青年団若手自主企画「会議」

◎滑らかな手法でツボを押さえる でも電信柱はどこへ…

 演出の狙いが明確で、焦点が絞られた芝居をみるのは快適な気分です。枝葉を切り払い、ドラマツルギーにしっかりした見通しを与えるならなおさらでしょう。しかし枝葉と思ったのが隠し味だったり極めつけの伏線だったりするかもしれません。別役実作「会議」に取り組んだ青年団若手自主企画公演は、翻案・演出にまつわる悩ましい問題を浮き彫りにする例だったような気がします。


 研究者と名乗る男がまず舞台に現れ、人間の「会議本能」を研究するための実験を行います、と説明する場面から芝居が始まります。街角に会議の告知ビラを貼り、無意識の本能に導かれて集まった人たちが始める言動を隠しマイクと映像で記録するというのです。「会議本能」などという怪しげな仮説をもっともらしく持ち出すあたりはもう、出だしから別役ワールドです。

 テーブルやいすなどが運び込まれ、やがて買い物途中の主婦や仕事の終わったOLらが集まってきます。しかし「会議」は想定通りに運びません。道具を運んできた作業員がダンヒルの高級ライーターをなくしたことから話が紛糾します。

 「ライターを見たような気がする」という主婦のつぶやきも、ではどこで見たかという状況説明へ直線的には進まないのです。話の前段でふれた野菜屋さんの名前にこだわる女性が割って入り、OL風の女は「私は盗んでいない」と身体検査を要求し、ご近所らしい女性は来るまで居た喫茶店の名前の詮索を始めるのです。自称研究員はライターの所在をはっきりさせようと言い出すと、作業員の一人が話の進め方がおかしいからと言って議長役を買って出る…。みんな自分の関心でばらばらにしゃべり散らし、30-40分もこんな調子で話題が行きつ戻りつ。会話の目的はさておき、だれが話すか、話し方が引っかかる、言われたことが失礼だ、自分に関わる部分に間違いがある、などなどと想定された会議はおろか、ライターの行方も棚上げされたまま、会話はもつれにもつれます。

写真撮影=石塚景子
【写真は公演の一場面。撮影=石塚景子/提供=青年団】

 私たちが見慣れている会議には議題と目的があり、所属や肩書きがあって属性の明確な出席者がそろい、進行係が結論を得るために一定の時間内で効率的に議論を進めます。しかしこの舞台は、そういう会議の枠組みを外してみると何が起きるかという、論理的な迷走(!)を忠実にたどっているのです。井戸端会議のやりとりを端で聞いている図に似ているかもしれません。

 確かに私たちの暮らしは、目的思考だけで成り立っているわけではありません。効率的な議論がいつも必要なわけでもありません。思いがけないふれあいが友情をはぐくんだり、ことば自体の内容ではなく、その言い方や仕草が喜ばせたり、心を傷つけたり、あるときは怒りを爆発させたりします。ケンカの仲裁に入った善意の第三者が、ことばの遣り取りに端を発して当事者に成り代わり、本気のケンカモードに突入するのはよくあるケースではないでしょうか。

 そういう出来事を、端から見せつけられると、ことの展開を「脱線」や「逸脱」、あるいは「迷走」だととかくくくりたくなってしまいます。しかしそれは、会議の持ち方に表れる私たちの日常的な枠組みを、無意識に当てはめる心性に基づいているのでしょう。しかもそれは「客席」から俯瞰したときに生まれる一連のものの見方と感情に一致しているのではないでしょうか。別役作品はその機序を、優れた戦略的な設定と巧みな会話によって前景化するのです。

 したたかな別役作品ですからもちろん、これだけでは終わりません。包帯でぐるぐる巻きになった男が現れてから、状況は一気に緊迫します。その男は、現場に居合わせる会議参加者全員が自分に暴行を加え、ケガさせたと主張するのです。包帯男は研究員に向かって「おれをライターを盗んだ犯人に仕立てあげた張本人」と名指しします。研究員は浮き足だって出ていこうとしたら、持ち上げた書類から、行方が分からなかったライターが転げ落ちてきます。彼は懸命に弁明しますが、会議を録音するはずの隠しマイクやカメラが見あたず、血痕らしい跡の付いた棒が道具箱から出来るあたりになると、緊迫の度が一段と高まってきます。初めは明らかな無理筋と思えた包帯男の主張が、にわかに現実味を帯びてくるのです。

 私たちが見ている世界は、私たちが「構成」あるいは「了解」した世界にすぎません。問いつめられれば、「見ている」と「見えている」の区別が曖昧だったりして、世界の確からしさはぐらついていきます。その狭間に他人が強力に介入すると、他人の世界が私たちの世界に浸食してきます。ホントに会議本能を確かめる実験だったのか、部屋の男女はなぜ集まってきたのか、なぜマイクやカメラがなかったのか、暴行はあったのか、最後に姿を消してしまう包帯男は一体何者か…。なぞは解決されず、集まった男女は灰色の現実に漂うように、会議を開いて話し合いを始めるというアイロニーに満ちた場面で舞台は終わります。

