エジンバラ演劇祭2006 - 1

◎リヨン・オペラ座のブレヒト=クルト・ヴァイル2本立てが白眉
中西理(演劇コラムニスト)

エジンバラの夜景(筆者撮影)

世界最大の演劇フェスティバル。そう称されるエジンバラ演劇祭だが、日本では意外とその実態は知られていないように思われる。毎年、夏休みをとってエジンバラ詣でを始めてから5年目になるのだが、今年も8月に約10日間同地に滞在、ダンス、演劇など40本の舞台を観劇してきた。それをこれから何度かにわたって、レポートしていくことにしたい。

日本ではよくエジンバラ演劇祭と呼ばれるので、ここでもその呼び名を踏襲してみせたが、実はエジンバラに関していえばあまり正確な言い方ではない。当地ではエジンバラ・フェスティバルズ(Edinburgh Festivals)と呼ばれる。ここで複数形なのには意味がある。この時期にEdinburgh International Festival(エジンバラ国際フェスティバル)、Edinburgh Festival fringe(エジンバラフリンジフェスティバル)、Edinburgh Film Festival、Edinburgh Art Fesitivalなど分野ごとに独立したフェスティバルが複数開催されるのだが、その全体を称してEdinburgh Festivalsと呼ぶのである。そして、この時期はFestival Season と呼ばれ、エジンバラは世界中からやってきた観光客に埋め尽くされ、まさに「祝祭の街」となるのだ。

興味深いのがエジンバラ国際フェスティバルとフリンジフェスティバルの関係だ。ロンドンでのウェストエンドとフリンジの関係を考えてもられば、分かりやすくはある。ただ、エジンバラの場合はフリンジの規模が拡大していくにつれて長い期間の公演が可能なことや世界や英国ツアー、あるいはロンドン公演の前のワールドプレミアとしてショーケース的な役割を果たし始めたこともあり、一概にフリンジ=オフともいいがたくなっている。フェスティバル自体の比重はその数において圧倒的でもあるフリンジの方にむしろ傾いているということさえできるのだ。

それでも、エジンバラ国際フェスティバルがエジンバラ・フェスティバルズの中核的な役割を果たしていることは間違いない。歴史も古く今年は60周年のアニバーサリーの年でもあった。今回は国際フェスティバルのうち演劇、ダンス、オペラの合計6演目を観劇することができたのだが、最初はまずそれについて書いてみたい。

今回のエジンバラ演劇祭における白眉といえる公演だったのではないかと思ったのがリヨン・オペラ座によるブレヒト=クルト・ヴァイルの2本立てオペラ公演「THE Lindberg Flight/The Flight over the Ocean」、「七つの大罪」。リヨン・オペラ座といえば日本でもバレエ団の公演は何度か見たことはあって、何度も来日公演をしているプレルジョカージュ版の「ロミオとジュリエット」が有名だが、ほかにもマッツ・エック版「カルメン」などコンテンポラリー系のユニークな演目を持ってくることで知られている。オペラの方は初めて見たのだが、こちらの方もきわめて斬新な演出であった。

「七つの大罪」から(筆者撮影)
「七つの大罪」から(筆者撮影)

「The Lindberg Flight/The Flight over the Ocean」はチャールズ・リンドバーグを主人公にしたもので、「こんな変なものをブレヒトが」という意味では面白かったのだが「The Seven Deadly Sin 七つの大罪」が圧巻であった。この作品はもともとバレエリュスの流れをくむバレエ団によって初演されたものなので、ダンス色の強い作品ではあるのだけれど、今回はなんとカナダの振付家、マリー・シュイナール(Marie Chouinard)が振付を担当していて、ほとんどコンテンポラリーダンス作品といってもいいものに仕上がっていた。マリー・シュイナールの公演はこれまで2度ほど見たことがあるのだけれど、「変なもの女王」の称号を捧げたいほどおかしなキャラ、おかしな動きが出てくるのが特徴。そういうわけでその振付と登場するキャラクターの変さ加減には引かれるものがあったのだが、ワンアイデアで展開できる小品は面白くても、例えば一番最近見た「春の祭典」などになると作品全体の構成力という点ではやや不満が残った。

しかし、今回は演出家(Franccedilois Girard)が別におり、「七つの大罪」という作品にはちゃんとブレヒトが作った枠組みと言語テキストがあるので、振付とキャラづくりという彼女の得意分野に全力投球できたことで彼女のよさが全面的に発揮されることになった。

この作品にはアンナ1とアンナ2というひとりの女性の2つの面をそれぞれになう登場人物が出てくるのだが、そのうちアンナ1が歌の部分をアンナ2には表題の「7つの大罪」(Pride(プライド):傲慢 Envy(エンヴィー):嫉妬 Gluttony(グラトニー):大食 Lust(ラスト):淫欲 Sloth(スロウス):怠惰 Greed(グリード):貪欲 Wrath(ラース):憤怒)にそれぞれ対応する7人のダンサーが登場して、7つのシーンでそれぞれがソロとしてダンスを披露するような構成となっている。

この演目は調べてみたところミルバ主演、スターダンサーズバレエ団、二期会などの出演により日生劇場でも上演されたことがあるようだが、私は残念ながら未見。初演の振付はバランシンだったらしいので、元々、歌付きのバレエのような形で上演されたのだとは思うが、今回のバージョンは振付にシュイナールを起用したことなどでおそらくまったくイメージの違うものに仕上がっている。写真のアンナ2のイメージを参照していただければ少し感じがつかめるとは思うのだが、ひとことで言ってキッチュなのだ。

