ゴキブリコンビナート「アンドロゲン・レインボー」

◎不条理を引き受け しぶとく生きる 崩壊寸前空間を最大限に生かす知恵
西村博子

ゴキブリコンビナートを私はゴキコンと呼んでいる。ゴキ根、の意である。
人間はゴキブリを見かけると立ちどころに叩き潰す。いたるところにゴキブリホイホイもしかけておく。だが、それはなぜ? ひとに聞いてみたらゴキブリはバイ菌を運ぶからだという。ほんとにそうなのだろうか? 人間がバイ菌を培養し、放置しておくから、その上を歩いたゴキブリの足についてることもある、というに過ぎないのでは? ゴキブリの立場に立てば尚さらのこと、なぜ抹殺されなければならないか全く理解できないにちがいない。


ゴキブリはしかし泣き言を言わない。その不条理を引き受け、しぶとく生き抜いていく。走り方を素早くしたり隅や蔭を選んだり人の居ないときを見計らったり。それは彼らならではの知恵であろう。ゴキ根また然り。黙って状況を引き受け、知恵を絞る。

今回の「アンドロゲン・レインボー」。Dr.エクアドル(作・演出・美術。出演。オマンキー・ジェット・シティー、病気マンと作曲も)の根性と知恵はまず、中野光座という映画館の、建て替えを控え、いわば崩壊寸前の空間を最大限に生かす、というところに遺憾なく発揮された。

はじめ舞台横からインドのお経?みたいなものが聞こえていたが、芝居はそこから、塩釜?だったかな、東北のどこかの漁場の猟師が突如、褌一丁で躍り出てくるところから始まっていった。そしてその猟師が大漁唄を歌い、もう鰊がとれなくなってしまったことを嘆き、しかし俺はあくまで鰊にこだわっていくぞと宣言する。と、アレヨアレヨと鉄パイプに足をかけ、客の頭の上を渡り始める。客たちは当然声を挙げ、身をよじって難を避けようとするが、もちろんゴキ根が素直にそうはさせてくれるわけはなく、ひとしきり猟師仲間や神さん連中のオープニング騒ぎがすむとすぐ、客席全体に大きな大きなベニヤ板をエンヤコラと降ろしてくる。そのベニヤ板には椅子に合わせた頭の数だけちゃんと丸い穴が開けてあるから、客はそれから最後まで、中央を走る花道とそのベニヤの上と、頭上遥かな鉄パイプのあちこちや本舞台でも進行していく芝居を、せいぜい目を上げるか頭を左右に捻ってしか見ることができなくなる。漁場の一人が客の頭たちを見渡して確か、ヤア蟹だと言ったと覚えているが、蟹どころか、こちらとしては空を見上げる浅蜊か蜆貝の気分。私たちは世界をこうやって見てるんだ、こうでしか見ていなかったんだと改めて実感したことだった。“昭和30年代”からという中野光座がその長い歴史のなかで最高に息づいた瞬間だったにちがいない。

芝居はそれから、東京へ出て行ってホステスになった猟師のブス娘と、医師免許は取ってしまえば東大出も○○大出も同じことと、開業医になることを期待されている落ちこぼれ?学生とがついに結ばれ―少々とってつけたようだったけれども―、デュエットで空の虹を歌い上げるまでの3Kミュージカル。いつものことと言えばいつものことだが社会に不要とされるゴキブリ、捻り潰されて当然の人たちに目を注ぐDr.エクアドルの目線が嬉しい。ゴキコン根性の第二であろう。

アンドロゲンが男性ホルモンのことだとは今度初めて知ったことだが、この二人がいわば愛の賛歌を歌うちょっと前に、本舞台にドサドサッと大量の、すごい臭いの魚が降り注いできた。あれは学生の精子が大量に噴出したということであると同時に、冒頭の漁師がついに大漁ゲット!ということでもあった。こうして芝居の起と結は、ちゃんとゴキ根流に照応しているというわけである(呵々)。魚が鰊じゃなくてシシャモだったのも現実思いやられて大爆笑だ。

