TRワルシャワ「4.48サイコシス」

◎素材としてのテクスト、揺るがされる観客
辻佐保子

これは演劇のテクスト?

 イギリスの劇作家サラ・ケイン作の『4.48サイコシス』(4.48 Psychosis, 1999) には、登場人物がいない。文頭に付されたハイフンによって複数人による対話と読める部分はあっても、対話であるという根拠はどこにもない。幕や場といった区切りもされておらず、明確な起承転結もない。誰のものともつかない断片的な言葉が、意図的に組まれたであろう不規則なインデントで綴られていく。言葉どころか、数字のみが羅列される部分すらある。初めてテクストを読んだ時、上演されることを拒んでいるようだと圧倒されたことを記憶している。『4.48サイコシス』を書き上げた一週間後にケインが命を絶っていることから、演劇のためのテクストというよりも遺書であるとしばしば考えられてきた。それにも関わらず、上演へと引きつける磁力が備わっているのか、『4.48サイコシス』はケイン作品の中でも上演回数が比較的多い部類に入る。本稿では、2014年10月にブルックリンの小劇場セント・アンズ・ウェアハウス (St. Ann’s Warehouse) に招聘されたTRワルシャワによる上演を取り上げる(註1)。

1人の女性(≒サラ・ケイン)の物語 — TRワルシャワ版『4.48サイコシス』

 TRワルシャワ(TR Warszawa) とは、グジェゴシュ・ヤジナ(Grzegorz Jarzyna) とクシシュトフ・ヴァルリコフスキ(Krzysztof Warlikowski) が1998年から共同監督を務める劇場である(註2)。ヤジナが演出とポーランド語への翻訳を担当した『4.48サイコシス』は2002年に初演を迎え、その後モスクワ(2003)やリール(2004)、エディンバラ(2008)、ロンドン(2010)、そして香港(2012) で上演が重ねられてきた。セント・アンズ・ウェアハウスでの今回の上演が、TRワルシャワ版『4.48サイコシス』のアメリカ初演となる。

 TRワルシャワ版の大きな特徴は、明確な筋が示されていない『4.48サイコシス』を、マグダレナ・チェレスカ (Magdalena Cielescka) 演じる1人の女性の物語として再構築したことにある。もちろん、登場する人物たちに名前はなく、緑色のタイルが貼られた舞台奥の壁に複数の洗面台が並ぶことで公衆便所の中に人物たちがいるように見えるが、空間がそのように規定されているわけでもない。舞台上で繰り広げられる出来事は因果関係が曖昧な部分が多く、「物語」という言葉が呼び起こす一般的なイメージよりは抽象度が高い。それでも、テクストに散りばめられた 「わたしは悲しい」“I am sad”、「わたしは食べられない」“I can’t eat”、「わたしの生きたい世界ではない」“This is not a world in which I wish to live”といった言葉の多くがチェレスカ演じる女性に割り当てられることで、焦燥感や不安、自己嫌悪、不眠や拒食に悩まされている人物が中心に据えられていることが浮かび上がる(註3)。

【写真は「4.48サイコシス」公演から 撮影=Stefan Okołowicz/TR Warszawa 提供=TR Warszawa 禁無断転載】

 また、文頭のハイフンによって対話なのか独り言なのか判別不可能だった部分は、上演では女性と他の人物との対話として示されていた。たとえば「 − 何かプランでもあったのか?/ − オーバードーズして、手首を切ってから首をつる」“ – Have you made any plans? / – Take an overdose, slash my wrists then hang myself” という文章で始まる部分は、女性が医師らしき男性による問診を受けているように見える場面となっていた。医師らしき男性だけでなく、友人と思しき男性や恋人と思しき女性も対話の相手として登場する。彼らはチェレスカ演じる女性の独白を聞き、彼女を慰めようと試みるものの拒絶されて言い争いを繰り広げていた。
 他にも上演の半ばで、大量の白い錠剤を酒で飲み干した後に女性が倒れて悶絶し、制御が困難なほど痙攣するといった、オーバードーズによる自殺未遂というテクストでは明記されていないダイナミックな展開が描き出されていた。さらに、テクストの中で不眠や気分の落ちこみといった症状の描写と共に内服薬の名称や分量が綴られていく部分では、医師らしき男性が看護師らしき男性に処方箋を書きとらせていく場面として演出されていた。

