#5 前田司郎(五反田団)

意識ではコンピュータに勝てない

前田司郎さん ――作品についても聞いていきたいと思うんですが、戯曲はもう最初の『くりいり』の時点で現代口語というか、普通のしゃべりですね。

前田 だっていましゃべってる言葉が僕にとって正しい日本語なわけで、むしろそれが特殊――たとえば「静かな演劇」とか、亜流とか、本流とは違うものとして位置づけられるってことにちょっとびっくりしました。だから、なんつうんだろ、そこに注目されるのはイヤじゃないですけど、「あ、そこに注目するんだ」って。いまはだいぶ状況が見えてきて、演劇にそういう流れがあるってこともわかってきたんですけど。

――前田さんは言葉の言い違えを多用しますよね。言葉と言葉が混ざっちゃう感じとかおもしろいです。「ですよ」と「だよ」が混ざって「でよ」になっちゃうみたいな。

前田 好きなんです、あれは(笑)。感情が昂ぶる場面、そういうカッコよくなきゃいけない場面でカッコよくないっていうのがすごくいとおしくて。人間そんなうまくいかねーよっていう。だからドラマとか映画とかで、みんなスラスラしゃべるのが気持ち悪くって。カッコいいところでスラスラしゃべれちゃうのはイヤ、物語上で物事がうまく進んじゃうのもイヤ。実際の人生ではうまくいった方がいいんですけどね(笑)。

――だらだらしている作風とはうらはらに、戯曲をかっちりつくって厳密に演出するタイプですよね。

前田 そうですね、戯曲ありきみたいなやり方をしてますね。べつにそうじゃなきゃいけないわけじゃないんですけど、その方が計算できますから。同じ俳優でずっとやってるわけじゃないんで、俳優に依ってしまうと、俳優がそのやり方が得意じゃなかったりすると大コケする可能性が……。だけど脚本に依っておけば、ある程度のとこまでは計算できる。それは何回か公演していくうちに自分の中にそういう風潮ができてきて、いまも続いてるって感じなんですけど。

――やはり役のキャラクターなんかにも非常に統制されたものを感じるんです。『おやすまなさい』が3バージョン(男×男・男×女・女×女)あったじゃないですか。正確には計ってないですけど、上演時間がほとんど一緒だったんじゃないかっていう人がいて。

前田 あーそうかもしれないですね、僕も計ってないけど(笑)。あのー、音楽の世界に疎いからこのたとえが正確かわからないんですけど、クラシックのピアノとかに似てるような気がしてて。楽譜があって演奏しますよね。でも演者が違うと、違って聞こえたりするじゃないですか。音楽に詳しい友達に聞いたところによると「ここは強く弾け」とか「ここは流れるように弾け」とか細かい演出まで指示している楽譜があるらしいんです。で、その通りに演奏しても演者が違うだけで全然違う演奏に聞こえて、その中で優劣がついたり、好き嫌いができたりするって。演出もそれと似てる気がするんですね。戯曲が一緒でも奏でる俳優が違うと、違うニュアンスに聞こえてくる。それはおもしろいなと。それとは別の即興演奏みたいなやり方もあるとは思うんです。ある程度流れだけ決めておいて、あとは俳優の即興にまかせるような。ただ、いまのところそういうやり方には興味がないんです。

――ストーリーについてはどうですか。たしか『いやむしろ忘れて草』の頃に「新しいストーリーをつくることにはそんなに興味がない」っておっしゃってて、そのこころはストーリーに関しては過去にいろんなパターンが出尽くしてしまってるので、新しくつくったところで結局なんらかのパターンの組み合わせになってしまうってことだったと思うんですけど。

前田 それはいまも変わってないですね。やっぱりそういうストーリーをつくる、要するにプロットを組み立てていくっていう作業はパターンなんですね。たぶんその作業は何年後かにはコンピュータで可能になってしまって、人間がつくるよりもコンピュータに演算させてつくった戯曲の方が、ストーリーに限っていえば、巧いものができてしまう。そういう予感が……いやほとんど確信に近いものが、僕の中にはあります。