アンナ2を担当する女性ダンサー以外に黒い背広を着た男性ダンサーも7人登場して、こちらは主として群舞を担当するのだが、ムーブメントはバレエというよりは、ブレイクダンスやヒップホップ的なアクロバティックな動きを取り入れたものとなっていて、しかも群舞といってもシュイナールであるから、普通に踊るというだけではなく、全員がぐねぐねと身体をくねらせて、蛇のようにフロアを這いまわったり、相当に変。「七つの大罪」は以前、さいたま芸術劇場でピナ・バウシュの作品も見たことがあるが、古い作品の再演だったのでどちらかというと古色蒼然という感じがしたのに対し、このシュイナール版は非常に新鮮な感覚に溢れていたと思う。

また、この作品はオペラとはいえ、日本の上演でミルバが主演しているようにいわゆるオペラ的な歌唱だけではなく、キャバレースタイルみたいな歌い方も必要になってくるのだが、Gun-Brit Barkminはとても魅力的にそれを演じきった。

コンテンポラリーダンスでは今年の目玉公演はブラジルから来たヒップホップ系のカンパニーによるGrupo de Rua de Niteroi 「H2」(The EdinburghPlay House)であった。ここ10年ほどの流行としてヨーロッパではヒップホップに代表されるようなストリート系のダンスの動きをコンテンポラリーダンスのなかに取り入れるという動きがあって、前述のマリー・シュイナールもそういう傾向の振付だったが、このカンパニーの振付家Bruno Beltraoの試みが面白いのはコンテンポラリーダンスにヒップホップを取り入れたのではなく、ヒップホップそのものの現代化、前衛化を志向していることだった。

床も壁も純白に彩られた無機的な空間でこのパフォーマンスははじまる。舞台が始まると後ろの白い壁にはプロジェクターによって「Hip-hop loves the beat of the music」の文字が映し出され、大勢のダンサーが舞台に登場して、リムスキー・コルサコフの「蜜蜂の飛行」の軽快な音楽に乗せて、頭を下にしてくるくると独楽のように回り始める。Hip Hopというのがダンスの種類の名前であるとともに音楽のジャンルの名前でもあるようにこの種類のダンスにはアメリカの文化のなかから生まれたということの出自と切り離せないところがあるのだが、Bruno Beltraoはそういう背景から純粋にムーブメントのストラクチャーだけを切り離して、分析しそれを再構築した時にそこからどんなものが生まれるのかというきわめて刺激的な実験をこの作品のなかで試みてみせる。

軽快なクラシック音楽に乗せての冒頭の場面はその最初の試みだが、この部分はまだ挨拶のようなもので、ここから通常のヒップホップでは考えられないような場面が続く。しばらくすると「Hip-hop loves the beat of the music」から「of the music」の部分の文字が消えて、「Hip-hop loves the beat」が残るのだが、ここではビートといっても現代音楽といってもいいような非常にゆっくりとした重低音のビートが時折鳴り響くだけで、後は無音な状態のなかで、ひとり、あるいはふたり程度のダンサーが交互に舞台に登場して、ヒップホップの動きのうち、ある特定のムーブメントだけを取り出したミニマルな動きを長い停止の間に何度か繰り返す。

この部分はまさにヒップホップの解体であって、私にはこのパフォーマンスのなかで一番興味深かったとことなのだが、ダンスとしてはまさにミニマルでヒップホップというと連想されるようなグルーブやエンターテインメントの要素は完全に剥ぎ取られたある種のポストモダンダンスのようなところがあり、観光客中心にノリのいいダンスを期待してきていたと思われるエジンバラの観客には明らかに戸惑いがあった。落ち着きがなくなったり、耐え切れなくなってか席をはずして途中で帰ってしまう客も現れたりして「どうなってしまうんだろう」と心配になったりしたのだが、その後ちょっとしたコミックリリーフ的に挟み込まれた「Hip-hop loves」になってからの男性ダンサー同士のいちゃつき合いやキスの場面をへて、最後の10分間はフランスのバンドCQMDの音楽に乗せて、ハイスピードでの超絶技巧のダンスが展開された。

実はこの最後の部分に関してはYOU TUBE上に動画(http://www.youtube.com/watch?v=O63nMxT-2s4)を発見したので興味のある人はそちらを参照してもらいたいのだが、ここではミニマルな場面で登場したダンスのムーブが振付の部材として使われており、それを脱構築することでそこにヒップホップのムーブメントを基調としていながら、いわゆるヒップホップダンスとは違うダンスのストラクチャーがヒップホップではない音楽の元に現れていることに気がつくと思う。(続)

【注】
・Edinburgh-festivals : http://www.edinburgh-festivals.com/
・H2 2005 – Grupo de Rua de Niteroi – Brasil:
http://www.eif.co.uk/E148_H2.php
http://www.edinburgh-festivals.com/reviews.cfm?id=1243672006&genre=Dance

【筆者紹介】
中西理(なかにし・おさむ)
1958年愛知県西尾市生まれ。京都大学卒。演劇・舞踊批評。演劇情報誌「jamci」、フリーペーパー「PANPRESS」、AICT関西支部批評誌「ACT」などで演劇・舞踊批評を連載。最近では「悲劇喜劇」2006年8月号に岡田利規(チェルフィッチュ)、三浦大輔(ポツドール)をとりあげた小論を執筆。演劇、ダンス、美術を取り上げるブログ「中西理の大阪日記 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/」を主宰。

(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第10号、10月4日発行。購読申し込みは登録ページから)

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