岸井大輔(劇作家)

否定の扱い方を考える中、倫理と観客を見つけた(前編)―これは演劇じゃないな、掃除だな、と思ったんですよ

 6年前の2007年にロングインタビュー(>>)に登場していただいた劇作家・岸井大輔さん。今回聞き手を務めた廣澤は、昨年より『東京の条件』「シェア大学(仮)実験室」(現『無知な大学』)の講座「定義し創る」で岸井さんのもと、観劇の定義について考えています。1年弱の間、岸井さんの作る演劇に触れる中で、そこではいつもパフォーマーにさせられ、観客でいることは難しいと感じていました。そこで、普段ご自身の劇作についてあまりお話されることない岸井さんに、この6年間の活動を振り返りながら、主に作品における「観客」という観点からお話を伺いました。今回は全2回のうち、前半部分をお届けします。(聞き手・構成 廣澤梓@ワンダーランド編集部)

否定を加えた集団創作の方法を整理する

―前回のワンダーランドでインタビューをさせていただいたのが2007年。それから6年が経とうとしています。まず、この6年で岸井さんがご自身の劇作について、大きく変わったと思われることを教えてください。

岸井大輔
岸井大輔さん

岸井:前回のインタビューは『POTALIVE』と『文(かきことば)』まででしたね。インタビューのあとがきで「もう少しで演劇の形式化は終わるだろう」といいました。ところが、あの後、取り組みはじめた課題が意外に大きかった。で、それに関する試演や検討を行った6年でした。

 あのときのインタビューで詳しく話しましたが、1995年から僕は「創作方法による演劇の形式化」を目標に活動しています。最近よく、それは僕にとってどのくらい大事かと聞かれます、ので、あらかじめ、それしかしていない、と答えておきましょう。今では、僕ら世代の演劇人の役割は、演劇のポストモダンを基礎付ける事だと確信するようになりました。で、僕にとって「創作方法による演劇の形式化」こそがそれにあたるのです。噛み砕いて言うと、よい劇を創るとき踏んでいる手順を発見し、その手順に従う事で新たな劇を創れないか考えるということですね。
 それが僕のやり方なんだけれども、2007年までやってきたことを「演劇の形式化・特殊」と読んでいて。

―とくしゅ?

岸井:アインシュタインの相対性理論には、特殊相対性理論と一般相対性理論があってそこから取って名前をつけてます。特殊相対性理論はあるシステム(慣性系)について考えている。それに対して、一般相対性理論は系一般を検討している。僕が2007年当時にまとめた演劇の創作方法=「演劇の形式化・特殊」は『まちから創る』というワークショップでシリーズ化してカリキュラムにしています。作品の作り方から始めて集団創作の仕方までをまとめたものなんですが、その方法・手順を守ると、必ずいい演劇ができると僕が考える方法をまとめました。それで、新たに「演劇の形式化・一般」を目指し始めます。「演劇の形式化・特殊」で考えられていなかったことは「否定」なのですね。否定しない、という条件下でいい劇を創る方法を整理した。

―何を否定しないんですか?

岸井:全部です。notを使わないということ。よくブレインストーミングとかのルールで否定しないっていうのあるでしょう? あれをもっと一般化した感じ。集団のコミュニケーション全過程をブレインストーミングにするってことです。面白い劇を創る方法の研究ならそこで終わりでも良かったんですけど、僕は演劇一般を創作方法によって定義したいので、物足りなかった。だって、notってありふれていて、日常的に言っている。それに、否定が入っても面白い劇なんていっぱいあります。否定をいれた状態で演劇を創作方法により形式化するという目標を立て、2007年ごろから動きはじめました。

 2007年にまとめた「演劇の形式化・特殊」の実践・応用は2010年まで続きます。ワークショップを受けこの方法でできるようになった人たちによる実証上演が、こまばアゴラ劇場「夏のサミット2007」参加作品であるPOTALIVE『駒場編vol.2 LOBBY』。ワークショップのOBが作る、この創作形式に基づいた27個のpotalive作品をやってみました。僕は、ワークショップで創り方を共有しただけで、それぞれの作品については演出や指示出しなどはしない。ダンスやってる人、演劇やってる人、普通のサラリーマン、それぞれ全然違うものが創られました。

 その後、ワークショップを受けてない人にも同じことができないか、つまり、ワークショップ受講者ではない、たとえば道でたまたま出会った人でできた人の集まりを、面白い演劇であるとその場でいえるようにできないかに挑戦しました。たとえば2009年の『墨東まち見世 LOBBY』とかがそうです。

―今回のインタビューのお願いをしたときに、前回のインタビュー以降を暗黒期とおっしゃっていたと思うんですけど、それはなぜですか?

