#8 岸井大輔(ポタライブ「元」主宰)

「POTALIVE」

岸井大輔さん-劇場から観客を解放するというのは、観客が劇場の客席に座り、舞台で俳優が演じる芝居をただ見ているだけでは、そこにコミュニケーションは感じられない、劇場自体が劇的な場になっていないということですね。いまの社会には、本当に必要とされている演劇が生み出されていないという状況があちこちにある…。

岸井 どうやって観客動員するかという議論がありますが、ぼくはそれは本末転倒だと思っていて、劇とは集団なのだから人が集まってくる場でやるのが劇だと思う。劇場にわんさか人が集まるのであれば、劇場の場に合わせた劇をぼくは作ります。わざわざ宣伝してまで劇場に人を集めて、こちらの都合で作ったものを演劇としてを押しつけるのは、僕の劇の定義からするとおかしいと感じました。

-演劇の形式化を取り上げたところで、「素材は何か」という問いに答えられなかったとおっしゃっていましたが、ポタライブは、その問いの先にあったわけですよね。

岸井 そうです。地域の中に、劇を必要としている人々の塊が見えて、その人たちが見たいものをその場で返してあげるというのが答えでした。そのことを考えているうちに、もう少し抽象化してみると、人が複数いるとそれが劇なんだと思った。演劇の素材は複数の人間、平たく言うと集団であるという結論が、ほぼ同じころ出ました。

-いろんな偶然が重なった結果、街で取材するという方法が実践されてポタライブとなった。一方で理論的な考察から集団が演劇の素材であるという認識が引き出された。そこに通底するものがあると気付いたということでしょうか。

岸井 通底すると気付いてから、意識を逆にして、集団を取り扱う演劇としてのポタライブを考えることになった。街という集団、客という集団をどういう手順で扱うと劇になるか、それを意識化しようということです。それが多分、2001年か2002年ごろのことです。街に出てガンガン取材しようというより、演劇の形式化に欲があるので、どういうステップを踏めばお客さんは劇場から解放され、街は街自身が語りたいことを語り出せるような劇を、だれもが百発百中で作れるようになるか。それを形にしようと思いましたね。それが成立すれば多分、街の人たちがポタライブを実践して、街の人たちが見るものが出来るだろう。ぼくの仕事は、集団の取り扱いと形式化だと思いました。

-形式化というのは、創作のプロセスをだれにでも扱える道具にするわけですね。

岸井 創作過程があれば、最終ゴールを定義しなくても、あるいはイメージしなくてもだれも困らない。そういうものを作りたい。ゴールイメージから逆算して作るのではなくて、街に取材して、街の人が見たい演劇を、劇場的でない空間で見るためにはどうしたらいいか。そういうことを考えました。2003年から毎月ポタライブを始めるのは、形式をはっきりさせる、創作プロセスを確立しようというねらいからです。街に偶然あらわれる演劇をつかみとる作業なので、ポタライブには「P」で考えていたチャンスオペレーションも含まれます。サイコロを振る必要はなくなりました。

-だれでも創作できるような仕方でポタライブの創作法の骨格を抽出する作業は、2006年までには出来たとお考えですか。

岸井 出来たと思って、いま実験中です。2006年11月から盛んにワークショップをしているのは、ぼくが考えたやり方でだれでもポタライブが出来るのかどうかを試していることでもあります。

演劇の可能性-ドラマスケープデザイン

-ここで一つうかがいたいのですが、近代的な劇場のシステムでは、観客は受動的に舞台を受容させられることになり、舞台と観客の間には劇的なコミュニケーションが成り立たなくなっていく。そう考えたとして、なぜ、観客は劇場から解放されて、より能動的にならなければならないのでしょうか。それはあるべき演劇の概念から導き出される結論なのですか。

