壁ノ花団「たまごの大きさ」

 劇団「MONO」所属の水沼健による演劇ユニット「壁ノ花団」公演『たまごの大きさ』が大阪の精華小劇場で開かれました(3月16日-19日)。「現在形の批評」サイトの藤原央登さんから「死者が示すもの」というタイトルで、劇評を寄せていただきました。全文は以下の通りです。大阪に続き、名古屋公演は4月14日から開かれる予定です。


◎死者が示すもの

死後の世界は誰にも分からない。死人に口無しとはよく言ったものだ。あやうく三途の川を渡りそうになった時、現実世界へと引き戻されたという、あの臨死体験もあくまで主観でしかない。ただし、死んだらどうなったのかを誰もが具体的に立証不可能だからこそ、そこに様々に想像力を巡らせて、古今東西の芸術や宗教は発展してきたのもまた確かだ。

劇団「MONO」所属の水沼健による演劇ユニット「壁ノ花団」公演『たまごの大きさ』(3月16日~19日・精華小劇場)に登場するのは死人である。5人の死人(女性)がやってくるのは山奥。如何にしてやってきたのかは分からない。また、何のためにやってきたのかも分からない。ただ己の記憶を手繰り寄せ、生い立ちを切々と話すのみだ。文字通りの「死人」を、血の通った生身の身体を通して再起させることから生じる不思議さがこの舞台を支えている。

生きていた頃にはおそらくむき出しにし、またそれ故に個性や豊饒さを備え、紛れもなく人間であることを示す要因でもある感情の機微はない。しかし、替わりとして直接的で威圧的な張りのある声を備えている。程なくして死者であるためだということが分かると、足を引きずる女、足にコイルを巻いている女、散乱する小石にコイルを巻いてラジオを作り、そこから父親の声の発信を切望している女といった状態も了解できるだろう。色とりどりの灯篭が光る舞台は例の三途の川をイメージするし、事実外界から遮断された山奥で跋扈しながら記憶を巡らす死者達はあどけない童子と罪滅ぼしのために苦役を強いられた労働者の両面を映す。

印象に残る場面がある。それは、2人の死者がお互いぶつかって中身が入れ替わる。何でも一旦死ねば、魂と身体という分かつものがすぐさま喪失し、たとえ幽霊という名の生き物の姿があったにしろ、それ自体が全体としてしか存在しえないはずだ。つまり死者こそ究極の心身一致を実現した存在と言えよう。そんな『転校生』さながらの中身の入れ替えを目にした時、我々は否応なしにこれが「演劇」であること、俳優は死者を演じているに過ぎないことを知る。

だからこそ、元に戻るために何度もぶつかりを繰り返すが、映像のようにアテレコを行って区別するといった視覚的な補助が不可能な演劇性を逆手にとっているために、数少ない可笑しみのある場面として成立する。俳優という自己対象化作業を通して何者かであろうとする未分化な存在が、さまよう死者の魂という不可視で、それ故に実態があるのかどうかも計り知れない死者を演技の対象として仮託した時、虚構性が二乗され、極めて不安的な形象になることは必然であろう。だから、感情がなく、一本調子な声だから死者を演じているという表層的な部分は関係がない。むしろ、俳優達が演じる死者達の特徴は、そのまま我々自身の姿に重なってくる。

世間が「個性」を叫ぶあまり、それがなければ人間になれないという焦りを感じつつも、何をすれば獲得できるのか、また潜在能力として個性と呼べる何かを所有しているのかを懸命に模索するも、それが理由で袋小路に陥り、身動きが取れなくなっている若者である。外見から変ろうとし、姿形・服装に個性を追い求めるも、何が自分に合っているのかが分からず結局、情報を元にして着飾り、それが流行という名の無個性を生み出してしまっているは周知の事実だ。何より、鴻上尚史が言うように高低・大小を意識せず、表情のない声こそ無個性の象徴だろう。中身に唯一性を目指しても、まず外見が他者と区別がつかなく、画一的なものでしかないことに気づかない我々こそ、閉鎖的な死に体の死者ではないかという事実を死者を演じる俳優は示しているのだ。

死人に口はあった。
(藤原央登・現在形の批評

[上演記録]
壁ノ花団 第二回公演『たまごの大きさ』
大阪・精華小劇場[精華演劇祭 vol.3 参加] (3月16日-19日)

作・演出/水沼健
出演/岩田由紀 牛尾千聖 谷弘恵 筒井加寿子 山口春美

名古屋・愛知県芸術劇場小ホール[第6回愛知県芸術劇場演劇フェスティバル参加]
(4月14日-16日)


投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

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