アル・ムルワッス劇団「イラクから、船乗りたちのメッセージ」

――自由と平和の国!?へ、バグダッドからオリーブの枝をくわえて飛んできたかもめたち――

 Al-Murwass Group Folklore and Modern Artsの“Message Carried by Ship from Iraq”は東京、名古屋、大阪と、まるで16号台風に逆らうようにして元気に駆け抜けていった(10/3~25)。イラクの人を見るのは初めて、ましてやその舞台を見るなんて全く未知との遭遇だったといえる今度の新鮮体験は、実に実に多くの挿話と驚きを私に残していってくれた。 


 そのうちの一つは、国際交流基金フォーラム→タイニイアリス→ちくさ座→アリス零番舘-ISTと、公演を重ねるにしたがってその声は次第に少なくなっていったけれども、戦争の国から来た芝居、暗いかと想像していたら思いがけず元気でよかった、楽しかったといった感想のあとに、「ところで、あれは何を演っていたんです?」と、観た人から必ず質問されたことである。とくにそれは、フォーラムでの公演のあとに多かった。  
 しかし、それもまったく無理のないこと。4000年の歴史を持つというウート(ギターやマンドリンの先祖)の、いわば古代へのいざないに続いて、バスラ地方に古くから伝わるという民俗舞踊によるPart1と、マイムによるPart2の、いわば現代とが、まったく分離したような形で上演されたから、である。

 かなり長い休憩を間に挟んで、Part1は、①白い帽子をかぶり腰布をつけた船乗りたちが遠く大洋へと元気に漕ぎ出す踊り。②まるで月の砂漠かアラビアンナイトの昔みたいな衣装の女性たちが出てきて、遠くにいる恋人を想う踊り(むろん恋人は日本と重なろう)。③アラジンの魔法のランプから出てくるあの魔法使いをそれぞれ鞭のような杖をもって叩き伏せ、祈り伏せする踊り(魔法使いはフセイン独裁政権だろうかアメリカ占領軍だろうか)。④裾まで届く白い衣装の男性たちが手をつないで歌詞なしで踊る優雅な踊り(婚礼の祝い。とともに誤爆されたファルージャの婚礼が想いだされた)。⑤人類発生の地・アフリカから伝わってきたという打楽器、自分たちの劇団名でもあるムルワスを称え、伝統を守る決意を表わす歌と踊り。そして⑥最後のフィナーレ。イラクの国旗をふりながら、大丈夫、僕たちはへこたれてはいない、日本のみなさん、友情ありがとうを歌う歌で終わる。これはこんど来日のために新しく作られた歌という。そしてこれらの踊りや歌の合間を、物語の宝箱のなかに(あるいはフセイン政権下に?)長く閉じ込められていたシンドバッドが生き生きと新生し、しかし彼はみんなといっしょに踊ることができないという悲しみのマイムが――あまり上手くはなかったが――縫っていった。

 Part2はバグダッドの日常、現代のシンドバッドである。往来もままならぬ窮屈な中を友だちも訪ねて来てくれた。が、石油を運び出す汽車はひっきりなしにどこか遠くに向かって走っていくのに、僕たちはどこにも行けない。錠のおりた扉、コチコチと時を刻む秒針、日々の貧しい食事、決して通じぬ妻との会話。僕らはただ遠く、高くを望み見るしかない。(爆撃によって)人々もおおぜい倒れていく……といった無言の想いが、窓にもトランクにも時計にも額縁にもなる四角の白い木組みや、「戦場のメリークリスマス」のメロディに合わせたくるくる廻りや、ムンクの「叫び」のように大きく口を開けた顔――ただ額縁から片足突き出ているところがいかにも今のバグダッド。Pat2のタイトル「声にならない叫び」にふさわしい――の写真撮影やで表現されていった。

 以上の全体がイラクからのメッセージ。劇の冒頭、船といっしょに海を渡ってきたかもめが、観客たちに配布したもの、ということになっている。よく考えられた、わかりやすい舞台である。ムルワッスをはじめ、ウート、ゼルーナ、タール2丁、シンセサイザーによるライブ演奏もこよなく楽しく、私たちを遠い昔へといざなってくれたし、ときに力強くときに哀愁に満ちてこれからの困難を想わせたりした。