岸井 ぼくはフォーサイスが「私はバレエが見たいだけだ」と言っているのがよく分かるんです。たとえば人があるポーズをとっているときだけがバレエではない。車が走っているときだってバレエが見えるときがあるし、お母さんが振り向いた瞬間バレエが見えるときがある。それはおそらく、バレエの訓練をしている人にしか見えない何かだと思う。単純に言えないかもしれないけれどもぼくは、集団はコミュニケーションそのものだと言ってほとんど間違いないと思っているんです。人と人がきちんとコミュニケートしているなら、集団はそこにある。それを使った表現が演劇だと思う。だとするならば、現在の演劇はあまりにもごく一部、集団表現の一部だと思います。

-いまある演劇は、演劇が持っている可能性の一部に過ぎないと考えているわけですね。

岸井 そうです。大学で演劇を学ぶと、祭りは演劇だと言われますよね。実際、祭りを見に行けば、それが演劇だと分かります。祭りと言ってもまだ狭いかもしれない。街行く人々の間に、劇的なことがあちこちでたくさん起きている。ぼくはそういうものを表現の素材として使いたい。 居酒屋で大勢の人たちがズラッと座って飲んでいたとしたら、それを外から眺めたら、その光景自体が劇じゃないですか。いや、一緒に飲んでいても劇だと感じることもあります。その光景をぼくはお客さんにそのまま見せたい。そのまま感じさせたい。現代美術家は、それを表現に使う。音楽家も表現に使うでしょう。マリー・シェーファーなんかはよい例じゃないでしょうか。

-だから、劇場にある演劇だけでは不十分だというわけですね。マリー・シェーファーの名前が出たのでお尋ねしますが、シェーファーのサウンドスケープという考え方を踏まえて、岸井さんはドラマスケープというコンセプトを考えているとWebサイト(劇作家 岸井大輔 WEB SITE http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/)に書いていらっしゃいましたね。論考の発表はその後中断したままです。ドラマスケープという発想については、その後どう考えていますか。

岸井 ドラマスケープ論はこれから掘り下げたいですね。書きかけたころよりはいろんな点で考えが深まっていると思います。 ちょっと別の方面からアプローチしてみると、集団で表現する際、モダンとコンテンポラリーの最大の違いは、集団全員がクリエーターかどうかだと思います。近代社会は全員が誰かの言うことを聞いてうまくいくことをめざしていたと思うんです。ところが、それではうまくいかないので、現代社会では各自が主体的であることが過度に要求され、しかも、それに自分で責任をとらされることが問題になっていく。そういう現代人が、たとえば、演出家の言うことを忠実に再現して動いているだけの集団を見ても、古臭いと感じるのではないか。彼らが求めるのは、俳優が全員、自分の意志で動いていてしかも全体がうまくいっているような演劇ではないか。

こういう風景を作り出すのは難しいように感じますが、考えてみると、街はそこにいる全員が自分の意志で行動している。しかも全体としてはそれなりにうまくいっていますよね。演出家の言うことを聞いて動いている俳優たちより、街で普通に活動している人ははるかにクリエーティブだということです。クリエーティブであることは、コミュニケーションが成立している状態に近いと思っていて、つまりコミュニケーションが成立しているというのは、相手が発したメッセージに反応して何かを作り出している状態でしょう。自分が変化しているんです。それがやりとりされている状態です。街を歩いている人たちが、なぜそこにいて、どこに向かって歩いていて、何を考えて動いているかなどが分かる瞬間、それが劇的な風景だと思う。

たとえば、街行く人々がどこを見ているかという視線だけに注目して観察してみると、同じ通勤ラッシュでも、全員床を見ている風景と、全員空を見上げている風景は違う演劇だと言えます。ならば、街の劇風景を変えるためには全員に空を見せる装置を作ればいいんじゃないか、とシェーファーが言う騒音のカットに近いことを演劇において考えることができます。

-シェーファーは音環境の研究の先に、良い音の環境を整えていくサウンドスケープ・デザインの必要性も提唱していますが、それにならって、ドラマ的な観点から環境の整備を進めるドラマスケープ・デザインということも考えるのですか。

