戯曲のポテンシャルを多層的に抽出 退任飾る「近代演劇」の傑作

◎SPAC「別冊 別役実 -『AとBと一人の女』より」
大岡淳(演出家・演劇批評家)

「鈴木忠志の軌跡」公演チラシこの3月31日をもって、演出家・鈴木忠志が(財)静岡県舞台芸術センター(SPAC)芸術総監督を退任した。彼の監督時代の最後の演出作品となったのが、この『別冊 別役実 ―「AとBと一人の女」より』である。若干のテキレジと、演出上の工夫が施されているとはいえ、基本的には、戯曲『AとBと一人の女』をストレートに演出した作品である。


舞台上手寄りに畳が敷かれ、既に客入れから、文机を前にA(塩原充知)が座っている。雑然と積み重なる書物に囲まれ、劇中も書物を手放さない和服姿のAは、明治か大正かあるいは昭和か、ともかく平成の世の中からは姿を消した、「文人」とでも形容すべき昔気質のインテリと見える。これに対し、畳のエリアから外れて舞台中央には、B(加藤雅治)が這い蹲っている。Bは、そのポジションからして卑屈にAに傅いているようであり、まるでAを師と仰ぐ書生のごとくであるが、ただ、ふたりは年齢が近いようにも見える。

やがて始まるふたりの対話は、対話というよりも互いの独白が交互に続くという趣で、Aは読書をしており心ここにあらずといった風、Bはお構いなしに思いを吐露するといった風で、噛み合っているのか噛み合っていないのか判然としないまま延々と続いてゆく。その、直接的な対決を避け、核心となる事柄の周囲を延々と回り続けるような対話の有様は、「不条理」と形容できるものでもあるが、日本人のお喋りとは皆このようなものではないか、という妙なリアリティを湛えてもいる。

この対話から徐々に明らかになるのは、AとBは学校の同期生であったこと、ただし学校でAは「優秀クラス」、Bは「低能クラス」に分けられていたこと、現在BはAの家に居候していること、Bは子供の頃からAに対して劣等感を抱き続け、今も卑屈なまでにAに隷従していること、またこれに対してAは、Bには「ハゲ」がある、Bは「チンバ」である、とBの身体的な“欠陥”をあげつらい、自らのBに対する優位を疑っていないと思われること-。AがBの身体的特徴を見下し差別し嘲弄するとき、Bが本当にそのような身体の持ち主であるかどうかは判然としないのだが、ともあれBはこの指摘を受け入れ、弱者らしくAにすがりつく。そしてBは「自分はウソばかりつく駄目な人間だ、殺してくれ」とAに懇願しナイフを渡すが、Aは「このナイフはナマクラだ」と難じつつ、Bの「ハゲ」を狙ってナイフを下ろす。以上が第1場である。

第2場に入ると、Aが案じた通りBは死ぬことができず、Bは「君は骨格が丈夫だ」と、またもや身体的特徴をあげつらい、「君を生んだ女も、骨格がたくましく、そしてチンバだ」とその出自をも揶揄する。BはまたしてもAの差別的な言辞を肯定しつつも、ふとAの方がチンバなのではないかというひらめきにとりつかれ、Aに「歩いてくれ」と懇願する。だが、読書するAは決して動こうとしない。BはとうとうAの手にする書物を奪い、今度は、ホクロをナイフで切り取らせてくれ、とAに要求する。Aは、Bがほしがっているような形のいいホクロなど自分の体にはないと応ずるが、BはAの背に跨ってAの体を調べ上げ、とうとうホクロを見つけてナイフを振るい、Aを殺してしまう。ひとり取り残されたBは、ぼんやりと春の到来を待ち望む。

「別冊 別役実 -『AとBと一人の女』より」公演
【写真は「別冊 別役実 -『AとBと一人の女』より」公演から 提供=(財)静岡県舞台芸術センター(無許可転載を禁ず)】

実によくできた戯曲である。差別が常に、被差別者の身体的特徴を理由として為されるということ、しかし同時に、そこで持ち出された身体的な「優劣」には実は根拠がなく、その「優劣」の基準を差別者の身体にあてはめてしまえば、今度は差別者が被差別者に容易に転じてしまうということ-このような逆転の論理(自分の子が、自分の子であるが故に鬼子となって反撃してくる、弁証法の論理とも言えようか)を、たったふたりの登場人物の、対話とも言えないような対話によって描き出した、極めて鋭利な作品だ。これは別役実の処女作だそうで、別役の初期の戯曲群が、緊張感に満ちた闘争のドラマであったことを、改めて確認した次第である。

