バットシェバ舞踊団「テロファーザ」

◎「ローカル」な文脈へ 日常的で親密な行為としてのダンス
武藤大祐(美学/ダンス批評)

「テロファーザ」公演チラシここのところ仕事で大量のダンスのヴィデオに目を通さなくてはならず、いくら好きとはいえ流石にもう沢山という気分で、意識も朦朧としたまま出かけてみると、実に三十数人ものダンサーが舞台上に分散して居並び、さあ踊るぞといわんばかりにこちらを向いている。まるで堂々と開き直ったような彼ら彼女らの佇まいが、穏やかだがどこか毅然とした意志のようなものも漂わせていた。

おそらく観客は誰しもイスラエルという国がいまどんな立場にあるのかを知った上で、大なり小なりの違和感と折り合いをつけて会場に集まったのに違いないし、踊る側もそれは十分承知のはずだ。どう取り繕ったところで、われわれがいま立ち会おうとしているのは、「ダンス」などという能天気な代物でしかないのだし、人々がオハッド・ナハリンとバットシェバ舞踊団に期待しているのもまさにそれなのだ。だからダンサーたちのこのやや過剰とも思えるほどに堂々とした立ち姿は、「イスラエルのダンス」なるものを頭から否定してしまいかねない性急な道徳感情に、再び否定を重ねた結果としての、強い意味のこもった肯定の身振りなのだと受け止めざるを得なかった。

他方で、三十四人という数(確認しなかったがパンフレットによれば)のインパクトのせいか、ダンサーたちの隊列はあたかもこれから戦闘に臨む兵士たちのそれのようでもあった。ただちに、アメリカの振付家、イヴォンヌ・レイナーが1968年に書いたテクストの一節が思い起こされる。泥沼化していくヴェトナム戦争に反対する声明の中で、レイナーは「危機にある世界」に対して自分が何もできないでいることへの苛立ちを示しながら、いっそのこと女性も徴兵の対象に入れてほしいくらいだ、そうすれば事態を傍観しているのではなしに、少なくとも何らかの「行動」に加わることができる、と書きつけ、そこにカッコ書きで「もしそうなったら、柔軟な身体能力をもったダンサーなどは最初の犠牲者にうってつけだろう」とアイロニカルに付け加えたのだった(Yvonne Rainer, A Woman Who…: Essays, Interviews, Scripts, Johns Hopkins U.P., 1999, p.40.)。いかに短絡的な連想であろうとも、舞台上に佇むバットシェバのダンサーたちにこんなグロテスクなイメージを重ねずにいることは難しかった。イスラエルでは現在、18歳以上の男性には3年、女性は約2年の兵役が義務付けられている。

ぼくにもイスラエル人の友人がいる。けれども直接こういう話をしたことはない。話して解決するものではない。しかしそれで何かが変わるわけでもない。個人と個人の間にも巨大な国際紛争のスケールの暗闇が射し込み、それがある小さな沈黙を作り出す。そして今回、ナハリンの『終期』と題された作品で扱われていたのもこの沈黙に他ならなかったように思える。つまりそれは、群舞の背景の四枚のスクリーンに何度となく映し出される、ダンサー一人一人の顔のことだ。舞台奥にライヴ・カメラがあって、おもむろに群舞を外れたダンサーがその前に立つと、顔が大写しになる。そしてその顔は、じっとこちらを見つめたまま黙っている。それはただ黙っているのではなくて、自らの顔を見せている、積極的な意味で露出させている、といった風情なのだ。

オハッド・ナハリンという振付家の仕事をたくさん見ているわけではないけれども、飛び抜けて痛快でダイナミックな動きを作る人だということは、今さらいうまでもないだろう。個人的には、97年の初来日公演もさることながら、とりわけ02年に青山劇場で上演された『マイナス6』(若手組のバットシェバ・アンサンブル)の時に、低い重心で全身を自由自在にひねって振り回す、荒削りでパワフルなダンスに心底魅了されてしまった。05年には、ナハリンが自分のグループを作って振付家デビューした地でもあるNYで、小さなスタジオを使い、四方に客席を巡らせて上演される『Mamootot』を見た。間近で見るナハリンのダンスは、体の動きを通じて、体がもっている可能性、体と世界の関わり方をどこまでも新しく切り拓いていくような、力強い想像力に満ちていた。