岸井 そうなるでしょうね。

-そうなると、演出家の仕事が上演時間に限られなくなりますね。

岸井 そうですね。無限に続く演劇作品(笑)。そこまで行けたらとてもすてき。やらなきゃいけませんね。街づくりに関してはサウンドスケープの考え方を取り入れて、音楽家は割に参加しやすい。劇作家が街づくりに入る道筋が作れたらすてきだと思います。

-ポタライブはそういう考え方に向かう道の一つなんですか。

岸井 そうですけど、ホンの入り口ですね。

演劇の素材研究-「茶遊び」と「文(かきことば)」

-さて、ポタライブ以外にも岸井さんは演劇プロジェクトを並行して進めていらっしゃいます。「4」の「茶遊び」と「文(かきことば)」ですね。これらのプロジェクトの位置づけは岸井さんの中でどうなっているのでしょうか。今後どのように取り組みを進められるのでしょう。

岸井 演劇の素材が集団だと気が付いてから、3年ぐらいぼくはフリーズしているんです。集団をどう扱っていいか分からなかった。演劇の形式化を考えていて、素材は決まった。次は何をするかと考えていたら、必要なのは素材の研究なんですね。音楽だったら音について研究する。シェーファーの「世界の調律」だって、研究記録がほとんどじゃないですか。研究が済んじゃえば、作品作りなんか残り一割と考えればいいわけですよ。だから集団の研究方法を考えれば演劇の形式化ができると思考の転換をしたのが2006年なんです。

-ポタライブも一つの研究の仕方だというわけですね。

岸井 そう、一つの研究の仕方だと気が付いたわけです。でも別の研究の仕方もある。ポタライブのようなフィールドワークのほか、やらなければいけないものとして実験と文献研究があります。この三つを押さえれば、だいたい研究方法を確立したと言えるだろうと考えました。フィールドワークはポタライブでやっている方法をこのまま続ければいい。あと実験と文献研究ですが、文献研究って台本研究ですよね。実験は演劇の場合、ある場所に人を集めて、こうすればこうなるということだから、それは稽古です。自分でもなーんだと思ったんですけど、テキストを劇にするということをきちんとやらなければいけないことと、人を集めて実験した結果こうなるということをちゃんと扱う。この二つの形式を押さえなければならないと思いました。

人を集めた実験をどう扱うかは、先送りしています。一方、文献研究をするには、その前提として、「現代の日本に住んでいる人々」という集団を文献的に扱う必要があると考えました。そこで、参加者を募って、日本語をテーマにした勉強会を開いて考えた結果、日本語は、たとえば漢字と仮名の使い分けをとってみても、口語的特徴より文語的特徴が多いという結論にたどり着きました。西洋の言語は基本的に、口語をどうテキストに落とすかで成り立っているから口語劇でいいんですが、日本語で劇を作るとなると、漢字仮名交じり文をどうするか考えなければいけない。能も歌舞伎もその問いには応えている。世阿弥と近松門左衛門は戯曲家として、漢字仮名交じり文をどう劇化するか努力して実践した。現代文語はどうかと考えると、ほとんどの人は夏目漱石が現代文語を決めたと言います。ところが、今のところ漱石を上演し得る方法論はなくて、劇にするより読んだ方がおもしろい(笑)。じゃあ、漱石を読むよりおもしろい上演をやってみようと考えて続けているのが「文(かきことば)」の実験でやっていることです。基本的にはテキストを劇にする、しなければならないということからいうと、これは「P」の方法が使えると考えました。「P」の場合はテキストをきちんと読むということがなかったから、テキスト分析の方法を作って、そこに「P」をくっつければいいと。いま2ヵ月に一ぺん稽古場発表会を開いていて、感想をいただきながら進めています。

