第3回アジアダンス会議から(下)

◎身体を持ちつつ身体を語る困難
武藤大祐(ダンス批評)

第3回アジアダンス会議チラシシンガポールのジョヴィアン・ンによる「私のダンス」セッションでは、ジョヴィアンと手塚夏子の間に、文化背景を超えた意外な接点が見つかった。ジョヴィアンは比較的遅くなってからダンスを始めた人だが、学校であらゆるダンス・テクニックを学んだ結果、どのテクニックも体を関節単位でしか使っていないということに気付き、最近は普段あまり意識しないような筋肉を動きの起点にする実験に取り組んでいるという。手塚の『私的解剖実験』シリーズも、まさに体を普通とは違った視点から観察し、分析し直すというところから出発している。もちろん細かく見ていけば方法論は異なるが、同じようなことを考えている人がいた、という純粋な驚きがあった。

シンガポールは、国としての歴史は浅いが、ダンス教育が整備されており、バレエやモダンダンスのみならずアジア各国の民族舞踊など複数の様式を学校で体系的に学ぶことができる。例えば中国の古典舞踊(classic)と民族舞踊(folk)、ジャワの古典舞踊と民族舞踊、タイの古典舞踊と民族舞踊、などといった具合に、驚くほど幅広いメニューが用意されているのだが、ジョヴィアンはそれらを網羅的に学んで学校を出た後、自分で何をしたらいいのかわからなくなってしまった。だから自分の体に立ち戻って、個人的なやり方で改めて探査してみようと考えたわけである。対して手塚の動機は、もっと直感的というか、体そのものへの興味からダイレクトに出ているように思える。必ずしもダンスというジャンルの枠組の中で、様々なものへの否定の上に立ちながら独自の方法を探しているというわけではない。一見両者の環境は全く違うものの、身体が高度に情報化され、その大規模な流通が実現している今日の世界的な状況を考えれば、それぞれの社会の中で身体を「アンチ・システム」的な思考の拠点とする、あるいは身体をラディカルに想像し直す(re-imagine)、ということが行われている事実は何事かを語っているだろう。議論をさらに発展させていけば、ジョヴィアンや手塚をそれぞれの特定の地域や文脈における特異例として見ているだけでは必ずしも見えてこないような、より大きな状況(例えばグローバルに進行している文化的傾向、あるいは「思想」といってもいい)が姿を現してくる可能性もある。そうした時に、二人の実践は、個人の身体に根差しつつも、個人のスケールをはるかに超えた射程を手に入れることになるはずだ。

同様の「発見」は、期間中いくつか生まれたが、そのどれもが、今回の会議のような場でなければ想像もできなかった未知の思考の可能性であると思う。例えば〈ほうほう堂〉の新鋪美佳と、パプア出身のジェコ・シオンポが、それぞれの環境下で生活している人々の日常の何気ない身振りを振付に取り入れていることが判明した時には、普段われわれが「日常の動作(daily movement)」などという言い回しでイメージしているものがいかに特殊な文脈に規定されたものに過ぎないかを思い知ったし(「日常」は多様であるということを改めて認識した)、逆に「日常性」ということを基盤に据えれば、見た目には全くかけ離れた〈ほうほう堂〉とジェコのダンスを等価に扱うこともできる、と目を開かされた。こうした発見は、「日本」のダンス、「インドネシア」のダンス、「シンガポール」のダンス、などと抽象的に一般化してしまった上での比較からはまず得られない。国籍やエスニシティを一度カッコに入れつつ具体的な個人と個人が出会うことによって、常識的な思考回路を超えることができるばかりか、常識的な思考のイデオロギー性を積極的にあぶり出す結果にもつながるわけである。

会議に参加した振付家たちはそれぞれの「私のダンス」セッションの他、持ち回りでの「エクスチェンジ・ワークショップ」も担当した。筆者はそちらには参加できなかったので、残念ながらどんなことが起こっていたのかはあまりわからないが、彫刻を学んでいた〈身体表現サークル〉の常樂泰のワークショップで、体を外側から物のようにして扱う手法は生粋のダンサーたちからは驚かれていたようだし、ピチェ・クランチェンと手塚夏子、新鋪美佳の間では「体はどこまでコントロール可能か、どこまでコントロールするべきか」という、ダンスにとってはほとんど普遍的ともいえる問題についての非常に興味深い議論が発展した。

「アジアダンス会議2007」
【写真は、第3回アジアダンス会議2007 ワークショップから。提供=社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター 禁無断転載】

ワークショップと同じ時間帯に、別室では研究者やオーガナイザーたちによるセッション「アジアのダンス」が行われた。関西在住の古後奈緒子は「京阪神から見た日本のコンテンポラリーダンス」という題で、ダンスにおける価値観や流通機構の形成についての地政学的な分析と、京阪神エリアのコンテンポラリーダンスをめぐる考察を行った。これについては、1998年のスハルト政権崩壊以降のインドネシアにおける地域間関係や国家意識の流動化と、コンテンポラリーダンスの振付家たちの表現の変化とを重ね合わせたヘリー・ミナルティの議論との間に、非常に興味深い並行関係が生まれた。インドネシアのような多民族国家が現在迎えつつある「ポスト国民国家」的な状況に比べると、日本において単一民族イデオロギーはきわめて強力な抑圧(抑圧として語られることがないほど強い抑圧)として働いているように思われた。また桜井圭介の「コドモ身体」論のセッションはもちろん紛糾し、かなりの延長戦になった。様々な点で議論の前提を共有しようするだけでも大変だったが、そのこと自体、歴史意識の違いや、ダンスと社会の関係についての考え方の違いなどを次々と浮彫りにしてくれたように思う。