 以上のようにTRワルシャワ版『4.48サイコシス』は、テクストに散らばる言葉の連なりから「精神的、肉体的苦痛を抱えた女性の煩悶」という図を浮かび上がらせることが試みられたプロダクションだった。図をより明確に浮かび上がらせるためか、テクストには細かい変更が加えられていた。台詞の削除や発話される箇所の変更といったこと全てを逐一挙げていくことは不可能であるため、本稿では2か所に及ぶ数字が羅列される部分の改変を指摘したい。まず、100から0まで数字が不規則に下っていく部分は削除された(テクストの中では、数字の配列もばらついていた)。他方、100から7ずつ数字が規則的に下る部分は上演に残された(テクストの中では、数字は縦一列に行儀よく並んでいた)。ところが、100からのカウントダウンも場面として独立していたわけではなく、場面の切り替わりごとに7ずつ減っていく数字の映像が、舞台奥の壁に投射されていた。100から93、86、79と減っていく、目を凝らさなければ見落としてしまうほどの大きさの映像は、時間の経過を示すようであった。こういった改変も、「1人の女性が苦悶する物語」という枠組みをより明確に提示させるために機能していた。

【写真は「4.48サイコシス」テクスト 上:数字が不規則に下っている部分 下:7ずつ規則的に下がっていく部分 撮影=編集部 禁無断転載】

 プロダクション自体は見応えのあるものだった。特に、肉体を捻り切るように身悶えしながら台詞を絞り出したかと思えば憔悴して床に座り込むといったチェレスカの身体が表す女性の磨耗は鬼気迫るものがあった。けれども、明確な物語が示されていない『4.48サイコシス』から物語を組み立てるというTRワルシャワ版のコンセプトについて、諸手をあげて絶賛することはためらわれる。チェレスカ演じる女性がサラ・ケインとの連想を引き起こしかねないのならば、尚更である。

 先述した通り、『4.48サイコシス』はケインの遺書であるという見方は根強い。2008年のエディンバラ・フェスティバルと、2010年のバービカン・シアターでTRワルシャワ版が上演された時の劇評を確認すると、中心に据えられた女性がケインを彷彿とさせるといった指摘が目に留まる(註4)。確かに、「わたしは書けない」“I can’t write” と悩みを吐露して、手首を切ったことを医師らしき人物に叱責される女性の姿は、うつ病で入院中に『4.48サイコシス』を書き上げたケインのそれと重なる。だが、作品と作者の生涯とを安易に結びつけることは、登場人物がいない、明確な筋がない、幕や場の区切りがない、起承転結がないため時間の流れが定かでないという戯曲の定型から大きく外れた『4.48サイコシス』の特異性を取りこぼすことにはならないだろうか。上演に向くとは思われないテクストから上演可能性を見出すことは、物語としての再構築可能性を示すことと、必ずしもイコールでは結ばれないのではないか。このような疑問が沸き上がったがために、筆者は「1人の女性(≒サラ・ケイン)の物語」としての『4.48サイコシス』というTRワルシャワ版のコンセプトの意義を掴みあぐねていた。
 ところが上演も終盤に差し掛かった時、物語として『4.48サイコシス』を再構築することに対するTRワルシャワの強かな戦略が浮かび上がるのである。

沈黙すべきか、声をあげるべきか、どちらにしても問題である

 『4.48サイコシス』のテクストは、終盤へ向かうほどに対話と推測できる部分はなくなり、ページに空白は増え、言葉は切れ切れとなっていく。それに呼応するように、TRワルシャワ版も終盤では対話はなくなり、チェレスカ演じる女性のモノローグが続いていく。女性が疲弊し袋小路にはまり込んでいることを表すかのように、時に重たく、時に刺々しい口調で言葉が吐かれる。
 しかし最後の場面になると、女性の口調は穏やかに、そしてどこか軽やかなものとなる。 顔だけがスポットライトに照らされた状態で、女性は「わたしが消えるのを見て/わたしを見て/消える」“Watch Me Vanish / Watch Me / Vanish”と静かに呟く。すると顔を照らす明かりが徐々に絞られ、女性の沈黙と引き換えに流れるノイズのボリュームが段々と上がり、やがて緩やかに暗闇と静寂が訪れる。間を置かずに客席の明かりがつき、上演の終了を察知した観客たちは拍手を始めた。

