ギンギラ太陽’s 「翼をくださいっ!さらばYS-11」

◎3つの仕掛けは東京地方公演を福岡にいる気分にさせてくれた
大和田龍夫(大学講師)

「翼をくださいっ!さらばYS-11」公演2005年の再演となったこの芝居には、普通の芝居に慣れた者には意表をつく3つの仕掛けが待ち受けていたのである。

仕掛けその1
劇団員総登場「開演前の強制撮影大会」。開演前には「携帯電話の電源を切る」「カメラ撮影は禁止」が当然である会場は一転「カメラを出せ!!」ということとなるのである。西鉄バスをかぶったこの軍団は、3階席まで遠征をして「かぶりもの」に慣れてもらうための儀式が始まるのであった。もちろん、記念写真は後日多くの人がその演劇の感動を伝えるための「プロモーションツール」となることであろう。劇場の諸々のお約束を覆すこの「撮影大会」は始まる前に終わったかのような感覚を抱かせる意表をつくものであった。私はこの劇団、福岡を本拠地とする劇団を見るのが初めてということもあり、どんな劇団だと想像が膨らむ一方だが、この儀式を通して「いつも通りやるぞ」と宣言している。東京「地方公演」は2回目とのことで、2005年の「福岡地震」により公演中止となった本公演を「パルコ劇場」で行ったのが第1回目とのことである。

劇場の開演前の気配というのは劇場と劇団によってその特徴を持っているものであるが、開演前の緊張感をどのように高めるのか、また会場前の緊張感をどのように緩和するのか、このコントロールは観客と劇団の大きな問題なのではないか? 私はその緊張感を高めるための開演前の客席が「無音」状態で待つことに感動したこともあるのだが、これはこれでとても面白いものだと感じた。余談にはなるが、私は以前、シンポジウムの終了後の会場のいい雰囲気をなんとか開始前から醸し出すことができないか? ということを考えて、終了後の雑踏感を開演前にという試みをやったことがあるのだが、それは今振り返ってみると、mixi(のようなSNS)で事前にネタを盛り上げておいてオフ会を開催というモデルそのものであった。当然、異なる空間、時間は「盛り上げ」を促進するにはあまりに弱い前座であった。この「ギンギラ太陽’s」の前座は見事な仕掛けであると感心したのであった。本編が楽しみに高まる緊張を押さえきれない自分がいることに気がついた。

仕掛けその2、「かぶりもの」と「擬人法」
登場人物が人間ではない。猫しか出ない芝居もロングランするわけで、決して珍しいものでもないその擬人化した舞台には、驚きと感心が同居することとなった。登場物は飛行場・飛行機・・・・。役者は全て「かぶりもの」つき。別に喜劇・子ども劇をやるわけではないのである。このかぶりものにはいくつかの特徴があることがやがてわかってきた。1人何役も担っている役者は容易に役のなりかわりが可能になるのである。役者の顔が見える位置どりができた私には見つけることができた役者の早変わりはかぶりものによって可能となっているのである。この1人何役もの早変わりは舞台演出上の必然からではなく、劇団都合によるものであるようだった。だが、このかぶりものにより何ら違和感もなく自然に観賞できることとなり、このかぶりものが意外なまでにいい効果を醸し出しているのである。キャラクター設定においても、航空会社・空港などの特徴をかぶりものにより容易に具象的役作りの一助としているのも面白いところであった。テーマが「具象的問題」をとりあげていくものだけに本編を肉付けするための「説明」は短めにしてほしい、それをかぶりものはうまく手助けをしているようである。

仕掛けその3、「入念な取材に基づく史実に基づいた芝居」
シナリオは地元の史実を入念に調査し、その中のエピソードを一つ一つから丹念な物語を作り出している。藤木勇人が「琉球落語」と称して年に1回のペースで東京で琉球にまつわる物語を披露している舞台がある。落語という手法は全ての物語を表現してしまう特殊な話芸であるが、演技者に高度な話術を課すと同時に、観客に対しても高度な想像力を課すなかなかやっかいな舞台芸術である。

一方、この「かぶりもの」による物語とすることによって、舞台では表現が困難だった演出空間を無限に拡大し、時間という概念も忘れてしまう壮大なドラマが可能になったのである。この時空の拡大なしには大塚ムネトのシナリオは成立しえないのである。かぶりものと、大塚ムネトが取材をすることで構成した脚本は、ギンギラ太陽’sを唯一無二の劇団へとしているようであることは間違いない。社会問題、原発問題、差別問題、様々な問題に挑む劇団が日本中に存在しているが、時には演じ手側が見る側を選んでしまうような作りになることもある。一見、かぶりものがともすると幅広い層を呼び込むかのような作りであるかのようにも思える(逆に子ども劇、コントとバカにして見に来ない人もでるリスクも同時にあろう)。大塚ムネトはかぶりものを続けることに疑問を持っていた時期もあったとようだとプログラムで後藤ひろひとが証言している。10年続けることで持ち味となったのか、もともとこの手法をうまく獲得していたのか、他の作品も見てみたくなる不思議な魅力を持っている。

