忘れられない一冊、伝えたい一冊 第27回

◎「ローザ・ルクセンブルク」(J.P.ネットル 河出書房新社)
 黒澤世莉

「ローザ・ルクセンブルク」表紙
「ローザ・ルクセンブルク」表紙

 人間にしか興味がないので、人間くさいものが好きだ。私にとって人間くさいものとは、完全無欠の英雄ではなく、魅力的だが時としてそれ以上に欠点が目につくような人物だ。さっそく話は逸れるが、だから夢を題材にした作品はどんなに名作と言われているものも楽しめないし、夢オチに出くわすと落胆する。日常的にも他人の夢の話を聞くことに何の興味も持てず聞き流してしまう。たとえ虚構であっても、虚構の人物たちにとっての現実がはっきりしているものが好きだ。

 本書は実在した革命家、ローザ・ルクセンブルクの伝記である。作家はJ.P.ネットル。ローザ・ルクセンブルクと聞いて反応する方は、世界史や社会主義思想を熱心に勉強した方だけかなと思う。ローザをご存知のない方のために簡単に説明すると、19世紀末から20世紀初頭のドイツを中心に活動した人物である。彼女はドイツ社会民主党の論客として活躍、やがて袂を分つてドイツ共産党の創始者となり、第一次世界大戦直後の政情不安の中、治安維持を大義名分とした謀略によって惨殺された。気高くぶれない精神の強さ、公開された書簡集に書かれた情緒あふれる繊細な人柄、そして女性であることなどが、劇的な死に様と相まって、革命運動が活発だった頃には悲劇のヒロインとして知られていた。しかし、その後社会主義運動が下火になるに連れて、彼女の名前も徐々に忘れられていった。

 私が本書と出会ったきっかけは、ローザを題材にした評伝劇、「ローザ」執筆にあたっての資料の一部としてだ。いくつかの資料をあたった後であり、もういいのかなと思っていたころだったが、最初の数ページを読んでその考えが間違っていたことにすぐ気づいた。

 評伝は著者と題材との距離のとりかたが難しい。愛情が深すぎれば距離が近くなりすぎて近視眼的になるし、距離を取ろうとすれば全体を俯瞰する情報だけ羅列された資料集になってしまう。ローザの評伝についても、彼女に心酔しきっていて客観性が不足しているか、敵愾心が強く出ている印象が残ったりした。本書はローザと見事な距離感を保っている。ネットルは自身が他の哲学者の文章について書くように「過剰な修飾」をしたりはしない。しかし彼独特の感性によって、単純明快でありながら愛情とおかしみを感じさせる文章を書く。読者は彼がローザに愛情を抱きつつも、決して資料からは逸脱しない公平さを持ち合わせていると感じとり、安心して情報を受け取ることが出来る。そうすると、一般に言われているローザの優しさや賢さ、意志の強さだけではなく、理不尽な一面や頑固な性格、敵に対する容赦の無さなども垣間見えてくる。そして、そうした一般的には弱点や欠点だと捉えられる部分が表面化している方が、読者としては親近感が湧くのだ。しかも著者の筆致はあくまで資料に忠実で、膨大な資料に裏打ちされた上下二巻の圧倒的な情報量にもかかわらず、読者が自由に想像できる余地を残してくれる。最初に書いたとおり、私は魅力と欠点を併せ持つ人間が好きだ。ネットルの描く人間ローザに夢中になってしまった。

 なぜローザ・ルクセンブルクを題材に台本を書いたか、という質問をよく受けた。まったく別の物語をあたっているときに、ローザ・ルクセンブルクのある言葉に出会ったことがきっかけだった。
“Freiheit ist immer Freiheit des Andersdenkenden.”
「自由とはいつでも、自分と意見を異にするもののための自由である」

 つまり「私は他者が自分と違う意見を持つ自由を認めるよ」ということである。サッカーファンに例えれば、どんなにバルセロナが好きでも、他人がレアル・マドリーのファンであることは認める、ということだ。「オレはバルサを愛している」というのは自由だが「オレがバルサを好きなようにお前もバルサを愛せ」と強要するのは暴力だ。こう書くと笑い話のようだが、自分の意見を他者に強制するという暴力は、20世紀初頭のドイツだけでなく、現在の日本を含め世界中で行われている。私の創作に対する欲求の核は、煎じ詰めていくと「他者に対する不寛容との戦い」になっていく。まさに自分の核となる思いを撃ちぬいたローザの言葉にしびれた私は、たいして知りもせずに彼女のことを書くと決めて、えらい苦労をすることになった。社会主義もドイツ史も専門ではない人間が書くには、彼女の人生は専門用語で溢れており難儀な人物だ。本書は困ったときに行き先を示してくれる優秀な案内人役、欠かせない資料だった。

 本書は彼女が生まれてから暗殺されるまでの47年の人生と、彼女が活躍した時代背景の説明、彼女の発言の政治的な意味合いと位置づけ、その後の彼女が世界に与えた影響を、冷徹で正確かつ愛情のこもった筆致で描いている。


 もしもローザに興味を持った方がいて、彼女に関する本を一冊勧めるとしたら、本書ではなくルイーゼ・カウツキー「ローザ・ルクセンブルクの手紙」岩波文庫版だ。こちらは政治的な資料もあるが、彼女の個人的なことや情緒的な部分、優しさや芸術的な感性に触れられるし、なにより手紙なので読みやすい。それだけでなく、最初は格式張ったやりとりから友人同士になっていくやりとりは物語を読んでいる気分にさせる、よい本である。「ローザ・ルクセンブルクの手紙」を読んだ上で、もしもっと彼女に興味がわいて、専門的な政治用語や欧州大陸の政治状況の解説に尻込みしないのであれば、ネットル著の「ローザ・ルクセンブルク」を強く勧めたい。私が読めるのだから素人でも理解できる本であることは間違いないので、安心してほしい。最初取っつきにくさはあるかも知れないが、一度乗ってしまうとすらすら読み進めてしまう良書である。

 2010年代の日本が1930年代のドイツ・ワイマール共和国によく似ているというのは、多くの方が指摘する所であるし、私もそう思う。いまの自分たちが置かれている状況が危機なのかどうか、渦中の人間には分からなくても、過去を俯瞰してみる事で学べることは少なくないだろう。もしもいまの日本に問題があると思っているのであれば、本書を読み、20世紀初頭のドイツを駆け抜けた革命家の思想と生涯を知ることは、無駄にはならないだろう。そこに答えはないかもしれないが、問いを立てるにあたって新しい裏打ちができるかもしれない。そんなことはおいておいても、ローザという人間は実に身勝手で愛情深く、情熱的で一途であり、勤勉で勤労であり、敵対者には容赦ない魅力的な人物なので、人間くさいローザに触れたい人にもお勧めしたい一冊だ。

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【筆者略歴】
 黒澤世莉(くろさわ・せり)
 1976年東京生まれ。演出家。時間堂主宰。佐藤佐吉賞優秀作品賞、演出賞受賞。スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学び、時間堂として活動を開始。劇団外部の演出も多数。「俳優の魅力を活かすシンプルな演劇」を標榜し、俳優と観客の間に生まれ、瞬間瞬間移ろうものを濃密に描き出す。指導者としても新国立劇場演劇研修所や円演劇研究所、俳優指導者アソシエーションなどで活動中。

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