 ところが、挨拶に出てくるはずの俳優たちが舞台上に現れる様子は窺えなかった。観客たちは若干面食らい、顔を見合わせて拍手を弱めるものの、打ち鳴らす手を止めはしない。それでも俳優たちは一向に姿を見せない。次第に拍手を持続させることを倦む雰囲気が漂いはじめ、観客たちは少しずつ手を止めて帰り支度を始めた。 「わたしが消えるのを見て」という最後の言葉を体現したかのような幕引きである。だが、俳優の不在がチェレスカ演じる女性は消失したという理由のみによるならば、筆者を含めた観客たちが(ささやかではあっても)戸惑い、拍手を続けるべきか周囲の様子を窺うという居心地の悪さを伴うことにはならなかっただろう。それでは、なぜ観客はカーテン・コールで動揺を覚えることとなったのか。その契機が見えるのは、最後から二つ目の場面である。

 最後から二つ目の場面で、女性は着ていた服を脱いで下着姿となって叫び始める。 “Speak / Speak / Speak”と。テクストでは命令形とも現在形とも断定できない言葉だが、「1人の女性の物語」という枠組みの中では女性がコミュニケーションを希求して「話して/話して/話して」と呼びかけている台詞として解釈することができる。しかし、ここでの「話して」という呼びかけは、これまでのモノローグや対話とは少々異質な台詞となっている。女性は少し手を伸ばせば触れられる距離まで観客に詰め寄り、まっすぐに見つめながら 「話して/話して/話して」と叫ぶのである。まるで、暗黙の了解事項となっている舞台空間と観客席の間の境界を、「話す」というアクションを通じて侵犯するよう観客に促しているかのようである。テクストを改変してまで「1人の女性の物語」を描いてきたはずのプロダクションが、ここに来て突然、上演と観客との関係性を問題とし始めたように見える。

 だが、筆者が見た上演では女性の声に応える観客は誰もいなかった。テクストでは「話して/話して/話して」という文章の直後に「 誰も話さない」“No one speaks”という言葉が続く。この時、呼びかけに誰一人応じないことへの諦念が、女性の呟く「誰も話さない」という台詞に付与されることとなる。すると、チェレスカ演じる女性は舞台を縦横無尽に走り回り、舞台奥の壁に体を何度も打ち付けては床に転がり、のたうち回りながら訴え始める。

「わたしを認めて」Validate Me
「わたしを目撃して」Witness Me
「わたしを見て」See Me
「わたしを愛して」Love Me

先行する「話して/話して/話して」と「誰も話さない」という台詞を踏まえると、上の一連の台詞は女性がもがき苦しむ様を表象しているだけに留まらない。幾度も壁にぶつかるせいでこめかみからは血が流れ、走り回る足元は徐々におぼつかなくなり、疲労が隠せなくなってもなお、彼女は上の台詞を繰り返す。沈黙を決め込むならば、刮目せよとでも言うかのようであった。チェレスカ演じる女性の叫びは、「1人の女性(≒サラ・ケイン)の物語」として再構築された『4.48サイコシス』を遠巻きに眺めているだけの観客に対する異議申し立てという様相を呈するのである。ここで再び上演の結部に目を向けた時、拍手に対する無反応は女性の消失を字義通りに表すためだけでないと考えることが出来る。「話して」と呼びかけられた時には応えずに、上演終了後に拍手という慣習に則った形でようやく応じる観客の都合の良さに対して、沈黙を貫くことで抵抗しているように感じられたのである。

【写真は「4.48サイコシス」公演から 撮影=Stefan Okołowicz/TR Warszawa 提供=TR Warszawa 禁無断転載】
【写真は「4.48サイコシス」公演から 撮影=Stefan Okołowicz/TR Warszawa 提供=TR Warszawa 禁無断転載】

 ここまでは筆者も加担した「観客が沈黙を保った場合」について述べてきたが、もしも「話して」という女性の叫びに観客が応えたならば、終盤の見え方は変わったのだろうか。観客が居心地の悪さを覚えることはなかったのだろうか。がらんどうの舞台に向かって拍手をしながら考えを巡らせたものの、声をあげたところで観客は別の仕方で動揺を覚え、観客としての立場を問い直されることとなるだろうと思い至った。「話して/話して/話して」という台詞に観客が応えて「話す」というアクションを取ったとしても、その後に続く「誰も話さない」という女性の呟きによって、観客席におさまるピーピング・トムとして「1人の女性が煩悶する物語」を眺め続けるしかないことを観客は強く認識させられることとなるだろう。

 ここから、TRワルシャワ版は声をあげない観客=受動的/声をあげる観客=能動的と単純に図式化しているわけでも、あまつさえ後者を良しとしているわけではないことが分かる。声をあげようと沈黙を保っていようと、どちらに転んでも観客であることへの居心地の悪さを覚えさせられ、目の前で繰り広げられる上演に対する姿勢は問い直される。『4.48サイコシス』をもがきのたうつ女性の物語として組み立て直すというコンセプトのミソはここにある。チェレスカ演じる女性を巡る物語として『4.48サイコシス』を見るよう観客を誘導することで、観客としての振る舞いに疑問を突きつけて動揺を誘う終盤への転換はより鮮やかなものとなる。断片的な言葉の連なりから連関を見出し、物語として再構築してみせたのは、その物語に相対する観客に矛先を向けるためだったのである。

これは素材としてのテクスト?