そして今回の『テロファーザ』は、プロセニアム舞台でありながら、今まで以上にフォルム的な統制のゆるいダンスだったように思う。つまり動きははっきりと振付けられているけれども、それを支える原理はフォルムではなく、圧倒的にリズムなのだ。だから荒削りに見える。体型はまちまちで、解釈にも見事にバラつきのあるダンサーたちが、動きを音にハメて思い切りよく群舞する。今までに見たバットシェバと比べると、何だか「劇場」という場がそぐわないような、要するにレイヴか何かのような、抑えのきかない集団のうねりのようなものを感じた。例えば四、五人のダンサーの組がいくつも並び、組ごとに違う振付を踊りながら、下手側から上手側へレイヤーで横移動していくとかいった場面は、心が浮き立つようなダンスの楽しさが、プロセニアム舞台の要求する視覚へのアピールと、奇跡のように合体した部分だと思う。

たとえ若きナハリンが、マーサ・グレアムやモーリス・ベジャールのもとで研鑚を積んだとはいえ、バレエの歴史の延長上にあるヨーロッパやアメリカのダンスの視覚性と比べると、ナハリンのダンスは明らかに異質というべきではないだろうか。そしてそれが、もしかすると中東という文化圏に属する何かなのではないかと、『テロファーザ』を見て考えた。

日本人にとっては今も馴染みの薄い地域という事情もあるが、少なくとも「ユダヤ」の民族的なもののイメージであるとか、ホロコーストやパレスチナ紛争をめぐるモティーフは、ナハリンの作品によく出てくる。『アナフェイズ』の、椅子と帽子を使ったあの有名なシーンなどもそうだし、『Mamootot』でも死をイメージさせる場面は強調されていた。しかし『テロファーザ』は、もう少し違う意味で、あからさまに「ローカル」だったように思う。

その印象を最も強く受けたのは、終わり近くに、唯一言葉を発する(吹き替えだが)ダンサーの「レイチェル」がヴィデオ画面越しに観客を誘導して、その場に立ち上がらせ、人々を踊らせようとするところだ。かなり後ろの席に座っていたので、神奈川県民ホールの全体が見渡せた。すると暗がりの中に数百人の観客がざわざわと動いていて、すると舞台上も、劇場というより文字通り地域の公民館のような、いかにも飾り気のない散漫な雰囲気になった。何も知らずに想像でいうのはためらわれるけれども、その光景は、たまたま数日前に見た映画『迷子の警察音楽隊』(2007年、イスラエル・フランス合作、エラン・コリリン監督)の中のイスラエルの田舎町の様子と、スムースにつながってしまった。

この映画は、エジプトの警察の楽隊がイスラエルで迷子になり、何もない辺鄙な町にたどりついて一夜を過ごす羽目になるという筋書で、エジプト人たちとイスラエル人たちの他愛もない、少し間の抜けたやり取りをコミカルに描いている。宗教的・民族的な背景などは大して扱われず、退屈きわまりない市民の日常生活と、中年で保守的な警察官のぎこちない振舞いの可笑しさがひたすら映し出されるのだが、さえない少年とさえない少女がローラーディスコ(ローラースケートを履いて踊るディスコ。1980年頃にアメリカを中心に流行)で初デートを試みる場面や、町で唯一のコーヒーショップで流れる歌謡曲など、映画とはいえ、「辺境」のイメージには強烈なものがあった。そしてそんな時空間が、不意に神奈川県民ホールにも流れ込んできたように感じられたのだ。

実際、『テロファーザ』は、少し古めのロックなどとともに、北アフリカや中東を思わせる音楽がずいぶん使われているようでもあって、それが「ローカル」な文脈への連想を促す面も大きいのだろう。使用曲のリストはなく、言葉もわからないし、音楽的な知識も持ち合わせていないのだが、少なくとも、ダンサー全員(おそらく)が分散して正面向きに立ち、左右に出した両腕を少しずつ、一定の間をあけてリズミカルに上へもっていく、あの忘れがたいユニゾンの場面で使われていたファンキーな音楽は、アリ・ハッサン・クバーンだった。クバーンといえば、アスワン・ハイ・ダムで水没した地域を出自とするヌビア民族のゴッドファーザーとよばれた大衆的ミュージシャンであり(エジプトで活躍、2001年没)、そのまるで中東の村祭りを思わせる音楽にのって、バットシェバのダンサーたちは実に奇妙なダンスを踊ったのだった。