この戯曲を1961年に初演した際の演出家が鈴木忠志である。鈴木は、もう40年もの間別役作品を演出していないそうで、これが本当に久々の挑戦となったわけだが、別役の初期作品の闘争的性格を浮き彫りにする、見事な演出でこの課題に応えた。言葉によって互いの身体を攻撃しあうAとBの対話の劇を上演するためには、当然ながら、台詞のテンションに拮抗するに足る俳優の身体が求められる。鈴木メソッドによって鍛え上げられた俳優である塩原と加藤は、両者ともぽつねんと舞台上に座ったままであり、また両者とも何やらぶつくさ喋っているだけなのだが、そのスタティックな居住まいの内奥から、異様なまでにダイナミックなエネルギーを発散し、観る者を掴んで離さない。このふたりが演ずる身体の劇として見るならば、AとBの関係は、あたかも同性愛的なエロスを暗示しているかのようでもある。戯曲には登場しない、AとBのいる空間に鳴り響くベルの音の向こうに存在するらしい「一人の女」が象徴する異性愛の論理が、この同性愛的な関係を囲繞し解体する真犯人なのかもしれない。ともあれ、AとBが互いに差し向ける愛憎の感情は、AとBがある意味では同類であるからこそ発生するものであるということが、わずかな距離を挟んで置かれた身体と身体の、同調と離反の劇として表現されていたと言ってよい。俳優がただ存在するだけでドラマが生まれるというこの舞台の有様は、鈴木演出のひとつの究極の形を示していると言っていいのではないだろうか。

また、鈴木は演出上の創意工夫をいくつか加えている。戯曲では登場しない「一人の女」が、鈴木演出では白衣の看護婦(久保庭尚子/内藤千恵子)の姿で、下手の奥まった場所に、ガラス窓越しに浮かび上がる。とするとAとBは、あるいは隔離された患者たちなのかもしれず、AとBの対話にリアリティを覚える我々もまた、既に正気と狂気の境目を見失っているのかもしれない。そしてAおよびこの看護婦が、何の気なしに新聞記事を読み上げるくだりが所々に挿入されているのだが(これも戯曲にはなく、鈴木が加えたオリジナルの場面だ)、それは、かつて十五年戦争下で作られ、日本の植民地支配に寄与したと言われる歌謡曲「何日君再来」が、現代の中国の若者の間で再び流行している、という内容である。そして、Aの手元にある蓄音機からは「何日君再来」が流れる。最後には、Aを殺害したBの手によって、この「何日君再来」が蓄音機から再び流されて幕となる。

時々の政治状況によって翻弄された「何日君再来」という歌が小道具として登場したことによって、この芝居のAとBの関係は、宗主国と植民地の関係を暗示する、国際政治のアレゴリーのようにも見えてくるから面白い。そうすると、例えばAは近衛文麿、Bはその傀儡たる汪兆銘、ついでに「何日君再来」の「君」は重慶に去った蒋介石、といった具合に読み解けようか。実際、塩原が造型したAは大日本帝国下のエリート知識人のように見えるし、加藤が造型したBは、植民者の暗殺を企てるテロリストのように見える。

このような政治的文脈を演出のレベルで設定してしまうと、別役戯曲の「不条理」な多義性が損なわれてしまうと見る向きもあるかもしれない。しかし鈴木は、その「不条理」とは我々が生きる社会を反映したものなのだから、ちゃちな多義性など不要ではないか、確固たる世界認識を提示すればそれでよいではないか、と言わんばかりである。鈴木忠志を、「反近代」を標榜するアングラの旗手と規定するのは昔のジャーナリズムの流儀に過ぎず、彼はむしろ、世界水準の「近代演劇」を作り上げた、日本の演劇史上おそらくはただひとりの演出家である、というのが最近の私の持論である。ミクロな水準では同性愛的なエロスの劇として、中間的な水準では支配/被支配あるいは差別/被差別が反転するロゴスとパトスの劇として、そしてマクロな水準では政治的な侵略と報復の劇として、三つの相を重ねて別役戯曲のポテンシャルを抽出してみせたこの芝居は、まさに、戯曲を多層的に解釈し、極小の人間関係に極大の世界認識を映し出す「近代演劇」の最良の部類に属するもの、否、最高峰に達したものと評してよいだろう。鈴木忠志の、SPAC芸術総監督退任を飾るに相応しい傑作であった。
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第37号、2007年4月11日発行。購読は登録ページから)
※なお本作は、今年5-6月にSPACが開催する「Shizuoka春の芸術祭2007」で再演される(5月3日・5日/舞台芸術公園)。関心のある向きは是非足をお運びいただきたい。

【筆者紹介】
大岡淳(おおおか・じゅん)
1970年5月兵庫県西宮市生まれ。演出家・演劇批評家・パフォーマー。(財)静岡県舞台芸術センター企画委員・文芸部員。「普通劇場」メンバー(http://ordinary21.web.fc2.com/)。桐朋学園芸術短期大学、静岡文化芸術大学、河合塾COSMO東京校で非常勤講師を務める。

【上演記録】
SPAC「別冊 別役実-『AとBと一人の女』より」-芸術総監督お別れ公演「鈴木忠志の軌跡」
原作:別役実
演出:鈴木忠志
出演:SPAC
静岡・舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」(3月17日、31日、5月3日、5日)
http://www.spac.or.jp/artfes07/15.html

【参考情報】
別役実の著作(amazon.co.jp より)
鈴木忠志の著作・DVDビデオ(amazon.co.jp より)


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