◎東京で見る月も、パリで見る月も
中村隆一郎(「演劇時評」サイト主宰)
平田オリザがティヨンヴィル・ロレーヌ国立演劇センターの依頼で、フランス国内における公演を前提に書いた。旅回りはすでに始まっているが、途中東京で五日間だけ上演されたもの、このあとパリなどでの公演が待っている。演出のロラン・グッドマンはこの劇場センターの芸術監督のような立場にあるようで、平田とは青年団の「国際交流プロジェクト」で何度も共同作業の実績がある。
一人の愛するものの死を巡って、日本とフランスの家族が文化の違いを超えて互いに理解しあい悲しみを分かち合おうとする心情が底流にある。
さりながら実際には、日本の葬式の説明だけが妙に目立ってしまって、喪失感や悲しみが陰に隠れた印象を受けた。葬式の民俗学ジャポネスタイル、いやレヴィ・ストロースの国だから葬儀の文化人類学か。そうであってもフランス人にとっては興味のある事に違いないから、国際交流、相互理解の目的は立派に果たしていたといえるが・・・。
フランス人のマリーが死んだ。マリーは、仏語の先生。中本武雄(大田宏)と結婚して一女をもうけた。残された娘はまだ三才である。
通夜の客が帰った中本の家の大広間。舞台一杯に畳敷きの座敷と数本の柱が立っている。奥はすべて鏡になっていて手前の座敷が映り込んでいる。襖や屏風を置かないところが工夫であった。真ん中に座卓、周辺に座布団が数枚散らかっており、そこここにジュースやビールの空き瓶が置いてある。
中本の妹、由希子(角館玲奈)が入ってきて、片づけはじめると、ややあって、フランス人の若者が現れる。弟ミッシェルである。そこへ、マリーの同僚アンヌが加わって、客席の明かりが落ちる。
三人は写真のアルバムを見ながら、マリーとの思い出を語り、弟に日本の風景や習慣についてあれこれ説明する。由希子は独身でこの家に兄夫婦と一緒に暮らしており、姉に習ったおかげでフランス語を話せる。温泉、混浴、秋田、青森、大雪、猿が入る温泉・・・。
やがて、マリーの両親が奥から現れ、父親のジュリアンは座布団に、母親のイリスは椅子を用意してもらって一同は座卓を前にすわる。ふたりは、葬儀屋の柴田(山内健司)と中本武雄が相談しているのを見ながら、葬式の段取りや葬儀費用の事などを気にしている様子。中本が日本の葬式のやり方を丁寧に説明して、二人は一応了解したようだ。
ミシェルが散歩に出ている間に、フランス人の男が訪ねてくる。この闖入者を用意したところが平田の工夫で、劇に起伏をもたらした。前夫、フランソワである。マリーとのあいだにできた十二歳になる娘はホテルに置いてきた。
戸惑う両親との会話で、二人が孫娘と何年も会っていない事やパリのアパートにミシェルを残して、自分たちはブルターニュの別荘で暮らしている事などが分かる。
フランソワはマリーの亡骸に対面しようと奥の部屋に消えるが、まもなく由希子が現れて、ちょっとした騒ぎがあったという。遺体を前にしてフランソワがひとしきり泣いていたが、突然マリーに手をかけてキスしようとしたらしい。見ていた葬儀屋の柴田が驚いて止めに入ったらもみ合いになったというのだ。
しばらくしてフランソワが出てくると上着の袖の付け根が破けていた。フランソワは少し両親と孫の話などして、ホテルに戻っていく。
初めて日本にきた両親にとって見聞きするものは皆不思議である。日本人はよく謝るが何故か、とか日本の葬儀屋はよく働くなどフランス人から見たら理解出来ないという話題にも、中本と由希子はどうにか応えるといった場面が挿入される。
少しおかしいと思ったのは、両親がマリーの死因を知らなかった事だ。交通事故かなにかで急死したのかと思っていたら、子宮ガンだったとわかる。それなら生きているうち親に知らせるくらいの気の使いようはあっただろうと思った。それとも孫に対する関心の薄さといい、フランス人の個人主義は家族にも及んでいて関係は淡泊なものだといいたかったのか?父親がそれを追求しないほど打ちひしがれていたとも思えない。気になるところであった。
中本が部屋にこもって出てこない。一人で泣いているのではないかと心配しているところへ一冊の本をもって現れる。有島武郎の「小さき者へ」。母親に死なれた娘のことを思っての事だ。中本はその手紙の内容や有島武郎の生涯を両親に説明するが、インテリの大地主の小説家が終いには女と心中する話など、フランス人に理解出来るのだろうか。一生懸命耳をすます両親がむしろ、けなげだ。
ミッシェルが外から戻って月がきれいだという。由希子が奥の部屋から月が見えるかしら、といっていなくなるのを、中本が両親に、マリーにも月を見せようと窓を開けに言ったと説明する。日本では月にウサギが棲んでいると信じられている話が続いて・・・しみじみとした空気が流れ・・・溶暗。
劇場の最前列と二列目にフランス人が三十人ほど陣取っていた。僕はその少し後ろで見ていたが、どうにも気になる事があった。最初の温泉、混浴の話では、そのあたりから笑い声が聞こえていたが、あとはさっぱり、なのである。日本人にとっては声を上げて笑うところもフランス人は面白くないようだ。横顔にも笑いはない。ならば、どの辺で笑いが起きるか気になったので、舞台と字幕とそのあたりを交互にみるという変なことになってしまった。
