果たしているが、取り上げられる作品はほんの一握りである。
しかし舞台の「記録」「記憶」を後に残すことは貴重である。表現の様式や内容などのアイディアを残すことは、未来の創造につながる土壌となる。
わたしたち演劇を見るものひとりひとりの中にある記憶を呼び覚まし、舞台というものの魅力に目覚めた作品、光を放つ作品を取り上げることで、明日の舞台への橋渡しをしたい。また、知られざる素晴らしい作品の再評価につながれば、とも思う。原則として毎月1回、定期的に掲載していきたい。(編集部)

◎「地図」は書き換えられるか
北嶋孝

戯曲『ヒネミ』表紙
戯曲『ヒネミ』の表紙

 遊園地再生事業団「ヒネミ」公演の初演は1992年、再演は95年だった。初演作品が、第37回(1993)の岸田國士戯曲賞を受賞した。同時受賞は、柳美里「魚の祭」だった。
再演後に出版された戯曲『ヒネミ(新版)』(1996年)のあとがきによると、再演は初演の台本を随分書き直したらしい。ぼくは初演も再演も見ているが、記憶は曖昧で、どこがどう違ったかは当時もいまも判然としない。しかし、遠い彼方の記憶から浮かんでくるのは、初演で主人公の佐竹健二役だった温水洋一の立ち姿である。ほかに深浦加奈子や山崎一、手塚とおるらが出演しているけれど、温水の印象がほかの俳優を押しのけている。

 舞台では最初から、近所のおじさんや友人たちが佐竹の家に集まるともなく集まって、ゆるいおしゃべり調の会話が交わされていく-。

 ネズミを駆除しているらしい「西川」さんは再演で顔を出すけれど、ハーモニカを吹く「説森」さん、佐竹の父タツジ、長靴を探す女らは初演にも再演にも登場する。やがて佐竹の子ども時代、兄ゲンイチロウが一緒に伝説の「森」に入り、やがて遺体で見つかった過去が浮かんでくる…。

 こう書くと、中世ヨーロッパの「ハーメルンの笛吹き男」を思い出す人がいるかもしれない。しかしこの伝承のように、ネズミ駆除の報償に絡むエピソードは出てこない。公演を見終わったあとむしろ、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を思い浮かべた。「世界」に馴染まない人々が暮らす辺境、リアルを映し出す神話空間のイメージをヒネミの「森」に感じたのだ。

 物語の表層はそんなだらだらした感じで流れつつ、折々、子どものころに育った土地、日根水(ヒネミ)のエピソードや、そのころの地図を思い出しながら描くシーンが差し挟まれる。記憶の地図は絶えず過去と現在を往還しながらシャッフルされ、書き換えられていく…。これが物語の縦糸だった。

 舞台の終わり近く、佐竹は子ども時代に森で起きた事件の真相にやっとたどり着く。そのとき背を丸めて立っていた彼の姿が記憶に焼き付いて離れない。唇は半開きで、遠くを見るともなく見ている。「茫然」が人間になるとこんな感じ、と言えばいいのだろうか。温水のキャラクターによく似合うのだ。それとともに、空白の過去が浮かび上がり、驚きと納得の感情が交錯して、しばしモラトリアムに陥っているその表情が、80年代のバブルが醸し出す余韻に包まれているようであり、あるいは繁栄が引きずる薄い影のような印象だった。そのミステリアスで痛切なシーンに心動かされたのは確かだった。

 それだけではない。ぼくは以前、「ヒネミ」に触れてこんなことを書いている。

遊園地再生事業団「ヒネミ」公演は初演、再演とも記憶に残る舞台だった。地図を手がかりに消えた町を次第に掘り起こすスリル。最後にたどり着く一点を言わんがために、数多くのエピソードを散りばめて森の闇をさまよう物語手法。80年代の泡立ちの底に沈んでいた記憶の静謐なたたずまいはゾクッとするほど鮮やかで、構成は熟達の域に達していた。
(クロスレビュー「ニュータウン入口」、2007年10月14日)

 初演でも再演でも、最後の一片を嵌め込むために、数多くの小片を敷き詰めるジグソーパズルの地図を思い浮かべてしまった。「最後にたどり着く一点を言わんがために、数多くのエピソードを散りばめて森の闇をさまよう物語手法」は矛盾する言い方になるけれど、空回りの重さとでもいうのだろうか。長々と空転覚悟で探り続け、尺取り虫のように真相に近づくための避けられない手法だったのだ。

