しずくまち♭「卒塔婆小町 vol.2」

 「しずくまち♭」は「芝居者と音楽家の表現ユニット」と名乗るだけあって、音楽に、ここでは楽器の選定と使い方にこだわっているようです。今回の「卒塔婆小町」は、2001年に利賀村で初演以来、何度か取り組んできた演目だそうです … “しずくまち♭「卒塔婆小町 vol.2」” の続きを読む

 「しずくまち♭」は「芝居者と音楽家の表現ユニット」と名乗るだけあって、音楽に、ここでは楽器の選定と使い方にこだわっているようです。今回の「卒塔婆小町」は、2001年に利賀村で初演以来、何度か取り組んできた演目だそうですが、昨年末から俳優は3人だけ、音楽もアコースティックな楽器だけというシンプルな新演出で再スタートしました。そのとき使われたピアニカとボンゴのほか、今回はアイリッシュハープに替えてピアノと三味線が生演奏されていました(8月21日、荻窪・クレモニア)。


 老婆の役を受け持つのは三味線でした。奥行きの深い三味線の響きは、若き日の恋物語を、陰影深く浮き彫りにするのに格好の器を提供しました。詩人役はピアノでした。もっぱら澄んだ、線の細い響きに終始しました。役柄に楽器を割り振るというオーソドックスな対応だったと思います。

 老婆役は、伊藤美紀、詩人役は演出も兼ねるナカヤマカズコでした。二人ともほぼ同じ背丈で、声もそれほど際だった違いがありません。楽器の配分よりも、お互いに分身と思える女性二人がほぼ50分余り、休みなく物語を話したり聞いたり、ひっきりなしに遣り取りする舞台から、一つのイメージが問わず語らず立ち上ってきます。それは老婆と詩人のダイアローグではない、老婆の胸中から発する物狂おしいモノローグではないか、物狂いが次々に自己増殖する幻影のドラマではないか、というかイメージでした。最小限の俳優で作る舞台に、それはふさわしい構えかもしれません。音楽の造形作用とイメージの自己増殖/自己開花を結びつけた珍しい舞台だったのではないでしょうか。

 「三島由紀夫はこの作品の中で、日本と西欧、二重の視点から『永遠』を描いているように思われます。今回はそのぶれを、そのままなぞってみようと考えました」-。プログラムにそう書かれていますが、ぼくの器では、そこまで上昇した観念を受け止めかねました。獅子丸の役割も音の響きも、明快な像を結んでいなかったような気がします。

 会場は東京・荻窪の音楽スタジオでした。30人ほどでいっぱいでしたが、「場所を問いません。体育館、会議室、レストランでも上演可能です」というだけあって、楽器さえあれば、生演奏付きでほとんどどこでも公演可能なスタイルです。「半音下がった視点から 物語を言葉として音として立ちのぼらせて行く。想いが液化する瞬間……感情の露点を私達は描きます」(Webサイト)というこのユニットの特色を、よく表した公演だったと思います。
(北嶋孝@ノースアイランド舎 8.28補筆)

[上演記録]
しずくまち♭「卒塔婆小町 vol.2
■場所:音楽専用空間クレモニア (東京都杉並区荻窪)
■日時 8月21日(日)
■作 三島由紀夫
■演出 ナカヤマカズコ 岡島仁美
■作曲 侘美秀俊
■出演 伊藤美紀 ナカヤマカズコ  岡島仁美
■演奏 ピアノ:侘美秀俊 ボンゴ:由田豪 三味線:和姿子
■衣装 まちことなおこ

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

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