ままごと「港の劇場」

◎演劇と生活を結ぶ光—小豆島・坂手港の劇場—
 落雅季子

チラシふたたび小豆島へ

 昨年開催された瀬戸内国際芸術祭の一環であった「醤の郷+坂手港プロジェクト」。ままごとはその参加アーティストとして小豆島の坂手港エリアで滞在制作をおこなった。2010年の岸田國士戯曲賞受賞以後、東京での活動ペースを抑えていたままごとが長期滞在の場所に選んだのがどんなところか知りたくて、私が初めて小豆島を訪れたのが昨夏のことだ。

 それから一年。坂手地区では今年もアーティスト・イン・レジデンスや展示が続けられており、ままごとメンバーも7月から9月にかけて断続的に滞在をしていた。昨年見た小豆島の風景や、そこでパフォーマンスしていた彼らの開放感あふれる表情が忘れがたく、今年9月、私は再び島を訪ねることにした。

 今回は、ままごとメンバーの滞在しているエリエス荘という施設に一緒に宿泊させてもらい、公演以外での彼らの島の人たちとの交流をじっくり見つめることができた。その中で感じたままごとの活動の意義を、あらためて書いてみたい。

港の劇場

 エリエス荘は、坂手港のすぐ側に建っている。昨年の「醤の郷+坂手港プロジェクト2013」参加アーティストのための宿泊施設として使われた場所で、今年も同様にクリエイター・スタッフ向けに開放されていた。

 港の劇場の朝は、7:30の『そうめん体操』から始まる。フェリーが到着するこの時間、港前広場に設置された巨大なモニュメント、ヤノベケンジの『スター・アンガー』のもと、名児耶ゆり、端田新菜らの号令にあわせ、集まったみんなが体操する。フェリーで到着したばかりの人も、彼女たちのチャーミングなホスピタリティに引き寄せられて、輪に加わったりしていた。

 『赤い灯台』は、昨年春に初めてままごとが小豆島を訪れた時から上演されているおさんぽ演劇である。坂手の町で育った青年、柴幸男が、10名程度の観客を引き連れて、初恋の少女のことを話しながら町をめぐる。小学校の頃、負けん気の強い彼女にひそかに憧れていたことや、島を出たいと彼女に突然相談された高校時代のこと、土砂災害で両親を亡くした彼女が島を出て行くことになってしまったこと…。時折、白いワンピースに赤い日傘の女の子(名児耶ゆり)が、幻のように観客の視界の隅に現れ、消えていくのも美しい。昔あったという赤い灯台や、海を見下ろすように山肌に並ぶ墓地など、島の情景が随所に差し挟まれ、観客に島の歴史と日常をいっそう印象づける。
 丘をひとめぐりし、スター・アンガーの足下に観客を導いた柴は、島に二度と戻らなかった彼女が晩年病床から送ってきたという手紙を取り出し、読み始める。朗読が終わると、柴は顔を上げ、出せなかった手紙の返事を海に向かって叫んだ。「帰ってこーい!」と、何度も何度も。

 昨春につくられたこの作品により、ままごとの存在は島の多くの人々に知られるようになった。これを観た小豆島町長がブログに書いた感想(「八日目の蝉」記 911回「或る青年の物語」劇団「ままごと」は多くの人に読まれたし、坂手地区の人々は形のない(つまり、現代美術作品のオブジェとかではない)芸術の魅力を知ってくれた。
 「醤の郷+坂手港プロジェクト」の掲げるテーマは「観光から関係へ」という。おさんぽ演劇は、まず、ままごとメンバー自身が自分と小豆島の関係を結び直し、小豆島を観光地ではなく、クリエイションの足場として捉えていくための作品であったように思う。

 今会期にチームメンバーとして参加していた劇団くロひげの北村美岬も、彼女ひとりで演じるおさんぽ演劇『やねにねこ』をつくって発表した。北村演じる少女は、集まった観客たちに言った。小豆島には初めて来た、でも自分は小豆島のことを覚えている、と。彼女、前世は小豆島に住む猫だったというのだ。猫時代(?)の思い出を語る彼女について島の細い道を歩くうちに、観客は坂手小学校の跡地まで辿り着く。北村が在りし日の学校の面影を説明し終えると、校庭に学校のチャイムが響きわたった。大勢の小学生でにぎわっていたかつての坂手から、今の静かな坂手に演劇の橋が架けられた。北村は、この作品をつくることで小豆島と自分との距離を定め、上演に立ち会った観客と小豆島の距離もぐっと縮めることに成功したのだ。