 作者の宮沢章夫は「あとがき」で「(初演の)さらに一年半後、今回、本書に収めた、新しい『ヒネミ』を書いた。(中略)かなり書き直したもので、それは、またべつの新しい地図を書く作業だと思う。(中略)私が描いた一枚の地図も、二年という時間のあいだに変化してゆく。それはやはり、つねに更新されてゆく白い地図だからだ」と述べている。

 今年3月、遊園地再生事業団は「ヒネミの商人」を20年ぶりに再演する(座・高円寺、2014年3月20日-30日)。「ヒネミ」初演の翌年の舞台、「ヒネミ」シリーズ第2作である。どうして20年ぶりに取り上げるのが第1作「ヒネミ」ではなく、その後に書かれた「ヒネミの商人」なのかは分からない。その公演も観劇を予定しているけれど、その前後に上演された「ヒネミ」が「つねに更新されてゆく白い地図」なら、いまの時代に、あらためて更新される「地図」を見てみたい。当時の作品には、80年代の浮遊感覚がうっすらとインストールされていた。さて、20年余り経って、どんな「地図」が現れるだろうか。そう思うのは、ぼくだけではないだろう。
(2014年2月12日掲載、2月14日補筆修正)

【上演記録】(宮沢章夫『ヒネミ』から)
▽遊園地再生事業団#2「ヒネミ」(初演)
渋谷シードホール(1992年11月27日-12月8日)

作・演出 宮沢章夫
出演
佐竹ケンジ=温水洋一
佐竹タツジ=林和義
ノブ=布施絵里
ゲンイチロウ=伊勢志摩
ケンジ=安彦麻理絵
タキコ=深浦加奈子
説森=山崎一
新井=手塚とおる
ヒネミ=中井耀子
長靴を探す女=植村結子

挿入歌 「青い石の伝説」(作詞=宮沢章夫、作曲=桜井圭介)

スタッフ
作曲=桜井圭介
舞台監督=比嘉正哉
舞台監督補=永田理子、笠松具枝、松本英明
照明=倉本泰史(エアー・パワー・サプライ)
音響=サウンド・キャラウェイ
宣伝美術=江野耕治
制作=宮沢こず江・シードホール
制作補=赤島昌江・高橋由美子
協力=服部准・(株)プロダクション・人力舎、(株)ギュラ、(株)4/g、(株)シリーウォーク、大人計画、メノジ百科
衣装協力=尾島千夏子

▽遊園地再生事業団#5「ヒネミ」(再演)
藤沢市湘南台文化センター市民シアター(1995年1月21日、22日)
新宿紀伊國屋ホール(1955年1月25日-29日)

作・演出 宮沢章夫
出演
佐竹健二=山崎一
佐竹タツジ・江口=大杉漣
ノブ・紀子・小間使いの女=布施絵里
ゲンイチロウ・佐々木=伊勢志摩
ケンジ=衛藤晶
タキコ・野口理子・女=深浦加奈子
説森・倉橋修五郎=村松克己
新井・橋本・燭根=中村有志
ヒネミ=鈴木薫
西川・中平=徳井優
砂原・武井=宮川賢、佐伯新、代崎明朗、黒田訓子

スタッフ
作曲=桜井圭介
舞台監督=森下紀彦
照明=坂本理人
音響=半田充
舞台美術=加藤ちか
舞台装置=C・MOS
衣装=今村あずさ
小道具=武藤晃司
宣伝美術=坂本志保
宣伝写真=小木曽威夫
演出助手=山名宏和、大野慶助
舞台監督助手=橋本加奈子
音響助手=野末智美
制作=高橋暢子、井上晶子、浜田和枝
助成=芸術文化振興基金、財団法人セゾン文化財団

【筆者略歴】
北嶋孝(きたじま・たかし)
1944年秋田市生まれ。早稲田大学文学部卒。共同通信社文化部、経営企画室などを経てフリーに。編集・制作集団ノースアイランド舎代表。80年代後半から演劇、音楽コラムを雑誌に寄稿。TV番組のニュースコメンテーター、演劇番組ナビゲーターも。2004年創刊時からワンダーランド編集長を務め、2009年10月から編集発行人、代表。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitajima-takashi/

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