初演では雁ノ巣飛行場が役割を終え、スカイマークが独り立ちをしたところで終わったとのことだが、今回には続きがあった。この芝居のために作られたかのような史実が結末について大団円となっている。副題にあるように、YS-11は日本の空から消えてしまったが、消えたものの精神が次の世代に引き継がれていく。そのようなエピソードを続々と登場する「かぶりもの」の語りに、私を含め多くの観客が感動を覚えたであろう。
是非次回は地方公演ではなく福岡「本公演」で見てみたいものである。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第81号、2008年2月13日発行。購読は登録ページから)

【著者略歴】
大和田龍夫(おおわだ・たつお)
1964年5月東京生まれ。東京都立大学経済学部卒。現在は武蔵野美術大学・専修大学非常勤講師(メディア論)、金融業に従事。季刊InterCommunication元編集長。

【上演記録】
ギンギラ太陽’s「翼をくださいっ!さらばYS-11」
(Wing It! The Story of a Start-up Airline)
天王洲 銀河劇場(The Galaxy Theatre、2008年1月9日-14日)

作・演出:大塚ムネト
出演者:大塚ムネト、立石義江、杉山英美、上田裕子、中村卓二、古賀今日子、中島荘太、彰田新平、林雄大 吉田淳、石丸明裕、ほか

スタッフ :
[かぶりモノ造型]大塚ムネト
[舞台監督]松本幸一
[照明]荒巻久登(シーニック)
[音響]インテグラル・サウンド・デザイン
[宣伝イラスト]庄子智湖
[宣伝写真] 藤本 彦
[宣伝]清山こずえ
[制作]羽田野裕義、西山由紀子、永渕瑛美
[制作協力]伊藤達哉、三宅規仁、西川悦代(ゴーチ・ブラザーズ)
[プロデューサー]市毛るみ子(アミューズ)/堀英明/石川鉄也
全席指定 6,000円(消費税込み)

主催:アミューズ
後援: [後援]福岡県/福岡市
特別協力: (株)パルコ/(株)クリエイティブオフィスキュー
制作協力: ゴーチ・ブラザーズ
製作: ギンギラ太陽’s/アンミックスエンタテインメント/ピクニック
企画・製作: アミューズ /ピクニック

「ギンギラ太陽’s 「翼をくださいっ!さらばYS-11」」への1件のフィードバック

  1.  初めまして。
     私はギンギラの地元ファンです。今年12月、初めて東京公演に遠征することにしました。それで、ギンギラが地元以外でどんな風に受け入れられるのか気になって、いろんな劇評を検索してみました。

     大和田さんを初めとする評論家のみなさんの劇評は、みななるほどと思わされるものでしたが、ギンギラの明らかな特徴なのに、地元以外の評論家の皆さんが何も言及していない要素があります。それは、ギンギラの「社会風刺精神」です。

     西鉄バスのマナーの悪さ、需要を無視して政治力でつくられた佐賀空港や福岡市の人工島、収益重視で老舗を見捨てる西鉄グループや地場銀行など、ギンギラの芝居には、かなりアブない毒が仕込まれています。そんな地元ローカルの時事ネタ、社会批評精神こそ、ギンギラの最大の魅力です。

     ただ、そんな地元の社会問題について、東京の評論家は全く無知であるがゆえに、ギンギラの果敢かつ強烈な風刺精神については、ほぼスルー状態です。大和田さんの文章を拝見しても、ギンギラの魅力の半分については触れていないような物足りなさを感じます。

     もちろん、福岡や九州の事情を知らない方がギンギラを評価する際には、このような文章にならざるを得ないのでしょうけど…。そしてギンギラの魅力の半分しか分からない状態で高評価を下さるのはとても嬉しいのですけれど。

     大塚ムネトさんが毎回「地元の人にしか分からない芝居を作り続ける」と意思表明をするのは、全くの真理です。今度は是非、福岡の本公演においでになり、福岡の観客が笑うツボを観察して下さい。その際は、芝居に仕込まれた毒を解読できる地元の方と一緒に観劇なさることをお勧めしますね。 

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