格闘技にはトンと関心のない私ですが、「プロレスの台本で岸田戯曲賞をとりたい」と語ったプロレスラーがいるというのでびっくりしました。発言の主マッスル坂井が活躍する「マッスルハウス2」というイベントが5月の連休中に開かれました(5月4日、東京・後楽園ホール)。プロレスはある種の約束事の上に成立する格闘見せ物、という意味で演劇的要素があるかもしれない程度の理解でしたが、マッスルはどうもスケールというか、レベルの違うパフォーマンスのようです。
「*S子の部屋」は「マッスルにおける演劇的要素はそういう従来のプロレスにおける『演じる』とはあきらかに一線を画す。レスラーの魅せ方、試合の展開だけでなく、興行そのものが『演劇あたま』とでもいうべき発想力で充ち満ちている。いってみれば、壮大なスケールで過剰に『演じ』られるWWEやハッスルが劇団四季なら、マッスルはシベ少やむっちりみえっぱりである。同じ演劇的なプロレスでも両者にはそれぐらいの違いがある」(プロレスの向こう側で演劇と出会う)というのです。
では具体的に何が違うかというと、その「最たるものがスローモーション演出」で、「試合がクライマックスに近づくとおもむろに音楽が流れだし、選手の動きがスローモーションになる」「この方法なら、一流レスラーでもなくても一瞬の間に複雑な攻防や様々な感情を込めることが可能となる。そう、マッスルには「泣いて馬謖を斬る」(趙雲子龍がパートナーの馬謖を刀で斬ると、馬謖が死体となって相手に覆い被さりフォールする)なんていうスローモーション向きの必殺技まである」そうです。
「トーキョー・ゼロサン・ドットコム」はイベント紹介記事の中で「ヤサグレ系のプロレスファンと一部演劇ファンから注目されている『マッスル』というプロレス団体がある。プロレスに『演劇性』の要素があるのは否定出来ない話だけど、その極北がまさしくここ。登場するメインの選手は毎回同じ、試合をする、それ以外はプロレスといっていいのかわからない!毎回が映像を多用した一回完結型ストーリーで、さらにこんなことが起きる」として、次のような特徴を列挙しています。
・リング上が選手控え室になり、観客も試合はスクリーンで観賞。
・決勝で当たった憎みあう2人が実はみなしごハウスの同窓生。
・一日で8人リーグ戦を敢行。
・さらに一日で4興業。
・試合という名の「10代しゃべり場」も開催。
・新宿FACE(旧リキッドルーム)の大会で同ビル内にあるゲーセン・カラオケ・ボーリング・しゃぶしゃぶ屋までを使って試合。
・地下帝國の王子も参戦。
こうしてみると、マッスルの公演は、メタ演劇的要素を備えたパフォーマンスのようですね。これまで敬遠していましたが、なんとなく見てみようかという気になります。以前、障害者プロレスを追いかけて記事に仕立てたことがあります。足が向くとしたら、それ以来かも…。
当日のようすは「スポーツナビ」も詳しく伝えています(大鷲がマッスルで“満点”ファイト 「マッスルハウス2」に満員の1092人 )。