Ort-d.d「こゝろ」

 東京国立博物館・表慶館を使った「四谷怪談」で評判となったOrt-d.dが、2000年に初演した夏目漱石の「こゝろ」を再演しました(11月10-11日)。早稲田大学周辺で11月後半に集中して開かれているBeSeTo演劇祭 … “Ort-d.d「こゝろ」” の続きを読む

 東京国立博物館・表慶館を使った「四谷怪談」で評判となったOrt-d.dが、2000年に初演した夏目漱石の「こゝろ」を再演しました(11月10-11日)。早稲田大学周辺で11月後半に集中して開かれているBeSeTo演劇祭・東京公演の2番手(トップバッターは東京オレンジ)。会場は学習院女子大のやわらぎホールでした。2人の男が下宿する家の母子は、ここでは姉妹に組み替えての上演。漱石が直面した「近代化」との格闘をどう取り込んだかの見方を含めて、再演の評価は多様でした。


 優れた舞台を矢継ぎ早に紹介している「しのぶの演劇レビュー」は「夏目漱石の名作『こゝろ』の中の『先生と遺書』の部分を1時間強に凝縮した珠玉の一品でした」と評価。「今日は・・・泣きじゃくってしまいました。若者の高い志や全身全霊をかけた恋、その全てに覆いかぶさってくる嫉妬心が、まるで手で触れられるかのように重々しく、はっきりと立ち表れました。ワタシ(岡田宗介)の愚かしい嫉妬とそれゆえの復讐、K(三村聡)の孤独と深い悲しみが痛いほど伝わってきて・・・あぁ今書いてても涙ぐんでしまう~っ」と感情の高ぶりを隠していません。

 早稲田大学の学生サークル「Project starlight」が「消費されない演劇を求めて」ということばを掲げて始めた演劇批評サイト「Review-lution! online」は、「原作の雰囲気を十二分に伝え、緊張感と分かり易さを兼ね備えた作品に仕上がっていた」としながらも、「中盤で下宿先の娘(先生もKも彼女のことを好きになるのであるが)とその姉(下宿の主)の家庭を巡る近親相姦の話が挿入されているが、これはやや唐突な感を否めない」などと指摘。「パンフレットに、漱石のテーマであった『近代都市に変貌しつつある東京に生まれた新中間層の家庭』『魂のよりどころとしての風景を失った』『不安を抱えた個人』をついて、自分なりに考えてみたとあるが、私は上演中にそこに対する確固たる指摘を見出せなかった」と直球を投げ込んでいます。

 軽快なフットワークでコンテンポラリーダンスや演劇などの舞台をリポートしている「ワニ狩り連絡帳」も、「前回の『四谷怪談』ではあそこまで物語を解体再構築して興味深い戯曲に仕上げていたというのに、この『こゝろ』では、そのちょっとした趣味の良さを見せるに留まってしまっていたという」とジャブを放ち、「例えば原作からの改変、母娘を姉妹にした点において、唐突にその見えない父による『近親相姦』というテーマが挿まれたりするのだけれど、そういう漱石らしくない物語を作るのではなく、もっと徹底して『こゝろ』自体を読み解いて発展させて欲しかったのだ」「ただ、そのスタイリッシュな演出姿勢は、わたしは気に入っているので、又次の作品に期待したいと思う」としています。

 ぼくも10日の初日のステージを見ましたが、「Review-lution! online」や「ワニ狩り連絡帳」と似た印象を受けました。
 近代的な自我の目覚めと形成、(恋による)挫折を時代の流れの中にさらした、とされる漱石の原作イメージが強かったせいか、下宿先の娘(妹)が父と近親相姦の関係にあったというリセット版は恋物語になだれ込み、漱石の作品を取り上げる肝心の部分がなくなるような気がしてしっくりしませんでした。
 「四谷怪談」だけでなく、横浜・山手ゲーテ座で「ポかリン記憶舎」と組んで上演した「少女地獄」公演(10月9-12日)でも「様式的身振りと発声」が極上の効果を上げていましたが、今回の公演では「間延びしたせりふ」がところどころに挟み込まれ、劇の流れを中断したようにも感じました。これも演出意図に含まれていたのでしょうか。いずれにしろ、4年前の作品という制約が強く作用したように思えました。ことばと様式化の問題は、いずれ考えてみるつもりです。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

Ort-d.d presents
『こゝろ』
第11回BeSeTo演劇祭東京開催参加
原 作  :夏目漱石
構成・演出:倉迫康史
出 演  :市川 梢  岡田宗介 三橋麻子 三村聡(山の手事情社)
照 明/木藤歩  舞台監督/弘光哲也  美術・衣装/田丸暦

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

「Ort-d.d「こゝろ」」への2件のフィードバック

  1. いつもありがとうございます。
    私が手放しに感動できたのは、夏目漱石に思い入れがなかったからかもしれませんね。

  2. > いつもありがとうございます。

     こちらこそ、お世話になっています。
     漱石の原作を変更するとなると、いろいろな方面から矢玉が飛んでくるのは予想範囲内の光景なのでしょうか。むしろぼくの方が、原作イメージという”垢”をはがして舞台を見ることが出来ない「郷愁派」というべきなのかもしれませんね。Ort-d.dの芝居はそれだけ多様な受け取りを可能にすることにもっと注目しなければいけないとあらためて思いました。
     「少女地獄」もおもしろかったですよね。

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