スイッチ演劇と『うたう火の用心』

 今年の柴幸男のクリエイションを支えた活動として、象の鼻テラスで昨年実施されたワークショップがあげられる。
 象の鼻テラスとは、横浜にある海沿いのカフェである。ここで柴は、2013年の4月から12月まで断続的にワークショップを行い、「スイッチ演劇」という仕組みを発明した。スイッチ演劇とは、張り紙などで観客に指示を出し、観客がそのとおり行動すると短い仕掛けが発動するスタイルの演劇である。「観客が○○を△△すると□□が起きる」というルールのもとに、「太鼓をたたくとテラスのあちこちから『日本一!』という掛け声がかかる」「釣り竿を手に取ると俳優が魚のようにバタバタ暴れる」「四角いフレームを覗きこむと俳優が走ってきて寸劇を始める」というような多くのスイッチ演劇がつくられ、発表の日は子どもから大人まで、カフェを訪れた多くの人を巻き込む大成功をおさめた。
 スイッチ演劇は、どんな場所でも、短い時間しかなくても上演ができる。独立性と汎用性が高く、非常に強い構造を持った手法である。『わが星』『スイングバイ』などに見られる、完全なユニゾンやタイミング合わせを必要とする完璧主義者の顔を、あたかも最近の作品では手放したかのように見えた柴だが、彼の演出の美学は、独立性と強度を彫啄して、スイッチ演劇に生きているのだ。

 象の鼻テラスで発明したこの仕組みを携えて、柴は今年の小豆島にやってきた。7月末には、スイッチ演劇を用いた肝だめしが坂手港エリアで行われた。私はそれを観ることはできなかったが、島の人々がたくさん集まって大盛況だったという。

 持ち運びが容易で、場所や装置などの条件に左右されにくいという特徴は、小豆島でおこなわれていた他のパフォーマンスにも当てはまる。昨年からの演目である柴幸男の『おさんぽ演劇』、端田新菜の『紙しばい』、名児耶ゆりの『しょうゆしょうしょう』という即興ダンスに加え、今回新たに加わった『うたう火の用心』も、そうした性質を強く持つ。

 『うたう火の用心』は、伝統的な「マッチ一本火事のもと」「さんま焼いても家焼くな」などのフレーズをもとにした歌詞に、音楽ユニットの星野概念実験室がメロディをつけ、ままごとメンバーが歌いながら町内を練り歩くパフォーマンスである。『ファイヤー火の用心』『火の用心棒』『心も用心、火の用心』といったキャッチーな歌が次々と披露され、地域の子どもたちがいつもたくさん後を付いてくる人気の演目だった。

【写真は「港の劇場」2014公演から。撮影=濱田英明 提供=ままごと 禁無断転載】

 そんな火の用心一行が、馬木映画祭(空き地を利用した映画の上映会)の会場前を通りかかった時のことだった。会場には縁日のように屋台が並び、大勢人が集まっていたが、名児耶と端田はちゃちゃっと現場スタッフと交渉し、飛び入りで『上を向いて歩こう』を歌って盛り上げ、みんなをひとつにしてしまった。これは、ふたりのプロのパフォーマーとしての類いまれなる吸引力のおかげであることはもちろんだが、ままごとが島で積み重ねてきた時間の成せるわざだっただろう。

 名児耶はあとで「最初の頃は、いろいろ説明しないとままごとの活動がわかってもらえなかったんだけど、今日はもう、あ、ままごとさんたちだね、はいはいどうぞって感じで(笑)歌わせてもらいました。」と明るく語ってくれた。
 会期最終日だったその日、帰り道にひとりの子どもが「さっきのあの曲、もう一回歌いたい」とリクエストすると名児耶は「オッケー、じゃあ行くよ!」とアコーディオンを鳴らし、「ファイヤー!」と叫びながら、軽快なステップで列の先頭に立った。私は、彼女の側に駆け寄っていった子どもから預かった小さな自転車を押しながら、最後列からその光景を眺め、身体と声ひとつで、こんなにも人を惹きつける彼女のパフォーマンスの力をあらためて噛みしめていた。

【写真は「港の劇場」2014公演から。撮影=濱田英明 提供=ままごと 禁無断転載】

 その日の火の用心に参加してくれたある少年は、『うたう火の用心』の初日パフォーマンスに偶然出くわして、そのとりこになったという。以来、自分で拍子木を用意して、またままごとが現れるのを待ち望み、次から一緒に町を歩くようになって、毎朝のそうめん体操にも港での紙芝居にも通ってきていたそうだ。そして彼はなんと、ままごとチームが島を去る日の朝、柴たちにていねいなお礼の手紙を書き、母親と一緒にエリエス荘まで渡しに来てくれるほどに、ままごとの演劇を好きになってくれたのだった。

