TRASHMASTERS「trashtandard」

 スピード感のある展開、緊密な構成、意外な結末などで人気上昇中のTRASHMASTERS(トラッシュマスターズ)が新宿タイニイアリスで第9回公演「trashtandard」(10月21日-27日)を開きました。舞台セット … “TRASHMASTERS「trashtandard」” の続きを読む

 スピード感のある展開、緊密な構成、意外な結末などで人気上昇中のTRASHMASTERS(トラッシュマスターズ)が新宿タイニイアリスで第9回公演「trashtandard」(10月21日-27日)を開きました。舞台セットがすばらしいステージでしたが、その芝居をみた吉田ユタカさんから、「蛇足なのか肝なのか? 衝撃的な“おまけ”に漂う余韻」と題するレビューをいただきました。「すべてが一本の線でつながった」という吉田さんの驚きと戸惑いが伝わってきます。以下、全文です。(北)


◎蛇足なのか肝なのか? 衝撃的な“おまけ”に漂う余韻

 物語の舞台は小さな設計事務所。男女九人の社員とアルバイトは、消費者金融から返済を督促されたり、ゲームソフトを買うために徹夜で並んだり、仕事の合間にそろってジョギングに出かけたり、社内で恋に落ちたりしながら、コンペを勝ち抜くために日夜仕事に励んでいる。舞台横にスクリーンが設置されており、序盤は九人のうちの何人かの独白が順番に字幕で流れ、その各人の視点を通して話が進んでいくという構成だ。

 芝居のテンポは小気味よく、会話のやりとりは自然体で、キャラクターの感情の流れがわかりやすい。ストーリーの展開も巧みで、二時間超の長さを感じさせない。舞台では左右二つずつのドアから出入りすることで、広いとはいえないタイニイアリスのスペースでも多人数の演者の動きがうまく整理されていた。また、応接室という設定で客席部分の一角が活用されたのだが、観客のすぐ近くで二人だけの本音の会話やセックスが演じられ、非常に効果的だったと思う。

 しかし、腑に落ちないことが一つあった。事務所の社員(桃子)とつき合いながら、別の社員とも浮気におよぶ男(赤堀)の心情がまったくみえてこないことだ。政治や設計の話、哲学じみた議論では長広舌をふるいながらも、二人の女性に関する発言はほとんどない。二人の手前、単に冷静さを装っているだけというふうでもなく、浮気相手の女性が無断欠勤を続けてもどこ吹く風といった無関心ぶりだ。同じように事務所内の二人の女性に振り回される男(青柳)は、その苦悩と苦労が如実に描き出されているだけに、どうしても引っかかってしまう。

 その青柳をめぐる女性二人の修羅場は、みものだった。加害者の立場と被害者の立場がめまぐるしく入れ替わっていく状況を、客演の二人が見事に演じきっていたという印象だ。とりわけ、かたや顔面に硫酸を浴び、かたやビルから突き落とされて片足を失ったとたんに、二人とも憎々しく高圧的に性格が歪んでいくさまは、悲しいほどに人間の弱さを感じさせた。

 やがて物語は衝撃のラストを迎える。社長のビリー、赤堀、青柳、中国人の黄(こう)、桃子の社員五人がいつものようにジョギングに出かける。閑散とした事務所で、片足を失った女性社員が今度はみずから窓を超えて飛び降り、茫然自失となっている社員と警備員を残して幕が閉じる。スクリーンには「構成・演出:中津留章仁」の文字。

 ところが、次の瞬間「おまけ」という表示に変わり、そこから数分ほどスクリーンに流れる映像は、先ほどの五人の社員が戦隊もののヒーローに変身し、悪の軍団を倒すという奇想天外なストーリーだ。

 ふたたび舞台の幕が開き、事務所には普通の姿の五人。彼らの会話の内容から、実はこの五人は“地球人ではない”ことが明らかになる。やがて、新たに事務所に採用された女性社員三人が加わって、終わりのない会話のなかで今度こそ終幕となる。

 たしかに劇中で、ある登場人物がいっていた。いま起こっていることは劇みたいなものなのだと。だとすれば、東京に大地震が起こるのも「あり」だし、日本が戦争に参加するのも「あり」だと。その言葉に従うならば、最後の最後になって登場人物が実は宇宙人だったというのも、きっと「あり」なのだ。

 さらには前述の疑問も氷解する。赤堀の二股は当の桃子と仕組んだものなのだから、良心が痛む理由もなければ、苦悩する必要もない。浮気相手が無断欠勤しているのは、実は桃子が事務所の物置に監禁しているからであることを赤堀も知っていたのだし、そもそも、宇宙人に人間の感情の発露を期待するのはまったく無意味なことだったのだ。これで、すべてが一本の線でつながった。なんと見事な結末なのか!

 と、納得できた観客はどれだけいただろうか。少なくとも筆者は頭と気持ちの整理をするために、後日ふたたび劇場に足を運び、同じストーリーをなぞる必要があった。かりに、飛び降り自殺の直後の幕で話が完結していたならばどうだったのかと考える。夢も希望もないラストにはなるが、少なくとも、書かれざるその後の展開にあれこれと思いをめぐらせるだけの余地はあったはずだ。しかし、宇宙人という“なんでもあり”の結末を知らされてしまった以上、もはや我々はひたすらその事実に引きずられていくしかない。

 この毒こそが今回の芝居の肝であり、この劇団の持ち味だとすれば、受け入れるべきなのかもしれない。自明と思われることを疑うのは、これほどまでにむずかしくショッキングなものだということを。トラッシュマスターズの公演に初めて接した筆者は、まだそのあたりの判断が下せずにいる。
(吉田ユタカ/2004.10.25、10.27)

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表