岸井:否定を加えた方法を整理するのが思ったより大変だったんですね。かなりの確率で面白くならないのを知っていることを、やらないと確認できないから試してみる。実験なので、その営み自体はいいんだけど、やっぱり悪い劇に立ち会い続けるのはあまり気持ちよいものではなかったです。

 否定を中心に扱うようになったのは、2011年の『準備室』以降です。否定が有意なのは、自分を否定して乗り越えるというようなときで、それは多くコミュニティ内で起こっています。また、コミュニティが外との関係において否定される事があって、その内面化も否定を生み出します。それまでは、否定を考えないことで成り立つ劇作を考えていました。つまり、コミュニティを考えてない。僕が劇団というコミュニティを自分の表現の中心にしなかったのは、否定を入れないためだったんだということがこのときわかりました。

―岸井さん、劇団やったことあるんですか?

岸井:2回だけあります。若いときを除くと(1回目インタビューにて劇団「夜魚の宴」について言及あり。)「simple」という劇団がありますね。これについては、1回目のインタビューでは言ってないです。1年半やって、4回公演しました。

 この劇団では『1988年6月30日、あるいはバイエル』(2003年初演、2006年再演)を初演してます。『記憶の再生』という作品があるんです。「僕と10時間話すと、あなたが10年前にやっていたことを思い出させることができます。」っていって、話して思い出させるだけ。スタニスラフスキーから来ていて。彼は記憶が浮かぶとき良い演技になるというようなことをいっているんだけど、それは俳優以外でも誰とやってもよい演技が見れるんじゃないか、と。だから、記憶を思い出す瞬間をつくれば、いい演技を創れるなと思って。実際思い出している瞬間に立ち会うとすごいなあと思うんです。けど、これ、どうやったら人に見せられるのかな、と思って。

―そうですね、それだとお客さんいませんよね。岸井さんだけですよね。

岸井:そうなんです。『記憶の再生』は美術展に併設されたカフェスペースでやっていたので、通りかかるお客さんは説明とともに、僕たちが話している様子を見ることはできたんですけどね。そこで興味を持った人は予約してもらう。密室ではない。けど、僕がいい演技だと思う記憶を思い出している瞬間に出くわすことは難しいですよね。

 そこで、記憶を思い出した瞬間をテープ起こしして台本としました。10人分、5分ずつで50分。喋っていた本人が良い演技をしていた台詞を、演技としてやるとどうなるのか、というのがsimpleの第二回公演。

▼ころがす『1988年6月30日、あるいはバイエル』(再演)劇評(小澤英実「あやふやな身体のための演劇入門(バイエル)」) >>

 simpleの第三回公演は『たまをはこぶ』(2003年)という作品で、僕の書いた戯曲を、俳優がやりたくないと言ったので、その様子を録音し、会話を抜粋した戯曲を創りました。つまり『たまをはこぶ』という戯曲が何故上演されなかったかということを上演した作品。こちらは、「やりたくない」といっている姿がよい演技に感じたのですね。

―『たまをはこぶ』は先ほどの否定をしないということに含まれていますか?

岸井:僕は「嫌」は否定じゃないと思うんですよね。「好きじゃない」は否定だけど。

―どういうことでしょうか? 詳しくお話いただけますか?

