チェルフィッチェ「ポスト*労苦の終わり」

あたし的にわァ、めっちゃ面白かった。っていうかあ、こんなのありなんだあ!ってびっくりしたっていうかあ、なるほどなって感心したっていうかあ。しばらく見てて舞台で何しようとしてるか、あたし的にィ、もちろん作・演が何狙ってたんだかなんて、岡田利規さんにチョク聞いてェだけどオ、聞いてもそんなん、口で言えるようなら舞台創らんと言われるに決まってるしィ、決まってないかも知れないけどそういうものじゃない?ってとこあるしィ、だからアあたし的にだけどオ、解ったと思ってからはア、同じこと同じように繰り返しィ話されるとオ、話す人は同じじゃなくて変わったりするんだけどオ、そいでもあんまり同じこと何度も話すとオ、もち、意図的にやってるんだから笑っちゃうんだけどオ、笑っちゃいながらちょっと眠くなったっていうかあ、意識が遠のくってこともあったりしてェ、そっと見まわしてア結構目ェつぶってる人、あたしだけじゃないじゃんなんて、ほっとしなかったと言うとオ嘘になるけどオー、でもやっぱ行ってよかったっていうかあ、見とくべきだったー、見なかったらぜーんぜん損しちゃったんじゃないかなーって、そーんな気持ちみたい、なあんて言ったりして――。


全然うまく真似できなかったけど、チェルフィッチェ「ポスト・労苦の終わり」の言葉はちょっとこんな感じ。話し手の内心がそもそもあやふやな上に、それでもより的確に言い表そうとさ迷いもがくので、言葉はまるで金魚のウンコみたいに延々と続いていく。聞き手への気遣いというか、自分の言葉がどう受け取られるか相手の立場にたってみる想像力もないではないので、言葉はさらに紆余曲折し止めどない。身振りもそう、言葉との内的関係が切れているから、体はまるでどうしたらいいか分からないみたいにふにゃふにゃよじれ、手は意味なく手近の壁を這ったり相手の方に差し伸べられ、しかしくねくねと届かない。

横浜STの空間をそのまま使った白い壁。出入りできない出入り口が二つ。客席の後方から、まるで遅れて来た客といったふうの女性が前列へ出てきてスタンドマイクに向かい、町でみかけた、喧嘩してた夫婦の話をします、と始まって行く。そしてそれから、その二人は暫くは一緒に住んでから、じゃなかったかなと思うんだけど、とにかく別れて、そのたしか2年後の話になって、別れた妻は部屋を探してて、もう一人の部屋を探している女性とルームシェアすることになって、けれども、そのもう一人の女性を誰かが好きになったらしく、その誰かは舞台に出てこないのだけど、その誰かの友達っていう男の話によると、ま、いっか、すぐいっしょに住もかって話になって、けど最初の、別れた妻のほうにしてみれば、別に反対するわけじゃないけど、シェアしている部屋の契約更新料ちょうど払ったばかりだし……今度はちょっと文体似た、かしら?……といったような話が延々と続いていく(第1幕)。

話すのは最初に出てきた女性と、あともう一人の女性と三人の男性。代わる代わる話す。内容はどっかのミーティングか結婚式場でたまたま関係ない人のスピーチが耳に入ってきてしまったみたいな、聞いてもいいし聞かなくてもいいし、いかにもエエ加減な同棲、現代だなあと感心してもいいし主体性ないなあと呆れてもいいし、そんなこと思ったところでどうせすぐ忘れてしまうだろうし、要するにどっちでもいい話。それも、妻と女性の話は二人の女性がそれぞれ話すからまだ混乱はないにしても、夫のほうの話は二人の男性が交替で話すし、いっしょに住もかの男の話は本人ではない、友達と称する男性が話すので、いよいよ主体がぼけていく。誰が話そうと大した違いはないってわけだ。考えて見ればこの話、そもそも彼ら彼女ら自身の身の上ではなく、町でみかけた夫婦とその知り合い?の話だった。話の主体なんて最初ッからありはしなかったのだ。

岡田利規の言葉は「超リアル日本語」と言われているらしい。日本語は「源氏物語」の昔ッから主語なし、述語でちゃんと分かる言葉であったから、ただ主語を言わなかったり語順をテレコにしたり語尾を曖昧にしたりするぐらいではなかなか現代のリアリティを掬い取ることは難しい。が、彼は、ただ言葉をらしくしようとしただけでなく、いったい誰の話やらどうでもいい人の話を採り、つまりと要約すればせいぜい10分で済む話にその10倍もの時間をかけ、さらにその話を誰がなぜするのか、当事者と話し手を替え、その話し手をさらに替えたりずらしたり,――きわめて知的な戦略を施すことによって「超リアル」と感じさせることに成功した。曖昧で不確かな身振りとともに一つの新しい可能性を開いたと言えよう。交互に話す彼らを横から写すカメラとテレビ画面。ときに掌に書いたクイズ?を画面に大写しにしたりして、物語への同化を絶ったのもなかなかの仕掛けであった。身振りにまだまだ工夫の余地ありでは? あれから町のワカモノをいやにジロジロ眺めるようになってしまった私にはそう思われるけれども。

タイトルに「ポスト」がくっついていたのは、前作「労苦の終わり」の改訂版だったからとか。部屋をシェアしている女性が結婚して出て行くなら、その空いた室に元の夫が戻ってくる可能性もないではない。が、あしたは部屋を探しにいこうというその夜、女性は、元妻の愚痴だったか何かの話を聞かされて一睡もできず、出かける気力も体力もない。が、しかし男の友達が話すには、女性は翌朝、敢然と?!男と部屋探しに出かけて行った――と思ったら、それは夢だったと友達は話す。客席は思わず失笑。女性は白い壁のいちばん隅っこ、ペットボトルを口に押し当て、じっとうずくまって萎えたまま――というところで第2幕は終わる。タイトルどおりご苦労さま、でした――。

 岡田の絶望は深い。客席の笑いが彼の唯一の望みであった。   (2005.03.21)


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