-「茶遊び」はどうですか。

岸井 これは「4」のお客さんいじりを、ポタライブに吸収したといっても吸収し切れていなくて、地域通貨とはまた別の方法でお客さんに主体的になってもらおうとずっと考えていた。地域通貨がどうしてだめかというと、すぐに資本主義の通貨とリンクする。簡単に言うと、地域通貨も資本主義の通貨と一緒なんです。だから現実の通貨とリンクしないもので、かつ経済的に見て有用性のあるものにしよう。そこで出てきたのがお茶っ葉(笑)。ダンサー5、6人の中から誰かを選んでもらって、どこで踊るかお客さんに決めてもらう。自宅にも行きます。来たらダンサーにお茶を一杯出して飲ませてもらいます。ダンサーはそれに対して踊ります。お客さんはその踊りを見て、好きなだけお茶っぱをあげてください(笑)。

-では「茶遊び」も基本はフィールドワークですか。「4」は実験じゃないんですね。

岸井 実験じゃありません。「4」の先をやっておいた方が先々、役に立ちそうだという予感がしているからです。どちらかというと、ポタライブの先を行っているような気もするので、フィールドワーク的な部分もあるのだろうなあと思っています。

理論の必要

-岸井さんは演劇プロジェクトを複数展開されていますが、それぞれが「集団」という演劇の素材をテーマにした研究となっているわけですね。その一方で、岸井さんがWebに発表されている文章を読むと、抽象的な概念を重ねて精緻な理論を構築する作業をされています。お話をうかがっていると、そのような理論化の作業から、実際の創作の現場に使える方法論が直接導き出されたというわけでもないようです。では、現場での作業にどうつながるのか分からないような抽象的な考察を進める必要はどこにあったんでしょうか。

岸井 それはぼくの健康のためですよ(笑)。結果だけ考えると、自分の健康を高めるほどレベルの高いものを作れない。自分の魂と正直に向かい合うためには、自分が小さすぎる。それは経験上分かっている。自分がこれだと直感したものに突き進んで作ったものが、そのまま多くの人の身体や魂を揺さぶるほどの器でないことは自覚しているんです。そのためには道筋をきちんと作って、つまり形式化していけば、予想以上におもしろいものが出来るし、自分を超えることが出来る。自分を超えないと自分と出会えないんです。

-自分を縛っている枠を超えるためには理論が必要であり、素材の研究も必要ということですね。長時間、ありがとうございました。

(2007年5月5日、東京・小金井の岸井宅)

(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第90号-92号)


インタビューを終えて

岸井大輔
インタビューからの一年、最初はPOTALIVE駒場編『LOBBY』に、以後は創作ワークショップと文(かきことば)に明け暮れていた。ここで話したことを実践し確認していただけだ。よって、現在の私が読み返しても、言い足す必要を感じない。あまり考えずにきたというわけで、この一年の怠惰を自覚する。集団とは関係による創造であると、ほんの少し単純に語れるようになったくらいである。ただ、インタビューの校正を通し、集団の研究方法としてpotalivesはフィールドワークというより実験とみなせるという気付きがあり、新たにフィールドワークとして『劇作品を創る』を立ち上げることにした。私の考える演劇の形式化にとっての最後の難所が解決したようだ。自分でも信じがたいが、最短12年で演劇は形式化されるだろう。この道を最大の注意で歩くという約束でもって、私を世にだしてくれたワンダーランドとインタビューアーの柳沢さんへの感謝としたいです。ありがとうございました。また、遊びましょう。

柳沢望
岸井さんの自宅兼アトリエに北嶋さんとうかがってインタビューを行ったのがちょうど一年前。諸般の事情で公開するまでに一年かかってしまったが、一年寝かした分、より良い記事ができたと思う。その間に岸井さんの演劇への取り組みもさらに確かなものになった。岸井さんが団体としての「ポタライブ」を解散し(ゆえに元主宰ということになり)大文字のPOTALIVEが複数形のpotalivesになったのもその反映のひとつだ。新しい演劇ジャンルとしてのポタライブは着実に社会が求める演劇を実現しつつある。いずれ「文(かきことば)」の成果もはっきりとその姿を世界に示していくことだろう。インタビュー原稿からばっさりカットした内容に「限界芸術論」についてどう思うか?という話題があった。この点については、potalivesの展開において時宜を得たらお蔵出ししようと話し合ったところだ。