岸井:否定=notは理屈なんですよ。「嫌い」も「好き」も感情だけれど「ない」は言葉です。マイムで否定を表現しようとすると記号にせざるをえないでしょう。このころは「理屈にせず、嫌ならそのままで」ということがやりたかった。
 嫌がるのって面白いなと思って。自分の土地はここだ! っていっている人みたい。

―何かを守っている感じはしますよね。

岸井:守っている面白さをそのまま見せてるということ。踏み込まないでいいものを作ることはできないかと2009年くらいまでやっていたのです。でも、やはり踏み込まないと駄目だなと思って。いい演劇の多くは相手の身体や陣地に踏み込んでいるのだけれど、で、踏み込んでみたら、いろいろ悪いことが起こった。だから暗黒時代ですね。

41歳にして初めて観客とは何かを考えなければならなくなった

―私はこの1年弱くらい岸井さんの周りをうろうろしていますが、ただ観客であることは難しいな、と。巻き込まれ型演劇だと思います。劇作家にはパフォーマーが必要って以前おっしゃってたと思うんですけど、まさにパフォーマーにさせられる。でも、前回のインタビューを読んでいる限り、『POTALIVE』の時点ではまだお客さん、観客がいると思いました。ここで観客についてお話を伺いたいと思います。

岸井:よく思い出すんですが、日本青年館で夢の遊眠社の『野獣降臨』を見たときに、あるダジャレで場内大爆笑だったところ、僕はそれに引いてしまったんです。そのとき、舞台上の段田安則さんが僕の目を見て頷いたんですね。「そうだよな」という風に。それから相手の俳優に突っ込みの台詞を言った。僕は、僕に同意していただいた上で、芝居が先に進んだと思いました。客席を塊としてみないで、客ひとりひとりを、観ているんだなと感じて。僕がいい演劇と感じたものは、お客さんをひと塊じゃなくてそれぞれに捉えているな、と。999人が喜んでいても、1人が引いていれば、その人がいることを個別に受けとめた上で、演劇が前に進んでいく。

 もちろん段田さんが本当に僕のことを見ていたかどうかは微妙だと思いますけど。でも、僕は演劇人はそれができなければいけないと、割と本気で信じています。
 さて、この考えでは、俳優と観客には本質的な差はない。観客はあまり台詞を言わないだけのキャストである。でも、たまに笑ったりして空間に影響を与えるでしょう? ずっと黙って観ている俳優もいるわけだから。僕は、劇では、観客もゲストじゃなくてキャストだと思ってたんですね。だから、キャストでないという顔をしている客が憎くて。ただ見に来ているなんて、何をふざけたことをしているんだと思っていました。

 考え方だけなら、観客が本当に設定できないここ3年の作品よりも、昔の、劇場でお客さんに見せていたときの方が巻き込み型だったと思います。客席に座って暗闇の中で守られているなんて、そんなことは許さない、と。素朴に。子供の頃から演劇はおままごとをしたり人形劇をしたりしていた延長で演劇を考えていた僕は思っていたんです。
 もちろん、ただ、全員を舞台に上げればいいということではないです。端的につまらなくなる。その場にいる人が全員キャストなのだけど、いい劇を創る方法を考えていた。

 『POTALIVE』は素朴なアイデアで、歩いてるとき、人が通りかかったりすると、観客できていてもちょっと避けたりするでしょう。客席に座っているよりも、劇を進めている一部であると参加者が意識するんです。だけど、それでもただ観客としている人はいるんですよね。じゃあどうしたらいいんだろう、と考えた。

 そこで、2010年に『会/議/体』という作品を作ったんですよ。「会議をします」と言われれば、ただ見たいだけの人は来ない。その上で「演劇の形式化・特殊」に乗っ取ったルールで来た人会議をやれば、よい劇になる。会場に客席はなくて、ただスタバとか、本当に狭い机と椅子しかないところとかね。

―本当に会議室みたいなところですね。会議をやることは事前に知らされてたんですか?

岸井:前もって言ってました。議題は、その場に集まったそれぞれの人の悩みや問題。会議の結果できた解決プロジェクトを、さらに集まった人々で実行されるようになっています。偶然集まったメンバーの問題を、偶然集まったみんなで解決する、という演劇。思いついたとき、これは観客いねー!! とすごい興奮しました。

 ところが、あるとき『会/議/体』に「両親の仲を良くしたい」という問題が持ち込まれ、その解決策として、「会議に参加したメンバー全員で実家を片付ける」ということになって、みんなで夢中になって家の掃除をしたんです。掃除はかなり楽しかったのですが、その最中に僕は、これは演劇じゃないな、掃除だな、と思ったんですよね。当たり前じゃないか、と思うでしょうが。あのとき僕はかなりびっくりしましたね。

―そのような、没頭する作業のようなことはそれまでになかったんですか?