 そんなバカなと思える出来事を発端に、穏やかな日常から真迫のドラマがせり上がってくるのが別役作品です。見終わって俳優陣はもちろん、テキストが織りなす別役ワールドを滑らか、かつ自然にみせた演出に驚きました。これが青年団の初演出作品とは思えませんでした。

 別役作品をみたあと、棘のようなものが引っかかる時があります。今回も妙に気になって、戯曲を読み返してみたら、「滑らか」で「自然な」演出が間違いでないことが確認できました。テキストの中心部分を狙い撃ちにした方法は、舞台上の出来事を絞り込み焦点めがけて一気に、しかし自然に流し込むことに通じています。確かな手筋です。

 今回の公演は戯曲をそのまま上演したわけではありません。「翻案・演出」となっています。ラストの場面で、死体の処理をめぐる扱いが違っていたという指摘もネット上で見られましたが、どうも記憶が確かでありません。上演台本を入手しているわけではないので、どこをどう変えたか特定できませんでした。作品では、参加者が死体遺棄の共犯になってしまう仕掛けが施されています。それもなんとなくその場の勢いと雰囲気で。最後に会議を開く前段の、食い込み鋭い一球だと思うのですが、ここはあっさり処理されていたような感じです。どうも終盤の記憶が曖昧ではっきりしたことが言えないのですが、明確なのは一個所、戯曲の冒頭部分です。
 作品は次のト書きから始まります。

 「舞台下手に、電信柱が一本。上から電話の受話器がぶら下がっている。ほかに何もない」

 しかしいくら記憶を探っても、電信柱の残像は浮かんできません。わざとなくしたか、少なくとも目立たないように置いてあったのでしょう。舞台は電信柱と関係なく進み、最初から最後まで電信柱はないかのごとく終了しました。例えあったとしても、その存在は無視されていたと見て間違いありません。

テキストの中心部に焦点を絞った舞台と言ってしまえばそれまでですが、電信柱を消去/無視したのは、なにか特別な事情があったのでしょうか。「受話器がぶら下がった電信柱」は確かに面妖な存在です。この戯曲が書かれた20年あまり前の時代でも、受話器が電信柱からぶら下がっている光景は、尋常ではありません。いま舞台に配置して、どんな効果があるか疑わしいと思うのも無理ないほどです。観客の視角を阻害、攪乱する異物として、なきものにするのも自然の流れなのでしょう。

 ただ別役作品の屈折度を考えると、「受話器がぶら下がった電信柱」のイメージが焼き付いて離れません。さまざまな可能性と危険性を同時にはらんでいたように思えるからです。舞台を俯瞰する客席の足下を脅かす存在として、あるいはホントらしくてウソらしく、ウソらしくてホントっぽい舞台を、再度反転するアイデアに満ちた仕掛けだったとも考えられるでしょう。別役作品はあらためて、一筋縄ではいかない、食えない筋が走っていると思いました。それとも電信柱は、そう思わせる作者の撒き餌にすぎないのでしょうか。

 演出の武藤さんがどんな経験を蓄積してきた方か存じませんが、青年団初演出で引っかかりのない舞台をともかく見せてしまった力には驚きました。老獪な作品に、的を定めて打ち込んだ舞台は印象に残ります。
(北嶋孝@ノースアイランド舎、7月17日。8月15日一部修正)
(写真撮影=石塚景子/提供=青年団)

【公演記録】
青年団若手自主企画vol.29 『会議
■作/別役実 翻案・演出/武藤真弓
■会場 アトリエ春風舎(2006年7月13日-17日)

■出演 永井秀樹 安倍健太郎  村井まどか 田原礼子 後藤麻美 古舘寛治 工藤倫子 根上彩 山本裕子 **** 高橋智子  熊谷知彦(パパ・タラフマラ)

★アフタートーク
16日(日)19時の回終演後、宮沢章夫(遊園地再生事業団)出演。聞き手は、松井周(青年団)。

■スタッフ
舞台美術・宣伝美術/河村竜也 照明/松本明奈 音楽/薮公美子
舞台監督/西村和宏  宣伝イラスト/山口マオ 制作/齋藤由夏 立蔵葉子
総合プロデューサー/平田オリザ
主催(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

【関連情報】
・chez-sugi http://chez-sugi.net/play/001393.html
・稽古場訪問(ガイド:長谷川 あや)
http://allabout.co.jp/entertainment/play/closeup/CU20060628A/index.htm

しのぶの演劇レビュー( ポストパフォーマンス・トークに参加した劇作家宮沢章夫さんの発言を採録しています)

・ほら貝(文芸評論家、加藤弘一さんのwebサイト)
http://www.horagai.com/www/play/sibai/pl1997b.htm#P017
1997年に宮沢章夫さんが演出した「会議」の公演評。ここには電柱が出てくる。


「青年団若手自主企画「会議」」への1件のフィードバック

  1. 出演者の一人を記号化しました。本人からの要望です。(編集部)

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