この主筋に、ないまぜに挿入されていたのが、社会にブスを作り、あるいは女性をより醜くして、世の男性たちのアンドロゲン生成を抑制し、もって現代社会の小子化をさらに促進させようと企む研究者―学生の親なのかな?―と、キリスト教、イスラム教、日本の神道の世界における競合ないしは併存。前者は少子化対策をしたり顔で言う世の識者や政治家たちを異化し再考させてくれてなかなか面白かったし、後者の、一神教の男たちが寄ってたかって多神教の神道―神棚の社をかぶったブス。その扉を開け顔を覗き込む者は失神するほど醜い―を犯すシーンも、あれイラクは何教だっけ? イランは?アメリカは?多神教には確かヒンドゥ教もあったはずでは?などなど素早く頭も回転しだしたりして、引っくり返るほど面白かった。

単にブスや落ちこぼれを描くだけでなく、そういうものを生み出す日本の、あるいは世界の構造やシステムにまでDr.の目が届き始めたのは素晴らしい。が、しかし、その構造把握が、私にはだけれども、今イチ。なるほどと膝を打つほどでなかったのは惜しかったが。

最後にゴキコンがまさにゴキ根であったゆえんをもう一つだけ挙げておこう。それは、ブス揃いのホステスたちが、一人が上司に目をかけられたというので、壮絶なイジメをするところ。弱いものはさらに弱いものへと牙を向けるものだ。ブスはブス同士、社会のゴキブリはゴキブリ同士で仲良くしたり団結したりできたらどんなに素敵なことか。しかし決してそうはならない日本の現実を、Dr.エクアドルは決して見逃していない。

もうちょっとの欲を付け足してもいいかしら?で言うと、落ちこぼれとブスのハッピーエンドがもう少し必然的だったら、言い換えれば学生がもう少しブス救出や親?への反抗に奮闘したら、と思った。できればブスも、である。そうすれば二人のあのデュエットはさらにさらに美しく響いたにちがいないからである。刃物に血まみれ内臓、男性群のフルチン…キツイ、キタナイ、キケン、3Kのキャッチコピーそのままのあの舞台からゴキブリコンビナートの根性が、フツー目をそむけるあらゆる汚穢のなかからこそ美が、ムクムクと立ち上がってこなければならない、はずだからである。

私のわずかなゴキ根観劇歴で言うと、今度の「アンドロゲン・レインボー」、全体的にいちばん歌唱力があがっていたと思う。なか学生タケシ(小山涼)は「ナラク!」(2004. 8)の主役の父親(お名前失念。失礼! Dr.教えて)の魅力に迫った。これから、オペラやありきたりのミュージカルふうじゃない、ゴキ根にしかない声やメロディ、リズムも発明していかなきゃないし課題は多いが、その可能性は明白である。次回を待っている。
(2006/9/17 所見)

【筆者紹介】
西村博子(にしむら・ひろこ)
NPO ARC(同時代演劇の研究と創造を結ぶアクティビティ)理事長。小劇場タイニイアリス代表取締役兼アリスフェスティバルのプロデューサー。大阪南船場にアリス零番舘-ISTもオープン(2004.10)。日本近代演劇史研究会(日本演劇学会分科)代表。早稲田大学文学博士。著書に『実存への旅立ち-三好十郎のドラマトゥルギー』、『蚕娘の繊絲-日本近代劇のドラマトゥルギー』I, II など――とは、実は世を忍ぶ仮の姿。その実体は自称「美少年探検隊長」。