 TRワルシャワ版が『4.48サイコシス』を上演するにあたって、観客に向けて巧妙な仕掛けを施したということは以上から明らかになったものの、疑問を差し挟む余地は大いに残されている。たとえば、『4.48サイコシス』が演劇のテクストとして持つ底知れなさは、結局「1人の女性が苦悶する物語」という枠組みを構築するために等閑視されてしまったのではないかという問いは、見過ごされるべきではないだろう。上演と観客の関係性についての検討可能性を汲み取るという本プロダクションの着眼点と切り込み方が見事だったことは確かだが、テクストを上演のための体のいい素材としかねない戦略の妥当性についても揺るがされる必要があったのではないかと思われてならない。
(2014年10月22日 観劇)

註1:上演に関する詳細な情報は以下を参照した。
セント・アンズ・ウェアハウス公式HP内の『4:48サイコシス』のページ:
http://www.stannswarehouse.org/current_season.php?show_id=99
TRワルシャワ公式HP内の『4.48サイコシス』のページ:
http://trwarszawa.pl/en/spektakle/448-psychosis/
また、作品のタイトルがセント・アンズ・ウェアハウスのHPでは『4:48サイコシス』と表記されているのに対して、TRワルシャワのHPでは『4.48サイコシス』となっている。本稿では、ケインが執筆した テクストのタイトル表記に則って、『4.48サイコシス』と統一する。
註2:TRワルシャワについては、劇場及びセント・アンズ・ウェアハウスの公式HP以外に、以下のウェブサイトを参照した。
ヨアンナ・クラス「振動する声たち。21世紀初めのポーランド演劇」(翻訳:久山宏一)
http://asia.culture.pl/ja/article/振動する声たち%E3%80%8221世紀初めのポーランド演劇 2014年11月25日閲覧
註3:ポーランド語で進行する上演に併せて、舞台両端に置かれたテレビ画面に英字幕が表示されていた。
筆者はポーランド語に明るくないため、本稿で引用する台詞は全てComplete Plays (2001) を参照している。
また、邦訳は全て筆者による。
註4:2008年のエディンバラ・フェスティバルでの上演と、2010年のバービカン・シアターでの上演時の劇評として以下を参照した。
Michael Billington. “Edinburgh festival: 4.48 Psychosis / Looking at Tazieh,” The Guardian. 17 August 2008.
http://www.theguardian.com/culture/2008/aug/18/edinburghfestival.theatre 2014年11月25日閲覧。
Neil Cooper. “4.48 Psychosis, King’s Theatre,” The Herald Scotland. 18 August 2008.
http://www.heraldscotland.com/4-48-psychosis-king-s-theatre-1.887346 2014年11月25日閲覧
Sarah Hemming. “4.48 Psychosis, Barbican, London,” The Financial Times. March 26, 2010.
http://www.ft.com/cms/s/2/84b53bf6-384d-11df-8420-00144feabdc0.html#axzz3JAC7KgtP 2014年11月25日閲覧

【筆者略歴】
辻佐保子(つじ・さほこ)
 1987年生。日本学術振興会特別研究員。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍(表象・メディア論コース)。研究対象はアメリカン・ミュージカルとミュージカル映画。ニューヨーク市立大学マーティン・E・セーガル演劇センターにて客員研究員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuji-sahoko/

【上演記録】
TR WARSZAWA 「4.48 Psychosis」
St.Ann`s Warehouse (2014年10月16日―26日)

director:Grezegorz Jazyna
translation:Klaudyna Rozhin
set design:Małgorzata Szczęśniak
music :Piotr Domiński / Paweł Mykietyn / Grzegorz
lighting :Felice Ross
computer graphics:Marcin Wiktorowski
cast:Magdalena Cielecka、Katarzyna Herman、Lech Łotocki 、Mariusz Benoit、Rafał Maćkowiak、Sebastian Pawlak、Adam Woronowicz、Waldemar Obłoza、Janusz Chabior


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