ポツドール「恋の渦」

◎舞台の上に充満する「空気」 内在化された想像上の他者の視線
松井周(青年団リンク「サンプル」主宰)

「恋の渦」公演のチラシポツドール的なるものを挙げるとすると、以前なら例えば暴力やエロといった言葉が浮かぶこともあっただろうが、今となってはそういったことを切り口にポツドールを捉えようとしてもどこか本質を取り逃がしてしまう気がする。本質というと何か実体がありそうだが、そういうものでもなく、あえて言うなら「空気」と呼ぶような目に見えないものである。舞台の上に充満する「空気」を感じるために私たちはポツドールを観ているのだろう。観客だけでなく、俳優、スタッフ、演出も含めて全ての者がその「空気」に奉仕しているような感覚を受ける。


「空気」とは何か。その場の話の流れや状況の推移のようなものであるが、実はその判断の基準は存在しないために各々が勝手に誰かを基準にして「空気」を読んでいるのだ。「空気」とは、自意識過剰と言っていいほど自身に深く内在化された想像上の他者の視線なのである。これはまさに私たち日本人の得意とするものである。

今回のポツドール公演「恋の渦」のおおざっぱなあらすじはこうである。
まず、一つの部屋で男女交えた飲み会が開かれる。その飲み会は盛り上がらずに尻すぼみに終わることを予感させて暗転になる。そして、幕が上がると舞台は上下左右に四分割されて、飲み会に参加した男たちの自部屋になっている。これ以降、暗転を挟みながら、数日後の同日、同時刻のそれぞれの部屋を実況中継するような形で舞台は進行することになる。
飲み会の後日談を話の軸に、自分の知らない他人の時間と携帯電話を媒介にした人間関係の線を見事に描きあげていた。誰がどこにいるのか、そしてどこに移動するのか、その人物の性格と移動の根拠が明確でありながらも、本来いるはずのない場所にある人物が突然現れたりするフェイントがあり、またその人物を追いかけながらも決して会うことができないというような移動の力学が観客を飽きさせない。ばったり出会うということで始まる安易なドラマを回避する手腕は見事である。

近作では、同じ部屋に集う者の間の微妙なテンションの差異やあからさまでない差別の「空気」を描いてきた三浦氏が、この舞台ではその後の自部屋まで持ち帰る「他者の視線」を描いている。例えば、飲み会の席で暗に醜いことを揶揄された一組の男女は、その後付き合うようになるのだが、そのことをそれぞれの友達に言うことはできない。また、飲み会の幹事であった男は、もう一人の幹事であった同じ部屋に住む彼女に対して、飲み会の時に初めて会った自分の弟の彼女に気を使わなかった件について執拗になじる。

しかし、当然「空気=他者の視線」は個人個人の思いこみに過ぎず、飲み会という一時的な場所では機能するが、時間が経てば薄れてしまうものである。そもそも誤読していたということもあるだろう。「空気=他者の視線」から解放されることは、「現実」に気付かされることであり、そのことで楽になったり苦しんだりする。醜いことを揶揄されたカップルはお互いを理解者と認めて盛り上がったり、飲み会の幹事をした男は女の方に別の男がいることを知る。しかし、彼らはまた考える。この「現実」をどのように、誰を基準に読めばいいのか。こうして再び新しい「空気読みレース」が始まるのである。

当たり前のことだが、人間が二人以上いれば「空気」は共有できる。しかし、二人だけではその「空気」を判定することができない。第三者の視点を導入することで初めて不安になったり、安心したりする。しかし、問題はその第三者の視点に誰を入れるかをその場その場で判断しなければならないという強迫観念である。このような強迫観念は子供じみているが、例えば第三者の視点に「神」などを導入しない限り、「個人」という概念は生まれ難い。日本人ならなおさらだろう。もちろん、「個人」は尊重すべきだろうが、どこかその嘘くささも感じないわけにはいかない。ゆえに私はそのような強迫観念に駆られて右往左往して自ら受難を呼び寄せるような彼らの行動に、自分を重ねてしまう。その滑稽な様を飽きもせず繰り返す姿に、嫌悪とともにたくましさすら感じている。いっそのこと道徳の授業か何かでポツドールの公演を見せたらどうかと本気で思ってしまう。いじめが発生する場の「空気」とその根拠のなさ、そしてその場にいる者たちの強迫観念にとても近いものを観ることができるから。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第22-23合併号、2006年12月27日発行。購読は登録ページからお願いします)

【筆者紹介】
1972年東京生まれ。明治学院大学社会学部卒。1996年俳優として劇団青年団に入団。その後、劇作と演出も手がける。第1作「通過」(2004年)と2作目「ワールドプレミア」 (2005年)が日本劇作家協会新人戯曲賞入賞。2006年に文学座+青年団自主企画交流シリーズとして「地下室」(作・演出)を上演。同年末の青年団公演「ソウル市民」と「ソウル市民 昭和望郷編」に長男役で出演。2007年、青年団リンク「サンプル」旗揚げ公演「シフト」(1月26日-2月4日、アトリエ春風舎)を予定。
雑誌「ユリイカ」や「流行通信」に寄稿するなど期待の若手劇作家、演出家の一人。

【公演記録】
ポツドール「恋の渦」
新宿・THEATER/TOPS(2006年11月29日-12月10日)
■作・演出
三浦大輔

■出演
米村亮太朗 古澤裕介 鷲尾英彰 美館智範 河西裕介 内田慈 遠藤留奈 白神美央 小島彩乃 小林康浩 他

■スタッフ
照明 伊藤孝(ART CORE design)
音響 中村嘉宏(atSound)
舞台監督 清沢伸也・村岡晋
舞台美術 田中敏恵
映像・宣伝美術 冨田中理(selfimage produkts)
演出助手 富田恭史(jorro)
アドバイザー 安藤玉恵
小道具 大橋路代(パワープラトン)
衣装 金子千尋
写真撮影 曳野若菜
制作 木下京子
当日運営 山田恵理子(Y.e.P)
制作助手 安田裕美(タカハ劇団)青木理恵
企画・制作 ポツドール

【関連情報】
・“のぞき見感覚”脚本の妙 [評]恋の渦(ポツドール)(読売新聞2006年12月6日)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20061206et07.htm
・恋とはどんなものかしら?(楽観的に絶望する)
http://d.hatena.ne.jp/camin/20061205/1165333881
・恋より愛がよろしいの(John’s Notes ~センザンコウを求めて~ β版)
http://john3notes7blog.blog70.fc2.com/blog-entry-453.html
・ポツドール『恋の渦』11/29-12/10THEATER/TOPS(しのぶの演劇レビュー)
http://www.shinobu-review.jp/mt/archives/2006/1205233228.html

・過剰で「なにもない空間」(現在形の批評)
http://plaza.rakuten.co.jp/playplace83/diary/200612170000/

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