――どこにどんでん返しを入れるのが一番効果的か、みたいな(笑)。

前田 だからストーリーつくるのはもう人間様じゃなくてもいいんじゃねえかって(笑)。こないだ助成金をいただいてる関係で韓流ミュージカルをみたんです。『ジキル&ハイド』だったんですけど。たぶんあれも何度も再演されていくうちに洗練されていったストーリーを、さらにいま一番これが安定してるだろうっていう組み方でつくったんだと思うんです。だからストーリー的にはすごくおもしろい。でも自分がそれをやりたいかっていうと、そうではない。なんでかっていうと、それだと勝てないから。けっきょくそうやって再演を重ねて一番いい組み方へ洗練してきたような作品には勝てないんです。それに、一生をかけて1本の作品を組み替えていくことに果たして意味があるのかっていうと、僕は意味がないと思っていて。なんていうんだろ……それはブロックみたいなパーツで人間の彫刻をつくるような作業だと思うんです。

――ブロック?

前田 ええ。組み方によってはイキイキしたりもするんですけど、ようするにそれはコンピュータでもデザインできてしまうんです。ドットで。でもそれと本物の人間ってのは違いますよね。いくら人間に似せてつくっても、よく見ればドットでできている。もしかしたら外見上はほとんど人間と変わらないかもしれない。でもそれを「人間」って言ってしまうと、芸術は成り立たなくなってしまうんじゃないかと思うんです。だからブロックを組み立てるような、ロジックでつくる、意識でつくる作品っていうのは絶対に限界があるし、その方法だとコンピュータには勝てない。だから興味がない。ストーリーに興味がないってのはそういうことです。

――とはいえ『いやむしろ忘れて草』はどちらかといえばロジカルな作品でしたよね。僕なんか「若いのにこんな老成したものをつくってしまっていいのだろうか」って勝手に心配しちゃったりして、そしたら次の『キャベツの類』がすごくアシッドテイストあふれる作品だったのでちょっと安心したんですけど(笑)。

前田 『いやむしろ忘れて草』に関しては、こうは言っててもホントに俺はそのコンピュータっていうか、意識で書く芝居がつくれるのか、つくれないからやっかんで「ああいうのはやらない」って言ってるだけなのかもしれないっていう反省があったんで、じゃ1回そういう「意識で書いた」しっかりしたものをつくってみようってことだったんです。それでちゃんとしたものがつくれたなら今後そういうことを言ってもいいだろうって。

――ストーリーの組み立てという点では、ものすごく完成度が高かったです。

前田 けっきょくああいうのは簡単につくれちゃうんですよ。組み立てるだけなんで。「ここでこの人を殺せばいい」「ここでこの人とこの人を仲よくさせといてここで破滅させればいい」みたいなのを全部ロジカルに組み立てていけばいいだけだから。その方法を突き詰めていったある種の完成形が、劇団四季とかブロードウェー……まブロードウェーみたことないんですけど(笑)、ブロードウェー的なものなんだろうなと。

――僕は初めてみた五反田団が『逃げろおんなの人』で、あれって夢の話だし、やはりすごく無意識に働きかけてくるところがあって、ああこんな劇団があるんだって衝撃を受けたんです。とくにラストシーンがすごく印象的で、すごく後をひく感じがあって。他の作品もそうで、いつも幕の引き方が抜群だと思うんですね。完結してしまうのをすんでのところで回避するような。

前田 ラストシーンは難しいんですよねえ。自分の中ではいつもそこで微妙に負けちゃうってのがあって。もっと前衛的ってゆうか、自分にしか理解できなくてもいいってのがあるんですけど、ちょっとそれはなぁって。

――自分は勝てたとしてもお客さんが……(笑)。

前田 「お客さんなんてっ」と思いながらも最後には……(笑)。

――でも表現者としてその葛藤はあってしかるべきですよね。それがないならわざわざ人前で芝居をする必要もないわけだし。

前田 ただ、難しいんですよね。そこのバランスを取るのがホントに難しくて。>>