ナハリンはきっとこんな風に、ダンスというものを何かとても日常的で親密な行為としてイメージしているに違いない。グレアムやベジャールについて学んでも、格調高い「芸術」の世界の住人になり切ることのないまま、「ダンス」を考え続けているのだし、またそれを可能にしているのがイスラエルという場所なのかも知れない。そんな風に想像するのである。だからこそ、チラシにあるカラフルで魅力的なレオタードの衣装がどういうわけか普段着風に変更されていたのも、悪い選択ではなかったと思う。

しかし、ヴィデオスクリーン越しの「レイチェル」が、観客に自分の手首を回転させてみるよう促したり、右手は柔らかく左手は硬く動かしてみるよう指示したり、口元をなでてみるように言ったり、そして立ち上がって、頭を回転させ、肩を揺すったりしても、ここまではまだ恥ずかしくなかったのに、そのまま「踊りましょう」と言われた時は、踊れなかった。単に体を動かすことと、踊ることとの間には、とても大きな飛躍がある。踊るには、周囲に気兼ねすることなく、体の内側に引っ込んでしまえるだけの安心感が要るのだ。もちろんこの飛躍を明るく飛び越え、踊る人もいたが、ぼくには踊れなかった。神奈川県民ホールの客席では踊れない。知らない他人とは踊れない。

踊ることと踊らないこと、そのコントラストは、よくよく思ってみれば、舞台上の、あの入れ代わり立ち代わり大写しになるダンサーの顔と、その前で盛大に繰り広げられる群舞との間にも反復されている。そして『迷子の警察音楽隊』でも、異質なアイデンティティ(それどころかしばしば緊迫した外交関係にある二つの国)に属する人と人が交わす言葉より、ただ押し黙って無表情に見つめ合っている場面の方が多くを語っていたように思う(この映画の美点は、他者との距離を決して埋めようとはしないドライさにある)。互いに理解し合ったり、殺し合ったりする以前の、もの言わぬ「顔」、人の行動を動機付ける何らかの「意味」の発生より常に先にあって、また「意味」を常に下支えするものとしての「顔」を、ナハリンの『テロファーザ』は露出させる。一人一人の顔をただじっと見つめることを余儀なくされながら、(ためらいなしに告白したいのだけれども、)この人は人を撃っただろうか撃っていないだろうか、爆弾を落しただろうか落していないだろうか、家を焼いただろうか焼いていないだろうか、と考えた。イスラエルの政策に賛成だろうか反対だろうかと考えた。「イスラエル」を非難することは簡単でも、この一人一人の個人たちに対してはどうだろう。ぼくは彼ら彼女らの誰一人として知らない。仮に知っていたとしても聞けない。

ユダヤの哲学者エマニュエル・レヴィナスの、「顔」をめぐる思索を、ナハリンは意識していなかっただろうか。「私は顔を前にして(あるいは顔に向けて)応答する(とはいえ、この連関のうちにはいかなる温情主義も介在することがない)と同時に、顔に対して責任を負うているのだ。顔は謎であり例外である。裁き手であり原告である」(『存在の彼方へ』、合田正人訳、1999年、講談社学術文庫、43頁)。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第83号、2008年2月27日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
武藤大祐(むとう・だいすけ)
1975年生まれ。美学/ダンス批評。01年より『Ballet』『シアターアーツ』『舞台芸術』『plan B 通信』等に執筆。近年は、日常生活とダンスの関係を問い直した60年代アメリカのジャドソン教会派、およびアジア~日本~アメリカを軸とするダンスと身体の地政学などが研究テーマ。08年4月より群馬県立女子大学専任講師。
個人サイト http://members.jcom.home.ne.jp/d-muto

【上演記録】
バットシェバ舞踊団「TELOPHAZA テロファーザ」(日本初演)
神奈川県民ホール大ホール(2008年2月2日-3日)

振付 オハッド・ナハリン
出演 バットシェバ舞踊団 バットシェバ・アンサンブル
料金 全席指定 一般5,000円 学生3,000円


「バットシェバ舞踊団「テロファーザ」」への4件のフィードバック

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