岸井:ここまで完璧なことはなかったんですね。普通に仕事をしていても、どこかに他者を意識していたりするでしょう。それなら潜在的に観客はいるので、演劇になるのですよ。あまりにも熱中してしまって、完全に各人の中の観客も消えてしまった。ちょっとでも嫌々やっているのが入れば、そこに観客視点は潜在的にできるんだけど、そのとき皆集中して掃除をしていた。

 観客を消す努力をしてきたのに、観客がいざ消えたら、劇じゃないと感じて。僕の仮説が間違ってたのがわかったっていう。キャストになろうとしないお客さんを憎んでいたのに、お客さんが消滅すると演劇はなくなる。僕は本当に途方にくれました。2010年の11月の頭のことです。

 僕は41歳にして初めて観客とは何かを考えなければならなくなった劇作家という。意味のわからないことになった。びっくりしたね、あれはね。

否定が組み込まれている集団が、文化があると呼ばれるんだと気がついた

岸井:そこにいる人全員が「演劇の形式化・特殊」に沿うことでよい劇を創ることを考えた2008年頃から「場」の作品が多くなりました。同時にハンナ・アーレントの存在が大きくなりました。例えば『東京の条件』(2009年-2012年)ではアーレントの代表作『人間の条件』を戯曲として東京で上演し、主に場を創っていく作品です。

 アーレントは公共について考えた人です。例えば彼女の『革命について』を乱暴に要約すると、革命はいいたいことをいえないから起こるものなのに、革命が達成されて権力を持った途端、目的が食料問題にすり替えられることが多い。革命の目的は本来、そこにいけばいいたいことが発言できる場=公共を作り参加することだし、それを守るのが永続革命なんじゃないか。

 僕はこの議論を面白いと思いました。で、アーレントがいうような公共、いいたいことを言える場を東京に点在させる方法を検討したのが『東京の条件』です。革命です。『会/議/体』はそれをベタにやったわけです。とにかく、ほぼ毎日ただ誰でも参加できる会議を主催する。
 どうなったか。人に話を聞いてほしいけどすぐ否定されて話せない人が多く集まる。

―否定の山が大きいわけですよね(笑)。

岸井:否定されないから当然ですけど。僕は、そういう人は面白いと思うので、今までの上演の中では、面白い人に出会う確率が一番高かったと思います。そういう誰でも自由に発言できる場所を作ったら炎上したり腐敗したりするんですよね。場が持たなくなってしまう。大雑把にいうと、閉じて腐るか、開いて燃えるかする。集団に否定が必要なのは、まず、腐ったり炎上したりの原因を防ぐためと気がついた。

 では、一般に炎上や腐敗を防ぐにはどうしているかを調査検討しました。それはつまり、文化といわれるものだな、と。文化をどう共有するかの仕組みを考えないと。否定が組み込まれている集団が、文化があると呼ばれるんだと気がついたんですよ。否定を排除すれば人はどんどんクリエイティブになって、言いたいことも言えるようになるんだけど、それでは場が持たない。

 この作品は、東京都文化発信プロジェクトの一部として上演していたので、そうか! 東京の文化=東京では否定をどのように生活に取り込んでいるか、を、調査して作品にして発信すればいいんだー! と思って。で、東京の文化って何だと探してみると、それは「いき」に要約されるようなんですね。最初はあまりピンと来なかったんですが、「いき」を九鬼周造のまとめているように解釈すると、それが東京のあらゆる側面に出てくるのが観察されました。

 九鬼によると、「いき」は根本的には色事、恋愛沙汰で、そこに禅の諦めと武士の意気地がくっついている。具体的には、まず、他人と仲良くなりたいというのがある。でも、わかり合えないという根本的な諦めがある。でも発言するんだと意気地がある。ほどよい関係を維持する一つの考え方を整理した美意識でしょう。ある場や集団において「いき」な人が尊敬されれば炎上や腐敗を予防することができます。「いき」は人間集団の健康のための美意識なんですよ。

