燐光群公演「上演されなかった『三人姉妹』」(作・演出 坂手洋二)の東京公演(7月6日-17日)と関西公演(7月21日-22日)が終わりました。チェホフの「三人姉妹」と、血なまぐさい終結を迎えたモスクワ劇場占拠事件を掛け合わせたような、坂手+燐光群ならではの独特の舞台だったと言われています。大阪芸術大大学院博士課程(文芸学)在学中の高木龍尋さんから、関西公演のレビューをいただきました。結語の切れ味をご賞味ください。以下全文です。
◎トゥーゼンバフはなぜ死んだか?
チェーホフの『三人姉妹』は言わずと知れた名作である。その名作を燐光群がどうするのか? 上演されなかった、とはどういうことなのか? いささかの戸惑いを覚えながら劇場の席についた。
ひとつは劇場を占拠する武装集団である。配布されたリーフレットによれば、坂手洋二氏はこの作品の着想を、政情、治安の不安定なコロンビアで得たという。架空の国でのつもりで、という構想はロシアで起きた悲劇的な事件に行き着き、それが『三人姉妹』に入りこんだ。『上演されなかった『三人姉妹』』は、『三人姉妹』の中に劇場を占拠する部隊が乱入し、チェーホフに現実(?)が乱入するかたちで組み立てられている。
その劇場では『三人姉妹』の二十年ぶり再演が始まろうとしていた。新しい演出で、三人の女優以外は他に舞台に登場しない。劇場のスタッフは二十年前の公演で何らかの役を務めた元役者や、公演寸前で切られてしまった役者たち。客にも元役者がいる。その上演が始まって間もなく、武装集団が突入してくる。銃を突きつけられても、普段からオーリガ、マーシャ、イリーナと呼び合うことを決められた三人の女優たちは芝居を止めようとしない。スタッフたちは状況をやり過ごすために次々舞台へ上がり『三人姉妹』をつづける。『三人姉妹』は人質たちはおろか、武装集団をも巻き込んで進む。
その展開の大枠はチェーホフの原典とほとんど変わりがないと言っていい。設定は劇場の空間や人間関係に合わせて変えられている部分もあるが、『三人姉妹』から引用した台詞も多く、登場人物の行為もそこにすり合わされる。舞台は人物たちの意図とは別に、『三人姉妹』として動いてゆくのだ。どこまでが『三人姉妹』なのか、どこまでが劇場占拠事件なのか、わからない中で劇場に妙な一体感が生まれたとき、大統領の作戦は実行され、武装集団は人質もろとも壊滅し、あとには生とも死ともわからない人々、そして『三人姉妹』が終わる。
と、観終わってひとつ疑問に思ったのは、なぜ結末を誰ひとり生死のわからない状
態(おそらくはそのほとんどが死)にしたのかということである。
ロシアの劇場占拠事件が死屍累々に終わったのはニュースの伝えた事実であった。しかし作品をそこで終わらせなければならないわけではない。それに『三人姉妹』で唯一死んだのはソリョーヌイに撃ち殺されたトゥーゼンバフだけで、しかもその死体が舞台に晒されることはない。『上演されなかった『三人姉妹』』でもトゥーゼンバフ役を担ったアメリカ人の演出助手トーマスは正体不明の人質ソリョーヌイに撃ち殺される。けれども、それはトゥーゼンバフとしてではなく、トーマスとしてである。このあたりに、作品の核心を見つける糸口があるかも知れない。
その鍵となるのは、トゥーゼンバフはなぜ死んだか(チェーホフはなぜトゥーゼンバフを殺したのか)、のような気がする。私はチェーホフの研究者ではないし、おそらく数多の論考が著されているだろうから、これが解答です、と披露するような勇気はないが、少なくともトゥーゼンバフは信じていた男なのではないか。働くということ、イリーナの愛がないことは知っていても未来の生活を信じていた。そして、死ぬとわかっていても希望を持っていた。それと同じだったのは武装集団の若者たちである。故国の解放を信じ、家族の幸福な未来を願い、大統領の策略を信じてしまった。その結果は死である。
『三人姉妹』の登場人物は「人間でなくなった」ナターシャを除いて、みな絶望と諦めの上に自分自身の生を是認することで立っている。それはどれだけ悲しくとも虚しくとも、生命のあるかぎりつづけなければならない是認である。この作品が示そうとしたのは、何ものかを強く信じ希望するものから死んでゆく現代なのかも知れない。
