忘れられない一冊、伝えたい一冊 第33回

◎「如月小春のフィールドノート」(如月小春著 而立書房)
 オノマリコ

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 如月小春が生きていたら、と思うことがある。彼女がいれば、いまの日本の演劇はもう少し広かったんじゃないか。
 わたしは如月小春に会ったことはない。彼女が演出している舞台を見たこともない。ただ戯曲や演劇についての論集を読んだことがあるというだけ。(それも数冊しか読んでない。)1980年代の演劇についての知識もいびつだ。そんな頼りのない頭からの推論なのだが、1980年代から彼女が急逝した2000年までの間、演劇に関わる多くの人たちの中で如月小春だけが注目し、耕していたものがあったのではないだろうか。

 『如月小春のフィールドノート』は如月が1981年から1984年の間のエッセイと、一本の戯曲が収録されている。なかでも忘れられないのは、理想の劇場空間について書かれた「第三の劇場」というタイトルの一篇だ。

私が出かける芝居のうちの三割ぐらいは「○○ホール」とか「××劇場」とか呼ばれ、床に緑の絨毯の敷かれた文化的な場所で上演されている。 〜中略〜 座席は全部正面向けてきちんと縦横に並べられており、暗黙のルールが私を金縛りにする。動いちゃいけない。喋っちゃいけない、そして眠っちゃいけない(道徳的制約!)の三原則。

 わたしもよく知っている空間である。如月はこれを第一の劇場と呼ぶ。

で、残りのうちの六割はいわゆる小劇場での小劇団の芝居である。 〜中略〜 そこはたいてい駅前の繁華街を抜けた辺りの裏通りで、「安いよ、安いよ!」の声がハゼる夕暮れ時、買物籠のオバサンたちとすれちがえばもうここから芝居のベースたるべき<裸電球四畳半的生活感>の序奏は始まっているといってよい。薬局、パーマ屋、雀荘、八百屋、そしてスナック!の隣のビルの三階だか地下だかに向かう幅の狭い急な階段!の両側にはやたら「!」のついた他の劇団のポスター! 場内は暗幕が張り巡らされ、端から詰め込まれる。一度入ると(他人を踏みつけずには)二度と表に出られないような客席の造りで身動きがとれない、息苦しいことこの上ない。そして芝居の始まりはブルーのサス(照明)ときている。要するに、空間自体がひどくマゾヒスティックな構造をしているのだ。

 以上が、第二の劇場。1980年とは生活のディテールが若干異なるが、わたしは第一の劇場以上に足を運んだことのある空間だ。
 第一の劇場の大仰さと傲慢さ、第二の劇場のマゾヒズム、その両方に共通するのは、観客に対する(見せる、表現する、にあたっての)ひどく権力的な姿勢だと、如月は書く。
 そう、どちらの劇場も、芝居を上演する側は(上演のだいたい90分から120分の間)「その場所に座って、見ること」を観客に強いている。舞台の上には生きている人間がいて、彼らを無視するのはなかなか難しい。劇場にはすでにその「見せる」「見せられる」構造が作られていて、わたしたちをリラックスできない状態で客席にしばりつけている。そうして上演する側は、自分たちが見てもらえるのは劇場の力だとは気がつかないまま、傲慢にも「見せ」続けている。
 もちろん見たくて劇場に行っているのだ。見られればうれしい。だが舞台上の人間や、芝居を作っている人間は、客席のなかに身動きのできない観客がいて「見」ていることを当然だと考えてやいないだろうか。わたしにしても、どうしてこんなふうに見せられないといけないのかと客席にいると疑問に思うが、それを自分が上演するときにどれだけ持っていられたか、恥じるばかりだ。

ともかく私は自分自身のために第三の劇場を探さねばならない(これ以上権力的な姿勢で上演しないためにも)。

 「第三の劇場」。文中では例としてガレージや倉庫、テント芝居などがあげられている。だがなにより如月にとってそれは「権力的な姿勢で上演しない」ものだ。
 この文章が書かれたのは1980年だが、それから30年経って、ギャラリーや美術館、カフェでの公演が増えた。しかしそこでも「見せる」ことにあぐらをかいていては第一・第二の劇場と同じように権力的な姿勢の芝居になってしまう。それどころか、本来劇場ではないことから客席に環境的なストレスまで与えかねない、それはもうただ鈍感な芝居だ。

 「ちょっとそこに座ってて。見てて。わたし、踊るから。」
 
 そう言って、お互いリラックスした状態で、一方は踊り、一方はそれを見る。そんな幸せな関係の延長に、演劇、そして上演する側と観客の関係もあればいいと思う。(演目によって、幸せな関係とはどういうものか変わるだろうけれど)
 そして、それならば、「第三の劇場」は既存の劇場を使ってもなしうるものなのかもしれない。「見せる」ことを無自覚に強要するのではなく、自覚的に「見てほしいのだ」と告げて進行するような、そんな舞台上と観客との関係。
 そんなことを、最近は考えている。ともあれ演劇大地に耕す場所はまだまだある。「第三の劇場」のほかにも、この本にはいくつもの気づきが含まれている。わたしにとって大切な一冊だ。

370_book_ono【筆者略歴】
 オノマリコ(おのまりこ)
 劇作家。演劇ユニット「趣向」代表。長島確のつくりかた研究所研究員。
 1983年生。神奈川県藤沢市出身。哲学と短歌を好み、演劇とは無縁の学生生活を過ごす。大学卒業後、詩の出版社に入社し退社。その後ぽつりぽつりと戯曲を書き始める。代表作は「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」、一人芝居「三月十一日の夜のはなし」など。瑞々しく色彩豊かなセリフを特徴とし、言葉で時空間を飛び越え、スケールの大きな劇世界を作る。


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