 同時に、東京だけでなく、いろんな文化のフィールドワークや研究をしなきゃと思いました。僕が手に入れたいのは否定を含んだ美学全体ですから。ひとまず国内のあちこちに出かけるようにし、美意識を眺めることにしました。

 2012年は、関西と関東の比較や、宗教とか習俗とかを検討するために作品にしたりしはじめました。例えば兵庫県西宮市で作った『ふね、やまにのぼる』(2012年)や『大阪七墓巡り復活プロジェクト』(2012年)は、宗教儀礼をシミュレーションしています。それは、どうやって関西人が否定を上手くコミュニティに入れて、炎上や腐敗を防いでいるのか。東京との違いは何か、と。
 その過程で、僕が探しているものは、アリストテレスとかヴェーバーとかがエートスと呼んでいるものだと気がつきました。

 エートスについても簡単に説明します。ある行いは、意志から生まれているのか、行為から生まれているのかわからないでしょう。演劇を、中から作っているのか、外から作っているのか、どちらかということではない。

―中と外とはどういうことですか?

岸井:例えば、演技を内面、感情や人物の歴史から作るのか、動き方などの外見、形から作るのかという議論です。僕の解釈だと、アリストテレスは区別できないといっているんだと思います。その区別できないものをエートスと呼んでいる。うまく回っている集団は、エートスに秘密があると思った。それを創作に使う方法を2009年から考え始めました。同時にそれは観客目線が入るきっかけになると気がついたんですよね。

―その中と外って、演劇をやってる人と見ている人でもいいですよね?

岸井:そうですね。内と外の視線の両方が必要であり、両方を含む、とも読み替えられますね。
 個人的にはエートスなんて考えなくても、無前提に楽しく、生物的に反応してるだけのよい劇があると思っている。教養とかなくても楽しめる。たとえば僕にとってモーツァルトのオペラはそういうものと感じるので。

 「演劇の形式化・特殊」では、その場にいる人全てがOKをだしていることが大事だ、といっていた。この条件では、観客はいなくなってしまうけど、文化を共有していない他者との仕事はできる。今わかっている、「演劇の形式化・一般」を整理する過程で、エートスに触れる事こそが演劇なのじゃないか、と考えている。でも、エートスとか教養とかいうと、無前提に面白いものは説明できなくなる気がします。

 ここで、またしてもスタニスラフスキーを思い出します。彼は演劇と倫理(エチカ≒エートス)を結びつけた。単なる教訓だと思っていたんだけど、意外に重要だったんだなー、と気がついて驚いています。同時に、否定からエートスと、他者の目線=観客の話が見いだされたのは楽しい経験でした。

 2012年までそこで観客が立ち会う作品は創れなかったんですけど、たとえば、『ふね、やまにのぼる』は観客が見ようと思えば見れるんですよね。砂浜の流木で創ったふねを、途中で出会った人たちを巻き込みつつ山まで一週間かけて担ぎ上げる作品なんだけど、船を担がずに見るだけということができます。東京で同じ事をやるのなら、観客を意識して排除しないと演劇にならないと僕は感じたと思う。だから、あれは関西の文化、西宮のエートスに依存しているということです。エートスまで作り出さないと、演劇を創った事にならないんじゃないか、と思っています。

 今の東京には、そういう意味では文化が希薄です。腐敗と炎上がしやすい場所です。だからこそ東京でやりたいと思う。エートスの少ない東京でお客さんに見せることは可能なのかを考えたい。
(2013年4月13日、東京・池袋のみらい館大明にて。後編に続く。)

【略歴】
岸井大輔(きしい・だいすけ)
 劇作家。1970年11月生。早稲田大学大一文学部卒。他ジャンルで追求された創作方法による形式化が演劇でも可能かを問う作品を制作している。詳しくはワンダーランドインタビュー(http://www.wonderlands.jp/interview/008kishii/)参照。代表作『P』『potalive』『文』『東京の条件』。2013年上演を『人間集団を美的に捉えそれに立ち会うこと』と定義した。

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