こうして、どこにもニュートラルな場所などないし、誰もが必ずどこかに偏しているという相対主義的認識を共有していきつつ迎えた最終日には、四時間以上に渡るファイナル・セッションで全体の総括が行われた。前半では、会期中に出た主要なテーマを三つ取り出し、きわめて一般性の高い「問い」としてまとめてみた。すなわち「コントロール」(身体コントロールをめぐる技術や考え方の差異)、「日常的な身体」(生活とダンスの関係と、「日常」なるものの多様性)、「誰にダンスを見せるのか」(アーティストの社会的役割)、である。そして後半では、前回、前々回のアジアダンス会議に関わってこられた森山直人(演劇批評家、京都造形芸術大学・舞台芸術研究センター)、および沖縄県立美術館キュレーターの前田比呂也の両氏をゲストに迎え、異なる文化間でダンスを語る際の「言葉」をめぐる諸問題、そして「アジア」なるものへのアプローチの難しさや「アイデンティティ」の政治性について、突っ込んだ議論が行われた。

とりわけ、前田氏がこの会議における自身の位置づけについて言及した瞬間は、筆者にとって、そしておそらく会場にいた全ての人にとって、忘れ難いものになったのではないかと思う。前田氏は、自らが「沖縄」なるものの代理=表象としてこの会議に招かれ、出席しているということ、そして他のあらゆる参加者がそうした何らかのアイデンティティを、好むと好まざるとに関わらず身に帯びているということを、1903年の大阪万博における「学術人類館」(アイヌ、琉球人、朝鮮人、台湾の先住民族など、生身の人間が展示された)の写真を紹介しながら、鋭く指摘してみせた。その時、それまでは単に抽象的な概念として語られていた国籍やエスニシティ、あるいは様々なアイデンティティが、一挙に個々の身体へと引きつけられ、身体は政治的な実体へと変容したように感じられた。少なくとも筆者は、たった今まで、自分の身体のことを忘れたまま、外を眺め、他者を眺めていたことに気付き、そしてその眼差しが自分に突きつけられたがゆえに愕然としてしまったのだった。自分は「日本人」であり、また決して「沖縄人」ではない、ということ……前田氏の身体、そして自分の身体が、鮮明に世界地図の中へ置き入れられた瞬間だった。自分の外へと向かう眼差しや言葉は、自分が「身体」(ポジショナリティ、そして他者への「現れ」)を持っているということを不思議なほど簡単に忘れさせる。身体を持ちつつ身体を語るということの困難を深く噛み締めさせてくれた前田氏には、いくら感謝しても足りない。

確かにこうした国際会議は、国別・地域別という枠組を採用することで個人に特定のアイデンティティを割り振ってしまうことになる。ピチェ・クランチェンは「タイ」を代表(代理=表象)してしまうし、前田比呂也は「沖縄」のイメージを過剰に背負うことにならざるを得ない。アイデンティティなるものの固定化を疑い、既存の世界秩序に積極的に介入していこうと人々が集まる時、まさにアイデンティティの割り振りが行われ、既存の世界秩序が反復されるわけである。しかしこのことの意味は常に両義的でもある。個人が「タイ」を代表し、「沖縄」を代表し、「アジア」を代表し、語ることで、「タイ」や「沖縄」や「アジア」なるものの抽象性を露わにし、代理=表象するものとされるものとの関係を反転させることも可能になるからだ。個人が動き、他と接触し、境界線を共有することで、少なくともその「線」は自分たちの手に掌握できる。つまり個人の動き次第で、今あるのとは違う地図を描いていくことができるのだし、ダンスというものが人から人への動きの「伝染」なのだとしたら、これほど強力な武器もないだろうと思うのである。

ともかく、こうしてコンテンポラリーダンスが改めて広大かつ錯綜した問題群のただ中へと解き放たれ、一週間に渡る会議は閉幕した。必ずしも最初から最後まで順調に運んだとはいえないし、何より連日の過密スケジュールになってしまったことは反省点だが、とにかく沢山の「問い」が出た。答えが出るかどうかも、そもそも出す必要があるのかどうかもわからない問いばかりだが、考える糸口になる問いなら、多ければ多いほど良い。会議の全容をここでお伝えすることはとてもできないので、興味をもたれた向きはぜひ「第3回アジアダンス会議」記録集(下記参照)をご覧頂きたいと思う。

2009年の次回開催はもちろん、今回の会議からは、実はいくつものスピンオフ的な企画が国内外で進行している。詳細はその都度明らかになっていくだろうが、蒔かれた種がバラバラに発芽して、近い将来、巨大な網の目に育っていくのを期待したいと思う。
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第44号、2007年5月30日発行。購読は登録ページから)

第3回アジアダンス会議から(上)-「小さな」個人の身体から「大きな」ポテンシャルを探る

【筆者紹介】
武藤大祐(むとう・だいすけ)
1975年生まれ。ダンス批評。桜美林大学他にて非常勤講師。東京大学大学院にて美学藝術学を専攻。01年より『Ballet』『音楽舞踊新聞』『シアターアーツ』『Theater der Zeit』等に寄稿。『plan B 通信』にて「ポストモダンダンスについてのノート」を連載中。05~06年アジアン・カルチュラル・カウンシル・フェロー(インドネシア、NY)。第3回アジアダンス会議ファシリテーター。個人サイト http://members.jcom.home.ne.jp/d-muto

【関連情報】
・第3回アジアダンス会議2007の概要は、国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター)のwebサイトで。
・「第3回アジアダンス会議」の全容を収めた記録集は一部1,000円。問い合わせ、注文は上記の国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター(03-3478-2189 iti@topaz.dti.ne.jp)。世田谷パブリックシアター・ブックスペースでも販売。
国際演劇協会事務局通信ブログ


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