ひょっとしたらフランス人にとって、これでは、葬式のガイドブックのようなものではなかったか。
日本の葬式はこんなふうにちょっと変わっているけど、親しいものがなくなった悲しみを癒す事にかけて、洋の東西はない。東京で見る月もパリで見る月も同じ月であったなあ、と思ってみてくれたら有り難いといらぬ気を遣ってしまった。
実に、フランスと日本、文句のつけようのない「仲よき事は美しき哉」。青年団の国際交流プロジェクトにふさわしい物語である。実際にあってもおかしくない話だ。
しかし、ほんとうにこれでいいのか。別にコンフリクトを起こさないと真の国際相互理解は得られないというつもりは無いが、これではきれい事に過ぎるという気がする。
平田オリザは「現在」を共時性において描く作家だと誰かが書いていた。「いま」を輪切りにして見せるというのだ。新国立劇場の「その川を越えて、五月」もそうだった。どうしてそこに至ったかは問題にしない。これからどうなるかも提示しない。真理は「現在」、そのディテールにこそ宿っているというわけだ。
なるほど、レヴィ・ストロースはともかく、一世を風靡した構造主義の後継者の思想の中を育った世代の事である。ドラマの枠を広げないようにして世界を「小さな物語」として了解しようというのであろう。
しかし、革命思想や唯物史観の黴菌に冒された頭で考えると、人間はこんなに物分かりがいいはずはないと思ってしまう。いくら輪切りにしても「現在」の両側には過去と未来、ついでに言えば「下部構造」がついて回るのである。物足りなさとはそうした時間軸とか社会性への配慮のことである。
フランス人はどう思ったかしらないが、本来の平田オリザに「国際交流」を加えた分、どうにも薄味に仕上がったスープを飲まされたような、物足りない気持ちが残った。
最後に、フランス語を覚えた日本の役者に拍手。フランスの俳優たちの力量は文句のないところであった。とりわけ平田オリザの雰囲気を静かに緻密に作り出した演出のロラン・グッドマンの日本に対する感性には脱帽。
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第39号、2007年4月25日発行。購読は登録ページから)
【筆者紹介】
中村隆一郎(なかむら・りゅういちろう)
1948年3月生。(株)クエスト 代表取締役。弘前大学人文学部文学科(哲学専攻科)卒業後、味の素ゼネラルフーヅに入社。営業、マーケティング、M&Aなどを担当、1989年退社、企画会社を設立して現在に至る。演劇には高校、大学時代に関係する。「演劇時評」サイト主宰。
【上演記録】
青年団国際演劇交流プロジェクト2007 日仏合同公演『別れの唄』
作:平田オリザ
翻訳:ユタカ・マキノ
演出・美術:ロラン・グットマン
東京公演 シアタートラム(2007年4月5日-8日)
フランス語上演/日本語字幕付き
出演:
中本武雄(マリーの夫)… 太田 宏(Hiroshi Ota)
中本由希子(武雄の妹)… 角舘玲奈(Reina Kakudate)
柴田(葬儀屋)… 山内健司(Kenji Yamauchi)
…以上青年団
ジュリアン(マリーの父)…イヴ・ピニョー(Yves Pignot)
イリス(マリーの母)…アニー・メルシエ(Annie Mercier)
アンヌ(マリーの友人)…カトリーヌ・ヴィナティエ(Catherine Vinatier)
ミッシェル(マリーの弟)…アドリアン・コシュティエ(Adrien Cauchetier)
フランソワ(マリーの前夫)…ブルーノ・フォルジェ(Bruno Forget)
スタッフ:
舞台監督 熊谷祐子
舞台美術 播間愛子
装置 鈴木健介
照明 ジル・ジャントネー 西本 彩
音響 マダム・ミニアチュール 薮公美子
衣裳 アクセル・アウスト カミーユ・ポナジェ
字幕操作 岩城保
通訳 原真理子 浅井宏美
宣伝美術 京
宣伝写真 山本尚明
制作 西山葉子 ヴァンサン・アドゥリュス
主催 (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
企画制作 青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
共同制作 ティヨンヴィル=ロレーヌ国立演劇センター
助成 国際交流基金
後援 東京日仏学院
全席指定/前売・予約・当日共
一般:3,500円/学生・シニア:2,500円/高校生以下:1,500円
世田谷区民:3,300円/SePT倶楽部:3,200円
フランス国内巡演日程:
【ティヨンヴィル公演】
Centre Dramatique de Thionville-Lorraine
2007年1月22日(月)~26日(金)
【ブザンソン公演】
Centre Dramatique National de Besancon
2007年1月30日(火)~2月2日(金)
【ストラスブール公演】
Theatre National de Strasbourg
2007年2月7日(水)~22日(木)
【パリ公演】
Theatre de l’Est Parisien
2007年5月23日(木)~6月17日(日)
※公演の詳細は各劇場サイトをご覧ください。