【公演記録】
ゴキブリコンビナート第21回公演「恍惚肉蓮華」改め「アンドロゲン レインボー」
中野光座(9月15日-18日)
作・演出・美術:Dr.エクアドル
作曲:Dr.エクアドル、オマンキー・ジェット・シティー、病気マン
電飾:オメス吉祥寺
音響操作:千鳥格子 その他操作:お花さん
制作:安藤ヒヤシンス子、バボキノコ、もじゃ公・いとうちえ、邪苦ニコル損

出演:
小山涼   :武志
スピロ平太 :黒田さん
オメス吉祥寺:源
砂糖マキ[コスモル]:トネ(源の妻)
ボボジョ貴族:寛子(源の娘)
オマンキー・ジェット・シティー:クマ、陳
病気マン  :従軍牧師
もえみ   :トルコ嬢
億土点 [Power Doll Engine]:アブダビ、老人
ケン※ショクヨー[コスモル]:鬼嫁
亀子のぶお :支配人
堀内暁子  :魔女
本間幸子  :慶彦の彼女
中根道治  :慶彦
西森久晃  :一郎
千鳥格子  :合コン女子
Dr.エクアドル:医者

【関連情報】
・オススメブログ http://blog.livedoor.jp/omess1299/(つり天井!の舞台写真に注目)
・演劇◎定点カメラ
http://homepage1.nifty.com/mneko/play/KA/20060916s.htm
・東京劇場
http://de-tokio.way-nifty.com/gekijou/2006/09/post_3726.html(迫力の
特大写真付き!)
・咄嗟の判断でオリーブオイルをよける
http://blog.livedoor.jp/mi_kashima/archives/50715284.html
・勘弁してください。http://blog.so-net.ne.jp/kazedokei/2006-09-16-1
・テディタクリービルの日常 http://d.hatena.ne.jp/tactnet/20060919/p1

「ゴキブリコンビナート「アンドロゲン・レインボー」」への3件のフィードバック

  1. ども、初めまして。
    これ見ました。

    >社会に不要とされるゴキブリ、捻り潰されて当然の人たちに目を注ぐ

    そうなんですよね。
    で、3K演劇としてこーいうことやるのが、気色悪ぃこいつらって思いました。
    けっこうなビジネス集団じゃないんですかね?

    >ブスはブス同士、社会のゴキブリはゴキブリ同士で仲良くしたり団結したりできたらどんなに素敵なことか。しかし決してそうはならない日本の現実

    ブスは自分のことブスだと思ってないですよ。
    それにブスは大多数で、団結なんかしなくても権力です。
    俺の彼女もブスです。

    ブスがいじめるのは超絶にかわいい子です。
    だからブスのブスいじめ、あれはアカがかった学校で道徳の時間に見せられた、頭でっかちの再現ドラマに見えました。

  2. 「汚い物を見せる」って、
    この劇そりゃーこんなくそかすな劇で
    満足している団員もろとも
    お金にしていること自体が、
    「汚いやりかた」だな。
    って思いますよ。

    刺激がほしけりゃ、西成区とかがリアルだよ。

  3. コメントの二人、まあまあ。

    自分ゴキコン好きですが、ココみたく、有望集団風に語られるのは、嫌な気持ち。

    二人が見すかしてるとおり、ゴキコン、暇人向け、精神的ブルジョワ趣味ですよ。自分で何かやってたら、こんなの見ないって(笑)

    ブサキモで横着で能無し男女の、肥大した自己がまんま実現、って気にさせてくれるのが、自分的ゴキコンカタルシス。

    前に看護士に、「仕事でうんこ処理してる人とか、自分で処理できない障害者には、近寄らないでしょ」って言われたけど、正解。

    だって自分のプライド傷つきますもん。横着で能無しなんで、リアル3kはゴメン苦手。

    >書き手の人へ

    ゴキブリみたいな人間でも、自己顕示欲ってすごいあるんですよ。虫じゃないですから。

    目立ちたいですよ、できるもんなら。でも努力は嫌なんですわ。

    何か偽善者っぽい感じした。ゴキコンのこと、よく見てください。

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