演劇と生活を結ぶ光

 9月15日の夜、「醤の郷+坂手港プロジェクト2014」のクロージングパーティがエリエス荘の食堂でおこなわれた。その場で、小豆島の住民である”きみちゃん”こと徳本公伸さんは私にこう語ってくれた。
「去年の瀬戸内国際芸術祭でわしらが思ってたのは、坂手を何とかしたいということだったけど、今は、おさんぽ演劇だけでなく、ままごとの劇場公演を見てみたいと思う。だってあんたが東京から観に来るほどなんだから、どんななんだろうと思って。でも、興味が出てくるまで一年かかったなあ。ただそこに居てるから(ままごとに)興味がわいたんだよ。スター・アンガーと一緒で、毎日そこにあるから気になるってこと。だって美術館とかはその場所に行かんと見られんけど、柴くんとか名児耶さんはずっとそこにおったでしょ。」

 アートプロジェクトが旗振りする地域振興の名目に活動場所をひろげたいアーティストが乗っかる、というありがちな構造を越えて、島の人とままごとの間に、新しい「関係」が生まれたと私が思った瞬間だった。時間をかけて、ままごとはここまで辿り着いた。折しも来年には『わが星』小豆島公演が決まっており、きみちゃんの希望はもうすぐ叶うことになるだろう。私が心撃ち抜かれ、小豆島まで観に来るほどになった理由が彼にもわかるかもしれない。その日が楽しみでならない。

 そしていよいよ島を離れる時が来て、私は、ままごとがこの地で育てた演劇の果実がきらめくのを目の当たりにすることになった。
 ままごとの滞在制作をさまざまな面から支えてくれた、小豆島水道局の“もっしゃん”(唐橋幹隆(もとたか)さん)という男性がいる。彼は昨年の瀬戸内国際芸術祭においてままごとの受け入れ担当であり、今年もことあるごとに彼らをサポートしてくれた頼もしい存在だ。
 ままごとメンバーを乗せたフェリーがゆっくり岸を離れていくその時だった。もっしゃんが『赤い灯台』のラストシーンの台詞、「帰ってこーい!」という言葉を、去りゆく柴幸男に向かって叫んだのである。おさんぽ演劇の構造が転回し、島の本当の住人が作品を演じる側にまわった、ドラマティックな瞬間だった。
 制作の宮永啄生いわく「柴が島を離れる時は、毎回ネタみたいに言っている。」とのことだが、ネタになるくらい、もっしゃんの中に柴作品が息づいているのが素晴らしいのである。「もっしゃん、また言ってるよ。」とままごとメンバーが笑い合う中で、私はひとり涙をこぼしていたが、それは単なる感動でも、別れの寂しさでもない、作家と俳優と観客の間にある壁がとけあい、真に「演劇」が人を結んだ光景を見ることのできたうれしさの涙であった。

 最後に、劇団員の大石将弘の文章を引きたい。
「遊ぶように、暮らすように演劇があればいいなと思っています。それはどんな演劇だろう。この町にいると、その光を見つけられたような瞬間に出合います。僕にとってここは、演劇って何なのか、生活って何なのかを見つめる場所になりました。」
(シアターガイド10月号「小豆島で、『演劇の人』になる」文:大石将弘)

 ままごとを観た島の人の暮らしの中に、演劇が芽生える。これからも続いてゆくであろう私と小豆島の関係の中で、きっと私もまた、その「光」を目にすることができるだろう。

【筆者略歴】
落雅季子(おち・まきこ)
 1983年生まれ東京育ち。ラボラトリー&メディアBricolaQスタッフ。「こりっち舞台芸術まつり!2014春」審査員。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ochi-makiko/

【上演記録】
ままごと「港の劇場」2014

■ スケジュール
7月16日- 30日/「小豆島スイッチ」滞在創作・発表
7月20日/オープニングイベント「海辺のなつまつり」
9月6日-15日/ままごと路上演劇作品集

■ 出演者
柴幸男 宮永琢生 大石将弘 端田新菜 加藤仲葉(以上、ままごと) 名児耶ゆり 光瀬指絵(ニッポンの河川) 山本雅幸(青年団) 石橋亜希子(青年団) 北村美岬(くロひげ) 星野概念 青木拓磨 三浦千明 瀧澤日以(以上、星野概念実験室)

■ 上演作品
町を歩きながら物語を聞く『おさんぽ演劇「赤い灯台」』
スイッチを押すとパフォーマンスがはじまる『小豆島スイッチ』
坂手幼稚園に残された物語を読む『紙しばい』
港をめぐり音楽を奏でる『うたう火の用心』
お話を聞いて生まれる即興ダンス『しょうゆしょうしょう』
踊って知るそうめん作り『そうめん体操』
坂手、苗羽、馬木がひとつになった新盆踊り『いつでもえいよ小豆島』


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください