SPAC『マハーバーラタ』アヴィニョン演劇祭公演

◎異国趣味と普遍性:フランスの劇評から読み取る宮城聰演出
 片山幹生

【目次】

  1.  はじめに「悦びはわれらとともに! ほら、ここに平和を見出せり!」
  2.  アヴィニョン演劇祭とは何か
  3.  ブルック『マハーバーラタ』の幻影
  4.  観客を取り囲む舞台
  5.  音楽
  6.  甘美な童話の世界へ
  7.  卓越した俳優の技術、ユーモア、そして阿部一徳の語り
  8.  絶賛の声
  9. 「詩的で政治的なフェスティヴァル」の実現:教皇庁前広場での無料特別公演の反響
  10.  総括:ジャポニスム、オリアンタリスムから普遍へ

1. はじめに「悦びはわれらとともに! ほら、ここに平和を見出せり!」

「最後の場面でダマヤンティ姫はあらわになった腕を空に向かって伸ばす。その動きは完ぺきなものだった。マハーバーラタの神々が演劇の神々と重なり合った瞬間だった。われわれは至福を味わった。「ナラ王の冒険」の結びのことばは信じるに値する。『悦びはわれらとともに! ほら、ここに平和を見出せり!』」(『ル・モンド』紙、2014年7月9日

【写真撮影:新良太】
【写真撮影:新良太】

 アヴィニョンではこの季節に滅多にない豪雨に見舞われ、7/7に予定されていた宮城聰が演出するSPAC『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』の初日の公演は中止になった。翌7/8に一日遅れて初日が明けた。その翌日、フランスの代表的日刊紙である『ル・モンド』と『リベラシオン』に、『マハーバーラタ』初日公演の劇評が掲載された。作品の特徴を理知的な文体で説明していた『リベラシオン』紙の劇評(7/9付)は、「Nickel!(非の打ちどころがない!)」という感嘆の意を示す口語表現で締め括られていた。この2紙の初日劇評を読んで、筆者はSPACのアヴィニョン公演の成功を確信した。上演会場であるブルボン石切場の野外劇場は約1000人の観客を収容可能だが、9回の公演はすべて満員で、終演後のカーテンコールでは、毎回、熱烈なスタンディング・オベーションがあったそうだ。7/23付の『RFI』の記事には「一般の観客もジャーナリストも満場一致で称賛した」とある。

 筆者は残念ながらアヴィニョンで『マハーバーラタ』を見ていない。本稿は、フランスの公演評からSPACアヴィニョン公演を総括し、その内容を検証するメタ劇評である。本稿の執筆にあたって、筆者は確認できたすべての公演評(『マハーバーラタ』に関わるもので約40本)に目を通している。本稿を読めば、SPAC『マハーバーラタ』アヴィニョン公演に対してフランスのジャーナリズムがどのように反応したのかを確認できるだろう。
 筆者が確認できたSPACアヴィニョンの公演に言及している記事一覧を本稿の末尾に掲載した。『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』公演に触れていた記事は41本だった。このほか、『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』と『室内』の両方に触れていた記事が5本、『室内』公演に関わる記事が22本あった。ただしこれは網羅的なものとはいえない。筆者が参照した評はネット上で確認できるものが主であり、筆者の検索から漏れた記事・劇評、筆者が確認できなかった紙媒体に掲載された劇評がこの他にもあるはずだからである。

2. アヴィニョン演劇祭とは何か

 アヴィニョン演劇祭は、毎年7月のヴァカンスの時期に開催される世界最大規模の舞台芸術の祭典である。アヴィニョンはフランス南東に位置する人口9万人ほどの都市だ。パリからはおよそ600キロの距離にあり、フランスの新幹線であるTGVを使えば2時間40分ほどで行くことができる。1309年に教皇のアヴィニョン捕囚によってローマ教皇庁がこの都市に移転され、教会大分裂の時代(1378-1407)を含めて、100年以上にわたってこの都市に教皇庁が置かれた。旧教皇庁を中心とする旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。

 この旧教皇庁の中庭は、アヴィニョン演劇祭の出発点となった。1947年にこの演劇祭の創始者であるフランスの俳優・演出家、ジャン・ヴィラール(1912-71)は、旧教皇庁中庭で『リチャード二世』を上演した。第1回のアヴィニョン演劇祭(この年は「芸術週間」と呼ばれていた)の開催期間は1週間、上演されたのは3演目、有料観客数は3000人弱だった(ミシェル・コルヴァン編『演劇百科事典』の記述に拠る)。この後、アヴィニョン演劇祭は、同じ年に開始されたエジンバラ演劇祭とともに、世界最大規模の国際演劇祭へと成長していった。アヴィニョン演劇祭は、世界各国から招聘された団体の公演からなる公式プログラムの《イン》と、自主参加部門である《オフ》がそれぞれ別の組織によって運営されている。

アヴィニョン演劇祭の表看板は正式招聘プログラムの《イン》であり、メディアで取り上げられる公演の大半は《イン》の演目だ。しかし演劇祭期間中のアヴィニョンの祝祭的な雰囲気は、むしろ《オフ》の団体の熱気に負うところが大きいと言ってもいいかもしれない。今年の《オフ》部門には1083団体が参加し、1307演目、2万8千回の公演を、市内130箇所の会場で行った。街中は膨大な数の《オフ》の公演のポスター、チラシで溢れ、レストランやカフェのテラス席には《オフ》の団体が自分たちの公演の宣伝にやって来る。路上では大道芸も行われている。《オフ》の各会場では、午前10時頃から深夜0時過ぎまで2時間おきに様々な団体が次々と公演を行う。演劇祭の観客やヴァカンスでこの町にやってきた観光客たちで、街中は深夜0時を過ぎてもにぎわっている。日本でもいくつかの伝統的な祭では、数日間のあいだなら、このような活気で街を満たすことはできるだろう。しかしアヴィニョンでは、舞台芸術の祭典が祝祭の高揚感を作り出し、しかもこの狂騒はほぼ1ヶ月にわたって街全体を包み込むのだ。この期間、アヴィニョンは演劇の楽園となる。

【《オフ》のちらしが貼られたアヴィニョンの街並み。写真撮影:片山幹生】
【《オフ》のちらしが貼られたアヴィニョンの街並み。写真撮影:片山幹生】

 正式招聘部門である《イン》は、今年第68回目の開催となり、オリヴィエ・ピィ(1965-)がはじめてディレクターを務めた。今年の《イン》では、7/4から7/27にわたる3週間以上にわたる開催期間中に、57のプログラムで277公演が行われ、約13万人の観客を集めた。今年のアヴィニョン演劇祭に公式プログラムとして招聘されたSPAC(静岡県立舞台芸術センター)が制作した『マハーバーラタ』(宮城聰演出)と『室内』(クロード・レジ演出)の2作品がいずれも高い評価を得た。この2作品は、『ル・モンド』紙(「アヴィニョン演劇祭、最悪の事態は回避される」(7/27付)、「アヴィニョン演劇祭:心に残る10本の舞台」(7/28付))や『リベラシオン』紙(「アヴィニョン、対照的な評価軸」(7/25付))などの演劇祭を総括する記事のなかで、アイン・ランド作、イーヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出『水源』、ウィリアム・シェイクスピア作、トーマス・ジョリー演出『ヘンリー六世』(上演時間18時間の大作だった)とともに、今年のアヴィニョン演劇祭を代表する作品として言及されている。

 『ル・モンド』や『リベラシオン』などのフランスの主要紙は、演劇祭期間中はアヴィニョン演劇祭の特集ページを設け、公式演目である《イン》の主要な作品については必ず劇評が掲載される。劇評が作品の評価基準として機能しており、劇評の執筆者はそれぞれ責任をもって作品に評価を下す。《イン》の演目には芸術性の高い、ときに前衛的で難解な作品が並ぶ。チケット代もフランスの基準ではかなり高額だ。しかしこうした作品を享受するインテリ・ブルジョワの分厚い観客層がフランスには存在し、劇評はこうした層の観客動員におそらくかなり大きな影響力を持っている。

 日本では劇評がしかるべきかたちで機能していないといった批判をしばしば目にするが、劇評以前に社会における舞台芸術の位置づけ、重要性がフランスとは大きく異なっている。演劇、とりわけアヴィニョン演劇祭のような巨大なフェスティヴァルは、フランスにおいては優れて公共的な催しであり、劇評もまたその公共性を引き受けたものになる。「芸術の国」フランスにおいて、アヴィニョン演劇祭の正式招聘部門である《イン》で公演を行うことは、日本で想像されているよりはるかに大きな意味を持っている。今回、SPACアヴィニョン公演の劇評を追うことで、私ははじめてその重みを本当に実感することができた。

3. ブルック『マハーバーラタ』の幻影

 アヴィニョン演劇祭で「マハーバーラタ」と言えば、誰もが思い浮かべるのは1985年のピーター・ブルックの伝説的な舞台だ。ブルボン石切場という野外劇場もブルックのこの公演ではじめて使われるようになり、以後旧教皇庁中庭とともにアヴィニョン演劇祭の主要な公演会場となっている。ブルボン石切場はアヴィニョン市街から15キロほど離れた場所にある。

 多くの記事がブルックの公演について言及していた。SPACの『マハーバーラタ』は、30年前のピーター・ブルックの偉大な公演の亡霊と戦わなくてはならない。ピーター・ブルックの『マハーバーラタ』は日の入りとともに始まり、日の出とともに終わる、上演時間12時間の壮大な作品だった。これに対し、長大な『マハーバーラタ』から、ナラ王とダマヤンティ姫のエピソードだけを上演するSPACの『マハーバーラタ』は、22時に始まり深夜0時に終わる、上演時間2時間の作品である。

 SPACの『マハーバーラタ』はブルックの作品の短縮版に過ぎないのか? 『Rue89 [Le Théâtre et Balagan]』の評者は、「全くそんなことはなかった」と答える。宮城は「断崖に映し出され影、夜の闇、上方に広がる空と親しく会話を交わし、ブルボン石切場をこのスペクタクルにふさわしい場所にした」(『Rue89』7/10付)。

 『Mandinin-Art』(7/19)の評者は、宮城は石灰質の崖に囲まれたこの会場の特性を十全に生かし、ブルックとはまったく異なる発想で構想された幻想劇を提示したと評価している。『Sceneweb.fr』(7/9)は、「ブルボン石切場でこれほどまで楽しい時間を味わうのは、本当に久しぶりのことだ」と記す。フランスではほとんど無名と言っていい日本の演出家とカンパニーによる『マハーバーラタ』は、ブルックの伝説的舞台の衣鉢を継ぐに値する公演だと認められたようである。『Mandinin-Art』の記述を引用しておこう。「全体的にみると、ブルックも宮城も、このインドの物語に普遍的な広がりを与え、現代化しようと試みたのだ。そしてまったく異なる方法論を用いながら、この2人の演出家はその目的を達成したことは疑いようがない」。

4. 観客を取り囲む舞台

【写真撮影:新良太】
【写真撮影:新良太】

 ブルボン石切場の自然条件を効果的に利用した特殊な演劇空間を創り出した木津潤平の空間構成も注目を集めた。石切場の断崖に沿って、直径約30メートルの細長い輪状の演技空間が設置される。この舞台は3メートルの高さがあり、ミュージシャンたちはこの舞台の下で演奏を行う。観客はこの輪の内側に座り、上方で絵巻物のように展開する物語を見上げるかたちになる。『Théâtre du blog』(7/16付)の執筆者は、この前代未聞の実験的な舞台空間は「極めて知的に構築」されていると評価する。この空間構成には、「現代の舞台芸術空間のあらゆる可能性が提示され」ている(『Mindinin-art』7/19付)。「シネマスコープの視線」をもたらし、観客は「文字通り、物語の展開と内容に取り込まれてしまった」(『Sceneweb』7/9付)。斬新な舞台空間は、日本の伝統的演劇から汲み取られた様々な表現様式と組み合わされることで、魔術的な幻想美を生み出し、観客を魅了した。

5. 音楽

 『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』における棚川寛子の音楽の重要性は言うまでもない。数々の打楽器を中心に構成されるその音楽は、民族音楽を連想させるものから、ポップス風のものまで幅広い。スペクタクルの開始は音楽の演奏によって告げられ、音楽の演奏の終わりと共に祝祭と夢幻の劇は幕を閉じる。音楽はこの作品の枠組みを形成し、各場面の展開を支配するかのようだ。『Rue89』(7/10付)の評者曰く、「宮城の演出はきわめて音楽的」なものなのだ。音楽の導きによって観客は、「絵本のページがめくられるよう」に物語を追い、「驚異の国へと誘われる」(『ラ・クロワ』紙7/15付)。寺内亜矢子が指揮する十人のミュージシャンたちが演奏する音楽を、『リュマニテ』紙(7/10付)は「猛々しい獣たちを咆哮させ、恋人たちの不幸を慰めるその音楽の豊かさは驚異的だ」と評した。『Rue89』の評者は、「この舞台のビジュアルは非常に魅力的だが、その美しさは目を閉じて、耳で聞いても感じ取ることができるだろう」と記している。

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“SPAC『マハーバーラタ』アヴィニョン演劇祭公演” への 1 件のフィードバック

  1. この記事を執筆した片山です。
    事実関係の訂正があります。教皇庁前広場での無料パフォーマンス上演前にマニフェストが「宮城自身によって読み上げられた」と書きましたが、現地同行したスタッフのかたから、「日本語文を読み上げたのは同行した通訳の方、仏語は現地のフランス人スタッフが読み上げた」とのご指摘がありました。
    この箇所、修正します。

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