ここまで述べてきて、ふと、私が『三人姉妹』を全く知らなかったら、という問いに襲われた。『三人姉妹』がどんな話かを知らなかったら、『三人姉妹』の台詞を一言も知らなかったら、と考える。私はチェーホフの『三人姉妹』からこの作品を理解しようとしたが、その手立てを持たなかった人はどう思っただろう。そう考えると合点のゆかない箇所も多かったのではないだろうか。ただ、それでも、何かを信じ希望を持つことで降りかかる悲劇をみつけることはできるのではないか。それ以外に、それ以上に、この作品が語っていることを聞くのは難しい。この作品が伝えようとしていたことは、その実、チェーホフ『三人姉妹』そのものに既に仕組まれている。
(高木龍尋 尼崎市・ピッコロシアター大ホール、7月21日)
[上演記録]
燐光群公演「上演されなかった『三人姉妹』」
作・演出 坂手洋二
東京 紀伊國屋ホール公演(7月6日-17日)
関西 ピッコロシアター大ホール公演(7月21日-22日)
<CAST>
女1・オーリガ(アンフィーサ)…… 中山マリ
女2・マーシャ ………………… 立石凉子
女3・イリーナ ………………… 神野三鈴
人質1・クルイギン …………… 鴨川てんし
人質2・アンドレイ …………… 猪熊恒和
人質3 …………………………… 久保島隆
人質4・ヴェルシーニン ……… 大西孝洋
人質5 …………………………… 杉山英之
人質6・ナスターシャ ………… 江口敦子
人質7・ソリョーヌイ ………… 下総源太朗
人質8・トーマス ……………… JOHN OGLEVEE
人質9・チェブトゥイキン …… 川中健次郎
人質10 ………………………… 宇賀神範子
占拠者1 ………………………… 裴優宇
占拠者2 ………………………… 向井孝成
占拠者たち ……………………… 樋尾麻衣子 宇賀神範子 内海常葉
工藤清美 阿諏訪麻子 安仁屋美峰
市川実令 尾形聡子 坂田恵
椙本貴子 塚田弥与以 中川稔朗
樋口史 樋口美恵 松山美雪
若い女 …………………………… 宇賀神範子
若い男 …………………………… 小金井篤
中年男 …………………………… 内海常葉
アナウンサー …………………… 樋尾麻衣子
<STAFF>
照明=竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響=島猛(ステージオフィス)
音響操作=岩野直人
舞台監督=森下紀彦・高橋淳一
美術=じょん万次郎
衣裳=宮本宣子
殺陣指導=佐藤正行
演出助手=吉田智久・清水弥生・福田望
文芸助手=久保志乃ぶ・圓岡めぐみ
舞台写真=大原狩行
宣伝写真=竹中圭樹
チラシ写真=酒井文彦
宣伝意匠=高崎勝也
Company Staff =桐畑理佳・塚田菜津子・亀田ヨウコ
制作=古元道広・近藤順子
制作助手=宮島千栄・藤木亜耶・小池陽子
協力=円企画 高津映画装飾株式会社 C-COM
東京衣裳株式会社 青年劇場
常田景子 香取智子 山本哲也
河本三咲 小林優 園田佳奈
高本愛子 寺島友理子 増永紋美
宮島久美 召田実子 八代名菜子
平成17年度文化庁芸術団体重点支援事業
坂手洋二のこの作品は、致命的な欠陥がある。
坂手洋二のこの作品は、致命的な欠陥がある。
テロリストがなにを要求しているのか結局不明である。
テロリストが「のんき」に俳優につきあって芝居をやっているのはおかしい。
モスクワの事件で分かっているように、百人以上の観客を制圧することは具体的にたいへんな事である。
芝居に付き合っている余裕があるなら劇場を襲ったりはしないものだ。
「三人姉妹」を使って何か比喩的な事を言おうとしたのかも知れないが、坂手の勝手な夢想に真面目に付き合う必要はない。
トーゼンパフが何故殺されたかという事について岩松了もほとんど錯乱した芝居「「三人姉妹」を追放されしトゥーゼンバフの物語」を書いているが、坂手のこの芝居と同じように、普遍的な何かを描いたとはいえない。
「個人的な思いつき」に過ぎない程度のものに真面目に付き合う事はない、といっておきます。