松田正隆作、平田オリザ演出「天の煙」

 財団法人地域創造と各地の公共ホールが共同で企画・製作(公共ホール演劇製作ネットワーク事業)した、松田正隆作、平田オリザ演出「天の煙」が10月末から12月初めまで各地で開かれています。皮切りの埼玉公演をみた牧園直さんから、力のこもったレビューが寄せられました。以下、全文です。


 固定されることのない街に住む戸籍のない人間、交錯する垂直と水平、あるいは時間と空間。〈虚〉なのか〈実〉なのか判断できないほどに〈虚〉が積み重なった場所の話。それが『天の煙』である。

 焼跡のような石ころだらけの土地で、まず始まるのは天へと続くような綱の先にある鐘を鳴らす仕事だ。鳴手は笑っているのに笑っていない(ように見える)女。彼女は自分が笑い続けていると言うのだが、傍目には仏頂面である。彼女が本当に笑っているのかは確かめようがない。芝居を支配しているのは、この論理である。〈虚〉なのか〈実〉なのか、はたまたどちらでもないのか、舞台に示される要素一つ一つが、定位することができないもので満ちているのだ。

 実母の葬儀のため、毬子は夫の時男を連れ東京から帰郷する。故郷は「西の果ての西の街」と称される、常に揺らいでいる街だ。毬子の家は絶対君主制の王家のようであり、毬子の盲目の姉・霧子はまさに女王のように君臨している。

 霧子は少女のような外見である。成長しないと彼女は言う。だがもうすぐ妹を追い抜くように大きくなるらしく、時男にふたなりの病人・山目の背中の皮を剥いで妹の足で型を取った靴を造り、自分に履かせてくれと頼むのだ。靴屋となって稼業を継ぎ、没落した家を復興させてくれとも。

 この虚言そのものとも思える依頼を、時男は拒みつつも何故か振り切ることができず、毬子との会話で得た断片を手がかりに、この街の構造化を図る。山目の背の上で座標軸をつくり、石ころを並べて時男は悩み続ける。

 霧子のことを考えて生きるようにすれば世界が見えてくる、とこの街の住人は物語の前半で語る。目の前の出来事を霧子を座標軸に受けとめる住人には、虚実を判断する必要がない。判断の放棄が世界を把握する術なのである。

 時男が並べた石を見て、毬子は星座のようだと言うのだが、星座は空に広がる物語そのものだ。実際には並んでいないが、そこにあるように見える(見る)もの。ちなみに星座の神話でよく目につくのは、死んだ後に神によって天上に引き上げられたというエピソードだ。とすると、この街は死の世界なのだろうか? 時男は石を並べてこの世界を探ろうとするが、ある時は縦にも積む。その動作は完成することがないのに延々と試みられる、あの賽の河原の石積みを連想させる。

 結局、一つ一つが区別不可能な小石を並べて世界を可視化しようとする無謀な試みは徒労に終わる。時男は街の要素を山目の背中に配置もしきれないし、互いの関係性による意味すら見いだせない。そして時男の中に色濃い疲労が蓄積されるに従い、霧子による無謀でそれゆえに虚言とも思える願いが現実味を帯びてくるのだ。それは〈虚〉と〈実〉が混じりあい、いよいよ腑分けができなくなってきたあかしでもある。

 ところで霧子が所望する靴というアイテムは、この物語では重要な意味を持つ。靴は霧子たちの家の繁栄時代の象徴であるが、物としての役割は身体の移動を助けるということである。つまり、物語上で「西の果ての西の街」と対置される「東京」という具体的な地名、すなわち〈実〉へ向かう可能性を示すものでもある。〈虚〉の街から〈実〉の東京へ移動できた毬子の足で型取られ両性を具える者の背の皮を材料とする靴は、生きた足そのものと言えなくもない。東京に逃亡したことによって住人の戸籍の剥奪とそれによる街の放浪を導いた毬子は、罪を背負うことを決意し、履いていた靴を奪われて、街を包む業火の中〈処刑〉される。