にもかかわらず、「あれは何を演っていたんです?」であった。これは構成に問題があるにちがいない。歌詞が分からないからということもむろん理解の拒否に影響あっただろうが、1960~70年代の言葉の意味に頼らない演劇を歴史的に経験した日本の私たちにとって、それはさしたる問題ではない、はず。私は耐えに耐えたけれども、とうとう、「Part2は、⑤と⑥の間でなければならないのでは?」と口を出してしまった。それはやっと、アリス零番舘でのシンポジウムが終わった夜のことだった。

驚いたことに、ジャバール団長とシャカール演出から即座に「それは僕たちの最初からのプランです」という返事が返ってきた。フォーラムである人に言われて急遽、構成を変更したというのである。な、なんと素直な人たちだろう。「ごめんなさい。私は日本の人たちにも、ほんとうに仲良くなり何でも思ったことが言いあえるようになるまで決してこういうことは言わないのだけど。あなた達とはもう会えないかも知れないので」と私は詫びて、話は次に移っていった。が、再び驚いたことに、翌日、アリス零番舘での初日からすぐ、①~⑤→マイム→⑥の友情と連帯の歌、と順序が変わっていたのだった。まあ、なんという素直な人たちであることか! これで、“ようやく新生した僕たちは民族の伝統を守りながら、厳しい今に耐え未来に向かっていくんだ”といった彼らの演劇的決意が、私たちに初めて伝わってくるようになったのであった。

むろん課題はまだまだ多い。①~⑤をつなぐマイムが、実際の宝箱を使うことのできたフォーラムやちとせ座はともかく、小スペースのタイニイアリス、アリス零番舘ではマイムの身体表現が貧しくて、シンドバットが何のためにたびたび出てくるのか分かりにくかったこと。伝統的な演奏者たちと現代を表現するマイマーたちとが、日本の「新劇」以上に分業的、バラバラだったこと。踊りとマイムとのあいだの幕間をいかに縮めるか、その工夫が足りなかったこと、等々。

 彼らが関空からドバイ経由、アンマンに向かって発っていくのとほとんど入れ違いみたいに、バグダッドでは行方不明を報じられていた香田証生さんが遺体で発見され、ファルージャでは米軍の包囲が総攻撃へと変わっていった。間一髪であった。いつか演奏者たち(完全なプロ。その技術がすばらしい)と、踊り手(近代日本が喪ってしまったなんばや、後ろに跳ねてしか進まない歴史的な身体を保持している)と、マイマー(パントマイムの型を演ずるのではなく、言葉にならぬ想いをどう表現するかが必然的にマイムの手法を採らせた)が、互いに役を担いあい一つの有機体となるとき――そのとき初めてムルワッス劇団はFolklore and Modern Artsという呼び名を胸張って言えるにちがいない。私はその困難な未来を、しかし羨望とともに夢みている。日本の同時代演劇では決して試みられなかったこと、だからである。   (3都市随行。西村博子 タイニイアリス主宰)

シンポジウム「イラクの今!―バグダッドの街、バグダッドの演劇―」
 10/6フォーラム, 10/18 名古屋女性文化学院, 10/21(大阪)アリス零番舘-IST

公演:国際交流基金フォーラム 10/7(木)~9(土) 3回
   タイニイアリス 10/12(木)~14(土) アフタ^トーク 各3回
   名古屋ちくさ座 10/19(火)~20(水) 3回
   アリス零番舘-IST 10/22(金)~24(日) 5回

団長・歌:MHAMMED/JABAR
演出:MOHAMMED SHAKAR
マイム:ANES AGEEL
ウート:ZUBER/HUSSIN
ぜル-ナ:JABAR/NASIR
ムルワース:SALMAN/SALEM
キーボード:SHIMAL./MAJEED
タール:JABAR/IBRAHEM,
     FARAS/MTANE
ダンサー:METHAK/SHNEN
     NAHAD/LAZEN 
     ADAE/ KAMEL
     ADAL/JAABAR
     HAEDAR/SHLAKA
     SAAD/SALAR
     MAHAMED/MAHAMED
     JAPAR/ANSAM  MS
     MOHAMMED/BOSHRA MS
メーキャップ:AEMAN/KHODHER  MS


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