 〈処刑〉は火を後景に歩く女(毬子か)の素足によって表される。霧子が自分の足で型どった靴を作ってもらおうとしてふらついた瞬間、とっさに鐘に続く綱を引くことによって執行されたそれは、移動手段の喪失を意味するだろう。あるいは街の外へと移動したいという願いが昇天する瞬間でもあるのかもしれない。物語の進行過程では、唯一街の構成要素を数値化できる装置であった時計も止まってしまう。時計は再び動きだすものの、示す時間が正しいかどうか、確かめられることはない。つまり街は空間のみならず時間軸によってもすでに定位することができなくなっていたのだが、結末において〈実〉へと接続する術も失ってしまった。街と外の役所を繋ぐ伝令役はまだいるが、街の周囲を取り巻く火は伝令の役目を果たさせないだろう。街はあらゆるものから断ち切られることになる。

 だが同時に「西の果ての西の街」は〈虚〉の積み重ねで出来上がる〈実〉の街になったのかもしれない。〈虚〉は〈実〉を参照することで立ち現れる可能性だが、〈実〉が存在も感じ取れないほど遠ざかってしまったら、〈虚〉は〈虚〉とも言えなくなってきてしまうからだ。しかしこの仮定も確定はできない。物語は最後まで可能性を閉ざさないままなのだ。

 この不確定でありながら存在感に満ちた世界の構築をやってのけた松田正隆と、シンプルで、だからこそ無駄なく時には豊富に物語世界を語らせることに成功した平田オリザには、感服した。俳優たちも、この難解でややこしく、ややもすれば観客を遠く遠く引き離してしまう恐れもあるような物語を、よくぞ説得力を持つように表現しえたと思う。

 この劇は「平成16年度公共ホール演劇制作ネットワーク事業」という長い名前のプロジェクトによって創られたそうだが、こんなに質の高い成果が出たことは関係者にとっては喜ばしいことだろう。同時に、こんなに難しくてすっきりしない成果でだいじょうぶなのかと要らぬ心配もしてしまう。上演中首で船を漕いでいる人も見かけたし、終演後、トイレでは演劇関係者らしき人たちによる「よくわかんなかったね、時々すごいけど」という会話が交わされていた。物語が結末を迎えた後の中途半端な規模の拍手は、その評価を端的に示していたように思える。

 明るく「面白かったヨー」とは言えない、誰にでもお勧めできない芝居。でもある人には観てもらって、何を思ったのか聞きたい芝居。今回の芝居は、そういう芝居だった。
(牧園直 2004.10.31)

[上演記録]
「天の煙」
【作】    松田正隆
【演出】  平田オリザ

【舞台美術】  奥村泰彦
【照  明】  吉本有輝子
【舞台監督】  寅川英司+突貫屋 斎田創
【大 道 具】   C‐COM
【衣 装】    有賀千鶴
【演出助手】  井上こころ

【出 演】  (五十音順 *印はオーディション合格者)
  秋葉由麻*   内田淳子   佐藤誓   松井周(青年団)
  増田理*    山本裕子*   吉江麻樹*(兵庫県立ピッコロ劇団)

【企画製作】
 (財)つくば都市振興財団
 富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
 (財)可児市文化芸術振興財団
 兵庫県立尼崎青少年創造劇場〈ピッコロシアター〉
 山口情報芸術センター
 長崎市
 (財)熊本県立劇場
 あしびなー自主事業実行委員会


投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「松田正隆作、平田オリザ演出「天の煙」」への1件のフィードバック

  1. 『天の煙』(作:松田正隆、演出:平田オリザ)

     平成16年度公共ホール演劇製作ネットワーク事業として、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみで『天の煙』が上演された。松田正隆と平田オリザの共同作業は、これまでにも高い評価を得てきたが、その第4弾ともなれば、当然周囲の期待も高まろうというものだ。賛否はもちろ…

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